表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/43

被害届

 大阪府警、こういう公的機関の巨大な建物を見ると、いったいどれだけの部屋があるのかとか、どこが何に使われているのかとかと想像してしまう。その大半は、一般市民が立ち入ることはないのだろうけれど。こんな想像をしてしまうのは、うちの会社が事務所スペースと現場、狭い社食と会議室がいくつか――とこじんまりとしていて簡素だからだろう。


「正面を入ったら、受付で要件を言わずにただ、『相談室に通してください』とだけ言ってください」


 受付では要件の詳細を言わないようにと念を押された。

 言われた通りに受付で伝えると、応接スペースに案内された。しばらく、僕と木戸さんと江戸川の三人で待たされた後、ドアがノックされて、若い婦人警官が入って来た。まず最初に警察相談室の概要の説明があった。日常の中で気になったほんの些細な事、街を見渡して怖い、不安全だと思ったこと、果ては警察官の公務の態度で不満に感じたことなど、「本当に気軽に何でも相談してください」と案内してくれた。


「私は、こちらの三島さんと、木戸さんの友人で、夏目と申します」


 まず口を開いたのは、江戸川だった。ちなみに、“夏目”は偽名ではないらしい。


「実は木戸さんが、ある団体から脅迫状を送られておりまして――」


 そこで、脅迫状の原本をファイリングしたバインダーを取り出す。婦人警官が目を丸くし、一瞬で肩を強張らせた。――これは大事(おおごと)だと否が応にでも思わされたのだろう。

 今日までの数日に届いた脅迫状、要求内容がご丁寧に記された固い内容のものも、罵詈雑言で埋め尽くされた精神攻撃のためのものもすべて合わせて二十二通。日割りで計算すれば、一日に最低でも五通もの脅迫状が届いていた計算だ。しかもそのどれもが手書きのものこそないが、どれもフォーマットが微妙に異なっている。

 脅迫されているという実態を示すには、説得力は十分なものだった。


 被害届を出したい。その旨を伝えると、速やかに被害の状況を詳細に聞き出すための聴取が始まった。

 無言電話、つきまとってくる車両、マンション近辺をうろつく怪しい男。日記に書き記していたおかげで理路整然と伝えることができた。


「安心してください。すぐに被疑者の特定のため、捜査が始まります」


 婦人警官が言った一言で、それまで怯えた様子で被害の内容を話していた木戸さんが、安堵の息を漏らした。そこに息を合わせるように、僕も胸を撫で下ろす。――やっと救われる。そんな気がした。本当はまだ始まったばかりなのだけれど。

 大阪府警の建物を出ると、江戸川は渋い顔をした。どこか柔らかくなった木戸さんの表情とは対照的だった。


「本当に助かりました。ありがとうございます」


 深々と頭を下げて礼を言う木戸さんに続いて、僕も礼を言った。


「いえいえ、これも仕事ですから。それにまだスタート地点に立ったに過ぎません。ここからは、時間もお金もかかって来ます。――ともかくこれで刑事が配置され、捜査が動くでしょう。証拠品の効果は大きいですからね。人員さえ確保できれば、捜査は円滑に進み、被疑者の特定も時間の問題でしょう。私のような自由業でも怪しい男の存在を確認しています。おそらくは脅迫状はポストに手差しで入れられていますから、現場を押さえれば、逮捕までこぎつけられるでしょう」


 裁判の話を進めるのは被疑者が特定されてからということらしい。それまでは弁護士に話を通すなどして裁判で少しでも良い判決が下りるように根回しと下準備を進めるとのが当面の予定だ。


「では日記は、これまで通り続けてください。前にも言った通り、それの効力は法廷で最も発揮されますから」


 では、私はもう少しだけ大阪城を見物して帰ります、と江戸川は対岸の大阪城公園へと渡った。しばらくして、ふと江戸川は立ち止まり、ポケットの中を探って煙草の箱を取り出した。――どうやら見物よりも煙草の方が目的だったらしい。そんな彼の様子をぽけえっと眺めていると、木戸さんがぐいぐいと右手を引っ張って来た。


「三島さんっ、このあと久しぶりにデートしませんか?」


 デートか、そういえばここのところ、二人でどこかに出かけて何かを食べてとか、そういう当たり前のことをないがしろにしていた気がする。なんて自分を恥じていたところに、「今日はもう、脅迫状のことだとか、裁判のことだとかそんな話題を出すのはなしですからね」と笑顔で釘を刺してきた。


 半ば彼女に手を引かれるようにして、歩き始めた。切り替えの早い彼女は、さっきまでの深刻な表情など捨てて天真爛漫な笑顔を向けている。――なのに僕は、あとどれくらい自分は彼女の止まり木でいられるのだろうなんていうつまらない思考に囚われていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ