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尾行者

 日記を習慣としてつけるようにしたのは、初めての経験だった。今までは、それこそ小学校のときに夏休みの課題かなんかでつけさせられたぐらい。

 なにを、どういう風に書こうか――なんて身構えなくていい。箇条書きの方が証拠品としては使いやすいくらいだと江戸川には言われた。


 だから、「・」を文頭に打ってそこで今日あったことを思い出す。できるだけ、今僕らが受けている被害について書こう。江戸川は、何気ないことでも証拠になるかもだとか言っていたが、僕にはきっと何気ないことをそう思わさせるような文才はない。だから事実を並べて簡潔に。


・家に帰ると脅迫状が二通届いていた。ひとつは、契約書のような、固い文体で書かれていて無感情に「原稿データの引き渡し」を求めるものだった。もうひとつは、要求内容などはなく、「協会の裏切り者」と始まって、「人でなし」だの「天罰を受けろ」だのと罵倒が並んでいた。


・今日は、木戸さんの電話に非通知の無言電話が3件入っていた。僕には話していなかっただけで前々から、ちょくちょく入っていたらしい。着信履歴を見せてもらった時間帯は昼夜を問わずといった具合だった。


・脅迫状の件で相談を持ち掛けていた探偵事務所の最寄り駅、JR大正駅の高架下に、木戸さんがつけられていると言っていた紺色のバンが停まっていた。ナンバープレートの番号も以前に控えたものと同じだったと。車の中を覗き込んだところ、その運転手のものと思われる持ち物に見覚えがあった。僕は木戸さんの引っ越しを手伝ったことがある。そのときも後ろをつけてくる不審なトラックがいた。その時の運転手の持ちものと同じものだった。


 と、こんな具合にその日あったことを具体的に、できるだけ数字を使って。脅迫状や無言電話の頻度や分量なんかが分かるように。


 次第に僕と彼女の会話は、「今日は何があった?」で始まるようになった。それは電話でも、メッセージでも、実際の面と向かっての会話でも。

 ――そんな日が数日続いた。こうやって日記をつけていると、脅迫状も毎日のように届いているし、以前はすぐに捨てていたものをファイリングしているから分量も溜まってきた。日記も十数ページまでに及び、久しぶりに指にペンだこができた。


「三島さん、……寝ないんですか?」


 リビングで日記をつけていると、彼女が眠そうな声で話しかけてきた。

 ここのところ、ベッドに入る時間が別々の日が続いてる。もともとスケジュールがばらばらの二人だったが、ここ最近はそれが特にひどくなった。けれど、集めた証拠は裁判ではさらに効力を発揮するなんて言われていたから、手を抜きたくなかった。


「今日はもう少し、後にするよ」

「そう――」


 しゅん、とトーンの落ちた声を発する彼女。薄手の寝間着から下着が透けていた。何故だかいつもよりも派手な色使いだった。


「木戸さんは今日は――」

「話したくないって言ったら……三島さんは、どうしますか」


 それは疑問というより半ば責めるような口調だった。


「最近、おかしいです。六法全書だとか小難しい本ばかり読んで、家の中はテレビもスピーカーも鳴っていなくて静かで、今も……目も合わせてくれない」

「ごめん……けど」

「けど、なんですか? せめて、私のことを見て言ってください」


 空気が張り詰めてぴりぴりとしていた。「私のことを見て」って言われているのに、僕は求められたことができなくて。――余計なことなら、いくらでもできて、いくらでもしてきたくせに。 

 「けど」の後に続くのは、彼女にとって言い訳だった。それくらいの低レベルなことは僕にも分かった。だから、彼女と目を合わすことも出来ないままに黙りこくった。やがて、彼女が「もういい」なんて吐き捨てて、寝室に入るまで。


 彼女はそっとドアを閉めたのに、僕の中では乱暴にばたんと閉められたように感じた。それから結局集中できなくて、数行も書かないままで僕は寝入った彼女の隣に横たわった。

 僕は彼女と喧嘩でもしたかったのか。自分でも何がしたかったのか、よくわからなかった。


     ***


 二人でベッドの上で背中合わせ、お互いふて寝をしたなんて滑稽な話だ。けれど、朝になってもそれを笑うことなんて出来なかった。自分が悪い、ということは分かっていたから。

 二人分のパンを僕が焼くと、彼女が「ありがとう」と言ってくれた。昨日のことが嘘みたいな、朗らかな声だったのに、僕は「ああ」なんて素っ気ない返事をしてしまった。


 朝食は二人してテレビに視線を向けたまんまで終わった。朝の特集では、あるタクシー会社に取材が入っていた。タクシーといえば、セダンタイプの車両が主だったが、最近はどんな車両でも、表示をしてタクシー車両として街の中を走っているのだという。インタビューを受けていたのは、クラウドファンディングで資本金を募って立ち上げた会社で、社員には自家用車をタクシー車両として使用してもらい、社用車を支給するコストを削減するなど画期的な事業形態が注目されていた。


「へえ、タクシーといえばセダンタイプの車両で、中はタバコと新車の匂いが混ざった匂いがしているというイメージだけど、それも変わっていくのか」

「私、新車の匂いって苦手です。あれのせいで車酔いがしやすくなる」

「はは、分かる」


 彼女との会話で笑ったのは、久しぶりだった。けれどまた、モノトーンの空気に飲まれた。

 朝食の後、身支度を済ませて家を出る。今日は、大阪府警で江戸川と落ち合う予定だ。


 ――ヴィンテージのアロハシャツという、驚くほどラフな出で立ちで江戸川は現れた。へらへらと笑いながら手を振る。接し方までラフになっている。

 待ち合わせ場所に指定してきたのは、大阪城大手門。大阪府警は大阪城のちょうどすぐ隣にあるから、そうしたという。


「今日は、私とは友人ということになってますから。格好も接し方もラフで行こうかと思いまして」


 多分、僕には江戸川のような友人ができることはない気がする。なんというか、彼のような何を考えているのか分からない飄々とした人物というのが、僕は苦手だ。


「少し歩きませんか。大阪城なんてなかなか来ないでしょう」


 小学校の遠足で来るぐらいで地元の神社仏閣なんて大人になってしまえば馴染みがなくなるもの。大手門をくぐり、内堀の外周をぐるりと回りながら天守閣を角度を変えて眺める。僕はぼうっと眺めるだけだけど、彼女はスマートフォンで写真を撮ったりしていた。


「特別好きだとかそういう理由がなくても、自分が来たっていう証拠を残したいから」


 そう言って、何枚も写真を撮っていた。

 舞台の上に立つ機会が多い彼女だから、気持ちの切り替えが上手いのか。僕はそんな彼女の姿を羨望を込めて見つめていた。


「さて、少しここのところの成果をお伝えしましょうか」


 江戸川が手をぱんと叩いて、僕らに呼びかけた。彼はここのところ、“失礼ながら”僕らのマンションの周りで張り込みをしていたらしい。


「怪しい人物にあたりはつけています。まだ現行犯とまでは行きませんが……」


 そう言って、スマートフォンで撮ったという男の写真を見せる。しかし、季節に似合わない身元を隠す服装のせいで情報量は少ない。背が高めの男だということは分かる。――そういえば、彼女のライブに決まって顔を出す男に風貌が似ている気もする。彼女も警戒していたし、この前話しかけられたときはぞわりとしたものだ。


「同時に紺色のバンも確認されています」


 と付け加えたところで、僕らは口を揃えて反応した。


「心当たりがあるようですね。――この分では、送り主の特定までは時間がかからなさそうですね。ちなみにこの写真はマル秘でお願いします。出すとしょっ引かれるのはこっちですから」


 警察には、こういう風貌の男をよく見るということで言えるように、できるだけ外見から得られる情報をメモしておきなさい、と。画像データはいくつかあったが、服装のブレはあれど、ニット帽とサングラスは同じもののようだった。

 ファッションに少し詳しい彼女の見立てでは、どちらもブランド品ではなく、それこそドラッグストア等で安価で購入できるような代物だろう、と。それが災いして特定には至らなかった。

 結局、画像データから得られた情報は、鼠色のニット帽と、フレームに金メッキが入った、遮光が強い大きめのレンズのサングラスといったところまでだ。

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