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じゃれ合い

 いつもよりも家の鍵を回す手が軽い。背後を数歩遅れて、彼女がついて来ている。ただそれだけで、気分が跳ねるよう。


「木戸さん、入って」


 ぺこり、とお辞儀をしてから、彼女は僕の革靴の隣に、控えめなヒールのついたパンプスを並べた。


「……ごめんなさい。いろいろ、置きっぱなしにしていて」


 そう、僕も家に放置された荷物と同じく、彼女の帰りを持っていた。


「いえ、木戸さんが、帰って来てくれてよかった」

「そんなこと言うと、ここを私の家にしちゃいますよ」


 彼女は、軽い冗談のつもりで言ったのかもしれないけれど、いつか本当にそうなればいいな、なんて。

 彼女の荷物は、分かりやすいようにソファの上に纏めて置いてあった。床から上げておけば、埃をかぶりにくいだろうから。掌で撫でてまわって懐かしむ彼女。まるで、「ただいま」と伝えているようだった。特に、愛用のクラシックギターを納めたギターケースは、何度も何度も、革の質感を確かめるように撫でていた。


 そんな彼女を視界の片隅に、僕はグラスに二人分のビールを注いだ。可愛らしい猫が描かれた缶入りのホワイトエール。彼女が戻って来た記念に、と僕が一人で勝手に盛り上がって買ったものだ。でも、彼女も好きだと言ってくれた。

 

「ありがとうございます」


 彼女がグラスを受け取って、からん、とグラスが打ち鳴らされた。一口つけて、喉を鳴らして飲んで、恍惚の溜息。表紙が揃って、思わず笑う。艶やかな唇に、白い泡がついていた。


「これ、美味しくて、いいですよね」


 ホワイトエールは、果実のように、香り高くて甘い。彼女は喉を鳴らしながら、流し込んであっという間にグラスを空にする。前から思っていたけれど、彼女は飲みっぷりがいい。僕よりもずっと。


「いない間、どうやって暮らしていたんですか」

「……三島さんに会わないように、バイト先も色々変えて、持っていたフォークギターで演奏していました。新世界とか、道頓堀をうろついていましたよ」


 意外と近くにいたのに、ばったり会ったりしなかったものだな。


「でも、どうして逃げたのかな。私、三島さんを守ったつもりでいたけれど、怖くなっただけなのかもしれないですね。結局、私……駄目ですね」


 二杯目のグラスも飲み終えてしまって、彼女の瞳がとろん、としてきた。


「三島さんが、あんな必死になるなんて、思わなかったです。結構、強引な人だったんですね。――もっと、甘えてよかったのかもしれない」


 三杯目、自分で注いで一気に飲み干した彼女。


「そう言えば、私には何度も言ってましたよね。私のこと……好きだって……」


 呂律がいよいよ怪しくなっている彼女。いいや、どこか少し演技がかっているか。自分で自分に、「私は酔っているぞ」と言い聞かせているようだった。それが、恥じらいの息の根を止めた。

 彼女は勢いよく立ち上がる。椅子がのけ反って倒れた。


「ちょっと、木戸さん。大丈夫ですか」


 ふらつく彼女のもとへと駆け寄ると、僕の肩に縋り付いて、よじ登るようにして体重で僕の身体を引き寄せる。


「私も、三島さんのこと好きです」


 半ば耳に口づけるかのような距離で囁いた。僕は耳を疑って、彼女と顔を見合わせる。


「もうっ、強引なくせに、(うぶ)なんですね。私にも何度も何度も言わせるつもりですか」


 悪戯っぽく笑ったかと思うと、首にかけられた華奢な腕が、似合わない力で僕を引き寄せる。僕と彼女の唇が、重なった。それから、ちろっと舌が口の中に入れられて。――僕は、あまりにも突然のことで、呼吸を忘れて溺れそうになった。

 思わず、反射的に、彼女を引き離す。


「三島さん、いくらなんでも純過ぎじゃないですか。――それとも、私じゃ駄目ですか」


 上目遣いの彼女の視線が、僕を責める。その瞬間に、僕の中で何かが弾けとんだ。


 今度は、僕の武骨な腕が、その身体を引き寄せた。


 それを待ちわびていたかのように、笑みを漏らす彼女。もう一度重なる、唇と唇。湿った音が何度も、頭の中を反響する。その度に、明日の仕事のことだとか、そんなこと微塵も考えられなくなって、ただただ、彼女が溢れていく。

 

 やがて、僕らは砂浜からゆっくりと海に入るようにして、シーツの上を泳ぎ始める。互いの背中を撫でて、体温を確かめ合う。そのうちに、火照った熱が、僕らから衣服を奪った。

 早まる鼓動と吐息。そのまま夜が明けるまで、僕らはじゃれ合った。

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