第54話 冒険者とギルドの設立
余程お腹が空いていたのか、それともあまりの美味しさに箸が止まらなくなっているのか。
いや使っているのは主にスプーンやフォークなんだけど……。
食べている様子を見る限り後者なのは確実だな。
夢中で料理を頬張っている人々を見回し信司はそっと笑む。
作り手としては喜んでもらえたようで何よりだ。
妹達も同じ気持ちだろうと料理の補充を手伝っている二人の様子を窺うと案の定嬉しそうに微笑んでいる。
さて、そろそろ準備するとしますか。
信司は運んでいた料理を配膳し終えると決闘の前にしておきたいことを片付けるべく動き出す。
「光、陽菜、決闘の前に冒険者登録とギルドの設立をしたいからミレーヌのところに行くぞ」
「分かった」
「お兄様、冒険者登録というのは……?」
信司達は見える範囲にある空になった紙皿や紙コップを片付けてからミレーヌの元へ向かう。その間に陽菜の質問も含めて、具体的にこれから何をするのか、簡単に説明しておくことにした。
ルミルの庭というゲームに於いて冒険者登録とは、キャラクターエディットを終えたプレイヤーが、ルミルの庭という広大なファンタジー世界に、冒険という名の一歩を踏み出す前にやっておきたい手続きの一つである。
個人の強さが重要視されているルミルの庭では、一般的に個人の強さを示す冒険者ランクがそのまま自身の価値に直結する。そのためダンジョンに潜る前に登録を済ませておくことが重要なのである。
冒険者ランクは本人の能力と日頃の行いの積み重ねによって変化し、一度上がれば下がることはない。魔物を倒すことでランクアップするのが殆どだが、クエストをこなしたり己の技能を高めることでも上がるため、ランクの判断基準は未だに明確には分かっていない。
登録自体は簡単で勇壮の風に置かれている魔道具冒険者の手帳に自分の血を一滴垂らすだけだ。各地にある勇壮の風の支部には大抵置かれているので、冒険者登録を希望する際には常駐している職員に一声掛け、簡単な説明を受けるだけで済む。登録時に冒険者プレートが発行されるが、盗難などで紛失した場合、再発行してもらうと冒険者ランクによっては高い金額を取られるため注意が必要だ。
ギルドの設立も同じように勇壮の風で行える。これも設立するだけであれば手続きは簡単だ。ギルドの職員に話を通し組合の誓珠と呼ばれる冒険者の手帳に似た水晶型の魔道具に冒険者プレートを翳すとステータスメニューのギルド画面からギルドの設立が可能になる。設立するには銀貨一枚相当の金額が必要になるが冒険者プレートには本人が所有している時に限りクレジットカードのように金銭のやり取りが可能になるためそれで支払うのが一般的だ。更に冒険者プレートには自分の行った行動の履歴や金貨銀貨などの貨幣を仮想通貨であるルミに相互変換する機能などがあり重宝されている。仮想通貨に手を出そうにも世界の法則に干渉するのは困難……というよりも不可能に近く、絶対的な安全性があると言える。冒険者の手帳や組合の誓珠は法則に干渉している数少ない魔道具であり、秘宝と呼ばれている例外中の例外だ。ちなみに通貨の変換レートは銅貨一枚=100ルミ、銀貨一枚=1万ルミ、金貨一枚=100万ルミ、白金貨一枚=1億ルミ、黒銀貨一枚=100億ルミとなっている。
閑話休題、既存のギルドへの加入は希望するギルドのギルドマスター、或いは人員の脱加入の裁量を任されたメンバーと共に冒険者プレートを冒険者の手帳に翳すことで許可、不許可が出されることになる。脱加入に費用が掛かるかどうかはそれぞれのギルドのギルドマスター次第だ。
つまるところ光と陽菜は信司がギルドを設立するタイミングで加入許可を出してもらえばいいということである。
一通り話し終える頃には勇壮の風のメンバーが固まって料理を食べている広場の一角に辿り着いた。昨夜のミレーヌとフィオのように料理を口元へ運ぶ手が止められないでいる様子を目にする。流石の勇壮の風も未知の料理を前にしては形無しのようである。
「豚汁が美味し過ぎるのです!」
「豚汁もですがこの天ぷらという料理、素材の旨味を閉じ込めたまま、外はサクサク中はしっとりと仕上がっていて……今まで味わったことのない料理ですね」
「確かにそうなのです! サンドイッチに使われているパンもフィオ達の知っているパンとは似ても似付かないのです。白くてとっても柔らかい、しっかりとしていて麦の香りもするのです!」
昨日も思ったがミレーヌとフィオは料理評論家か何かだろうか……。
料理を美味しそうに頬張りながらやけに事細かに言及している二人を見て信司はそう思った。
「ミレーヌ」
とは言えそのまま見ていては日が暮れてしまいかねない。至福の時間を邪魔して悪いとは思いながらも信司はミレーヌの名前を呼んだ。
「えっ、信司様!? 何か御用でしょうか?」
「信司様なのです!」
食事に夢中になるあまり信司が近付いてきたことに気付かなかったようで、驚いたミレーヌとフィオは耳をピクリと震わせた。
フィオは信司の姿を認めた途端、嬉しそうに尻尾を立て信司の胸に飛び込んだ。少しだけ仰け反りながらも抱き留めた信司はフィオの頭を優しく撫でる。
猫は自由気ままな気性だと聞くが、猫人にも当てはまる者が多い気がするな。
信司に撫でられゴロゴロと喉を鳴らすフィオを見て羨ましそうに視線を送る光と陽菜。しかし、気持ち良さそうに目を瞑っているフィオには見えていないので効果がなかった。
「今のうちに冒険者登録とギルドの設立をしたいんだけど、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ。少々お待ちください」
用件を聞いたミレーヌはすぐに動いた。
残っていた料理を急いで食べ終えると信司達に応対しようとする勇壮の風メンバーを押し留め、すぐ近くに立っているテントの中へ入っていく。それから一分も経たないうちに二つの水晶を携えたミレーヌがテントの中から現れた。ほんのりと青みを帯びた水晶は清らかな気配を持ち湖の如く澄み渡っている。一見同じ物に思えるメロン程の大きさの水晶であるが、二つ並べて見比べてみると片方が一回り小さいことが分かる。大きい方か冒険者の手帳で小さい方が組合の誓珠だ。
「まずは冒険者登録ですね。信司様は既に知っておられるかと思いますが、一応規則ですので一通り説明させていただきます」
冒険者の手帳と組合の誓珠をそっとブルーシートの上に下ろしたミレーヌは要約すると先程道中で信司が口にした内容と殆ど変わらない説明を三人に聞かせた。
どうやらそこはゲームと変わらないらしい。
「ゲームと同じだな。では早速登録させてもらおう」
問題がないことを確認した信司は採血用のナイフを受け取ると躊躇なく自分の指先を切りつけた。
滲み出した血液はやがて一つに集まり重力に従って流れ落ちる。冒険者の手帳に雫が触れると蛍火のような淡い光が水晶に灯る。
まるで水晶に溶け込むように血液が蒸発すると燐光が舞い上がり一枚の羊皮紙へと形を変える。Fランク、紙級、紙と呼ばれ時折揶揄されることもある最下級の冒険者プレートである。
信司は冒険者の手帳上の中空に作り出されたそれを拾うと隣で見ていた光と陽菜に場所を譲りナイフを渡した。
不可思議な現象に興奮しつつもナイフで自分を切らなければならないことに及び腰になる光。必ずしもナイフを使わなければならないというわけではないのだが、痛みを伴わずに血を流す良い方法が浮かぶわけもなく、二人は緊張を滲ませる。
そんな二人を尻目に信司は財布から一万円札を取り出す。片手に冒険者プレート、反対の手に万札を持ち、仮想通貨ルミへの変換を念じる。当然だが現在の信司のルミは0だ。ルミルの庭で使われている金貨も銀貨もない。
つまるところこの一万円札がルミに変換出来ないとギルドの設立代が払えず、設立出来ないということである。
ミレーヌやフィオに言えば立て替えでも何でも嬉々としてやってくれそうなものではあるが、信司としては最初から頼りきりになるのは避けたいと思っていた。
幸いなことに念じた瞬間片手に持っていた一万円札が消失したので、ヌホン円からルミへの変換が成功したようだ。念の為ステータスメニューを開き確認してみると所持しているルミは15002ルミと記載されており、冒険者プレートを得たことで追加された足跡という項目を見てみると一万円を変換したという履歴が残されていた。
どうやらヌホン円はルミの約1.5倍の価値があるらしい。ギルドの新設に必要な費用は銀貨一枚、よしっ、問題ないな。
「痛い痛い、これ絶対痛いって!」
指先にナイフを当てたまま自傷する勇気のない光が喚いている。その様子を横で見ていた陽菜はナイフを持った光の腕をそっと押した。
「いっ!?」
良い子は決して真似をしてはいけません。
大変危険な行いではあったがおかげで無事……ではないものの、ほんの少し多めの流血が起きただけで後はスムーズに冒険者登録は進んだ。
二人が冒険者登録を終えたことを確認した信司は目に見えるように一万ルミを銀貨に変換してからミレーヌに話し掛けた。
「ミレーヌ、これ、ギルドの新設費用な」
「はい、確かに受け取りました。ではまたですみませんが、ギルドに関しての説明をさせていただきます」
冒険者プレートを翳し合うルミでの取引は二人から見て分かりにくい。そのため硬貨に変えてから現金を渡すことで分かりやすくしてみせる信司。
冒険者登録の説明に続いてギルドに関する説明。先程同様、信司からすればゲームで慣れ親しんだ既知の内容が続く。
何とか話の意味を聞き取ろうと真摯に耳を傾けている陽菜。言葉の意味が分からず指をさすりながらぼんやりとしている光。対照的な二人の性格が顕れていて信司はくすりと笑った。
ミレーヌが一通りの説明を終えると陽菜は信司の説明にはなかった細かい部分を光に伝えたりしていた。
説明を聞いて特に疑問もない信司はすぐに冒険者プレートを組合の誓珠に翳す。
プレートと呼ぶには些か薄くて頼りない、うっかり力を込め過ぎれば破れてしまいそうな気さえする紙製の冒険者プレート。勿論そんなことはなく、見た目の割にはそれなりに丈夫なものだ。
翳された冒険者プレートに呼応するように組合の誓珠がうっすらと輝く。
信司は組合の誓珠が反応したのを確認するとすかさずステータスメニューのギルド画面を表示した。
無所属とだけ書かれていたギルド画面にギルドの設立、既存のギルドの一覧、求人中のギルドの検索など、複数の項目が表示されていた。その中から迷うことなくギルドの設立を選択する。
するとギルド画面は設立するギルドの情報入力画面を映し出す。二度目のギルド設立である信司は必要な情報を素早く書き込んでいき細かな設定を変更した。掛かった時間は五分程度、ギルド画面への入力が終わると組合の誓珠が一瞬だけ強く光を発しギルドの設立が完了したことを告げてくる。設立の完了を認めたミレーヌは自分の冒険者プレートを翳して情報を確認した。すると意外だったのかきょとんとした顔で信司を見やる。
「ギルドの名称、水月なんですね」
「元の水月のメンバーに所在を伝えるにはこれくらいしか方法がないからなぁ」
信司の言葉を聞いてミレーヌはなるほどと納得した。
三日月の名を広めないようにしている割には、それを象徴としているギルド名を信司は選んだ。いくら隠したとしても監視の目が限られるルミルの庭とは違い、ちょっとしたことでもすぐに情報として拡散してしまう高度な情報化社会を形成している地球では少しでも三日月らしい動きを見せればあっと言う間にバレることだろう。何もしていなくても認識の埒外な部分から露見する可能性も高い。だからこそここは水月の名を使うことにした。水月のギルドメンバー達とはゲーム内だけの関係であった。SNSでの繋がりもなく、お互いにリアルの情報を口にすることは殆どなかったため所在も安否も掴みようがない。世界がファンタジー化・ゲーム化してしまった現状では信頼出来る彼女達の力は何とか手に入れたいところであった。ゲーム通りの性別であれば彼女達ではあるが、それが正しいかは定かではない。お互いが知っていて合流の御旗になりえるものが必要だ。信司はそれを三つ用意することにした。一つだけであれば偽者がなりすます可能性も高くなる。しかし、それが一つ、二つ、三つと続けば本物だと証明できるだろう。一つ目はメンバーの居場所であった水月の名を冠したギルド、所在地も叡智の霧森のすぐ近くでゲームとほぼ同じだ。
「信司様、フィオも、フィオも信司様のギルドに入れて欲しいのです!」
鉄製の冒険者プレートを取り出して掲げたフィオが存在を主張するようにその場で元気に飛び跳ねた。
「勿論、こちらこそよろしくお願いするよ」
信司の答えを聞いて嬉しそうに笑みを浮かべたフィオ、早速冒険者プレートを組合の誓珠に近付け、信司はフィオから送られた加入申請に許可を出した。
二つ目はフィオの存在だ。水月に唯一加入していたNPC、実態は別世界の住人だったわけだが……、偽りようのない彼女の存在こそが何よりの証拠になる。
「私もお兄ちゃんのギルドに入る!」
「プレートを翳して加入申請……でいいんでしたよね、お兄様」
「あぁ、ギルド画面からな。……っと、二人とも申請するのが早いな。もうステータスメニューの操作に慣れたか」
「いざという時、素早く操作出来ないとどうなるかは昨日分かりましたから」
「こんなの慣れれば簡単だよ」
魔物との戦いでステータスメニューの操作に時間をかけている暇はない。後衛であればまだしも、得物を持ってぶつかり合う前衛ならば特にだ。それでもどうしてもステータスメニューの操作を必要とする場面が出てくるかもしれない。そんなもしもの時、操作速度の違いが命運を分けることもあるのだ。
信司は妹達のステータスメニュー操作の熟練を嬉しく思いながら申請を通した。
「その調子ならステータスメニューの操作に関しては心配いらないな。さて、光、陽菜、フィオ、ようこそ水月へ。これから先、大変な目に遭うこともあるだろうけど、よろしく頼むよ」
ギルド水月の設立、そこに新たに加わった三人の仲間へ信司は歓迎の言葉を掛ける。
あまり特別なことはしてあげられないけど、せめて夕飯くらいは美味しい物を作ってあげよう。
歓迎パーティーに出せると言えるほどの凝った料理を作っている暇はないが、簡単な料理とお菓子くらいなら作れるだろう。
冷蔵庫の中には何が残っていたか思い出そうとする信司なのであった。
「よろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いします」
「よろしくなのです」
元気に返事をする三人に気負った様子はなく、若さ故か迸るほどのやる気を漲らせていた。
「光、陽菜、先輩冒険者としてフィオが何でも教えてあげるのです。分からないことがあったらフィオの胸を借りるつもりでどーんとこい! なのです」
「ん? 何、どういうこと?」
「お姉様、フィオさんが冒険者の先輩として分からないことがあれば教えてくれるそうです。……早速ですがゲーム、いえ夢の中でのお兄様はどのようなことをしていらしたのか教えて貰ってもいいですか?」
「勿論なのです! ふふっ、フィオに信司様のことを語らせたらいくら時間があっても足りないのですよ? 人に聞かれないようにあっちで話すのです」
「私だってこちらでのお兄様のことを話せばいつまででも喋っていられますよ」
「地球での信司様の話! フィオも陽菜の話、気になるのです!」
「私もフィオさんの話、気になる! あ、ちょっと、待ってってば!」
光は慌てて陽菜とフィオの後を追いかける。三人は他の人達から距離を取ると小声であれば聞かれないことを確かめてから楽しそうに会話を始めた。光達はそれほど離れているわけではなく、信司の視界に映る程度の距離に収まっている。そのため話に熱が入っているのか、時折信司とミレーヌの耳に話し合う声が届いた。
ミレーヌの耳には話の内容まで聞こえていそうだな。
何のために離れたんだかと信司は苦笑を浮かべる。ふと、先程からミレーヌが静かだなと思い、信司はミレーヌに顔を向ける。するとそこには光達へ羨望の眼差しを向け、ぼーっと眺めているミレーヌの姿があった。その姿は以前信司が見たことのあるもので。
「……ミレーヌ、水月に来てくれないか?」
気付けば信司は以前と同じ言葉を口にしていた。ゲームの中で信司がミレーヌに幾度も繰り返し掛けてきた言葉である。
「……すみません」
予定調和。この言葉に対するいつもの返し。
「そうか」
お互いに多くは言わない。言うまでもなく互いに分かり切っているためだ。
ミレーヌという優秀で信頼出来る人材を欲する信司に、行きたくても優秀であるが故にサブマスターという地位に縛られ気軽に抜け出すことも出来ないミレーヌ。
初めてならまだしも、わざわざ明らかな理由を聞き出してその身を縛る鎖を強く意識させるなんて非道は望むわけがない。しかし、水月のメンバーを羨ましそうに見つめているミレーヌを目にすると信司はついその気持ちを誤魔化すように勧誘の文句を謳ってしまう。
ミレーヌもそんな信司の気持ちを汲んですぐにいつもの自分を取り戻す。ミレーヌにも分かってはいるのだ。水月に行きたいと思っていてもどうしようもないということは。信司と一緒に働きたい、一緒に居られる時間を増やしたい、それを叶えるためにサブマスターとしての責務、叡智の霧森のキャンプ場の責任者としての責務、それらは個人的な感情を優先して簡単に投げ捨てられる物ではない。
ギルドから脱退するためにはギルドマスターの許可、または加脱の権限を与えられたメンバーの許可が必要で引き抜き対策のため相応の理由がなければ許可を貰うのは難しい。サブマスターであれば尚更である。
傍からすれば重苦しい雰囲気に見えるかもしれないが、本人達にとっては何となく声を掛けにくいと感じるか感じないか程度のものであり、あの問答の後には決まって訪れる空白というものだ。
暫しの空白を経てミレーヌは気持ちを切り替えると、メイド服に備えられているポケットに手を入れると何かを取り出した。
「信司様、これを」
「これは……! まさかルーンローブか!」
ミレーヌが取り出したのは丁寧に折り畳まれた一着の布服。それは一見して安物のローブにも見えなくもないが見る人が見れば一目で分かる。繊細かつ静謐な魔力を内に秘めている。
目立った装飾のない黒の布地で誂えられたそれはルーンローブ。数あるローブの中でも高い性能と汎用性を兼ね備えたかなり高級なローブである。
「えぇ、その通りです。流石に夢の中で使っていたのと同じ性能の物を用意することは叶いませんでしたが、可能な限り信司様が使っていた物に近付けてあります。いつか現実で信司様と出会える日を夢見て、私とフィオが準備していた物です。どうぞ、遠慮なくお使いください」
そう言われて差し出されたルーンローブを受け取る。
遠慮する気持ちがないわけではなかったが、それよりもミレーヌとフィオの気持ちが嬉しかった。
「そうか、助かる。ありがたく使わせてもらうよ」
簡素な言葉に感謝の気持ちを込める。
信司は早速受け取ったルーンローブを身に纏う。慣れた動作で服の上に羽織る。
肌に触れる感触は絹のように柔らかく、新品故にゲームで使っていた物よりも滑らかだ。背丈はゲームと殆ど変わらないため驚くほど信司の肌身に合致した。
ルーンローブを着た姿はゲームでの格好そのものだった。
信司仕様とも言うべきこのルーンローブは普通の物とは違い、内側に極めて薄い布地が幾重にも折り畳まれた状態で収まっている。広げてみれば袋状になっているそれは胸ポケットをはじめとする全ての収納スペースと繋がっており、普通に使うには不便な代物となっている。
腰元には帯のようなもので輪っかがあって刀を吊すような作りとなっている。
見た目の違いはそのくらいだが、魔力を上げたり防御性能を上げるためのリソースをほぼ全て自動修復スキルの付与に当てているため、これ以上性能を上げることは難しい状態となっている。
そんな珍しいカスタマイズがされたルーンローブではあるが、これが普段信司が使っている装備である。
ゲームでは希少素材を潤沢に揃えられたためもう少し高性能なものであったが、それでも十分に高性能な装備である。
信司は着心地を確かめ、動くのに支障がないことを確認する。
問題無いと判断した信司はおもむろにウェストポーチに手を入れるとその中身を取り出していく。最後に渋々邪神さん(仮)に触れてポーチから取り出すと、その異様を目にしたミレーヌはギョッとして反射的に耳と尻尾を逆立たせる。
「し、信司様、それは一体……?」
そんなことを聞かれても困る。俺も知りたいくらいだ。
「俺にも分からん……。まぁ、とりあえずは気にしないようにしている」
手放してもいつの間にかアイテムボックスの中に戻っているためどうしようもない。解呪? うーん……とてもじゃないけどこれに通用するとは思えない。
「……封印しておきましょうか? 効かないかもしれませんが……」
「いや、いい。そこまでしなくても大丈夫だ」
気付けばそう口にしていた。安全面を考慮するなら封印を施してもらった方がいいだろうに。
「……分かりました」
何か考えがあるのだろうと思ったのか、ミレーヌは邪神さん(仮)に対して湧き上がる不安感を抑え信司の判断に従う。
魅入られたわけじゃない、信司は自身の胸中を鑑みてそう断言する。
如何にも取り憑いてきそうな見栄えではあるものの悪意は感じられない。ではなぜ封印することを拒んだのか。
それは邪神さん(仮)が夢を通じて何を伝えようとしているのか気になったからだ。夢を見ることで想定外の恩恵もあったため、少なくとも何かしら被害を被るまでは付き合ってみようかと思ったのだ。
信司は気を取り直して作業を続ける。アイテムボックスの媒体を再設定、ウェストポーチからルーンローブに変更する。アイテム画面を表示し容量を確認した信司は嬉しそうに頬を緩めた。
40だった容量が240に変わっている。ゲームで使っていたルーンローブには及ばないものの、普通に使うには十分過ぎる程の容量だ。
「これがあれば収納スペースに悩まされることはない。改めて礼を言わせてもらう、ありがとう」
取り出していた荷物をルーンローブの内に収め、腰の輪っかに月影を通して括り付ける。
ローブに刀という異様な出で立ち。通りすがった人達が思わず二度見、三度見するくらいには違和感溢れる装い。しかし、ミレーヌにとってそれは見慣れた信司の姿である。
「いえ、そんな……むしろこれくらいの物しか準備出来ず申し訳ないです。他の装備は再現することも似た物を見つけることも出来ませんでしたし……」
「特異体の素材で作った物や高難易度ダンジョンで入手した物が殆どだから仕方ないさ。それに装備なら何とかなる」
時空倉庫に押し込んだ多種多様なアイテムの数々だ。
「すぐにミレーヌ達に出会えた、それだけでも十分に奇跡的な幸運だ。これで文句を言っていたら罰が当たるってものさ」
それが一体どれほどの確率なのか、考えるまでもなく数値化すれば途方もない数字となるだろう。
月影やドゥールグの願石をはじめとした強力なアイテムの数々、ミレーヌ達との出会い、そこにゲームで使い慣れている装備まで加わったのだからお膳立てされているにしてもやり過ぎだ。
ここまで環境を整えられて、まだ未熟なまでも将来性のある三人の仲間、万全とまでは言えなくても恵まれ過ぎている。
信司は高ぶる気持ちのまま拳を握る。
『ふむ、良い帯じゃの。これなら落とされる心配は無さそうじゃ』
腰元にぶら下がったまま暫く静かにしていた月影は、どうやら居心地が悪くなかったらしく満足げにそう呟いた。
『昔、何度も改良したからな……』
抜け落ちないように、解けないように、ずれないように、試行錯誤を繰り返した記憶が脳裏を過る。
『そうじゃったか。何にせよ、これで戦う準備は整ったわけじゃな』
『そうだな。まずは目先のことに集中するとしよう』
決闘に勝たなければせっかくまとまった話が崩れることになる。
叡智の霧森を攻略するためには精霊魔法が使えるフィオは外せない。光と陽菜はセットにすることで漸く戦力として数えられるため離したくはない。
「……ふぅー」
今から肩肘張っていても仕方ない。知らず知らずの内に力んでいた身体から力を抜きリラックスさせる。奮起するのは本番だけでいい。
「そう言えば現状出回ってるアイテムはどんな感じなんだ? ミドルポーションやハイポーションはある?」
「そうですね……現在ある物は──」
そんな話をしているとすぐに時間は過ぎていき、約束の時間が近付いてくる。
「お兄ちゃん負けないでね!」
「お兄様応援しています」
「あぁ、頑張るよ」
時間が近付き戻ってきた三人娘。信司は妹達の声援に気負うことなく軽い調子で応える。
「信司様が負けるなんて天地がひっくり返っても有り得ないのです!」
何を根拠にそう言うのか、フィオは自信満々である。
「……持ち上げてくれるのは嬉しいけどレベル1だからね。負ける可能性は普通にあるよ」
負けるつもりはないが。
「フィオ、ローブありがとうな。これがあるだけでだいぶ助かる」
「むふー! どういたしましてなのです!」
鼻息が荒い。
「殆どの素材はお姉ちゃんが集めましたが、フィオも少しだけ手伝ったのです。マンジカブナの根はフィオだけで集めたのですよー」
「そうか、よく頑張ったじゃないか」
褒めてもらいたそうに信司を見つめるフィオの頭に手を置くとわしゃわしゃと撫で回す。髪が乱れてもフィオは嬉しそうに尻尾を膨らませていた。
その様子を見ていて危機感を覚えた光と陽菜は慌てて二人の間に割り込む。
「フィオ、お兄ちゃんに近付き過ぎだよ」
「むー。そんなことないのです」
「いえ、そんなことあります。お兄様に触れていいのは私だけです」
「いや、それは違うよね。私の名前が抜けてるよ」
「それはおかしいのです。フィオが信司様のお嫁さんになるのですから」
「お兄ちゃんの何? ああもう、何て言ってるのかさっぱり分からないよー!」
突然騒ぎ始める三人娘。会話を経て仲を深めたように思えたが、この件に関しては別のようだ。
信司がその光景に懐かしさを覚えていると、言い争う三人の目に留まらないように近付いてきたミレーヌが声を掛ける。
「信司様、そろそろお時間では?」
「ん、……四分前か。確かにそろそろ行かないと遅刻だな」
ミレーヌに指摘されプラホを見ると時刻は四時四分前。ミレーヌ以外の勇壮の風の職員が既に準備をしてくれているためあとは決闘場所に向かうだけだ。
「では行こうか」
「はい、途中までお供させていただきます」
時間までに決闘の場にいなければ不戦敗にされてしまう。ゲームではそれを利用して妨害を企てる輩が後を絶たなかった。
だいぶ拗らせた人格のボーではあるが、心根はそう悪いものではないと思っている。そのため信司は妨害される心配はしていない。
同様の所感を抱いているであろうミレーヌはそれでも念の為、もしもに備えて付き従う。
「あっお姉ちゃん、抜け駆けは駄目なのです!」
「い、いつの間にか」
「迂闊でした。泥棒猫は二匹いたということですね……」
ふと、二人の気配が遠ざかっていることに気が付いたフィオが声を上げる。話に集中するあまり置いていかれた三人娘は慌てて信司の後ろ姿を追い掛ける。
信司の周りには決闘前とは思えない和やかな空気が流れていた。




