第51話 練習の終わりとお出迎え
日常生活において風切り音というものを耳にする機会は思いの外多い。自動車の走行音、換気扇や冷却ファンの回転音などが身近なもので、現代社会では風切り音を聞いていない日を思い起こす方が困難なくらいだ。
人々の暮らしに溶け込み、最早気にも留めていない人が殆どのこの音だが、ブゥン、と無意識に注意を向けそうになる断続的な低音が渡里家の裏庭で発生していた。
「はぁっ!」
それは木剣が空気を押し退ける音。相手を打倒するために振るわれる武力の音色だ。
木剣を振るい風切り音を鳴らすのがどれだけ至難の業か、相当な力がないと大の大人でも綺麗に振らない限り音を鳴らすのは難しい。
そんな音に注意を引かれるのは、普段聞き慣れない音であったり、本能的に呼び起こされる警戒心が原因なのかもしれない。
乱れる呼吸を抑えつけながら光は木剣を横に薙ぎ払う。迫り来る木剣を僅かに下がることでギリギリ回避する信司。
目の前から木剣が過ぎ去った瞬間、即座に攻勢に移る。信司はその場から動かずに木刀を振り下ろした。
信司と光では身体の大きさが違う。光よりも信司の腕は長い、よって攻撃範囲は光よりも広いのだ。
このままでは振り切った木剣が戻されるよりも早く木刀が頭に落とされるだろう。
「行って!」
それよりも早く光の後方から鋭利な氷が撃ち出され、木刀の移動方向と重ねられる。
木刀の損傷を避けるため振り下ろしは中断され、飛来する氷を首を傾げることでやり過ごす。
「スラッシュ!」
その僅かな時間が光の隙をカバーし攻守を逆転させた。
氷を待機させることが出来るようになった陽菜と剣技の使い方を覚えた光の連携。
先程とは逆方向に薙ぎ払われる木剣。
足を前に踏み出し力強い言葉と共に放たれたそれはスラッシュと呼ばれる強力な斬撃を放つ剣技だ。
女の子である光が放ったとは思えない横薙ぎは力強くとても速い。木剣は鋭い風切り音を立てる。
「えっ!」
「小さき氷の刃よ、我が意を汲みて敵を射抜け」
信司は跳ねるようにして後ろに下がり、避けられるとは思っていなかった光は思わず声を漏らす。
手加減をしているとはいえ全力で回避しないと当たりかねない一撃だった。
ビュン、という風音がその威力を物語っている。
スラッシュが外れたことで剣技に慣れていない光に隙が生まれた。
すぐに攻めに転じようとした信司だったが、光の動きを見て気が変わりその場に踏み止まる。
光は驚きながらもスラッシュの勢いを止めずに木剣を振るう。足を軸にして木剣を振り回してその場で回転する。
そのまま一回転すると同時に地面を蹴って信司に向かって飛び出した。
「スラストッ!」
「ほぅ」
強力な突きを放つ剣技、スラスト。
スラッシュの勢いを可能な限り殺さずに乗せた突き、そこにスラストが発動し回避することが困難な刺突へと至る。
手合わせを続ける中で何とか信司に攻撃を当てるために悩みに悩んで編み出した最速の一撃。
スラッシュを避けられた後に使うことになるとは光自身も思っていなかったが……。
攻撃を外した後の僅かな時間の閃き、気転を利かせ即座に実行に移す行動力、その様子を目にした信司は感嘆の声を上げ、そしてゆるりと動いた。僅かに身体を動かし木刀を構える。
カンッ、と木と木がぶつかる音が聞こえ、木剣の側面を木刀が滑り刺突が逸らされる。
ガードに触れる前には慣れた様子で木剣から木刀を離すと軽く横向きに構え──。
「うぐっ……」
──突っ込んできた光の腹部に木刀が食い込んだ。
「氷矢!」
光が息を詰まらせ、信司に向かって倒れ込んだその刹那、光の後方から白い輝きが迫る。
この瞬間こそ待っていたとばかりに放たれたその魔法は氷矢、速度と貫通性に優れた下級氷魔法である。
光が信司に寄りかかったこのタイミングであればまともに動けないはず。そう読んだ陽菜の渾身の一撃であった。
三メートル程の距離で放たれた氷矢を光を抱えたまま避けるのは流石にステータスを抑えたままの信司では難しい。若干光に酷い気がしないでもないが、容赦のない攻撃自体は悪くない。
信司は反対側の手に持った月影を前に突き出し氷矢を吸収すると光を抱えたまま瞬く間に陽菜との距離を詰めた。
「……降参です。打つ手なしですよお兄様」
「そうか。二人とも今の戦いはなかなか良かったぞ。光は後衛を守れていたし、陽菜は光の隙をフォロー出来ていた。今の光と陽菜なら最下級の魔物一体くらいなら無理なく倒せるだろう」
「こ、こんなに練習したのに二人掛かりで一体が限界なんだ……。そんなに魔物って強いんだね……」
お腹を押さえながら自分の足で立ち上がった光は苦しそうに息をしながら疲れた表情を浮かべた。
夜中のニュースを見ていなかった光は魔物のイメージがいまいち掴めないのだろう。
「夜中のニュースで見た森犬と一人で戦って魔法を当てられるとは思えません。お姉様と組んだ上で何とか……というところですね……」
自分の力だけではまだまだ戦えるレベルではないと分かる陽菜は俯き、その言葉に信司は頷いた。
「あー、私も魔物見たかったなぁー。お兄ちゃんがくすぐるから、私見られなかったよー……」
じとーっとした光の視線が向けられ、信司はスッと顔を背ける。
「それよりもお兄様の刀はどうなっているのですか? 魔法が触れると吸い込まれてしまってどうしようもないのですが……」
「そういうアビリティーを持った刀なんだよ。刀に触れないように攻撃するか、吸収し切れない程の魔法を浴びせるしかないな」
「……お兄様、強過ぎです。魔法使いでは歯が立たないじゃないですか」
「まぁ確かにそう思うのも無理はないが……でも、考えることを諦めるなよ? 魔物の中には殆ど魔法が効かない奴もいれば、武器による攻撃が通じないくらい硬い奴もいるからな。出会ってしまったときに勝てなくても、逃げるなり、時間を稼ぐなり、普段から考え備えているかで命運を分けることもある」
「分かりました……」
「はーい……」
光と陽菜は苦い顔で返事をした。
信司が何気なしに時間を確認するとあと二十分程で十二時になるところであった。
光と陽菜も汗塗れだからシャワーを浴びたいだろうし、ここら辺で切り上げておくか。
「よしっ、じゃあ今日の練習はここまでにしよう。シャワーとか諸々は十二時までに済ませておくこと。以上で解散とする」
「「ありがとうございました!」」
練習の終了を告げると妹達は隠せない疲労を滲ませながらも感謝の言葉を口にした。今すぐこの場で寝転がりたいくらいには疲れているだろうにきびきびと家に向かう二人の後ろ姿を見た信司は笑みをこぼした。
二人と違って殆ど汗を掻いていないために時間に余裕のある信司は裏庭に散らばっている陽菜の魔法の残骸を月影で吸収してから家に戻るのだった。
外から戻った信司は水で濡らしたタオルで軽く顔を拭く。ひんやりと湿った布地が顔から熱を奪いすっきりとした心地良さをもたらす。
「ふぅ……」
思わず吐息を漏らした信司は微かな名残惜しさを胸に抱きながらタオルを洗濯かごに投げ込む。
「おっ、信司戻ってきたか」
「父さん?」
フィオの様子でも見に行こうかと考えていると目を覚ましたらしい父さんが顔を出した。母さんと入れ替わりで起きてきたようだ。
「おう、パパだぞ。さっき起きたところだ。信司、少し頼みたいことがあるんだがいいか? 支援物資を載せたトラックが到着したんだが確認に行ってもらいたい。パパが行ってもいいんだが……途中でルミルの庭の人と出会った場合、信司の方が対応に困らないと思ってな。搬入先は、そうだなぁ……出来るだけ広い場所がいいんだが……」
どうやら夜中の電話で物資を要請したらしい。
「それなら広場が良いと思うのです。叡智の霧森があるのがネックですが結構広いですし、勇壮の風のキャンプ場もあるので手を出そうと考える人は少ないはずなのです」
昨日見た敷地内の地形を思い起こしていると父さんの後ろからフィオがひょっこりと現れる。
既にフィオは目を覚まして後ろで信司達の話を聞いていたらしく、候補地として開けていて人の目のある広場を提案した。
他にある程度の広さがある場所といったら渡里家の庭と裏庭。あと敷地の入口くらいか。その中ならやはり広場が一番だろうな。
庭と裏庭は信司達の住んでいる家屋に近過ぎるため、不特定多数の人が集まってくることを考えると安全面に不安が残る。入口付近ではルミルの庭の人達から距離があり過ぎ、また出入りするときに邪魔になりかねない。広場であればルミルの庭の人達にも近く、勇壮の風がもしもに備えてくれるため安全だ。叡智の霧森が魔物暴走を起こしたときは真っ先に被害を受けることは確実だが、そもそもそんな事態になった時点でヌホンそのものが滅ぶだろうし、諦めて開き直るのが賢明だろう。
「よしっ、じゃあ広場にするか。トラックは敷地の入口?」
「あぁ、入口で待たせてある」
「分かった、じゃあ行ってくる。フィオは先に広場に向かってミレーヌに俺が遅れることと荷物を運び込むからスペースを空けておくように伝えてくれ」
「了解なのです!」
「パパは光と陽菜が来たら広場? とやらに連れて行くとしよう」
昼間であと少しといったところで頼まれた用事を片付けるべく動き出す。
信司とフィオは外に出ると二手に分かれて移動を始めた。フィオは広場に向かって真っ直ぐに、信司は広場を迂回するようにして敷地の入口へと向かう。
昼、広場に集合とは決まっていてもそれが具体的に何時なのかは厳密には決めていない。信司が暫定的に十二時頃に向かうと決めていただけなので多少遅れても問題はないだろう。十二時以前に集合している可能性も十分に有り得るのだから。
ミレーヌであれば信司達が必要な場面があれば後ろに回すはずで、信司達がいなくても昨日の話から得た情報を集まった人達に上手く伝えてくれるだろう。
しかし、どうせなら全員が一堂に会するそのタイミングで顔を覚えてもらえれば後々動くときの手間が省ける。支援物資が貰えるのであればその説明も纏めて済ませてしまうのが合理的と言える。
故に信司は走る。疲れないどころか汗すら掻かない程度の速度ではあるが、一般人が目にすれば夢か幻を見たのではないかと自身の疲労を疑うくらいには人外の速さであった。
広場を迂回するのは集合する前にルミルの庭の人と不用意に遭遇するしないためである。紹介される前に出会うことになれば警戒されて、それを避けるためのやり取りが必要になり、信司にとっては手間にしかならない。
移動しながら魔力感知の範囲を広げていくと、幸いなことに広場に人が発していると思われる魔力反応が集中していた。そのため誰とも遭遇することなく進むことが出来たのだった。
拡張され広がった渡里家の敷地を信司は風のように駆け抜ける。それほどかからず入口に近付くと人の気配を認めてその足を緩めた。
警戒スキルのレベルが上がった、警戒Lv1→2。
魔力ではなく気配を意識したためか警戒スキルのレベルが上がったみたいだ。
渡里家の入口のすぐ外側には六台の大型トラックが列を作って並んでおり、先頭トラックの前に動きやすい服装をした渋いお髭を生やした男性が佇んでいた。
長年積み重ねてきた歴史を感じさせる引き締まった体躯とは裏腹にとても柔らかな雰囲気を纏っており、頼りになる男という言葉が似合いそうな人物である。
「こんにちは、父から言われて支援物資の確認に来ました渡里信司です」
どこからともなく現れた信司に対して、男は僅かに目を見開くも慌てずに信司へと向き直り口を開く。
「どうも、初めまして。私は渡里支援団体の一つ、隣の芝生、の矢野政臣という者です。信吾さんの息子さんだね? 支援物資の要請を受けて来たのですが、どこに運び込めばいいですかな?」
矢野政臣と名乗った男は優しげな眼差しで笑顔を浮かべると物資の搬入先を問う。
渡里支援団体とは、信司の両親の活動を支援している団体だ。所謂スポンサーというもので、全部で五つの団体が支援しているらしい。
とは言ってもトレジャーハンターに関する支援が主で、両親の教育方針からかそれらの恩恵が信司や妹達に流れてくることは少ない。今回ばかりは緊急事態のため信司達に物資を回さないということはないであろうが。
どうやらその支援団体の一つが要請を受けて即座に支援物資を送ってくれたようである。
「このまま中に入ってもらって、正面の道を道なりに沿って真っ直ぐに進んでもらいますと広場に出ますので、ひとまずそこに向かって下さい。父も広場にいると思います、詳しい話はそれからということで」
「そうですか、分かりました」
信司から向かうべき場所を聞いた矢野は了解の意を示すと、待機しているトラックに向かい運転手達に指示を出していった。
「信司さんはどうします? 私達と一緒にトラックに乗って行かれますか?」
運転手全員に指示を終えた矢野は信司に振り返ると同乗を提案した。
「そうですねぇ……ではせっかくなのでお言葉に甘えさせてもらいます」
フィオに連絡をお願いしたとはいえ、ルミルの庭の人達の中には、初めて見るトラックに驚いて先走った行動を起こす者がいないとも限らない。であれば自分で向かうよりも多少到着が遅れたとしても、対処能力のある信司が同乗するのは理に適っている。
信司は矢野の好意に甘えることにした。
跳躍スキルを習得した。
「なっ!?」
しかし、乗る場所はトラックの助手席ではない。トラックの上だ。
トラックの中にいてはドアを挟む分、どうしても反応が遅れてしまう。なら消去法でトラックの外側に乗るしかないだろう。ぶら下がる場所はなく、引き摺られる気はないのだから。
そんな場所に乗るとは想像だにしていなかった矢野は目の前の光景に両目を見開き愕然とする。
「私は大丈夫なので、気にせずに出発してください」
信司は人とは思えない跳躍をしてトラックの上に乗ると、自分を見上げる幾つかの視線を感じながら、言葉を忘れた様子で固まる矢野にそう先を促した。
しばしの間を置いてトラックは動き出すのだった。
言葉を忘れてしまったかのように口を閉じた二人の男が車内から舗装されていない道を眺めている。
「……ところで君、ルミルの庭というゲームをやったことはあるかね?」
トラックに乗り出発を告げてから静寂を保っていた矢野が口にしたのはそんな言葉だった。
「いえ、友達はやってますが自分はやったことないですね」
話し掛け辛い重い空気が薄れ、これ幸いとばかりに、矢野さんにしては珍しい話題だな、と思いつつもトラックの運転手は機敏に反応した。
「そうか、実は私もやったことがないのだよ、恥ずかしいことにね。息子と娘に何度か勧められたことはあったのだが、如何せん若者の流行にはついていけないだろうと思い見送ったのだよ」
「プラホのアプリくらいなら何とかなりますが、家庭用ゲーム機とかのゲームの話はついて行くのも難しいくらいですしね。纏まった時間もなかなか取れませんし仕方ないですよ」
「その通りだ……だが、それは間違いだったのかもしれん」
「……? それはどういう……」
よく分からない言葉を聞かされ運転手は横目で隣の様子を窺うと、目を細めてここではない何処かを眺めているような表情を浮かべる矢野の姿があった。
「これからは厳しい時代がやってくるぞ……」
「は、はぁ……?」
何でゲームの話題からそんな言葉が出てくるのか、意味の分からない矢野の反応に運転手は曖昧な反応をすることしか出来なかった。
夜のうちに信吾から簡単に話を聞かされていた矢野はテレビを見ても半信半疑な気持ちでいたが、先程人間離れした動きを実際に目の当たりにして、どうやら冗談ではないらしいと肝を冷やしたのだ。
戦う力のない自分がこれから先どうやって生きていけばいいのか、矢野は僅かに上げていた瞼をそっと下ろした。
「流石に風が強いな」
座り込んでいる信司の正面から肌に突き刺さるような風が容赦なく吹き付けていた。
『そんな場所にいたら当たり前じゃ』
『そりゃそうか』
月影からの指摘に分かっていたとばかりに信司は相槌を打つ。
何せ信司が座っているのはトラックの上だ。トラックが前に進むことでフロント面にぶつかる空気が上下左右に受け流されるため、その側面にいれば強い風に晒されるのは当たり前のことである。
ついでにトラックの走っている地面が整備されたアスファルトではなく適度に凸凹のある大地であるためそれなりの頻度で刺激的な衝撃に襲われてもいた。
前方からの強風に、下方からの不規則な突き上げ、言わずもがな座り心地はすこぶる悪かった。
トラックの振動に合わせて手の中の月影が揺れて、トラックと接触しては音を立てる。
『……月影、不思議パワーか何かで俺の腰元にくっついたりとか出来ないか?』
『出来なくはないが……今の周辺の魔力濃度じゃと取り込むより消費する方が早いからワシの保有魔力が徐々に減少していくことになるぞ?』
『そうか、だったらやめておこう』
月影は刀だ。刀を片手に持ったまま人目のある場所で行動するのは流石に厳しいものがある。目の前に刀を持ち歩いている男がいたらどう思われるか……つまりはそういうことだ。
布袋に入れて背負っていれば少々人目を引くくらいで済むし、腰に下げていれば多少の奇異の目を向けられる程度でことは収まるだろう。だが抜いていないとはいえ、それを手に持って歩くのは通報されかねない危険人物でしかない。自分の敷地内とはいえ、招かれた人達の視線が一瞬ではあるが信司の手元に引き寄せられるのだからこのまま外に出るのは不可能だと言わざるを得ない。
『……なぁ月影、アイテムボックスの中に入る気は──』
『ない! 絶対に嫌じゃ』
『だよなー……』
得体の知れない邪神さん(仮)が蠢いているウェストポーチ内の空間。まさか邪神さん(仮)を外に出しておくわけにはいかないし、鑑定するために手元に置いておく必要がある。それに時空倉庫にしまったとして万が一にも外に出てくるようなことがあれば、最早恐怖でしかない。手元に置いておくことに忌避感を抱かないためにもそれを試すわけにはいかないのだ。
月影の希望と即応性を考えるとやはり腰に下げる選択肢しか残らないわけで……。
帯か何かで括り付けておくか……。
叡智の霧森に潜る前には何とかしておきたいなぁと思いながら、そろそろ着くであろう広場の入口を眺めている信司なのであった。




