表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/59

閑話 海上の魔

 時刻は昼過ぎ、陸地より百キロ近く離れた海上にて。


 「な、なんだ!? 地震か!?」


 俺達は漁船の上で強烈な揺れに襲われていた。

 船上にいるときの地震というのはそこまで強く感じるものではない。足元が硬い地面ではなく柔らかい海の上、しかもその上に浮かんだ船であるためだ。全く揺れないわけではないが船端にでも寄っていなければ問題ない程度の強さでしかない。だというのにこの地震はまるで陸地にいるときに感じられるような強さだった。


 「全員何かに掴まれ!」


 この地震は船端にいなくても転倒、最悪の場合海に落ちる危険性があった。

 俺は慌てて船員達に指示を出した。

 一体どんな馬鹿げた強さの地震なのか想像もつかない。だが、柱にしがみつきながらプラホで情報を探しても碌な情報が出てこなかった。


 「どこもかしこも震度5? そんな馬鹿な。海の上でこれだぞ、有り得ないだろ」


 他の船員達の何人かもそれぞれ地震の情報を調べて、信じられないといった顔をしていた。

 その後も強烈な揺れはすぐに収まることはなく、五分近くは続いた。


 「……収まったか」


 長い揺れが収まると船員達は恐る恐るといった調子出動き出す。

 俺も柱から手を離すと活動を再開する。


 「船に異常がないか各種点検、津波の危険がないか調べろ!」


 海の上で遭遇する地震で最も怖いのは地震そのものではなく後に発生する津波だ。大きな津波が発生して船腹で受け止めるようなことがあれば、船が転覆することだってある。

 事前に情報を得ることは何よりも大切なことなのだ。特にこの地震は普通の地震とは何かが違う。暫くは警戒を続ける必要があるだろう。

 それから俺達は津波に関する情報を収集したがあれほどの地震だったというのに心配するような情報は見当たらなかった。

 船に異常は見つからなかったため、俺達は一安心した。だが各地であの地震が観測されたことを知り、どうにも不吉な予感を感じてしまい明るい顔は浮かべられなかった。

 その不吉な予感を形にするかのように頭の中に声が流れ、船員達は困惑した表情で顔を見合わせた。


 「……っと、そろそろいつものポイントに着くか。全員持ち場に戻れよ」


 頭の中に聞こえた言葉の意味は分かるが具体的にどうなるのかはさっぱり分からない。まぁ海の上にいる俺達には関係のないことだろう。漁を終えて陸に上がってから考えればいい。剣? 魔法? そんなことより手を動かせって話だ。移動中であれば手の空く奴も出てくるだろうが漁が始まるのであればそうもいかない。


 「船長、ソナーに魚群を捉えました。このままいけそうです」


 地震に襲われている間も進み続けていた漁船はいつも漁を行っている海域に到着する。沖合にも関わらず水深が浅くなっているこの付近の海域には魚が密集し易いのだ。ソナーによる探知も容易なため密かな穴場である。


 「よし、なら早速網を投げろ」


 この漁船の漁法は、魚群に向かって大きな網を投げ込み素早く囲い込んで引き上げる手法、所謂巻き網漁法を採っている。

 到着して早々魚群を発見した彼等はタイミングを見計らい適切な箇所に網を投下する。投げ込まれた網はすぐに大きく広がり魚群を捕らえるべく沈んでいく。


 「……引き上げろ!」


 十分に広がり魚群を囲い込んだところで一気に引き上げる。漁船に取り付けられた巻き上げ機が確かな駆動音を立てて網をどんどん巻き上げていく。

 今回もいつもと同じように大量の魚が引き上げられる……そのはずだった。


 「船長! あ、網から魚群が抜けていきます!」


 「は? そんなわけないだろ」


 「い、いえ、でも、確かに抜けていってます!」


 ソナーを監視していた船員が異常を訴える。

 使われている網は簡単に破られることがないようにかなりの強度がある。大量の魚を絡め取り引き上げるのだから数トン程度の重量であれば容易に耐えられる。当然噛み千切ることも困難で、よほど傷んでいることでもなければ不可能だ。

 だというのに船員の言葉の正しさを示すように巻き上げ機の立てる音が軽快なものに変わってしまう。それは本来巻き上げられたはずの重さよりも軽くなってしまっていることを意味していた。


 「そんな馬鹿な……」


 出港前と先程の備品チェックで投網に問題がないことは確認済みだ。

 投げ込む前は万全だったはずの網は無惨な姿となって引き上げられた。網のチェックを担当した船員も信じられないといった表情を浮かべ唖然としていた。


 「せ、船長……網を抜けた魚群がこちらに向かって上がってきます!」


 船員が報告を上げるのと漁船がガクンと揺れるのはほぼ同時だった。


 「どんな馬鹿げた魚だ!?」


 混乱した魚が船体にぶつかることはそれなりの頻度である。だが自らの意思で船体が大きく揺れるほどの勢いでぶつかってくる魚群など聞いたことがない。

 こいつら船底に穴でも開けようとしているのか?

 次々とぶつかってくる魚のせいでまともに立っていることすら難しい。聞こえてくる衝突音の中には船底が削れるような音も混じっている。

 そんな中、船端の近くにいた一人の船員が船の縁から大きく身を乗り出して船下を覗き込んだ。


 「い、一体何が……」


 船下を覗き込んだ船員は異常な光景を目にしてその顔を青ざめさせる。まるで包囲するかのように、漁船が無数の魚に取り囲まれていたためだ。

 取り囲んでいる魚達は船員の知識にはない魚であった。大きさはこの付近の海域で捕れるアジよりも一回りほど大きく、全体的に青みがかった銀色をしている。身体の大きさの割にはやけに大きな口が特徴的で、漁船に向かって噛みついたり頭突きを繰り返している。

 その光景はまるで漁船を餌だと思い群がっているように感じられて、船員の青い顔からさらに血の気が引いた。

 実際に今現在、魚が漁船にぶつかる度に少しずつではあるが船体が削られていっているのが見て取れ、放っておけば穴だらけにされて沈没する未来は確実だった。


 「船長、早くここから離れないと船に穴が開き―──」


 船下を覗いた船員が漁船の移動を提案しようと船内に向き直る。しかし、その言葉は途中で途切れることになった。

 船員の胸から水が噴き出した。

 海から放たれた水が背を向けた船員の胸に後ろから穴を開けたのだ。

 胸を穿たれた船員は目を見開くと口を開閉し、声の代わりに赤い泡を吹く。そのままよろめきながら後ろに向かって倒れると海に落ちていった。少しの間の後に船員の着水音とそれに群がる魚が立てる水音が響いた。

 その様子を目撃した船長を含めた漁船の乗組員達は非現実的な光景に愕然とした。残された血痕と今なお続いている船の揺れが、夢だと思いたい乗組員達にこれは現実なのだと伝えて逃避を許さない。


 「っ!? 急いでこの海域から離れるぞ! 船を回頭、最大船速でこの海域を離脱する!」


 いち早く衝撃から立ち直った船長は声を張り上げ迅速に指示を出す。

 何が起きているのかは分からないが一刻も早くこの場所から逃げ出すべきだと船乗りの勘が警笛を鳴らしていた。


 「船の縁には近付くな! 撃たれるぞ!」


 人体に穴を開けるような水圧で水を射出するような魚に覚えはない。だが目の前で起きた出来事は間違いなく現実だ。

 長年漁師としてやってきた船長の芯の通った声は戸惑い固まっていた船員達の身体を動かした。船員達にも今がとても不味い状況だということは理解出来る。


 「ソナーに新たな魚影の反応有り! 真っ直ぐにこちらに向かってきます!」


 船を回頭させているとソナーを担当している船員から新たな報告が上がる。


 「くそっ、まだ増えるのか。これ以上つつかれたら冗談抜きで穴が開いちまうぞ」


 金属が削られるような嫌な音は徐々に増えている。漁船の表面が傷ついてきたということだろう。


 「いえ、この魚影は周りの魚達よりも大きいものです。一メートルから二メートル、個体差はありますが長細い物を連れた個体もいます。現在確認出来る数は二十ほど、先頭との接触は約二十五秒後です」


 「大きなコバンザメでも引き連れてるのかそいつは。今でもこんな状況なのにそんな大きな魚に食いつかれたらほんとに穴が開くぞ。しかも回頭し終える前に接触するなぁ……くそっ」


 もう少し早くこの海域から脱出しようとしていれぱ接触せずに済んだかもしれない。だが後悔していても船が速くなるわけでもない。船員達に新たな魚の接近と衝撃に備えるように知らせて回頭を急がせる。


 「魚影が二手に別れ……来ます!」


 ザバンと水しぶきが上がり海面から何かが勢いよく飛び出した。

 飛び上がるために急加速した魚影は予測よりも早く漁船との接触を果たす。

 そいつは、いやそいつらは戸惑うことなく漁船の上に飛び乗るとその姿を船員達の前に晒した。


 「なっ!?」


 緑がかった青色の魚鱗が太陽の光を受けて鈍い光を照り返す。平べったい眼球にビクビクと震えるエラ。水掻きのついた手足に滑り気を帯びた身体。

 魚特有の生臭さを周囲に漂わせながら、魚人、半魚人とでも言うべき存在が漁船の上に降り立った。


 「グギョ?」


 漁船に上がった魚人は口とエラを無理やり空気で震わせたような声を上げた。

 人型の魚を前にした彼等は驚きのあまり一瞬固まるものの、すぐに判断を下して動き出す。絶対に碌な生き物じゃないと誰もが思った。ただの魚が船を沈めようと突進を繰り返すのなら、人型のこいつらは何を目的にしているのか、相対している者には嫌でも分かった。

 水しぶきを上げて次から次へと魚人が上がってくる。


 「全員武器になりそうな物を探せ! 船の上に化け物が上がって来やがった。手の空いてるやつは上に上がれ! 化け物を撃退するぞ!」


 船長の号令に対して船員達は力強い声で応える。

 目の前で殺気を向けて近付いてくる魚人達を見れば船員達の選択肢は一つだけだった。

 逃げ場のない海の上、隠れていても助かることはない。生き延びるには戦うしかないのであればと、彼等は躊躇無く武器になりそうな物を拾い手に取る。

 沖合に漁に出る男達の心は強かった。


 「うらぁー!」


 魚人の一番近くにいた船員には武器を探している時間もない。そのため素手で魚人に殴りかかる。

 魚人はそれを後ろに下がることで避けようとする。だが陸上だからだろうか、その動きは船員が思っていたよりも鈍い。

 船員の拳が魚人の顔を捉えた。動きが遅いから何とかなりそうだと思う船員だったが顔面を殴ったにしては軽過ぎる手応えに眉を潜める。

 身体の表面を覆っている滑りによって威力が殺されている。拳に付着した滑りから船員はそう判断した。

 ならば数だとばかりに船員はさらに魚人との距離を縮めると拳の連打を浴びせかける。時折呻き声を上げることから多少はダメージが入っているようであった。


 「グギョ!」


 しかし攻撃に集中し過ぎるあまり防御が疎かになっていた。

 近付いてきた船員に向かって魚人は鬱陶しいとでも言うように力任せに腕を振るう。それに当たった漁師は車に跳ねられたかのようにはね飛ばされる。

 魚人は見た目以上の膂力を持っているらしい。動きが鈍くても容易に攻撃を食らうわけにはいかないようだ。


 「かはっ!?」


 はね飛ばされた船員はあまりの激痛に息を詰まらせた。

 うずくまる船員を他の船員達が引っ張って避難させる。

 一人の船員が身を張っている間に武器になりそうな物を持った船員が徐々に集まってきていた。釣竿にモップ、デッキブラシ、整備用のスパナや解体用の長包丁。

 船員達は武器を持ったことでリーチの長さを生かして遠くから魚人を攻撃し始める。

 逃げ場のない戦いが始まった。


 「これでも食らえ!」


 適度な長さに伸ばされた釣竿が魚人の目に突き刺さる。

 いくら滑っていても口内や眼球であれば多少は刺さりやすい。

 魚人は不気味な鳴き声を上げて刺された片目を押さえる。視界が狭まり船員を警戒して動きが鈍くなる魚人に向かって他の船員がモップやデッキブラシで突いていく。

 滑った肌や鱗のせいで大半の攻撃は弾かれるが全てが弾かれているわけではない。いくつかの攻撃は柔らかい腹やエラに突き刺さりダメージを与えている。

 それを暫く繰り返すとようやく一匹の魚人が力尽きてその場に倒れた。

 勝利の余韻を噛み締める暇もなく次の魚人が後ろから押し出されて前に出てくる。魚人を倒す速度よりも新たな魚人が現れる速度の方が早かった。


 「これで、どうだ!」


 魚人が口を開けた瞬間、銛を構えた船長がその切っ先を口内に向けて素早く突き出した。口内を刺し貫かれた魚人はビクビクと痙攣しながら崩れ落ちる。

 人型であれば人型故の弱点というものが存在する。喉の奥を貫かれれば脳幹や延髄が損傷し生命活動が維持出来なくなり死に至るだろう。

 船長は突き刺した銛を引き抜くとすぐに次の魚人へと向き直る。

 いくら倒しても海から次から次へと上がって来るためきりがなかった。

 魚人の中には骨で出来た槍を持っている個体もいる。

 それが前に出てくることでリーチの長さというアドバンテージも失われつつあった。


 「ぐあぁー!」


 「くそぅ、かなわねぇ……」


 何の骨だよ! と突っ込む余裕など微塵もない。

 骨槍を持った個体は明らかに槍の扱いに長けていた。あり合わせの武器で渡り合うには難しい相手だ。

 腕を切り裂かれ、肩を穿たれ、腹を抉られる。武器を交える度に戦える船員が減っていく。


 「くせぇんだよ、生ゴミが!」


 船長の放った銛は骨槍によって軽々と受け止められ魚人を傷付けることが出来ない。魚人は銛を押し返すように骨槍を振るうと船長を刺し殺すために鋭い突きを放つ。


 「があぁー!」


 銛には骨槍を受け止めるだけの太さが足りない。

 だから船長は後退しつつ足捌きだけで何とかかわそうとするが、避け損なって肩を貫かれる。船長の叫び声を聞いた魚人は口元を歪め喜色ばんだ鳴き声を漏らす。

 バキンと何かが折れるような金属音が聞こえた。


 「プ、プロペラが破損! 停止しました! まさかこいつら骨をプロペラに突っ込ん、ぐわぁー!?」


 回頭を終えてここから離れようとしていた漁船の動きがだんだんと鈍くなり……止まった。

 プロペラが魚人によって破損したことを伝えた船員は船内に侵入を果たした魚人の骨槍によって突き刺され命を落とす。

 船員達は海の上で化け物に襲われるという絶望的な状況の中、脱出出来る可能性すら失った。


 「ぐぅ、うおぉぉぉー!」


 船長に突き刺した骨槍を傷口を広げるように捻りを加えながらゆっくりと引き抜く魚人。苦痛の声を上げる船長も流石に心が折れ掛けていた。

 まだ戦っている船員達も少なくない怪我を怪我を負っており、苦しげな表情を浮かべている。即席武器であるモップやデッキブラシなどが壊されて周囲に転がっている。

 プロペラが破壊され船が止まってしまった今、まともに口を利ける者は一人もいなかった。

 ついに漁船の底にでも穴が開いたのか、どこからか水が流れ込むような音も聞こえてくる。

 最早船員達に打つ手は無かった。

 魚人はもう飽きたとでも言うように船長に止めを刺そうと骨槍を構える。

 あぁもう助からないな、と自らの命を諦めた船長は目を閉じる。

 ……だがいくら待っても痛みが襲ってこない。

 船長は恐る恐る目を開けるとこちらに背を向けて慌てて去っていく魚人の姿が映った。


 「……は?」


 安堵するよりも先に間の抜けた声が漏れる。

 つい先程まで殺されると思っていたのにその相手が何故か背を向けて逃げ出しているのだ、訳が分からない。


 「助かったのか……?」


 船端に辿り着いた魚人が海へと飛び込み水しぶきを上げる。

 周囲を見渡すと他の魚人達も戦うことを止めて逃げ出す様子が目に映る。かなり慌てているようで転んでいる個体も散見された。


 「な、なんだ?」


 「た、助かった……」


 「おぉぉ、神よ!」


 「へ、へへっまだまだ俺は戦えたけどな!」


 まだ意識のある船員達も突然逃げ出し始めた魚人達に困惑する。

 しかし、魚人達が次々と海に飛び込んでいく姿を見て助かったという実感が湧いてくる。

 次第に安心した表情を浮かべ始めた船員達はお互いの健闘を讃え合う。理由は分からないが魚人達が逃げ出して助かったのは確かだ。

 気が付けば漁船の揺れも収まっており船体に突進していた魚達の衝突音も途絶えていた。

 プロペラの破損と船底から微量の浸水が確認されたものの、浸水したブロックを閉鎖して救助が来るまで食い繋げば助かる可能性はある。

 船員達の目にまだ息のあった瀕死の魚人が身体を引き摺りながら逃げ出そうとしている姿が映った。


 「このくそ魚が!」


 「俺達の仲間をよくも!」


 比較的軽傷の船員達が恨みを晴らすように逃げようとしている魚人を殴り蹴り踏みつける。

 動いている魚人がいなくなったとき、もしかしたら助かるかもしれないな、と船長にも思えた。思ってしまった。

 船乗りとしての勘がまだ危険だと訴えていたのに。怪我と浸水が原因だと判断した。

 だからこそ船長は浮かれる船員達に注意もしない。水を差すのも悪いだろうと思い、浸水したブロックの閉鎖だけは早めにやっておくかと歩き出す。

 もしこの時、誰かがソナーを見ていれば心の準備だけは出来たかもしれない。



 船長の進める足が漁船の中央付近に差し掛かったその時、それは起きた。

 耳鳴りのような甲高い音が鳴り響く。耳鳴りと勘違いした誰もがそれを気に留めようとしない。

 そして海中から放たれた水によって漁船は両断された。

 まるで刃のように薄く伸ばされた水の柱。高圧縮された水で構成されたそれは僅かに触れただけで金属すらも切断してしまう水の刃だ。

 漁船から数十メートル離れた海中から放たれた水の刃は百メートルは越える長さを以て容易く漁船を切断。そのまま半円を描くように漁船の反対側百八十度の地点まで空を横断すると消失した。


 「っ!? ぁ?」


 紙でも切るかのように容易く、綺麗に二つにされた漁船。

 運悪く切断箇所に寝そべっていた船員は船と同じように上半身と下半身が分断される。

 漁船は二つにされたことで速やかに沈没を始めた。

 水の刃で右腕と左足を切断された船長は傾く漁船の上を為す術もなく転がっていく。

 そして再び甲高い音が鳴り響き、すぐに二度目の水刃が漁船を襲った。

 今度は漁船の真下から先程のと合わせて漁船を四等分する形で水刃が走る。

 船員の何人かが傾く漁船に足を取られて水刃を避けられず切断され赤い花を咲かせた。

 四等分された漁船は内包する空気を吐き出しながら海へと沈んでいく。

 恐怖のあまり泣き叫ぶ者、理不尽な現実に怒号を上げる者、頭かおかしくなり狂ったように笑い出す者、信じられない光景に茫然自失し言葉を失う者。

 もう助かる可能性なんて微塵も見出せない。

 彼等に出来るのはあるがままの現実を受け止めることだけだった。

 どうやら船をぶった斬った化け物は沈みきるまでの時間すら待っていられないらしい。

 海中から巨大な烏賊の足のような透明な触手が四本飛び出すと、船体に絡みつき押し潰し海の中へと引き摺り込む。

 海中で最後に船長が見たのは六本の触手を持った、蛸と海月が合わさったかのような半透明の化け物であった。

 視界に収まりきらないほどに巨大なそいつは溺れる船員達や魚人の死体だけを器用に捕まえては貪っている。

 あぁ……人が敵うような相手じゃない。こいつは化け物だ。あの魚人達はこいつに気付いて慌てて逃げ出し──。

 船長の意識はそこで途絶えた。



 その後、救難信号を受けて来た船は漁船と同じように沈むことになる。沈没直前に脱出したヘリは海に化け物が潜んでいることを世界中に伝えたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ