第44話 夜の森の顛末
カメラマンは警官と森犬の戦いを特等席で撮影し続けていた。警官達の邪魔にならないように後ろに下がり、両者の様子がカメラに収まるポジションに移動する。戦いが始まり銃声や悲鳴が響いても正視するのが憚られるような映像を撮り続けるカメラマンであった。
残りの森犬の数は二十を切り、張り詰めていた警官達の空気も軽くなる。後ろで激しい銃撃戦を眺めていた野次馬達もホッと息をつく。地面に倒れ伏して震えているスタッフこそ、そのままだがその場にいる誰もが彼を助け出せると信じて疑わなかった。
……野次馬達から少し離れて厳しい表情で戦場を見つめているその集団以外は。
「ワオォーーン!!」
突如戦場に銃声と森犬の鳴き声以外の声が響き渡った。その場にいた誰もが動きを止めて硬直する。震えていたスタッフは完全に固まってしまっているため息をしているのかも怪しい。
森犬達からかなり離れた後方にいつの間にか一匹の中型犬が姿を現していた。その体躯は森犬よりも大きく引き締まっている。体色は森犬よりも薄く若葉色をしているが犬の色としては気味が悪いことに変わりはない。爪や牙も森犬より鋭利になっており、鋭い目つきからも人間を殺すことに戸惑いはなさそうに見えた。
「お兄様、あれは……」
信司の予想した通り、事態は急変し新たな魔物が現れた。
「あれは緑猟犬、森犬のオーソドックスな上位個体だ。群れないはずの森犬が群を作る、あれだけの被害を受けても退こうとしない。それは大概、森犬を統率している個体がいる場合によくある現象だ」
ある程度の魔物に対する知識があれば予想するのはそう難しいことではない。冒険者としての経験を積めば自然と身に付くものだろう。
陽菜は信司の言葉を聞いて、なるほど、と頷いた。言われてみればその通りで、森犬の不可解な行動は統率者の存在を示唆していたのだと納得できた。そう考えれば最初の一匹がすぐに襲いかからずに吠えていたのは仲間に知らせるためだったのかもしれないと陽菜は思った。
「テレビ越しでは咆哮の影響はないようですね」
ミレーヌは緑猟犬の咆哮を聞いた自分を含めた四人が何ともないのを見てそう口にした。
「テレビが伝えられるのは映像と音声だけだからなぁ」
テレビなどを介した間接的な接触でスキルが効果を発揮したら大騒ぎである。
「魔力は伝わらないようですしね」
咆哮とはスキルの一つで、聞いたものを硬直させる効果がある。自分より強い相手には殆ど効果はないが格下相手であればその効果は絶大である。
戦場では一瞬の隙が致命傷に繋がる。僅かでも硬直することになれば相手がその隙を突くだろう。
テレビを眺めているだけの信司達は気楽なものだが、現場の人達はそうはいかない。咆哮スキルの影響を受けるのは確実で抵抗出来る人がいるとは思えなかった。こうなってしまってはどうしようもないと感じながらも信司達は現場の様子を映し出すテレビを見つめるのだった。
周辺から聞こえていた音が止んだ。警官の銃声から森犬の悲鳴、野次馬のざわめき……身動ぎする音すら聞こえない空間がそこにあった。
カメラマンはさっきまでいた森の中に戻ってしまったかのような錯覚に嫌な汗を流す。それほどまでに人々の喧騒が遠かった。
そんな中、再び中型犬が声を上げる。それは先程のような心が震え上がるようなものではなく、一般的な犬が吠えるぐらいの普通の音量であった。
その声を聞いた森犬は突然弾かれたように走り出す。怪我を負っている個体も無傷の個体に遅れて続く。まるで飼い主に無理矢理命令されたように思えた。
何の妨害も受けずに倒れ伏しているスタッフに辿り着いた森犬は何が起きているのか理解出来ていないスタッフに集団で襲い掛かり噛みつく。複数の森犬に噛まれた激痛で自由を取り戻したスタッフの最後の悲鳴が耳を塞ぐことも出来ない人々に突き刺さる。あまりにも現実離れした凄惨な光景に野次馬達はただ呆然と立ち尽くす他無かった。
さっきまでの奮闘は何だったのか。思わずそんな弱音を吐いてしまいたくなる。警官達の守っていた命は目の前であまりにも呆気なく失われた。
誰もが硬直して動けない中、動けない野次馬達を押し退けて出てくる集団がいた。彼等は警官達のいる最前列まで出てくると、見えてきた顔つきから大学生くらいの若者であると判別出来た。その中からリーダーだと思わしき男が出てくると遺体の姿を見て顔をしかめる。
未だに遺体を貪ろうとしている森犬を見て男は即座に判断を下し仲間に指示を出した。指示を受けた半数のメンバーは咆哮スキルによる硬直から立ち直れていない警官に衝撃を与えて再起させる。残りのメンバーは集中した様子で呪文のようなものを唱え始める。こんな状況でもなければ指を指されて笑われてしまいそうな文言を彼等は真剣な表情で口にする。
詠唱が進むと、指を突き出す者、掌を向ける者、野球の球を投げる動作をする者が現れ始め、詠唱が終わると共に魔法が発動した。
彼等はその手に火の玉や鋭利な石を発生させると森犬に向かって次々と放ち始める。何発か外れるものはあったが、大半の魔法は森犬に命中してその身を傷付けた。拳サイズの火の玉は着弾すると森犬の身体を焼き焦がし、体表を燃焼させる。同サイズの石は鈍い音を立てて森犬にぶつかると重い衝撃を与え、時たま骨を打ち砕く。攻撃を受けたため森に向かって逃げようとする森犬は不自然な風を受けて転倒し火の玉と石に襲われる。
魔法を撃ち終えたメンバーは次の魔法の詠唱をすぐに始める。次々と魔法によって倒される森犬だが、魔法には詠唱という行程が必要なためどうしても時間の隙間というものが生まれてしまう。
その隙を突くように数匹の森犬が足を動かした。しかし、やはり魔物はダンジョンの外に出られないようで、森犬が足を進めるのは外ではなく内、近くにいる人間達ではなく森であった。ルミルの庭のプレイヤーだと思わしき集団も森犬の様子を見てそれを確信したようだ。
森との境界線を越えないこと、緑猟犬は無視することを周囲に通達すると彼等は追撃戦を開始した。と言ってもダンジョン内に踏み込むわけではない。先程よりも魔力を込めた魔法による遠距離攻撃であった。刻一刻と遠ざかる標的に攻撃を当てるのは至難の業だ。いくらルミルの庭のプレイヤーといえどそれは同じである。先程とは逆に殆ど魔法を外す魔法使い達。
突然の事態に魔法という超常的な力、警官に指示を飛ばす若者と、頭を抱えたくなる警官達であったが、立ち直った警官達は今やるべき最前の行動を思い描くと自然と拳銃を構えて森犬に狙いを定めていた。
あんな凶暴な生物を見逃すわけにはいかない! ここで逃せば再び人を襲うことは間違いない。
いくら訓練された警官でも拳銃の射程から外れかけている標的に銃弾を命中させることは難しい。有効射程から外れた銃弾が森犬にダメージを与えられるかも怪しいところだ。しかし、それ以外に手段がない。
警官達は決意を新たにし、気合を入れると拳銃を握り締め引き金を引くのだった。
それから暫くの間、テレビからは銃声と魔法が環境破壊をする音が響いていた。
見ていて特に酷かったのは大量の魔力を込めて盛大に外した炎魔法の行方で、近くの樹木群に突っ込むと激しく炎上、周囲の樹木を延焼させたことだ。誰がどう見ても森林火災である。
幸いなことに樹木に含まれる水分が潤沢であったためそれほど燃え広がることなく鎮火した。ダンジョン外の建物に引火したら大騒ぎになるところであった。
森犬との戦いは森犬の全滅という形で終わりを告げた。警官達の奮闘によって執拗に足を狙われ攻撃され続けた森犬は身動きがとれなくなり、過剰に魔力を使い飛距離を伸ばした魔法で一匹残らず仕留められた。森の中にいたはずの緑猟犬はいつの間にか姿を消していた。
森犬達を倒したことで現場から伝わってくる緊迫感はかなり薄れた。とはいえ犠牲者が出たことを騒ぐ野次馬の声が聞こえてくるため、警官達に安らぐ時間は無さそうであった。魔法を使った集団から話を聞こうとする警官が映り、撮影をやめるように声を張り上げる警官の声を拾う。
犠牲者は出たが夜中で視界が悪いことを踏まえると奮闘した方か。咆哮スキルに理解のある魔法使いが居たのが幸いだったな。
その直後、大きく映像がぶれると言い争う声が聞こえ映像が途切れた。カメラマンが撮影を止めようとしないから使え無理矢理止めさせられたようだ。
中継映像が途切れるとすぐに映像が切り替わり、テレビ局内にいるニュースキャスターを映し出す。焦った様子で不適切な映像や音声に対する謝罪を行うと他のニュースの話題へと移っていった。深夜の時間帯とはいえ規制しないと不味い放送であったことは間違いない。
何か思惑があったのかもしれないが騒ぎになるな、これは。
他のニュース番組と大して変わらない内容になってしまったテレビから視線を外した信司は陽菜に顔を向けた。
生々しい映像を見てしまった陽菜は特に衝撃を受けた様子もなく平然としていた。ミレーヌとフィオは普段から見慣れているだろうと心配していない信司だったが陽菜も心配なさそうである。寧ろ若干眠そうにしており余裕が窺えた。
ニュースのせいで解散するタイミングを逃した感じだけどそろそろお開きにしないと次の日に支障が出そうだ。テレビも落ち着いたしちょうどいいタイミングか。
「さて、夜遅いしそろそろお開きにしてもいいかな? 叡智の霧森に挑むパーティーメンバーの募集は明日の昼、ルミルの庭の人達が集まった時にするよ」
「あっそうですね、詳しい話はまた明日にしましょうか」
「眠いのです……」
陽菜だけじゃなくフィオも眠そうに目を擦っていた。
テレビの電源を落とし四人は席を立つと玄関に向かった。向かっている最中に地球とルミルの時間の違いを思い出し、この付近のルミルの庭の人達全員が地球の時間に合わせるのは難しいということで、太陽が真上まで昇ったら集合するという話になった。
玄関に着きミレーヌとフィオがしゃがみ込んで靴を履く。その後ろ姿を眺めていた信司はもう一つ伝え忘れていたことを思い出す。
「二人とも、他の人に俺が三日月だってことを出来るだけ伝えないようにしてくれないか? 伝える人は必要最低限に、伝えた場合は他言無用だということを念押ししてくれ」
「分かりました」
「誰にも言わないのです」
「私も黙っていた方がいいですか?」
「そうだな、陽菜もそうしてくれると助かる」
「分かりました」
自分で言うのもなんだが……三日月という名前は大き過ぎる。
これから先、冒険者の経験がある人達……ルミルの庭の人達やルミルの庭のプレイヤーが鍵になるのは確実だ。魔物暴走の予想が間違っていなければ魔物との戦いは避けられない。戦うことに慣れていてシステムにも慣れている人達は頭一つ抜きん出るだろう。
そうなると各国がそういった人材の囲い込みや引き抜きに走ることも間違いない。有名プレイヤーを見つければ多少強引な手を使っても確保するだろう。それだけの価値はある。
いずれ名前がバレて素性が知れ渡るとしてもそれまでに圧力に抗えるだけの力を手に入れたい。光や陽菜を守れるだけの力を、いいように利用されることのない力を。
靴を履き終えた二人とおやすみの言葉を交わすと四人は別れた。
手を振る信司と陽菜に手を振り替えしたミレーヌとフィオは玄関の扉を閉め、叡智の霧森のキャンプ場に向かって歩いていく。深夜にもかかわらず月明かりに照らされた夜道は、渡里家を訪れる前とは違い二人の心を表すかのようにとても明るかった。
陽菜は寝る前にお風呂に入ることにした。着替えを持ちに自室の扉を開けた瞬間、一瞬信司の匂いを感じて動きが止まる。本当に一瞬だったため眠気で思考力が落ちている陽菜は、自分の勘違いだったと結論を出して風呂場に向かうのだった。
信司は銃火器と魔力の話を伝えるために両親の部屋に向かった。両親の部屋に入ると二人ともまだ起きていて重要な話をしているようであった。父さんは誰かと通話していたので母さんに話を伝える。話を聞いた母さんはあまり嬉しくない情報に眉をひそめた。信司は自分の名前を広めないで欲しいということも伝えておくと両親の部屋を後にした。
信司は両親の夜はまだまだ長そうだなと思いながら自分の部屋へと向かった。信司の部屋には魔力を発する何かがある。自分の夜も両親と同じように長そうだと予想する信司の口元は小さな弧を描いていた。




