第43話 追跡者と魔物の脅威
カメラマン達は警官の指示に従って森の外に向かって走った。銃声が耳に届いても後ろを振り返ることなく走り続けた。体力が尽きかけているカメラマン達に他人を気遣っている余裕はない。今は一秒でも早く森の外に、命の危険がない場所に戻りたかった。
その気持ちが通じたのか、不意にカメラマン達の視界に、警官に止められているたくさんの人々の姿が遠くに映る。
これで助かったと安心したカメラマン達の耳に恐怖に塗れた叫び声が聞こえた。それは森の外にいる野次馬達を越えて周囲の家にまで届くほどの音量だった。野次馬のどよめく声をカメラマンのマイクが拾う。
カメラマン達には分かった、この声はあの警官のものだということに。カメラマン達は思わず背後の森を振り返る。カメラが森の奥を映すがカメラマンの心はそこにはない。まさか拳銃を持っている警官がやられたのか? その場に残らなかったカメラマン達にその答えは分からない。カメラマン達の視界には喋る口を持たない木々が静かに佇んでいるだけであった。
しかし、じっと森の奥を眺めていると得体の知れない何かが近付いてきているような気がして嫌な汗が噴き出してくる。
まだカメラマン達は森の中、何にせよまずは森の外へ脱出するべきであろう。嫌な予感から逃げ出すようにカメラマン達は再び出口に向かって走り出した。
森を抜けて土からアスファルトの大地になるまでもう百メートルもない。失った体力を取り戻したわけではないが、ゴールを目前にして自然と走るスピードが上がる。
……どうやらカメラマン達の嫌な予感は間違っていなかったらしい。
前方にいる野次馬がカメラマン達の後方を見てどよめきの声を上げる。カメラマン達には自分達を追いかけている複数の足音が聞こえた。テレビに映るスタッフの一人が後ろを振り返ってしまい小さな悲鳴が上がる。カメラマンはその声が若干遠かったことに不安を覚えながらも警官達の隣まで走り切るとカメラを森に向けたまま振り返った。するとそこには数十匹の森犬と逃げ遅れているスタッフの姿があった。
体力が完全に尽きた様子のスタッフは歩くのと大して変わらない速度で走っている。恐怖のあまり涙を流しながら走るスタッフはアスファルトの地面まであと百五十メートル程の距離にいた。背後から迫る脅威に耐え切れなくなったスタッフは、助けてくれ、と叫び足をもつれさせて転んだ。見ている誰もが助からないと感じた。
助けてくれと叫んだことが転倒を招いた原因だ。だがその一言は誤射を恐れて悩んでいた警官や拳銃の使用を迷っていた警官に本来の使命を思い起こさせた。
市民の安全を守り、無法者を取り締まること。
目の前で失われそうになっている命を見捨てるなんてこと許せるはずがなかった。
その場にいる最も階級の高い警官が野次馬を一喝して下がらせる。周囲に散らばっていた警官が確かな想いを胸にして自ずと集まってくる。腰が抜けて立ち上がれなくなっているスタッフに、警官の一人が頭を下げてそのまま伏せているよう告げる。多くの言葉を交わさなくても森犬を見据える警官達の想いは一つになっていた。
一部の森犬の口元が赤く染まっていることから救助に向かった同僚がどうなってしまったのかを悟り、警官達に静かな怒りが沸き上がる。
小型犬とはいえナイフのように鋭い爪を持ち、躊躇い無く人を襲う様子から、いくら防刃性のある服装をしていても警棒を使って応戦するのは危険だと判断した。ましてあの数である。拳銃による遠距離攻撃を選ぶのは当然で、近接戦を挑むのであれば残弾が尽きてからだ。
警官達は拳銃を引き抜き、森犬に向けて構える。計十四名の警官が集まり油断無く森犬の動きを注視する。
スタッフと森犬の距離がさらに縮まり、警官達の拳銃の射程内に十分に引き込めたその時、撃て! の一言とともに警官達の拳銃が火を噴いた。
テレビ画面越しでも現場の緊迫感が伝わってくる。合図と同時に発砲を始める警官達。十四人の警官による一斉射撃は圧巻の一言で、一直線に向かってくる森犬達に大打撃を与えた。
小回りの利く森犬とはいえ銃弾の速度には反応出来ない。いくつもの銃弾が森犬に襲いかかり、その身体に穴を開ける。胴体を貫通することは出来ないが深刻なダメージを与え、首や手足などであれば撃ち抜くことも出来た。頭部に銃弾を撃ち込まれ即死した個体も散見される。
警官達は冷静に一発一発を確実に命中させていく。息絶えた森犬の死骸が後続の森犬の障害となり動きを鈍らせる。動きが鈍くなれば狙いがつけやすくなり、致命箇所への命中率が上昇する。森犬の集団はパニック状態に陥っていた。
信司はその様子を眺めていて疑問を抱く。
森犬の耐久力なんて地球の小型犬と大して変わらないはずだ。ライフルよりも威力の劣るハンドガンとはいえ、貫通できないのはおかしい。
信司は公共の電波に流れては不味いものが映っている映像には突っ込まず、自分の知る森犬との差異について考える。ミレーヌとフィオは拳銃を見て目を輝かせており、陽菜は凄惨な光景に動揺して……おらず、戦いの行方がどうなるか気になるといった様子でテレビをじーっと眺めている。
森犬のレベルが高いのか? いやあの移動速度なら低レベル、一桁前半程度のはずだ。世界融合の影響で硬くなるような能力に目覚めた? ダンジョンからの攻撃はペナルティーとかがあって威力が落ちるとか? 実は銃弾に対して耐性があったとか? ……分からんな。テレビの映像だけでは情報が足りない。
画面越しに見ているだけでは信司の疑問は解けなかった。閲覧スキルで森犬のステータスが確認出来ないか試してみるが映像に対しては発動しないようだ。
「信司様、あれが銃という武器ですか?」
信司が悩んでいるとミレーヌが警官の持つ拳銃を見てそんな質問をした。
「ん? そうそう、あれが銃だよ。性能は最も低いタイプの銃だけどね」
威力も装弾数も射程距離も小銃に劣る。携帯性は抜群だがそれ故の性能だろう。しかし大抵の生き物を殺すには十分な威力を秘めている、それが拳銃だ。
「あれでも性能が低いタイプなんですか!? 銃という物は侮れませんね、とても弾速が早い。撃たれてから避けるにはスキルがないと厳しいですね……」
Aランク冒険者であるミレーヌは銃で撃たれてから避けることが出来る。しかし、それはスキルを使った上での話であり、純粋な身体能力だけでは難しいという。弾数に限りがあるとはいえ、魔力を一切消費せずにあれほどの速さで弾を撃ち出す銃とい う武器はミレーヌからすれば驚異的であった。
地球の人々からしたら撃たれてから銃弾を避けられるミレーヌが驚異的に見えることは言うまでもない。
「地球の人からすれば銃弾を撃たれてから避けられるミレーヌがとても恐ろしく見えるだろうね。それにしても拳銃とはいえ本来ならもっと威力が高いはずなんだが……ミレーヌなら何か分かるか?」
「どういうことですか?」
ミレーヌなら銃弾の威力が落ちている原因について何か知っているかもしれないと思った信司は疑問を伝える。信司はルミルの庭で遊んでいた頃の記憶にそういった現象に遭遇した覚えがなかったため他の事例を知らない。ルミルの庭の住人であるミレーヌなら他の事例を知っている可能性は高かった。
「……なるほど」
信司から話を聞いたミレーヌは考え込むように瞳を閉じる。その間もテレビからは銃声や森犬の悲鳴が鳴り響き、警官達が優勢に戦いを進めていることを伺わせた。
「……元々この世界には魔力というものはなかった、もしくはあったとしても広く一般的に知られるほど遍在しているものではなかった。ですよね?」
「……そうか、魔力か!」
「空気中の魔力濃度から考えても恐らくは」
信司の疑問はミレーヌの一言を聞いて一気に氷解した。
「知りたいことが分かって助かったよ」
「お役に立てたようで何よりです。でも信司様でしたら私に聞かなくてもすぐに気付いたと思いますよ」
「そんなことはない。ミレーヌのおかげですぐに気付けたんだよ」
信司はそう言いながらミレーヌを見つめる。顔を赤くしたミレーヌは恥ずかしさを誤魔化すようにテレビの方へ顔を向けるのだった。
言われてみれば単純な話だった。銃弾に魔力が籠もっていない、ただそれだけの話であった。単純でありながら地球の人々にとってもその情報は厳しい現実を伝えている。弱い魔物ならまだ何とかなるかもしれない。しかし、強い魔物……魔力を多く持った魔物には銃火器の類が通用しない可能性が高い。
不可視のエネルギーである魔力にはいくつかの特性があると考えられている。その中の一つに宿主の能力を高めるというものがある。石であればより硬く、風であればより速くといった具合だ。
その差はほんの些細なものだが、保有する魔力に著しい差があるときに限り、魔力が高い方に大きな干渉力が発生する。ステータス上の数値には殆ど変化が無いのにも関わらず物理現象に影響を及ぼす。包丁とまな板で例えれば、魔力の差によってスパッとまな板が切れてしまったり、包丁の刃が一度の接触で潰れてしまったりするということだ。
警官の放った銃弾が森犬を貫通出来なかった理由はそれ以外にないだろう。保有魔力の低い森犬を相手にここまで威力が下がるとなると警官の銃弾には全くと言っていいほど魔力が含まれていないのかもしれない。
剣や槍といった近接武器であれば武器に魔力が含まれていなくても使用者が自分の魔力を載せて振るうことも出来るが間接武器だとそれも難しい。自ら矢をつがえて放つ弓ですら難しいのだ、銃であればさらに難しいことは言うまでもない。
銃火器を封じられた地球の人々が魔物と戦うことが出来るのかとても不安だ。魔力を含んだ銃弾を作るか、既存の銃弾に魔力が浸透するまで銃火器が使えないと考えると明るい未来は見えない。
信司が魔力の籠もっていない銃弾でどこまで魔物に対抗出来そうか考えている間に森犬との戦いも進んでいく。テレビから聞こえてくる銃声や叫声が少なくなってきたところで陽菜が口を開く。
「あの人、助かりそうですね」
陽菜のホッとした声音を聞いて信司は思考を打ち切るとテレビへ目を向ける。
現場の様子を見る限り戦況は警官達が優勢であった。いくら森犬の数が多く、拳銃の威力が落ちているとはいえ遠距離攻撃というものはそれだけで大きなアドバンテージだ。画面内の森犬には銃弾を撃たれてから避けられるだけの身体能力がなく、厳しい射撃訓練を施された警官達の射撃は命中率は高い。余程のことが無ければ警官達の勝利は確実であった。警官達にもそれが分かっているのだろう。射撃を外さないように一匹ずつ確実に仕留めていく姿には、最初にはなかった余裕のようなものが僅かに見て取れた。
「いや、もう一波乱ありそうだ」
しかし、テレビを見た信司の意見は違った。ミレーヌとフィオもまだこれから何かが起きるとでも言うように真面目な表情をテレビに向けている。
「えっ? でもあと二十匹も残っていませんよ?」
テレビに映っている森犬は残り十八匹。そのうち半数は銃弾を受けて負傷しており、無傷の個体はパニックに陥ったままろくに行動出来ていない。映像を見る限り全滅するのは時間の問題に見える。
「森犬は……群れる種類の魔物じゃないんだよ」
陽菜は信司の言葉を聞いて驚きを顔に浮かべた。今までの映像を見る限り、森の中で出会った最初の一匹以外の森犬は群れていた。本来群れない動物が群れる理由、それは何を意味しているのか。陽菜は嫌な予感に身体を震わせた。




