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第42話 無謀な侵入と報い

 テレビに映る映像は、森に入っていった三人を追うかどうか悩んでいた警官の表情を一瞬だけ映し、画面外に過ぎ去る。それはこの映像を撮影しているカメラマンが警官を追い抜いてダンジョンに入ったことを意味していた。

 大きく揺れる映像は撮影に慣れているカメラマンに余裕がないことを示していた。それだけ全力で走っているのだろう。彼等は後ろから掛けられる警官の怒声や警笛はまるで聞こえていないかのように森へと足を踏み入れる。


 人の営みが生み出す喧騒は徐々に遠ざかり、野生が息づく静寂がやってくる。暫くの間は、見ていると気持ち悪くなりそうなほど揺れる映像と走るスタッフの荒い息遣いしか聞こえてこなかったが、段々映像の揺れは小さくなり荒い息遣いも遠くなる。十分に距離を稼いだと思ったのか走ることをやめたようだ。それでも立ち止まる事はなくゆっくりと前に進んでいる。

 さらに暫く経つとカメラの外で打ち合わせでもしていたのか、カメラの前にアナウンサーが出てくると現場の実況をし始めた。やや緊張した面持ちで周囲を窺いながら現場の様子を伝えるアナウンサー。もしかしたら彼女は森の中に入りたくなかったのかもしれない。

 見たことのない植物が生い茂っているだとか、道路だったはずの地面はすっかり土に覆われていてアスファルトの欠片も見当たらないだとか、当たり障りのない言葉を添えて視聴者に届ける。そんなことをしていないですぐにダンジョンの外に逃げ出さなければ命の危険がある。しかし、その場所が如何に危険な場所なのか、本当の意味で理解している者はそこには一人もいなかった。気配を隠すこともなく、まるでここにいますと言わんばかりに声を響かせて魔物の潜む森を歩いていく。


 そしてそれほど時間が経つことなく事態は動く。

 魔物が見当たらないことで緊張感を薄れさせたアナウンサーが前方から聞こえる人の話し声を捉えた。どうやらそれは先に森に侵入した三人の男女のものだったようだ。アナウンサー達が声の主を確かめるように先に進んでいくと、ハイテンションでダンジョンの様子を話し合う男女と一歩引いてそのやり取りをカメラに収めている男が見えてくる。

 ダンジョンで迷わないために両者は同じ様に入口から真っ直ぐにしか進んでいないのだから、彼等が出会うのは自明の理と言えた。

 ダンジョンに入っていくときの装備で何となく察していたことだが、三人組の目的はアナウンサー達と同様にダンジョン内の様子を撮影することだったようだ。両者は互いの目的を瞬時に察すると自分達の撮影に相手を自然に取り込んで一つの話題にしていく。三人の男女は最近流行の一般人による動画の生放送を、アナウンサー達は深夜の緊急ニュース番組での生中継を撮影する。撮影を強行している彼等の根源は、名を上げたいからかジャーナリスト魂かの違いはあれど、目的は同じだったため協力することに戸惑いはない。


 アナウンサー側の人達が三人組に近寄ろうと足を踏み出したその時、それは現れた。

 アナウンサー達の前方、三人組の男女にとってはすぐ目の前の茂み。ガサガサと名前も知らない背の高い草を掻き分けて一匹の小型犬が姿を見せた。

 その小型犬の姿を目にした一同は実況することも忘れて口を開けたまま固まった。

 ダンジョンの中に犬が迷い込んだ? その可能性がないとは言えないが元は都心の四車線道路だった場所だ。野良猫ならまだしも野良犬の可能性は極めて低いだろう。

 そもそもその小型犬の外見が異様なため誰もが固まっているのだ。大きさは一般的な小型犬のサイズで身体の大きさにしては太くて長い爪を具えている。顔立ちは可愛いと思えなくもない造形をしているが、その体色は草木と同じ緑色だ。所々に濃淡の違いが見受けられ、緑のペンキをぶちまけたのとは違う天然物の生々しさがあった。


 「……森犬(フォレストドッグ)なのです」


 テレビに映る気味の悪い犬を見たフィオはそう呟いた。


 森犬(フォレストドッグ)にワンワンと吠えられることで固まっていた人達は我に返る。まさかこんな色をした犬が出てくるとは誰も思っていなかったため、全員放心していたようである。

 森犬(フォレストドッグ)のすぐ近くにいた三人組は興奮した様子で実況を始める。少し離れた所にいたアナウンサー達も三人に遅れて慌てて実況を始めると、先に実況を始めていた三人の邪魔にならないように注意しながら森犬(フォレストドッグ)に近付いていく。

 森犬(フォレストドッグ)は姿を現してから威嚇するように吠え続けている。その様子が気の弱い犬が怯えて吠えている姿にでも見えたのだろうか。

 森犬(フォレストドッグ)の特徴をカメラに向かって説明している男をそのままに、相方である女は腰を屈めると手提げ鞄からビーフジャーキーのようなものを取り出して森犬(フォレストドッグ)へと差し出す。女の格好は魔物である森犬(フォレストドッグ)にとって、とても都合が良いものであり、また無防備に隙を曝し続けている姿は挑発されているようにも感じられた。


 故にこの瞬間、森犬(フォレストドッグ)は動いた。


 その動きはあまりにも速く、森犬(フォレストドッグ)の至近距離にいた男女には捉えきれなかったかもしれない。一瞬の静寂の後、女は喉を押さえてうつ伏せに倒れた。

 何が起きたのか理解出来なかった男は心配そうに女に声を掛けるが返事がない。ただ身体を強張らせ震えているだけだ。男は何が起きたのかカメラを任せている男に聞こうと視線を向けるが、カメラを担当している男の表情は恐怖に歪んでおり、男の視線に気付く様子がない。

 ネットのどこかで生放送されている映像にはカメラを向けたままの影響で、しっかりと恐怖の原因が映し出されていたが実況する側の男に確認する術はない。

 まるで何かを食べているかのように口を動かす森犬(フォレストドッグ)。不快感を覚える咀嚼音がすぐ近くにいる二人の耳に届く。男は嫌な予感を振り払うように恐る恐る音源に顔を向けると……口周りを真っ赤に塗らした森犬(フォレストドッグ)が何かを嚥下している姿が映った。

 何が起きたのかは明らかであった。

 逃げろー! と相方の喉を食い千切られたと判断した男の叫声が響き渡る。喉を食い破られた女性はもう手遅れだ。どう考えても致命傷、助からないだろう。

 男の声で金縛りにも似た硬直から脱した一同は言葉のままに駆け出した。目の前で起きた殺人を見て、埃を被っていた動物としての本能が目を覚ましたのだ。自分達よりも遙かに小さいこの小型犬は人間を簡単に殺しうる狩猟者であると。今自分達はいつ殺されてもおかしくない、奴のテリトリー内に迷い込んでしまった愚かな羊なのだと気付く。あの犬は間違いなく魔物なのだと誰もが確信した。

 ある者はただ寡黙に、ある者は悲鳴と嗚咽を漏らし、ある者はそれでもカメラを回しながら必死に足を動かす。走り始めると同時に森に入ってきた方向を向いたカメラだったが、それでも森犬(フォレストドッグ)の危険性を伝えた方がいいと判断したカメラマンはカメラをすぐに後ろに向け抱えて走る。

 全員が逃げ出したのと同時に森犬(フォレストドッグ)も動き出した。狩猟者が獲物を追いかけるのは当然のことだ。次の標的は至近距離だというとに無謀にも背中を向けて走り出した男であった。


 テレビに映る映像は激しく揺れ動きながらも現場の惨状を映し出す。逃げろと叫んだ男は走り出した直後に鋭い爪で足を引き裂かれて転倒。男は痛みに悲鳴を上げるも煩いとばかりに首の骨を噛み砕かれて絶命した。

 三人組でカメラを回していた男の体型は小太りで、世間的には太っていると表現される見た目であった。それは見た目だけではなく運動能力にも当然影響を及ぼすものであり、必死に足が動かすもすぐに追いつかれてしまう。小太りの男は逃げることを諦め持っていたカメラを振り回して応戦するが、全て避けられてしまい脇腹を食い千切られる。痛みのあまり崩れ落ちるも何とか首だけは死守しようとする小太りの男を嘲笑うかのように、森犬(フォレストドッグ)は反対側の脇腹に先程よりも深く噛みつくと中身を引きずり出す勢いで噛み千切った。

 想像を絶する痛みに白目を剥いて泡を吹き出す男を尻目に、森犬(フォレストドッグ)は次の標的であるアナウンサー達に向かって走り出した。


 森犬(フォレストドッグ)という魔物はそこまで足の速いタイプの魔物ではない。小型犬サイズらしく歩幅は狭いし、走ることも得意ではない。最高速度は一般人の全力疾走よりも少し速い程度であり、レベルを上げた冒険者であればまず追いつかれないだろう。

 しかし、森の中に限りその脅威度は上昇する。特徴的な体色による擬態もさることながら、森特有の木々の根による起伏の激しくなった大地でほぼ減速することなく行動することが出来るのだ。慣れない足場に減速を余儀なくされる人間からすれば、その動きは恐ろしく速いものに映るだろう。


 三人の犠牲によって開いた森犬(フォレストドッグ)との距離が徐々に縮まっていく。映像のブレ具合から、警官の目を潜ってダンジョンに入ったとき以上に全力で走っている様子が窺える。だというのに確実に距離を縮めてくる森犬(フォレストドッグ)の姿はアナウンサー達の肉体だけでなく精神をも追い詰めていく。カメラの前、つまりカメラマンの後方には森犬(フォレストドッグ)以外にも体力の尽きかけたアナウンサーと中年のスタッフが映り、追いつかれるのは時間の問題であった。

 そんな中、あっ、と気の抜けた声を上げて木の根に足を取られたアナウンサーが勢いよく転んだ。慌てて身体を起こしたアナウンサーは自分に向かって飛びかかる森犬(フォレストドッグ)と目が合い悲鳴を上げる。首を狙った噛みつきを腕を犠牲にして防ぎながら、助けて! 誰か助けて! と甲高い声で叫び続ける。

 その声に応える者は誰もおらず、悔しそうな表情を浮かべた他のスタッフ達はアナウンサーを囮にして走り去っていく。背を向けて遠ざかっていくスタッフ達の姿にアナウンサーは絶望し、悲痛な声を響かせた。それは森犬(フォレストドッグ)の爪で引き裂かれ、アナウンサーがボロボロになり息絶えるまで森の中に響いていた。


 もう少しで出口だろうか。映像内の木々は疎らになり、森の終わりを予感させる。

 あれから再び追いついてきた森犬(フォレストドッグ)によって中年のスタッフも噛み殺された。そのおかげと言っては不謹慎だが、聞き覚えのある喧騒が聞こえてくる距離まで逃げてこられたようだ。

 ほんの少し前まで当たり前のように聞き流していた人々の喧騒に、どうしようもないほどの安心感が湧いてくる。だが、逃がさないとばかりに背後から森犬(フォレストドッグ)が迫ってきていた。


 これは助からないかもしれないと誰もが考え始めた時、大丈夫ですか! としっかりとした力強い声が聞こえてきた。息も絶え絶えにカメラマン達は後ろから人喰い犬が迫ってきていることを声の主に伝える。それを聞いた声の主は、そのまま走って森の外へ逃げるようにと指示を出した。

 カメラマン達が最後の体力を振り絞ってダンジョンの外に向かって進んでいくと映像の中に拳銃を構えた男の後ろ姿が映る。それは森の中から悲鳴が聞こえて駆けつけた警官であった。


 映像に警官が映ってからすぐに、カメラマン達が走ってきた方角から森犬(フォレストドッグ)が現れる。警官は森犬(フォレストドッグ)の不気味な色合いに目を見開くが赤く染まった口周りと前足を見て気を引き締める。

 警官は走る速度を一向に落とそうとしない森犬(フォレストドッグ)を見据え、慎重に拳銃の照準を合わせる。拳銃のことを知らない森犬(フォレストドッグ)は標的をカメラマン達から警官に変えて最短距離を真っ直ぐに走っていく。

 結果、森犬(フォレストドッグ)は空気をつんざく轟音と共に放たれた銃弾をその身に受けることになった。

 胸元に撃ち込まれた銃弾は森犬(フォレストドッグ)に確かなダメージを与え、血液の入り混じった濁った悲鳴を上げさせた。

 だが、森犬(フォレストドッグ)は死ななかった。それどころか一瞬よろけたものの走ることをやめず、そのまま警官に近付いていく。

 一撃で仕留めるつもりだった警官はその様子に愕然とした。頭には当たらなかったとはいえ、胸部に穴を開けたやったのだ、普通の小型犬であれば死んでいるし、動けるなんてまず有り得ない。撃たれた衝撃で身体中の血管が破裂し、意識を保っていることが自体異常だ。だというのにこの犬は口から血を吐いただけで動き続けている。胸の傷からの出血が思ったよりも少なく、銃弾が貫通していないようにも見えた。

 迫り来る森犬(フォレストドッグ)に対して正気に戻った警官は慌てて発砲を再開するが、右耳を撃ち抜いた四発目以外は全て外してしまう。警官は残弾の無くなった拳銃を手放すと腰から警棒を引き抜いて構える。そんな警官に森犬(フォレストドッグ)は飛びかかると首を執拗に狙い、冷静さを欠いた警官のバランスを崩して押し倒した。押し倒されるも警棒を上手く使い、何とか森犬(フォレストドッグ)の噛みつきを防ぐ警官。

 しかし、鋭い爪によって時間が経つ毎に警官に裂傷が刻まれていく。ただの犬とは違い鋭い爪を持った森犬(フォレストドッグ)に押し倒されれば、攻撃を防ぎ切れなくなるのは明白だった。防刃性があるはずのベストがボロボロになり身体中を引き裂かれ、防護服としての役目を果たせなくなったボロ布を赤黒く染めながら、警官は苦悶の声漏らす。

 このままだと警官が殺されるのは時間の問題に見えた。

 警官にもそれが分かったのだろう。森犬(フォレストドッグ)に噛ませていた警棒を、力を振り絞って押し返すと両手で持っていた警棒を片手で支える。両手で支えることで拮抗していた警棒は森犬(フォレストドッグ)の力に押されてすぐに警官の喉元に押し返される。

 警官はその僅かな時間に全てを懸けた。完全に押し込まれる前に警官は空いた片手を思いっきり森犬(フォレストドッグ)の眼球に突き立てた。

 予想外の反撃に森犬(フォレストドッグ)は鳴き声を上げて身体を仰け反らせる。今だ! と言わんばかりに警官は解放された警棒を森犬(フォレストドッグ)の胸元に開いた穴を押し広げるようにして突き刺した。それが止めになったのか、森犬(フォレストドッグ)は一際大きな悲鳴を上げると警官の上に倒れ伏して動かなくなった。

 それがテレビに映し出された警官と森犬(フォレストドッグ)の最後の様子であった。

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