第40話 夜中の食事後編
フィオは料理が運ばれてきたときから、ある一つの料理に狙いを定めていた。
絶対にあの料理を最初に食べるのです!
鼻息を荒げるフィオの視線の先には豚肉の生姜焼きがあった。薄く切られた肉はほんのりと焦げ目がつけられており、ただでさえ食欲を刺激する香りをより魅力的に仕上げている。その隣には細かく刻まれた薄緑色の野菜がたっぷりと盛られ、輪切りにされた赤い実が寄りかかっている。さらにその横には薄切りにされた半透明の野菜がちょこんと少しだけ添えられている。その野菜は眺めているフィオの瞳に僅かな刺激を感じさせた。
フィオはいただきますの合図と同時に箸を構えると早速豚肉の生姜焼きに手を伸ばした。迷い無く豚肉をつかみ上げたフィオは即座に口に放り込む。
「んー!?」
その瞬間フィオの味覚は至高の旨味によって為すすべもなく蹂躙された。厚いとはとても言えない肉厚にも関わらず、少し噛んだだけでしっかりとした肉の旨味が溢れ出す。肉の味だけでなく、仄かな甘みに確かな塩気も感じられ、フィオには表現出来ないほどの複雑な味に口内を満たされる。舌先にピリピリとくる不思議な味わいは肉を引き締め、より洗練されたものへと仕上げているように感じられた。鼻腔を抜けていく芳醇な香りはフィオにとって麻薬に等しく、一切れの豚肉を食べ終える頃には豚肉の生姜焼きに魅了されていた。そうなればもう止まれない。
「お、美味し過ぎるのです……!?」
夢中になるとはこういった状態を言うのだろう。他の料理には見向きもせずに豚肉の生姜焼きを食べ続けるフィオ。豚肉の旨味を味わい尽くそうと、よく噛んでは香り立つ風味に翻弄される。初めての地球の料理に我を忘れてしまうのは必然と言えた。辛うじて豚肉の姿が残っているうちに戻ってこられたことは幸運の一言に尽きる。
豚肉が付け合わせの野菜に包囲されていることに気付いたフィオはそこでようやく豚肉以外の存在を思い出す。同じ器に盛りつけられているからには豚肉と合うことは疑いようもない。
フィオは細かく刻まれた薄緑色の野菜を食べてみることにした。線状の束をいくつかつまむと口へと運ぶ。頼りなさを感じるほどに細い野菜だったが、一噛みするとその印象は間違いであったことに気付く。嫌味のない苦味と僅かばかりの甘み、生野菜特有の新鮮な風味が口一杯に広がる。
この野菜、幾らでも食べられそうなのです。
劇的に美味い! という野菜ではない。だがほんのりとした味わいと、ザクザクとした食感は不思議と癖になる。さらに生姜焼きの味に慣れた舌をリフレッシュさせる意味合いもあるのだとフィオは看破した。同じ料理を食べ続ければ、舌が慣れて味わいが半減するのは必定。薄緑色の野菜を食べた後の豚肉は知らず知らずのうちに味覚が鈍くなっていたことを実感させるほどに美味しかった。
じゃあこの赤い実と半透明の野菜にはどんな意図があるのです?
フィオの疑問が口にされることはなかった。答えは目の前にある、自分で確かめた方が早い。フィオは薄く切られた赤い実を一枚つまむと口に入れた。
「んむー!」
口に入れた途端独特な味わいがフィオを襲う。瑞々しい果肉が柔らかな酸味を伝え、弾力のある皮が歯応えを生み出す。それは先程の野菜とは別の方向から口の中の味わいを変化させる。この赤い実はそれ単体でも十分に美味しいものだった。豚肉と合わせることで酸味が食欲を増進させ、味にアクセントを加える。フィオの箸は益々止まらなくなった。新たな添え物を一つ食べる度に豚肉の生姜焼きは別の顔を見せ、フィオに新鮮な驚きを与える。
薄切りにされた半透明な野菜はどんな顔を見せてくれるのだろうか。そう思ったのが先か、最後の付け合わせの野菜を口に運んだのが先か。豚肉の生姜焼きの虜になっているフィオにはそんな簡単な判断さえつかなくなっていた。半透明の野菜を噛みしめるとシャクっという小気味良い音と共にツンとした辛さが鼻を突く。
こ、これは辛いのです!?
舌を刺激する辛さというより鼻を刺激する辛さとでもいうのだろうか。我慢出来ない辛さではないというのに刺激的な味に不意を突かれて目が潤む。しかし、それは爽快な辛さであった。半透明な野菜によって口の中がすっきりとしていることに気付き、その辛みの意味を知る。
三種の付け合わせはそれぞれが違う味をしていながらも、そのどれもが豚肉をより美味しく食べるために添えられているものなのだと感じられた。
「豚肉の生姜焼き、とっても美味しいのです!」
それ以外の言葉が浮かばなかった。
フィオは信司達から地球の料理の話を聞いたときから、どんな味なのか期待して止まなかった。食べてみたいという欲求は未知の料理が夢に出てくるほど高まり、本物を食べてみたら期待外れでがっかりするのではないかと思うほど恋い焦がれていた。
しかし、実際に食べてみると、想像や夢とは比べ物にならない美味しさに無我夢中だった。
付け合わせの野菜を豚肉と一緒に食べるとまた味わいが変わり、飽きることがない。
一心不乱に豚肉の生姜焼きを食べ続けたフィオの皿から豚肉だけが先に退場してしまったのは最初に肉のみを食べていたせいだろう。豚肉を食べ終えてしまったフィオは少しだけ落ち着きを取り戻し、周りを見回す余裕が生まれた。
「あっ」
すると、隣に座っているミレーヌが紅鮭の塩焼きと白米を美味しそうに食べている姿が映り思わず声が漏れる。豚肉の生姜焼きに熱中し過ぎるあまり白米の存在を忘れていたのだ。
信司の住んでいる国の主食で、他の料理と一緒に味わうものだと聞いていたのにも関わらず、豚肉の生姜焼きの肉だけを食べ切ってしまった。残るは付け合わせの野菜達のみで、それだけでも食べられないことはないが主役を欠いてしまっては味気なく思える。フィオは余裕が生まれて逆に悲しい気持ちになってしまった。
フィオが落ち込んでいる様子を見た信司は、フィオらしいなと苦笑しながら、自分の豚肉をそっとフィオの皿に載せる。
「!? 信司様、いいのです?」
「あぁ、小腹が空いてるだけだしな。自分で食べるより、美味しそうに食べるフィオを見ている方が楽しいから気にするな」
「信司様ありがとうなのです!」
フィオは喜びが抑えきれていない声で信司に感謝の言葉を伝えると、早速豚肉を白米に載せて口一杯に頬張った。
「ふぁー」
そのときの一口の感動は一生忘れることはないだろう。フィオの頭ではその感動を即座に言葉で表すことは出来なかったが、その表情を見れば察することは容易であった。豚肉の生姜焼きと白米が混ざり合い、至高の味わいがフィオを満たす。気が付けばフィオはミレーヌ同様、無意識に涙を流していた。
信司と陽菜は二人が嬉しそうに食事をする姿を微笑ましく見守るのだった。
サラダにかけるドレッシングは人によって様々だ。こってりとした濃厚なものが好きな人もいれば、あっさりとした淡白なものが好きという人もいる。風味を重要視する人もいれば、何もかけない人だって中にはいるのだ。二人もその例に漏れず、好みのドレッシングは異なるようであった。
「濃厚な胡麻ドレッシングが野菜の味とよく絡み合ってとっても美味しいのです!」
「青紫蘇ドレッシングのあっさりとしながらも上品な香りは野菜の美味しさをより引き立てていて箸が止まらなくなりますね」
野菜サラダに半分ずつドレッシングをかけて、食べ比べた結果、二人の好みの違いを知ることが出来た。ミレーヌはあっさりとした味付けやさっぱりとした香りの物が、フィオはこってりとした味付けや風味が濃厚な物が好きなようだ。少しだけ使ってみたマヨネーズも美味しかったそうだが、胡麻と青紫蘇の香りには勝てなかったらしい。
食卓を飾っていた料理の姿が消えていき、食事が終わりに近づくと姿を現したのはデザートであるプリン。信司と陽菜は冷蔵庫で冷やしておいたプリンを運んでくると二人の前に置いた。ちなみにプリンは信司の手作りである。
「これがプリンというものですか」
見るからに柔らかそうな見た目をしていながらも形を保っている様子は、どこか魔物の粘体に似ていなくもない。料理だと分かっているため嫌悪感を示すことはないが、ミレーヌは不思議な物を見たといった顔をしている。
「どんな味がするのか予想がつかないのです」
二人は箸を置いてプリンと一緒に渡されたスプーンに持ち替える。既に二人は先程の食事で学んだのだ。食べて確かめる、それが料理を知るための一番の方法なのだと。
二人のスプーンは微かな抵抗感を貫いてプリンを掬い取る。スプーンの上にぷるぷると震えるプリンを落とさないように口に運び終えるのは二人同時であった。
「「んーっ!?」」
ミレーヌとフィオは堪らないといった表情で言葉にならない声を上げる。
「な、何なのですか、これは! とってもとっても美味しいのです!」
滑らかな口当たりに優しい甘さがじんわりと舌先から広がり、乳と卵黄の香りが安心感を与える。薄く張られている焦げ茶色のソースはほろ苦さと香ばしさを伝えて甘さをより引き立てる。
「蜂蜜とは全然違いますね。とても濃厚なのにそれでいて嫌味のない甘さ。焦げ茶色のソースも苦過ぎず甘味を程良く引き締めています」
食後ということもありがっつくように貪ることはなかったが、早食いでもしているのかという早さで食べ終えてしまう。
「二人ともおかわりいる?」
あの早さで食べてしまえば物足りないだろう。
「……いいんですか?」
「また作ればいいだけだから、気にすることはない」
信司はそう言うと自分の分のプリンを二人に差し出した。その様子を見た陽菜は二人がおかわりを所望しているのだと判断して、信司と同じように自分のプリンを差し出す。
よくできた妹だ。
「ありがとうなのです」
ミレーヌは信司から、フィオは陽菜からプリンを受け取ると今度はゆっくりと味わうように食べ始める。信司は、自分も食べたかっただろうにフィオにプリンを渡した陽菜の頭を優しく撫でるのだった。




