第37話 フィオの代案
信司がミレーヌを説得していると突然ミレーヌが反応しなくなった。信司にはミレーヌがここではないどこかを見ている、そんな気がした。
「……お姉ちゃん?」
丸くなっていたフィオも会話が途切れた違和感に不思議そうにミレーヌを見つめる。
「信司様、お姉ちゃんが固まっているのです!」
「たしかに……。ショックで固まるほどついて行きたかったのか」
どうもそうじゃない気がするけど。しかしミレーヌが固まっている理由を考えても他に浮かばない。
「……えいっ、なのです」
フィオは動かないミレーヌを見て何を思ったのかミレーヌのスカートを捲り上げた。信司の視線は夜の街灯に集まる虫の如く、本能に逆らえず引き寄せられ、するとそこには黒き魔性が顔を覗かせていた。
「……フィオ!」
信司はキリッとした表情を浮かべると拳を握り親指を立てる。とても清々しい顔をしていた。フィオもそれに対して同じように親指を立てて返すと、重要な任務をやり遂げたような悔いのない表情を浮かべた。二人の間にはお互いに固い絆で結ばれたかのような結束感が満ち溢れ、今ここに不埒な友情が誕生したことを確信させた。
「……えっ、あ、えっ?」
そんなタイミングでミレーヌの意識が戻ってくる。スカートに違和感を覚えたのが原因か、信司とフィオの妙な雰囲気を感じ取ったことが原因かは定かではないが、ミレーヌの反応が返ってきたことに二人は安堵した。
ミレーヌは気が付くと、何故か自分のスカートが捲れ上がっていたため、大変困惑した。フィオが捲ったのかと思い顔を向けるが、既に犯人はスカートを捲り上げた手を戻しているため証拠を見つけることが出来ない。信司は少し離れているため捲ることは出来ないと判断する……、すると残った可能性にミレーヌは愕然とした。誰もスカートを捲っていないのだとしたら無意識のうちに自分で捲り上げたか、最初から捲れていたことになる。
ミレーヌは信司から向けられる熱い眼差しに顔が赤くなるのを感じながら慌ててスカートを元に戻した。あまりの恥ずかしさに信司の顔を直視することが出来ないミレーヌだったが、その恥ずかしがっている姿も楽しんでいる信司の視線を感じてさらに顔が赤くなるのだった。
これじゃあ私、痴女じゃないですか……。
信司に興味を持たれている、見られていると思ったミレーヌは、自分が喜んでしまっていることに気付き落ち込んだ。
こうして自分は痴女かもしれないという疑念をミレーヌに残したままスカートの謎は迷宮入りとなった。
ミレーヌは何とも言えない空気が薄れた頃合いを見計らって口を開いた。
「信司様の言う通りに私は残ってルミルの庭の人達を纏めることにします」
「……いいのか?」
「はい、正直に言えばついて行きたいという気持ちに変わりはありません。ですが信司様の言っていることは最もですし、その役目が私にしか務まらないのであれば……」
「……すまない、助かるよ」
信司にはミレーヌの心境にどんな変化があったのかは分からない、しかし町に残ってくれると言ってくれたことは確かで、信司は心配事が減ったことに安堵の息をついた。信司とミレーヌの会話を聞いていたフィオは話が纏まったのを見て、じゃあとばかりに口を開ける。
「お姉ちゃんの代わりにフィオが信司様について行くのです」
きらきらとした瞳を向け、他の誰にも譲らないといった声音で以てしてフィオは言った。
「ふむ……」
「……フィオ」
叡智の霧森を攻略するには高い実力が必要だ。しかしそれ以外にも必要な要素がある。その一つが多様性だ。あらゆる状況において対応出来る手段が欲しい。例えばそれは遠近どちらでも戦えるオールラウンダー、的確に弱点を突ける複数種類の属性魔法が使える魔法使いなどだ。
その点フィオは精霊魔法というかなり珍しい魔法が使えて、複数種類の属性魔法も扱える。使役している精霊を顕現させれば独自に行動をとらせることも出来るため戦略の幅も広がる。
フィオについて来てもらえればかなり助かるなぁ。前回、叡智の霧森に挑んだ時には技量が足らなくて参加させてあげられなかったけど、今のフィオなら近接戦に持ち込まれてもそこそこ持ち堪えることが出来るし問題ない。寧ろ今この付近にいる冒険者達の中でも優秀な部類に入るだろう。経験の足りない部分はダンジョン内で鍛えればいい。
「フィオ、ここは夢じゃなくて現実だ。叡智の霧森に潜ればここに残るよりも死んでしまう可能性は遙かに高い。それでもついてくるか?」
「はい、行くのです。どこにいたって死ぬときは死ぬのです。だったら行きたいところに行って死んだ方が幸せなのです。フィオは信司様の力になりたい、信司様と一緒にいたいのです」
信司はフィオの真意を問うようにその瞳を見つめた。信司の言葉に答えるフィオの声は凛とした響きで届けられ、迷いは感じられなかった。瞳に見えるのは確かな覚悟と揺るぎない意志。信司はフィオを連れて行くことにした。
「分かった。すぐに行く訳じゃないけど、よろしくなフィオ」
「……! はいなのです! よろしくなのです!」
こうして叡智の霧森に挑むメンバーにフィオが加わった。
残る空き枠はあと二名。
「……フィオ、私の分もお願いね」
ミレーヌは信司の意見に従うと決めたとしても、決してついて行けない悔しさが無くなったわけではない。フィオに掛けた言葉にはそんなミレーヌの複雑な気持ちが込められているような気がした。
「がんばるのです」
お姉ちゃんの分も頑張ろう。
ミレーヌの悔しさが痛いほど分かるフィオは全力を尽くすことを胸に誓った。
これで話しておくべき事は大体話せたかな。現状の確認から始まり、互いの世界の違いについてや叡智の霧森に関する話まで、現時点で分かっていることは共有出来たはずだ。
それにしても陽菜は夜食として何を作っているんだろうか。漂ってくる匂いから肉系の料理だとは思うんだけど……それにしては時間がかかっている。
陽菜が夜食を作りに向かってからそれなりの時間が経過している。台所からは依然として肉の焼ける香りが漂ってきており、ミレーヌとフィオの空腹感を煽っていた。
「ん」
「……美味しそうな匂いなのです。今まで嗅いだことがない香り……なのです……」
突然二人はピクリと身体を硬直させると視線を台所に向ける。一瞬何事かと思う信司だったが二人から遅れること数秒後、疑問は氷解した。
……あぁー、確かにこれはいい匂いだ。
人間族の信司の嗅覚にも二人の反応が理解出来る香りが運ばれてきた。猫人族の二人は信司より先にこの匂いを嗅ぎ取ったのだと察するのは簡単だった。
その反応は信司の思っていた以上のもので、二人は尻尾をピンと立てると切ない表情を浮かべて台所を見つめていた。フィオに至っては我慢出来ずに涎を垂らしている始末だ。
甘さを含んだ芳醇な香り、それを律するかのように生姜の香りが甘さを抱き締めている。それは肉の焼ける匂いと混ざり合って二人の食欲を絨毯爆撃していた。夕食を食べたはずの信司でさえ、これは狡いと思わせるほどの魅惑的な香りだ。時間が経つほど香りは濃厚になっていき思考力を低下させる。
「お腹が……」
「はぁはぁはぁ……じゅるり……」
信司の目の前で二人の様子が漂ってくる香りに合わせるように悪化していく。刺激された食欲は際限なく膨れ上がり正気を圧迫する。既にフィオは食事を前にお預けを食らったペット化を果たし、一歩間違えば変質者、或いは男同士の熱い友情に興奮を示す腐った生物に見えなくもなかった。
いよいよフィオが野生に帰りそうだなと信司が感じ始めた時、漂ってくる香りが更なる進化を遂げる。それはあまりにも暴力的な駄目押しだった。
信司に分かるだけでも、ふんわり炊き上がった穀物の優しい香りに、一日の始まりを予感させる芳醇な味噌の香り、肉とは違う香ばしさとすっきりとした脂身を思わせる焼き魚の香り。先程までの香りにそれらが複雑に絡み合い、陳腐な言葉では表現出来ない至福のハーモニーを奏でる。
猫人族の二人には一つ一つの匂いが判別出来ているのかもしれない。しかし、それがどんな食材が作り出している香りなのか判断がつかない。
「……」
ミレーヌの視線は台所に固定され、最早それ以外のものは目に入らないといった様子が窺える。夕食を食べていないミレーヌの空腹は限界を越えかけていた。
「がるるるる……」
フィオが匂いに負けて獣になり果てた。邪魔する者に容赦はしないといった雰囲気を漂わせており、台所との間に立ち塞がろうものなら、たとえ信司であっても噛みつきかねない気迫を感じた。
随分とたくさん作ったみたいだな。漂ってくる香りの豊富さに信司は苦笑いした。
お腹を空かせているミレーヌとフィオを見てたくさん作ってくれたんだろう。匂いが一気に広がったのは下拵えをしっかりとしてから同時に仕上げたか。料理時間から考えて相当本格的に作ったに違いない。漂ってくる香りから予想するに品目は恐らく……。
漂ってくる香りから料理を予想する信司だったが僅かな香りの変化から完成間近だと悟る。普段食べている料理の香りに近付いてきたからだ。
「二人とも、そろそろ陽菜の料理が出来上がりそうだから食卓に移動しよう」
そう言いながらすぐ近くにある食卓を指差し立ち上がる。ミレーヌは信司の声で正気に戻ると恥ずかしそうにしながら小さく返事を返した。
「がるる……」
ミレーヌはソファーから立ち上がるが獣に堕ちたまま唸り声を上げているフィオを見て溜息をついた。
「フィオ、目を覚ましなさい」
ミレーヌは右手を手刀の形にするとフィオの頭に軽く振り下ろした。
「いたっ! ……うぅ……痛いのです」
手刀で打たれたフィオはあまりの痛みに正気を取り戻した。気楽に手刀を振り下ろしていたが、あれは一般人が受けたら頭蓋骨が陥没しかねない威力だ。
妹達がミレーヌの餌食にならないように注意しておこうと誓う信司だった。




