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第29話 叡智の霧森とミレーヌの心配

 さっきまで喋っていたフィオが丸まってしまったため、居間にはテレビの音だけが流れている。

 画面を見ると先程よりも野次馬の数が増えている様子が見受けられ、聞こえてくる声はレポーターよりも野次馬の方が大きいくらいであった。興味本位で森の中に入ろうと試みる人達も増え、それを抑えようとしている警官達が押されている。そろそろ森に入ってしまう人が出てきそうである。

 そんなことを思っていると台所の方からとても美味しそうな薫りが漂ってきた。肉を炒めているのか香ばしさを含んだ薫りは三人の食欲を刺激する。


 「……信司様、私改めてここが異世界なのだと実感出来ました。これから私達はどうなってしまうのでしょうか……」


 料理の薫りで目が覚めたのか、固まっていたミレーヌが復活した。

 料理の香りの違いから実感したのだろうか……


 「俺からすればルミルの庭が異世界だが。融合してしまった今となってはどっちの世界の人達からしても異世界と思えるか……」


 地球の人達からするとゲームのようなシステムや魔法が使えることが、ルミルの庭の人達からすると広大な世界や科学を基本とした生活環境が。


 「どうなるかは分からないが、ミレーヌなら何をすべきなのかは分かっているだろう?」


 「……混乱が起きないようにこの付近のルミルの庭の人達をまとめること、把握できた情報を統括して他のルミルの庭の人達に伝えること……ですか」


 「正解だ。やっぱりミレーヌは優秀だね、説明しなくても分かってくれる」


 「でも……それだと……っ!?」


 普段のミレーヌであれば照れながら喜ぶような台詞だったがそんな気持ちを押し殺すように唇を噛みしめていた。信司はそんなミレーヌの姿に目を細めるとゆっくりと口を開いた。


 「……あるんだろう? アレが」


 ミレーヌとフィオが我が家に現れた時点で予想していたことだ。さっきマップを確認した時にほぼ間違いないと確信出来た。

 今は勇壮の風(ヴァリアントガスト)のキャンプ場とされている場所、その中心部に七本の柱がそびえ立ち、それらに守られるように囲われる一本の大きな木のような構造物が確認出来た。おそらくそれは……。


 ミレーヌは勇壮の風(ヴァリアントガスト)のサブマスターだ。戦うこともあるがサブマスターの立場になってからは部屋に引き籠もり大量の書類を精査し、毎日更新される情報を整理しては判子を押し続けるのが主な仕事だった。情報を扱う者として間違った情報を伝えることは許せない。正しい情報を伝えないこともだ。それに好きな人に嘘をつくこともしたくない。だから……。


 「……はい」


 ミレーヌはその問いに頷いた。



 叡智の霧森(ウィズダム)

 ルミルの庭で見つかっている唯一の難易度★7のダンジョンで、難易度★6のダンジョン龍神の山塔(ドラゴンタワー)をクリアしたことで出現したとされている。

 その入口は樹齢何年になるのかも分からないような巨大な林檎の木であり、またそれを守るかのように七本の正七角形の翠玉柱が等間隔にそびえ立っている。

 今のところ、このモニュメントと類似性のあるモニュメントは見つかっていない。

 ダンジョンによってはその内部で特殊な効果が発揮されるものもあるがこのダンジョンの効果は他に類を見ないほど凶悪なものだ。

 制限挑戦PT数1組、制限PT人数4人以下によって人数を揃えることが出来なくなっている。ルミルの庭の常識では難易度★5以上のダンジョンの攻略には高いレベルでの数と質が必要とされている。それを援軍もなしにたった四人で遂行しなければならないのだから、無謀どころか自殺以外の何者でもないだろう。さらにはレベルリセットによりどんな熟練の冒険者も今まで鍛え上げられた身体能力を剥奪されて弱体化した上に、リポップ速度上昇(極大)によって絶え間なく生み出される魔物に襲われて休む暇もない。

 叡智の霧森(ウィズダム)に挑んだ冒険者の大半はダンジョンに入った瞬間に殺されるか、逃げ出すかのどちらかである。何とか善戦した少数の冒険者達も時間の経過に伴い、疲労の蓄積や溢れ出す魔物の勢いに押され、初日の夜を越えられずリタイアしている。

 ダンジョン内はその名の示す通り深い森林のフィールドになっており、広大な土地に鬱蒼と茂る草木が侵入者の行く手を阻んでいる。されど日差しを遮るほど巨大な樹木がその枝を伸ばしているわけでもなく、地形が変形するほど木々が密集しているわけでもない。人の背の高さ程もない幼い木々もあれば齢を重ねた老齢の樹木もあり、それらが適度な間隔で生えていて、時には疎らに、時には密に森を形作っている。

 木々の種類も豊富でその手の愛好家からすれば見た瞬間堪えきれずに奇声を上げてしまいかねないような樹木の見本市と化している。また木々だけでなくそれ以外の植物も多種多様で、触れただけで死に至るような毒草も平然と生えているため油断は出来ない。

 そのため一見穏やかな森にも見えるがその危険度は他のダンジョンの追随を許さない。

 青々とした草むらの中や大きな木の陰、頭上の木の枝の上にまで魔物は潜んでいる。また何処かから小川のせせらぎが聞こえ、その流れの果てには湖に至るという。樹木の迷宮を抜け水源に辿り着き、気を抜いた冒険者に水棲の魔物が襲い掛かる姿を幻視する。草木が薄れ空の青さを邪魔するものが無くなった草原には、身を隠すような遮蔽物は無く、身を潜める必要のない強力な魔物が徘徊し、見晴らしの良くなった地上を見下ろしながら巡回する翼を持つ魔物の姿が散見出来る。

 そんな叡智の霧森(ウィズダム)だが時折ダンジョンを包む込むように霧が発生し名前の通りの霧森となる。1m先すら見えなくなるような濃霧の中で活動することは極めて困難だ。ある程度の時間が経過すると徐々に霧が晴れていくがその間に力尽きる冒険者も多い。一日の間に何度か発生することもある現象であり、夜間に魔物に押し込まれず耐え抜いた冒険者も夜の霧が晴れた後には命を失っている。

 そんな魔境と呼ぶに相応しい叡智の霧森(ウィズダム)だがこれらの話は全て第一階層の話であり、第二階層以降はまた違う顔を見せるという噂だ。

 ルミルの庭で叡智の霧森(ウィズダム)を攻略出来たギルドはたった一つだけであり、そのギルドの性質もあって第二階層以降の情報は殆ど出回っていない。確かな実力を持ちながらもギルドの名前とその実績以外は秘匿されているそのギルドは噂ではこう言われている。曰く勇壮の風(ヴァリアントガスト)の懲罰部隊、曰く最強ギルドと名高い閃光の勇者達(ホーリーブレイバー)から選抜されたエリート中のエリート部隊、曰くコルトバ王国かザースガオド帝国の隠し部隊、曰くGOCのデバッカーギルドなど様々だ。どの噂もその実力に見合うものばかりであったが信司の知る真実からは遠かった。いずれにせよ、叡智の霧森(ウィズダム)を攻略出来る可能性が最も高いのは、一度攻略を果たしたSランクギルド水月をおいて他にないだろう。



 「なら、俺のやることは決まったな」


 さも当然といった様子で信司は言った。


 「私も、今度は私も連れて行ってください!」


 ミレーヌは信司が叡智の霧森(ウィズダム)があると知れば行こうとすることは分かっていた。それが自宅の敷地内だとすれば尚更だ。前に攻略するときも心配だったが夢の中では死んでも何故か蘇ることが出来たため最悪の事態にはならないと分かっていた。でも今回は夢の中でもなければ信司の言っていたゲームというものでもない。信司が死んでしまう可能性は十分にある。いや、ルミルの庭で三日月(クレセント)だった当時よりもアビリティー・スキルが脆弱な今の信司では寧ろ死んでしまう可能性の方が高いように思える。戦う力はあるというのに自分の手の届かない所で自分の好きな人が死んでしまうなんてことはミレーヌには到底我慢出来ない。


 「さっき言っただろう。ミレーヌにはこの辺りのルミルの庭の人達を纏めてもらいたい。だから、駄目だ」


 「嫌です!」


 信司の言葉が終わるか終わらないかぐらいのタイミングで拒絶の言葉が届き、あまりのレスポンスの早さに信司はガクリとした。今のミレーヌにはいつもの余裕が感じられず、その表情にはどこか焦りのようなものが浮かんでいるように見えた。


 「叡智の霧森(ウィズダム)には攻略した経験がある俺が行くしかない。あと三人連れて行く人を決めないといけないがミレーヌは駄目だ。魔物暴走(スタンピード)も含めて何が起こるか分からない現状でAランク冒険者をレベル1にする余裕はない。素質の有りそうな低ランク冒険者を選んで連れて行くつもりだ」


 ミレーヌは悔しそうに唇を噛みしめると今度は反論することが出来なかった。キャンプ場にいるルミルの庭の人達を統率することは、ミレーヌがいなくても多少手間取るかも知れないが勇壮の風(ヴァリアントガスト)なら可能だ。しかし戦力ダウンだけは誤魔化しようがない。

 自分が抜けたせいで叡智の霧森(ウィズダム)から帰ってきても、有事に対応しきれず魔物に蹂躙され、廃墟になった景色がミレーヌの脳裏をよぎる。

 それは避けなければならない未来の形だ。


 「……信司様は狡いです。いつもそうやって危険な場所に向かうときは何かしらの理由をつけて私を置いていきます……。これは夢でもなければゲームでもありません、大怪我をすることもあれば死んでしまうことだってあるんです。いくら信司様が強いといっても、一度叡智の霧森(ウィズダム)を踏破したことがあるとしても……私は心配なんです……」


 信司の言っていることが最善だということはミレーヌにも分かっている。でも、だからこそ、死地へ向かおうとする信司を心配する気持ちは止められなかった。自分がついて行けないことは口惜しいが何かあったときに対処出来る能力を持った人が必要なのは間違いない。だからせめて……せめて心配しているっていう気持ちだけは知っておいて欲しかった。

 信司は普段の冷静沈着なミレーヌらしからぬ、感情のままに口を動かしている姿に心が揺れる。猫耳少女の潤んだ瞳は破壊力抜群だった。

 ……そういうことか。

 ミレーヌの眼差しから精神的なダメージを受ける信司だったが、それでミレーヌの気持ちを察することが出来た。感情のこもったミレーヌの言葉からはどれだけ信司のことを心配しているかが伝わってくる。


 「……心配してくれてありがとう、ミレーヌ。心配をかけてしまっていることは覚えておくよ。だからこそミレーヌにはここに残って……いや、ここを守っていて欲しい」


 「守る……?」


 どこかポカンとした様子で呟くミレーヌに信司は頷いた。


 「あぁ、そうだ。ミレーヌが町にいてくれれば大抵のことは何とか出来ると信じている。帰る場所があると思えば安心して戦うことが出来る、だから戦いに集中出来るんだ。ミレーヌは俺が不在の間にこの町を守っていてくれないか?」


 ミレーヌは信司の言葉を聞いて、はっ、とした。まだ自分が駆け出しの冒険者だった頃、とあるギルドの受付嬢の言った言葉が想起された。

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