第16話 フィオレーナ・アリアルス
ミレーヌの後ろから黒い影が飛び込んで来るのが見える。今の身体能力だと避けるのは間に合わないと判断し、信司は両手を広げて受け止める姿勢をとる。小さな影は信司の胸の中に勢いよく飛び込み、すっぽりとその中に収まることになった。
信司はミレーヌと話している間に何者かが玄関に近付いて来ていることに気付いていた。その者が内包している魔力の気配は信司にとっては普段から慣れ親しんだ気配だったため信司は気にせずにミレーヌと話していた。そのため信司は慌てず黒い影を抱き留めたのである。
玄関の蛍光灯の灯りに照らされて黒い影の正体が露わになる。ミレーヌに似た形の耳が肩より少し長いくらいの髪の中でピコピコとせわしなく動いているのが見える。その髪から少し浮いた場所には真っ直ぐに伸ばされた尻尾が大きく左右に揺れている。小さな顔は信司の胸の中に隠れておりクンクンと鼻を押しつけているのが感じられた。
「クンクン……三日月様の匂い……」
彼女はとてもリラックスした様子で呟いた。存分に匂いを嗅いで満足したのかミレーヌよりも小さな猫耳の幼女はゆっくりと顔を上げた。ミレーヌと同様のクリッとした大きな瞳に俺の顔が映っている。ミレーヌと違う部分は彼女の毛色が茶色という点ぐらいでそれを除けばミレーヌが幼くなったような容姿である。ミレーヌよりも小さいため髪が長く感じるが並んでもらうと同じくらいの長さだと分かるだろう。
「こんばんは、フィオ」
至近距離で見つめ合いながら小さな彼女の名前を呼ぶ。
「やっぱり三日月様なのです。声も匂いも三日月様と同じなのです。三日月様こんばんはなのです」
フィオは瞳をキラキラさせながらさらに強く抱きついた。んー相変わらず可愛いな。
「フィオ、俺は三日月だけど今の名前は三日月じゃなくて信司って言うんだ。だから信司って呼んでもらってもいいかな?」
「信……司……様……?」
フィオは尻尾の動きをピタッと止めると不思議そうに首を傾げる。
「フィオ分かりました。三日月様は信司様になったのですね」
フィオは閲覧をかけたのだろう。名前の部分を確認して納得してくれたようだ。
「信司様、またレベル1になっているのです。フィオが信司様をお守りするのです!」
「あはは、またお願いするねフィオ。」
一時期、叡智の霧森に潜っていたのでその時のことを言っているのだろう。あの頃はレベル1になってしまったメンバーを守るためにレベルの下がっていないメンバーと二人一組で行動させていたからなぁ。俺がフィオに守られている時もあった。
フィオは嬉しそうな表情を浮かべると大きく飛び跳ねて信司に抱きつき直した。今度はフィオの足が地面についていないためしがみついているような状態だ。フィオの耳が信司の目の辺りまで届いている。
「フィオ、キャンプ場で待っているように言ったでしょう? どうして来ちゃったの?」
俺とフィオの話が落ち着いたのを見計らってミレーヌが声をかけてきた。どうやら勝手に来てしまったフィオを叱っているようだ。フィオは俺に抱きついているためミレーヌに背を向けている状態である。
「だってお姉ちゃんなかなか帰って来なかったから……。それにお姉ちゃんがピリピリした魔力を出してるから心配して来たのですよ」
フィオは信司に抱き付いた格好のままミレーヌの方へ器用に顔だけ向けて答えた。
「それはもしかしたら時間がかかるかもしれないって言ったじゃないの。戦いになる可能性もあったからキャンプ場で待っているように言ったのよ?」
「それはそうだけど……。心配だったのです。それに三日月様の匂いがしたから仕方ないのです」
フィオは頬を膨らませてミレーヌから顔を逸らした。
匂いって…玄関の扉を開けたまま喋っていたせいか? 夕飯前にお風呂に入ったというのに。自分の体臭がそんなに強いとは思いたくない。
「フィオ…もう」
ミレーヌは両手を腰に当てて困ったような表情を浮かべた。妹に心配していたと言われると何も言えなくなってしまう。ミレーヌも妹が心配でキャンプ場で待っているように言ったのだから……。
「それよりもお姉ちゃん、信司様にピリピリした魔力を向けちゃだめなのです。匂いで三日月様だって分かったんですよね?」
今度は逆にフィオがミレーヌを責め始める。
「た、たしかに匂いは三日月様の匂いでしたけど……。こんな状態だから偽者の可能性だってあると思って……」
ミレーヌの意見は正しい状況判断だといえた。しかし信司を疑ってしまったことを申し訳ないと思っているためか言葉が尻窄みになってしまっている。その姿は先ほど信司を偽者と疑って謝罪していた時ほどではないが縮こまっていた。
「三日月様……信司様に失礼なのですよ! フィオは大好きな信司様の匂いは間違えないのです! お姉ちゃんも信司様が好きなら間違えちゃ駄目なのです!」
フィオは顔を信司の方へ向けると首筋に顔を埋めた。信司からは見えないがフィオは鼻をピクピクさせながら匂いを嗅いで緩んだ表情を浮かべていた。
「だ、大好きって……! うぅー……」
ミレーヌは顔を真っ赤にさせると信司に背を向けてしまった。しなやかそうな尻尾は自分の体に巻き付けている。妹の真っ直ぐ過ぎる気持ちと自分の気持ちのことを信司の前で普通に話して伝わってしまった状態に居ても立っても居られずあまりの恥ずかしさで後ろを向いてしまったのである。フィオはそんなことは知らないとばかりに蕩けた表情を浮かべているのがなんともアンバランスでどちらが姉で妹なのか分からなくなりそうであった。
こういう時は何もしないに限る。俺は後ろを向いてぷるぷる震えているミレーヌと抱きついたまましがみついて離れないフィオをそのままに時が過ぎるのを待っていた。この状態になってしまうと何かすると事態が悪化するのが経験上分かっているからだ。
実はこういう場面に遭遇するのは初めてじゃない。むしろよくあることなのだ。今はミレーヌとフィオの二人だがルミルの庭では他のギルドメンバーもいたためもっと高頻度で酷い事態に晒されていたのである。
ギルドメンバーのみんなは大丈夫だろうか。今この場にいない仲間達を心配する信司であった。




