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会議室より

作者: 宮瀬勝成

桜が咲く季節に彼はやって来た

 彼は約40年前の桜が咲く季節にやって来た。その3カ月ほど前にここに来て、同期などいなかった私は、勝手に彼を同期のように見ていた。「お互い頑張ろうぜ」と思ったのを覚えている。当時の彼は安物のスーツを身にまとい、背骨が鉄の棒であるかのように、ピシッと背筋を伸ばし、ぎこちない敬語を話していた。私はそんな彼をぼーっと眺めながら、よく暇つぶしをしていた。


 私と彼は会議室でしか会わなかった。だから私は室内での彼しか知らない。誰よりも先に会議室に入り、机に資料を並べ、たまに缶コーヒーやお茶を添える。会議中は先輩の発表に合わせ、スクリーンに映るスライドをせわしなく替え続ける。自分の席などはなく、いつも、プロジェクターの隣に大きな身体を小さくさせ、正座をしていた。もはやそれはアシスタントというより、黒子と呼んだ方が正しいかもしれない。彼は自分の存在や、気配を消し、会議の進行を円滑に進めるべく、奮闘していた。

時折、資料に不備があり、上司や先輩に怒鳴られたこともあった。そのたびに、彼は「すみませんでした!」と身体を直角に曲げ、ひたすら謝っていた。

そのたびに私は

「強く生きろよ、青年」

とそっとつぶやくが、彼には届いていないようだった。


 それから、月日が経ち、また桜の季節がやってきた。すると、彼の隣にコバンザメが生まれた。彼はそのコバンザメにそれまでやってきた仕事を一つ一つ丁寧に教えていった。一緒に黒子を演じ、たまに、一緒に怒鳴られもしたが、彼の表情はいつも柔らかかった。

「そうか、彼にも後輩ができたのか」

私はなんだかうれしくなった。

 2年目の後半あたりから、彼の会議室での定位置が、プロジェクター脇から、下手の席へと変わった。「おお、ついに席が与えられたのか」と私は感動をしたが、さすがに本人には何も声をかけなかった。毎日会議にあっぷあっぷしている彼に私の声が届くかは分からないが、たとえ、耳に届いたとしても、彼のプライドを傷つきかねない。口は災いのもと。そっとしておいた。


 3度目の桜の季節がやってくると、会議中での彼の発言が増えてきた。彼がメインでプレゼンテーションをする日もあった。しかし、冷ややかな反応が多かった。彼の発表に少しでも粗があると、鬼の首を取ったかのように叩かれる。質問の返答に彼が詰まると「そんなんでよくここに立てたな」と罵声を浴びていた。

 

そのたびに彼は、誰もいなくなった会議室で泣いていた。ある時は、声を押し殺して、またあるときは。「畜生!」と叫びながら。私はそれを部屋の隅で静かに見守っていた。


八つ当たりをされることもあった。邪魔だと言わんばかりに突き飛ばされたり、乱暴に身体を揺さぶられたり、蹴られたりもしたが、それも若気の至りとして許した。まあ、それで無罪放免というのは、腹の虫が治まらないので、彼が夜遅くまで会議室に残っているときに、わざと大きな音を立て、驚かせるいたずらをして楽しんでいた。


 4度目の桜が咲くと、会議室に彼は現れなくなった。どうやら地方に異動になったらしい。社員の会話を盗み聞きしてみると、どうやら左遷ではない。彼の仕事に対する熱意や、地道に実力をつけていったことを見込まれ、地方でやりたいことをやってみろ、と送り出されたようだ。


「なんだ、これでしばらくは退屈だな」

彼がいなくなっても、会議を静かに見守り続けるという私の生活は変わらなかった。


 それから4年後、彼は帰ってきた。左手薬指には指輪が光ってあり、私は思わず吹き出した。

「なんだおまえ結婚したのか」

と茶化したりしたが、最初に出会ったときと打って変わり、頼もしさを漂わせる顔つきになっていた。若手には時に厳しく、時に優しく、指導をしていた。若手からも慕われているようで、彼が相談に乗っている姿を何度も廊下で目撃した。私が得意な盗み聞きによると、彼は社内で評判が高いらしい。

「あんなに青臭かった新人がこんなに成長するとは」と私は感嘆した。


 そこから数十年間、彼は、3年ずつ地方と本社を交互に異動し続けた。何年経っても私と彼は、本社の会議室でしか顔を合わせなかったが、私は彼が帰ってくるたびに、驚き、喜んだ。

「また、しばらくは一緒だな」

とねぎらうのだが、再会のたびに彼が就く役職が上がっていった。「おまえ頑張ってるんだな」と眺めることしかできなくなっていった。


 彼がある程度の年齢になると、地方に赴任することがなくなった。本社でも、出世街道を進み続け、最終的には社長になった。




 「今日の取締役会はこれで終わりです。では最後に社長一言お願いします」

「22歳で入社し、40年が経ちました。毎日会社に行きたくないと思いながら出社をして、気づいたらこんなに時間が経っていました。嫌いだった会社も今日で終わりなんだ。明日からここに来なくていいんだ、と考えるとなんだか寂しい気持ちです」

彼は穏やかに話した。

「実は私が入社する直前にこの自社ビルが建ちました。私とこのビルはいわば同期なのです。ピカピカだった、この会議室がこんなに寂れたのを見ると、私も年を取ったなと実感します。これからは、若い人たちの時代です。これからの会社をどうぞ優しく、静かに見守ってやってください」

 

 拍手に包まれた彼の目は潤んでいたが、すがすがしい表情だった。私は昔から彼を知っている。いいときも悪いときも、全部知っている。やり切った、という充実感が顔からにじみ出ている。


「最後に話したいやつがいるんだ。すまないが、みんな席を外してくれないか」

彼がそう話すと、会議参加者一人一人が彼と握手をし、「お疲れ様でした」と声をかけた。白髪頭のしわが増えた彼だが、目は昔のままだなと感じた。どこか優しげで、頼りがいがある目。そうか、だから彼はここまで上り詰めたのか。


「あんたは昔から俺を見守ってくれたな。ありがとう。若いときは蹴ったり、叩いたりして悪かった。痛い思いさせてしまったな。俺は勝手にあんたを同期だと思っていた。親近感があったよ。あんたはどう思っていたかは知らないけどな。俺は先に退くよ、元気でな」

40年経って、彼が初めて私に話しかけてきた。

「あ、最後に一つ、俺がここ数年で会議室に来なくなって、暇だからって、急に大きな音を立てて、社員を驚かせるのをやめろよ」

彼はニコっと笑った。本当に笑った顔は若いころか同じだ。

「うるさいな、おまえと同じように私も年を取って身体にガタが来てるんだ。昔はわざとだったけど、今は勝手に身体がバキってなるんだよ」


私は声を出すことができない。しかし、今の彼にはきっと届いているはずだ。彼は「それじゃあ」と、優しく、ゆっくり、私の身体を引き、部屋を出た。やはり、年のせいだ、身体を動かすとミシミシと鳴る。


「社長、ドアに話しかけていたんですか?」

コバンザメが笑いながら問いかけた。コバンザメよ、君も出世をしていたのか。すまないが、私は彼に夢中で君のことを気に留めていなかった。そうか、役員で見たことあるような顔があるなと思っていたが、コバンザメだったのか。


「ああ、悪いか?これからの会社を頼むぞ」

「私も来年で定年ですけどね。残りの1年間全力で走り抜けます」

彼はコバンザメの背中をポンと叩き、2人は笑いながら去っていった。私は

その姿が消えるまで、眺めていた。



梅が咲く季節に彼は去っていった

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