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第21回さよなら 「だから私を捕まえに来たんでしょ?」

 ホテルの前に止まった救急車にはたくさんの野次馬たちが集まっていて、あれやこれやと盛んに噂話をしていた。


 事情通の男が言うには、ホテルの一室でガス爆発が起きたとかなんとか。部屋には黒焦げの女の遺体が一つあり、もう一人も意識はあるものの大やけどを負ったいう話だった。


 そこへ話題の男が担架で運ばれてきて野次馬たちがよく見ようと身を乗り出したが、慌ただしく収容されて殆ど何も分からずじまい。


 窓から見える車内に張り付くと、隊員の一人が服をハサミで切り裂きもう一人が人工呼吸器を用意していた。


 ジャボの容態は非常に悪かった。皮膚は爛れ全身血と体液が混じってどす黒く変色していた。


 隊員たちが次々に脈拍や血圧の異常を叫んだ。運転手はこれはもう保たないと思いながらも、一縷の望みをかけて車を飛ばした。


 赤色灯を回しながらモーゼのように車の海をかき分けていると、途中彼らに迫ってくる車が一台あった。


「どこの馬鹿野郎だ」


 運転手はミラーを見ながら舌打ちした。


「俺たちより急ぐ用がある人間なんてどこにいる?」


 その馬鹿野郎は車を並走させると、窓を開け盛んに何かを怒鳴り出した。


 運転手もまた窓を開けて怒鳴り返した。


「分かったからさっさと抜けよ! バーゲンセールでもどこにでも行っちまえ!」

「車を止めなさい! 今すぐに!」

「出来るか馬鹿野郎! 見てわからないのか。これは救急車なんだぞ! 俺たちは今怪我人を運んでるんだ!」

「だからその怪我人に用があるのよ!」

「だから出来るかよ! 一分一秒だって惜しいんだ。今直ぐにでも死んじまいそうなんだぞ!」


 女は舌打ちすると車間距離を詰めてきた。


「あのアマ! 薬でもやってんのか?」


 運転手は血相を変えた。


 と、その時不思議なことが起こった。


 女の車が救急車にピタリとくっついたまま離れないのだ。それはまるで凍っているかのように救急車と一体化していた。


 更には女が運転を止め何やら用意し始めた。


——何をする気だ?


 運転手が訝しがった瞬間、女がドアに体をぶつけ勢いもそのままに救急車の中へと侵入してきた。


「動かないで黙ってて。直ぐに済ますから」


 混乱する隊員たちを押しのけてハイドラはジャボの前に立った。


「ジャボ、生きてる?」


 返事はなかったが、ジャボの目はハイドラを捉えていた。


「それなら安心よ。ほら、これで治してあげるから」


 ハイドラの手には『再生』のカードが握られていた。


 彼女の手を伝わって効果がジャボの肉体に伝えられると、火傷と傷は砂地に巻かれた水のように瞬く間に消えていった。


 救急隊員たちはその奇跡を驚きと賞賛の目でもって見守った。


「気分はどう?」

「最高だ」


 ジャボの唇が動いた。


「まるで生まれ変わったような気分だよ」

「うん、それならよし。どう、心強いボスがいて嬉しいでしょ?」

「……ウルフパックたちはどうした?」

「ウルフパックは『凍結』して通報したわ。女の方はボスを見捨てて逃げちゃったわよ。もう一人の男の方は知らない」

「そいつもボスを見捨てたよ。あれはどうしょもない連中だ」

「あれ? 私には見捨てて逃げろって言った癖に」

「見捨てろとは言ってない。逃げて態勢を整え直せと言ったんだ」

「似たようなもんよ。思い切りの良さが良い結果を生む時もあれば悪い結果を生む時もある。奴らはそれが過ぎて仲間割れしちゃったってとこね」

「沈む船から真っ先に逃げるっところか。確かにそうかもな」

「その点私は違うわよ。このジャボ丸が泥舟だろうとなんだろうと、腹くくって胡座でも組んで海の底まで付き合うわ」

「そうか。頼むよ」


 ジャボは微笑んだ。


「さて、次はあの子の番ね」


 ハイドラはメガロマニアのことを想った。


「なんとかしてやりたいけど……」


 『再生』は使い『万物』も使われててしまったので、今のところ彼を治す手段はないのである。


 ◇ ◇ ◇


 イマキリからメールが届いたのは次の日の午後だった。


「会って少し話したい」


 との要求にハイドラは少し迷ってから時間と場所を送信した。


 市内の中心にある空中庭園で待っていると、夕方予定の時刻よりも少し早めに彼は現れた。


 レモンの木の陰から覗かせた彼の顔は相変わらず笑みに満ちていた。それをどう受け取っていいのか、その時のハイドラには分からなかった。


「お元気でしたか?」

「まあまあね。そっちは?」

「ウルフパックが漸く捕まって、気分爽快と言ったところですかね」

「そう、良かったわね」

「まあまあと言った割にはなんだか元気がないようですが、どうかしましたか?」

「あなた意地悪ね。ウルフパックが色々と喋ったんでしょ? だから私を捕まえに来たんでしょ?」

「ハイドラさんは何か僕には言えないようなことをしたんですか?」

「したと言ったら?」


 ハイドラはポケットの中の手に集中した。


 そこにはウルフパックから取り上げた紙牌の他に千子村正も入っていた。


「部屋にあった女の死体も鑑識が進んでいるんでしょ?」


「敵意むき出しのようですね。……仕方ない。相手になりますよ」


 サッとハイドラが手を抜いた。そこには『旋回』のカードが握られていた。


 イマキリも同じく手を抜いた。


 するとそこには……


「再生」


 と書かれたカードが握られていた。


「冗談ですよ。全くその気はありません」


 イマキリはニッコリ笑って首を振った。


「今日はこれを渡しに来ただけです。ウルフパックから色々聞きました。もしかしてこれが必要なんじゃないかと思いましてね」

「申し出は嬉しいけど……あなた一体これをどこで手に入れたの?」


 ハイドラは目を丸くしながら尋ねた。


「フフ、お互い脛の傷の探り合いはよしましょうよ。あなたはご友人の笑顔が見たい。僕もあなたの笑顔が見たい。それでいいじゃないですか」

「そっちが良ければ私の方は言うことはないんだけど」

「元々カンビュセスの『再生』のカードは、彼がウルフパック一味を使って違法な手段で手に入れたの物。盗んだ物を盗まれたと喚かれても、真剣に取り合うのは馬鹿らしいですからね。それにあなたはあれを使っちゃったんでしょ? だったら証拠はどこにもないはずだ。それと女の件は担当じゃないので僕には分かりません。まあウルフパックが殺した警備員たちの死体も見つかったことだし、他に被害が出る前に凶悪犯が死んで良かったねってところじゃないですかね」

「随分適当なのね。それで大丈夫なの。クビにならないの?」

「僕のことを心配してくれるんですか!」


 イマキリがパッと目を輝かせた。


「そりゃこんな調子じゃ心配の一つもするわよ」


「感激だなあ。でも僕は枝葉のことには執着せず、ただ本命だけを追いかけているだけなんですよ。カードが取り返せなかったのは残念ですけど入手経路も分かったことだし、別件とはいえ実行犯も捕まった。あなたのお陰でね。だからこの一枚はお礼なんです」


 イマキリはハイドラの手に『再生』のカードを握らせた。


「遠慮せず使ってください」


「そう、だったらお言葉に甘えて貰っておくわね。ありがとう」


 微笑むハイドラをイマキリは幸福そうに見つめた。


「……それじゃあ」

「ねえ」


 歩き出したイマキリの背中にハイドラは声をかけた。


「一杯やってかない? まだ夕方だけどいいわよね」


「すみません。今日は無理そうです」

「そう。じゃあ来週お互い暇な時にでも飲みましょ」

「ハイドラさん。実はもう会えません」


 イマキリは一度振り返ると寂しそうな顔で言った。


「事件も解決したことだし今日で最後です。お元気で」


 呆然とするハイドラを残して、イマキリはガラス戸の向こうへと消えた。


 ◇ ◇ ◇


 ヤシの木に囲まれたカフェには久しぶりにハイドラ一味が全員集まって、残り少ないトランスオクシアナでの滞在期間をのんびりと過ごしていた。


 中央のテーブルにはココとメガロマニアが座り、一方で大人たちは分かっていたのでハイドラとジャボはカウンターに立ち、先生は木陰を選んで一人静かに読書に勤しんでいた。


「どうしたのぼーっとして」


 ココがメガロマニアに言った。


「あれからそういうの多くない? まだ調子が戻ってないの?」

「いや、そういう訳じゃないんだが……」


 メガロマニアはコーヒーに手をつけながら言った。


「ちょっとね」


「ちょっと何よ。そのちょっとが気になるじゃない」

「大したことじゃない。ただ以前は気づかなかったが、こうして見ると結構綺麗だなって思ってな」


 えっ、とココが顔を赤くした。


「……もちろん植物とかあの空とかそういう類の話だぞ。俺は一度奈落の底に突き落とされたからな。お前たちには平凡でも俺には特別に感じられるんだ。強烈な太陽の下に浮かび上がる色彩と影、身を包む風の心地よさ、共に感じる種々入り混じった世界の匂い。それら全てに俺は鮮烈な印象と感動を覚えるんだ。生きてて良かったよ。心からそう思う。ありがとな」


 メガロマニアがココの頭を軽く撫でるとココは嬉しそうに微笑んだ。


「それもこれもハイドラがカードを手に入れてくれたおかげよ」

「分かってるって。本人にも耳にタコが出来るくらいアピールされたからな。ところで収支はどうなったんだ。せっかく盗んだカードも大分ウルフパックに使われていたみたいだし、差し引きプラスになったのか?」

「それは大丈夫みたいよ。特に『接続』『分解』『回視』『予見』の高位のカードが残っていたからね。売れば十分お釣りが来るってさ」

「そりゃ良かった。これで次の仕事のためにカードを買うことができるな。そう言えば次はどこに行くんだ? 欧州かアジアか、アメリカもいいよな」

「ちょうどハイドラが来たから訊いてみましょ」


 ハイドラたちが会計を済ませて戻って来た。


「カードの売却の目処はつきましたか?」

「うんバッチリ。しかも見てよこれ」


 ハイドラはスマフォを二人に見せた。


「あれ、『接続』の相場が上がってる」

「どうしたんだこれ? 先月と比べて十ポイントも上がってるじゃねえか」

「どうやら『接続』の新しい使い方が発見されたみたいなのよ。予め仲間同士を『接続』で繋いでおくことで、わざわざ接触共有しなくてもその後に使った紙牌の効果を共有できるんだってさ」

「どうやらこれからは『接続』を一枚持つことがスタンダードな戦術になりそうだな」


 ジャボが言った。


「そんな効果的なカード、売っちゃっていいんですかね」

「これだけあってもしょうがないしな」

「細かいことはお金に変えてから考えましょ。次に何のカードを買うかもね」

「そのことなんじゃが、カードを買うのは少し待った方がいいかもな」


 先生が口を出した。


「なんで? 『接続』の高騰に釣られて他も値上がりするかもよ」

「いや、むしろここは下がると思うぞ。考えてもみたまえ。今まで同じカードを人数分保有していた連中が、『接続』があることで一斉に余分なカードを放出するんじゃからな。必ず値崩れを起こすはずなんじゃ」

「皆んなはどう思う?」

「時間はたっぷりある。しばらくは相場を見るだけにしとくか」


 ジャボの言葉にメガロマニアとココも頷いた。


「俺も二人に賛成だ。それに春秋堂が営業を再開したことで、在庫切れのカードも再販されるって噂だぜ。さっさと売り抜けてからこの馬鹿げた相場が落ち着くのを待とうぜ」

「分かった。そうするわ」

「そう言えば次はどこに行くんですか?」

「考えてないけど、皆んなどこに行きたい?」

「少なくとも気候がもっと穏やかなところがいいかな。年寄りにはこの日差しは少々酷でのう」

「私はお洒落な都会だったらどこでもいいですよ」

「結構限定されるぞ、それ」

「煩いなあ。そういうメガロマニアはどこに行きたいのよ」

「俺か? 俺はもっと大っぴらに酒が飲めるところ」

「ジャボは?」

「好きに選べ」

「私と一緒ならどこでもってことね」

「いや、そうは言ってないが……まあ同じことか」


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