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涙に滲むフレグラントオリーブ

 シュレイダー門を抜けてすぐに、聞き慣れた声が背後から追いかけてきた。

「待って下さいよ〜、隊長! 俺も一緒に行きますよ」

アラン・デービスが、右手に花束を抱えて追いかけてきていた。

「どうしたんだ、アラン。お前、なじみの女の所に行くって、言ってなかったか?」

 馬が並ぶと、バルディスはすぐにそう問うた。

「なんだ。早速振られてきたのか」

 彼の右手の花束を見て、呆れたような口調で続けた。

「ひどいなぁ、隊長。ちゃんとなじみの女の所に行って、こうして花を買ってきたんじゃないですか」

 中央広場の朝市で花を売っている女性と、アランは顔なじみだった。何しろ、自ら、女好きを自称してはばからない男だ。あちこちの街になじみの女がいるらしい。キール国内だけではなく、ドレイファスにも、果てはカイザースベルンにもいるという噂だから、大したものだ。彼の人なつっこい性格が、女のみならず男も引きつけて、すぐにうち解けさせてしまう。彼は近衛隊長でありながら、今回みたいに、身分そのものさえ隠して町人や商人として潜入する密偵の仕事を頻繁にこなしているが、こういう彼の性格がそれに適しているのは間違いない。

「駄目ですよ、隊長。手ぶらで行ったら。花くらい持っていってやらないと、女性に嫌われます」

「お前に言われたくはない。それに、俺はもう、お前の隊長ではない」

 バルディスは、憮然とした表情で、前を向いたままそう言った。

「それでは、バルディス黒騎士団長殿」

「ついてくるな」

 ふざけて言ったアランを見もせずに、冷たく突き放す。

「いいじゃないですか。邪魔はしませんから」

 それでも食い下がるアレンに、バルディスはそれ以上何も言わずに、黙って馬を歩かせた。

 トリステルの街から続く街道を一時間も行くと、すぐにドレイファスとの国境に出る。

 国境とは言っても、ドレイファスとキールは基本的には同じ国のようなものだ。国境警備に立つ兵士たちの中には、ドレイファス王宮騎士としての称号も持っている二人を引き止めるものはいない。国境となっているトスカの村は、城壁を挟んで両国側に無秩序に拡張を続けている。トスカからドレイファス国内をまた一時間ほど行った所から、二人は街道を右手に外れた。

 森の中を行く道は、既に使われなくなって久しい。獣すら通らないのではないかと思われるほどに、びっしりと長い草で覆われていた。その細い道を、二人の馬は黙々と進んでいく。

 森を抜けたところに、今やほとんど森に飲み込まれようとしている廃墟が佇んでいた。

 かつては家の外壁となっていただろう石組みや、ほとんど朽ち果てた真っ黒焦げになった木材が、乱雑に辺りに散在している。壷の欠片、錆びた鍋など、人の生活を思わせるものも散乱していた。

「あれから、はじめて来ました」

 廃墟の中を行きながら、アランが口にした。

「俺もだ」

 腹に響くような低い声が帰ってきた。意外な答えに、アランは前を行くバルディスの逞しい背中を見つめた。かつてこの村で、燃えさかる炎の前で見つめた背中と少しも変わらない。頼りがいのあるその背中は、周りの景色のせいなのか、少し物憂げに見えた。

 周囲は、どこまでいっても、同じような荒涼とした廃墟が続いている。

 二人は、無言のまま廃墟の中を通り抜け、小高い丘の上に出た。丘の向こうにもう一つ、完膚なきまでに破壊された建物の残骸が散乱していた。

 バルディスは、睨み付けるような視線でしばらくその廃墟を見つめてから、馬を下りた。

 アランも黙ってそれに従う。

 丘の端に、この辺りでは珍しいフレグラントオリーブの木が植えられていて、小さな黄色い花を付けていた。

 近づくと、濃厚な芳香が辺りを包んでいた。

 アランが差し出した花束を、バルディスは黙って受け取った。足下に突き立てられた石の十字架には緑色の苔が生えていて、時の流れを感じさせた。

 十字架の下には、バルディスの妹が眠っている。

 アランの幼馴染で、初恋の人で、心から憧れていた女性だ。このフレグラントオリーブの花と同じく、とても気高い人だった。

 15年前、ナシエラの村は破壊され、燃やされた。ここに暮らしていた村人も全員、焼き殺された。ジョバンニ・クエントが逃亡した後、王立研究所があった丘の下のあの場所に、何基もの簡易の火葬場が作られて、病原体に感染した村人達の遺体は、骨が炭になるまで燃やされた。

バルディスの部隊は、その全てを手伝った。

 遺灰は、親類縁者がそれぞれ、自分の所へと引き取っていった。身寄りのない人も十数人いたが、彼らは、トスカの村の教会の墓地に埋葬された。

 バルディスは、妹の遺灰を引き取らなかった。

 彼の母親は反対したようだが、彼の決意が固いのを知ると納得して諦めたという。

 レイ・ソート家は代々王家に仕える騎士の家系だ。アランは隊の先輩から、「これこそが騎士道だ」と教わった。

 森の背の高い木の上から、ラニウスが高鳴く声が響いてくる。

人の気配が途絶えた丘は、森に飲み込まれようとしていた。

「俺、時々思うんです」

流れていく空を見上げながら、アランは口を開いた。

「なんでもっと早く、彼女に告白しておかなかったんだろう、って。もし告白していたらどうなっていただろう、って。あの時の俺はまだ未熟で、優柔不断で頼りなくて…俺に何かできたとは思っていないですけど、それでも…」

 十字架の前で片膝をついたバルディスの背中が、小さく震える。

アランはギュッと唇をかんだ。

 空は15年前のあの日に見た時のまま、どこまでも高く、どこまでも青かった。深呼吸をひとつしてから、

「隊長。俺、もう少し村の中歩いてますね」

アランはなるべく明るめな声でそう言って、返事を待たずに馬に跨った。

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