港町ウキレイ
2頭の馬は途中1回の休憩を経て、ようやくウキレイの街へと辿り着いた。
街の入り口の城門をくぐる頃には、空はキャラメル色の夕焼けに染まっていた。
街は、自宅に急ぐ人や夕食の買い出しをする人、宿屋やレストランを探して歩く人達でにぎわっていて、飛び交う粗野な言葉に、港町ならではの色がにじみ出ていた。歓楽街への小道では、こんな早い時間から、派手な服装の女性達が道行く男達に愛想を振りまいている。こういう歓楽街の存在も港町ならでは。風紀の乱れが事件の引き金にならないように監視はしながらも、多少のいかがわしい商売には目をつぶっている。
馬上のリサフォンティーヌ(今は王宮騎士リース・セフィールドだが)は、のんびりと馬を歩かせながら、往来の隅々にまで目を凝らしている。
「相変わらず活気があるね。この街は」
「そうだな」
誰に話しかけるともなく投げかけられた言葉に、傍らの屈強そうな男が低い声で応じた。
男の名はバルディス・レイ・ソート。代々ドレイファス王家の剣術指南を努めるレイ・ソート家の出身で、王国王宮騎士であり、キールの黒騎士を努める男。そして、リサフォンティーヌの剣の師匠だ。ドレイファス時代から最強の騎士の称号イーグル・クロウを持ち、『ドレイファスの鷲』の異名で呼ばれている。
短く整えられた濃紺の髪に銀色の瞳。鷲の名に恥じない猛禽類のようなその鋭い眼差しは、向けただけで敵の戦意を削ぐだろう。向かうところ敵なしと言われるリサも、未だバルディスには敵わない。彼女より頭一つ以上は背の高いその最強の相棒は、街のにぎわいを楽しんでいるリサに釘を刺す。
「だからって、この街に住みたいなんて言わんでくれよ。リース」
お互い騎士団長同士。敬語ではない。
リサが騎士として街に出るときには大抵行動をともにしているバルディスだ。彼女が、こういう活気のある庶民の街での生活に憧れていることは良く知っている。特に、異国の珍しいものが溢れているこのウキレイの街を気に入っていることも。やっぱり見透かされている。
「わかってマス」
リサは肩をすくめた。父王にさえ臆せず自分の意見を言える姫も、彼にだけはやはり敵わない。
「それならいいのだが、…」
バルディスの言葉が、人混みからの叫び声で中断される。
「そいつを捕まえてくれ!!!」
怒鳴るように叫ぶ男の声。甲高い女性の悲鳴。
「リース!」
目で合図をかわし、二人はほぼ同時に馬の腹を蹴っていた。
*****
「そこまでだ」
裏道を抜けて走り出てきたその男の前に、バルディスが立ちふさがっていた。まだ若いその男は、腰に幅の広い短刀を刺している。どこかの貿易船の雇われ用心棒と言った風情で、腕っ節は強そうだ。
バルディスの、獲物を狙う鷲のような鋭い視線が、男に、逃走は許さないと告げていた。その男だけでなく、商店街の全ての人がその場に凍り付いていた。
夕方のにぎわっていたバザールが、水を打ったように静かになっている。腰を抜かした老婆が、石畳の上にしゃがみ込んだままわなわなと震えていた。
「大人しくしろ。もう逃げられない」
拒絶を許さない力が、その言葉に込められていた。
じりっとその距離を詰める。
先ほど男が走り出てきた路地から、警吏がわらわらと飛び出してきた。その動きに、固まっていた人垣に動きが生じた。そのざわめきを、男は見逃さなかった。足下に転がっていたリンゴを拾いあげ、目の前のバルディスに向けて投げつけた。
鞘走りした剣先が、目の前のリンゴを真っ二つに両断する。
「どけどけどけ!!」
やじ馬たちの動揺をついて、男も自身の腰刀を抜き、走り出していた。バルディスの立つ方向とは逆の方向に、人垣が出来ているバザールの奥に向かって。剣を左右に振り回しながら、男は走った。彼の背後に出来ていた遠巻きの人垣が、その剣の殺気に気圧されて左右にばらけていく。
バルディスは追わなかった。
少しも行かないところで、
キン
金属のぶつかり合う冴えた音が響いて、
カランカランカラン
と、男の短剣が石畳の上を転がった。
「う……」
手首を押さえてそれでも走り出そうとした男の首筋に、両刃の剣が突きつけられていた。
「動くな。動けば斬る」
脅しではない。刃はぴたりと男の頸動脈の上に押し当てられている。冴え冴えとした研ぎ澄まされた刃は、少しでも引かれれば、造作もなく皮膚を切り裂くだろう。それどころか、男の浅黒い太い首さえも、一刀のもとに両断できるかも知れない。
「早く捕らえろ」
すでに剣を納めたバルディスの低い声に、呆気にとられて見ていた警吏達が弾かれたように走り出し、男を取り押さえた。
リースは、静かに剣を鞘に戻した。