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カイザースベルンの獅子

 金属同士がぶつかり合う音が、大理石の柱に反響する。

 カイザースベルン王国エタルニア宮殿、王宮騎士練武場。王宮騎士の中でも、王城に住まう王や王太子を守るために組織されている近衛隊専用の練武場だ。朝の早い時間だというのに、騎士たちが修練に汗を流していた。この練武場は、広い宮殿の敷地内に複数ある練武場の中でも一番奥まったところにあり、渡り廊下を経て、王族のプライベートスペースのある棟から、直接降りてこられるようになっていた。

 遠くから、革靴が石畳を蹴る固い音が聞こえてくる。その渡り廊下を、こちらに歩いてくる人影があった。渡り廊下からテラスに出たその人の姿が、朝の光を受けて輝く。胸元に幾重にも襞が入った白いシャツを身に着け、細かい刺繍の入った上着を優雅に羽織った背の高い麗人だ。立ち止まって、眼下の騎士たちに視線を落とす。

「アレキサンドロス」

 一群の中に、目的の相手の姿を見とめて声をかける。

 剣を合わせていた騎士達は一様にその剣を下ろし、声の主に臣下の礼を取った。

「これは、マキシミリアン王太子殿下」

 練武場の中心で剣を振るっていた若い男が振り返り、手に持つ剣を傍らの兵士に預けてテラスへの石段を駆け上ってきた。

「そのような呼び方をするな、アレックス」

 右手を胸に当てて臣下の礼を取る騎士に、マキシミリアン・サラ・カイザースベルンは憮然とした言葉を投げる。

「いえ。私はアレックス・ライデル。一人の騎士として、殿下にお仕えするものです」

「弟であることには変わりないだろう」

 マキシミリアンは、小さく嘆息した。

「私は、アレキサンドロスと呼びかけたのだぞ。そんな時くらい、兄の顔をさせてくれてもよいではないか」

 騎士は、王太子の批判めいた言葉を受けて、軽く髪の汗を振るいながら困ったような笑みを浮かべる。

 王太子マキシミリアンの弟、アレキサンドロス・ラビ・カイザースベルン。カイザースベルン王国の第2王子だ。同じ王子の身分であるとはいえ、次男のアレキサンドロスは早々に王位継承権を放棄して、騎士として育ってきた。アレックス・ライデルというのは、彼が騎士として名乗っている名前だ。切れ長の瞳に鼻筋が通った端正な顔は兄にそっくりだが、日に焼けたその顔からは、兄にはない精悍さが漂っていた。短く刈り込まれた髪も日に焼けて、兄よりだいぶうす茶色だった。

「申し訳ありません殿下。しかし剣を握っている時には、俺はいつでも、殿下を守護する騎士なれば」

「お前の忠義心には、いつも感謝をしているよ」

 堅い態度を崩さない弟の姿に、兄もまた、困ったような笑みを返した。

「それより、どうなさったのですか? 兄上がわざわざこのような所へ」

 弟はようやく姿勢を緩め、王太子の来訪の目的について尋ねた。

 王太子である兄マキシミリアンが、わざわざ練武場まで、軍の鍛錬を見学に来る理由はない。アーモンド色の切れ長の瞳に長い睫がかかっている端正な顔だちのその人は、さりげなく普段着を着ているこんな時にさえ美しく、武骨な練武場には不釣り合いだ。濃い茶色の髪は王権の継承者らしく緩やかに後ろでひとつに束ねられ、動きのひとつひとつに気品が溢れている。

 一方、弟のアレキサンドロス・ラビ・カイザースベルンも、単独では決して見劣りしない、いや、むしろ美青年の筆頭を行くような男だ。しかしこの兄の前では、アレキサンドロスでさえもガラス玉だ。この兄弟を大まかに言い表そうとすると、兄は「美しい人」の分類に、弟は「格好いい人」の分類に入るだろう。

「お前、ドレイファス王国からの見合いの話、断ったそうだな」

 いきなり本題に入ったマキシミリアンに、

「あぁ、そのことですか」

と弟は頭をかいた。聞き飽きた問いに、もううんざりと言う表情だ。実際、昨夜から何度聞かれたことか。父にも母にも、近臣にさえ何度も。

「あのキールの後継だぞ」

「そうですね」

「お前だって、肖像画を見て知っているだろう? 美人の誉れ高い王女だぞ」

「そうみたいですね」

「世界中から求婚者が絶えないという」

「そうみたいですね」

「なのにわざわざ、我が国に見合いの話が来たのだぞ」

「そのようですね」

「それを何故断った?」

 飄々と人ごとみたいに答える弟に少し苛立っているのが、眉間に寄せた皺でわかった。こういう時の兄は、聞き分けのない弟に苛々しながらも、何とか説得しようと策を練っている。兄は弟思い、弟は兄思い。とっても仲の良い兄弟ではあるけれど、お互いの価値観は少し違っている。

「何故って……」

 アレキサンドロスには、兄の納得するような答えを、言葉にして提示できる自信はなかった。なにしろそれは、感覚的な問題だからだ。弟は、その感覚を言い表すための適切な言葉を見つけられないでいた。通り一遍な言い訳でその場を乗り切ろうとする。

「何故って、向こうも嫌だと言っているみたいじゃないですか? その話で盛り上がっているのはメンフィス王と父上で、当の姫君は、話すら聞いてくれないそうでしょう?」

 それは真実だけど。と、兄の顔は言っていた。そこを何とかするのが王族だろう。

「とはいえ。話し合っているのは両国の当主だ。こちらがどうしても会いたいと言えば、メンフィス王だってわがまま娘を強引にでも引っ張ってくるだろう」

「おやおや。兄上としたことが、随分強引なことを言いますね。姫君は既にドレイファス王国を離れ、今やキール王国の王ですよ。いくら娘とはいえ、一国の王を、そう強引に引っ張ってこれる状況でもないと思いますよ」

 こういうところは、やはり兄とは価値観が違う。清浄な花園で育てられた兄と、その楽園を捨てた弟とでは。アレキサンドロスは、訓練を再開した兵士達に視線を落としながら、

「それに。そんなしっかりものの姫君の元に、俺は婿には行きたくありませんね」

と、呟くように言った。

「アレックス。姫と結婚すれば、お前も一国の頭首としての生活ができる。父上や私の臣下として騎士をやっている必要などなくなるのだぞ。しかも彼女はキールの後継。お前ほどの人間なら、キールを元のような強国に戻すことだって容易に……」

「兄上」

 王太子の言葉を、弟は落ち着いた声で遮った。

「兄上は、俺が臣下ではご不満ですか? それならいつでも、俺は国を出ます」

「そうではない」

 物わかりの悪い頑固者の弟にほとほと困り果てたように、マキシミリアンは天を仰いだ。兄はただ、弟が不憫なだけだ。

「キールの姫君が、絶世の美女だという話は俺も聞いてますし、全く興味がないというわけではありません。でも、世界の調整者の役目なんて、俺には荷が重すぎますよ。それに、俺には堅苦しい王宮暮らしは、どうにも向いていないみたいでね。自由な騎士暮らしの方が性に合ってるんです」

 騎士として臣下に下ると決めた日も、アレキサンドロスは真っ直ぐな瞳でそう兄に告げた。彼にとっては、権力よりも自由の方が尊かった。

「アレックス……」

「そんなにお気になさるんでしたら、兄上がお見合いなさったらいいじゃないですか? そしてキールをカイザースベルンに併合すれば……いや、そんなことはさすがにドレイファスが許さないか……そしたら姫だけお嫁にもらえばいいんですよ。キールはドレイファスの地方行政府にすれば……」

「アレックス……アレキサンドロス!」

 目の前の兄の存在を、完全に忘れて話し続ける『もしも話』をようやくやめさせて、マキシミリアンはため息をついた。

「わかった。もうわかったから」

 頑固なところはちっとも変わらない。弟は、一旦決めたら譲らない男なのだ。

「お前は昔から、こうと決めたら譲らない男だったな」

「すみません。とにかく。兄上にまでご心配おかけしてすみませんでした」

 何故か頭を下げて謝っている弟の肩に優しく手を置いて、

「いや。悪かったのはこちらの方だ。よけいなお節介をして、邪魔をしてしまったようだな」

 マキシミリアンは、申し訳なさそうに練武場の兵士達を見渡した。

 武術など全くダメな兄と比べて、アレキサンドロスは武術に秀でていた。国一番の剣の使い手といわれ、現在の騎士団長の地位は、王子としての身分によるものではなく実力によって手に入れたものだ。それも、有事の際に最前線に出ていく精鋭部隊の部隊長だ。

 しかも、優れているのは剣の腕だけではない。弓術や徒手など、武術全般に秀で、重ねて、戦略家としての才能にも恵まれている。武人としてのその実力に、兄は羨望すら抱いているのだ。

「出兵するのか?」

 練武場に一番似合わない男は、冷たい石の手摺りに片手をかけて下を覗く。眼下で剣を振るって訓練に精を出しているのは、アレキサンドロスが直接指揮する精鋭部隊の騎士達で皆かなりの剣の使い手ばかりだ。知った顔も何人かいる。そもそも王子であるアレキサンドロスを警護するために彼の臣下になった者たちだ。彼自身が隊長となって剣を振るうのでは本末転倒なのだが。

「えぇ。国王陛下にはもう許可をいただきました」

 父親のことを陛下と呼んで、兵士達の動きに目を光らせる弟の目は、武人の目をしていた。

 数日前の深夜に飛び込んできた、国境の森での化け物目撃情報で、軍の内部はにわかに殺気立っている。

「後は、弓使い達を何人か、連れて行くつもりです」

 出兵の意志は固い。

「昨夜早馬を出したばかりだ。キールからの返答は、まだ来ないだろう」

 国境の防衛は、友好関係にある隣国キール王国との協働となる。マキシミリアンも、弟がその防衛作戦の指揮を父である国王から一任されたのを知ってはいる。

「国境の街まで兵を連れて移動となると3日はかかります。先に移動をはじめておいた方がいい。そう思いませんか?」

「それはそうだが……」

「それに、一刻も早く周辺の安全を確保しないと。軍の威信にも関わりますからね」

「だからといって自ら先遣隊に志願しなくてもいいだろうに」

 兄は一応口にしてみるが、案の定、馬耳東風。

「国民を守るのが騎士の仕事ですよ」

 と、あっさりかわされた。

「キールからの返事は、エーデルバッハで待てばいいんですよ。ま、直接返事を伺いに行く、っていうのもいいかも知れませんね。そうすれば、絶世の美女のお顔を、直接拝めるかも知れませんし」

 冗談ともつかない笑みを浮かべて、

「では」

恭しく兄に敬礼をして、騎士は練武場へと舞い戻っていった。

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