死の足音
グリセラトプスは、リースを乗せたまま、木々をなぎ倒すようにして森に不時着した。
容赦なくぶつかってくる木の葉や枝を左手でかばいながら、リースも一緒に落下した。
落下と同時に、深々と刺さった剣を引き抜いて、おぞましい声でわめき立てているグリセラトプスに向き直った。
瀕死の重傷を負っていたはずなのに、崖の上で負った傷は、ほぼ修復を終えていた。早く決着をつけないと、いつまでやってもきりがない。斬っても斬っても修復するのでは、こちらの体力のみが消耗するだけだ。斬って、修復する前に滅ぼさなくては。
剣の柄を両手でギュッと握りしめ、グリセラトプスの懐に飛び込んだ。大柄なグリセラトプスの一番の武器は、鋭い爪と強力な尻尾だ。どちらも、懐深くに入り込んだ方が無力化しやすい。
鋭い爪が視界のすぐ近くを薙いだ。咄嗟に身を逸らして、その危機をすんでの所でかわす。振り切られたグリセラトプスの左腕を、逆に下から思い切り切り上げる。
ドスン
と、重く湿った音を立てて、その左腕が枯葉の上に落ちた。
切り口から、どくどくと粘り気のある赤褐色の体液が流れ出している。
次に振るわれたグリセラトプスの右爪を、反転させた剣の柄ではじき飛ばす。目の前に飛んできた血飛沫を避けた一瞬の隙に、脇腹に激痛が走った。
「ぐわっ」
脇腹に走った衝撃に、リースは思わず声を上げ体を沈ませた。グリセラトプスが、尻尾を振ったのだ。音を立てて振るわれた鞭のような尻尾は、リースの背後の木を直撃した。
バキリッ
ものすごい音を立てて、背後で、木がへし折られ倒れていく音がする。
木のおかげで直撃は免れたものの、尻尾の衝撃はリースの脇腹を打っていた。
再度、右爪が振り下ろされた。
「つっ」
剣に右腕を貫かれたまま、グリセラトプスの右手は、リースの肩を掴んでいた。
鋭い爪が肩に食い込んでいく。
防具をつけてはいた。しかし、騎士の身につける機動性を第一に考えた軽量 防具では、一点に加えられる鋭い圧力を防ぎきることはできない。
グリセラトプスの鋭利な爪は、徐々に彼女の左肩の肉に食い込んでいく。リースは、腰につけているアンプルホルダーに手を伸ばした。GMグリセラトプスを滅ぼす唯一の秘密兵器。DAのアンプルが一本、まだそこに刺さっている。そのアンプルを抜き取り、それを目の前の化け物の心臓めがけて打ち込もうと 握りしめた。
その瞬間。グリセラトプスの毒歯が、リースの右腕にめり込んだ。
「ぐぅわぁっ……」
痛みで思わず力が緩んだ。頼みの綱だったアンプルが、足下に張り出している木の根にぶつかって草の上を転がった。視線を落として探すと、それは枯葉の上に転がっていた。視界の隅にあるそのアンプルに、必死に足を伸ばす。
グリセラトプスの右爪は、すっかり肩に食い込み、体の自由は奪われていた。
リースは、自身の右腕を咬ませたまま、そいつに刺さったままになっている剣の柄に手をかけた。必死にその柄で、閉じようと圧力がかかっている口をこじ開けにかかっていた。しかしその間にも、ギリギリと、皮の防具を突き通して右腕に毒歯が食い込んでいく。
「くぅ……毒で……手が痺れて……力が……」
グリセラトプスの毒で、徐々に体の自由が奪われてきていた。
「……くそ……っ……ここ……まで……か……」
意識が徐々に遠のいてくる。
肩の傷の痛みも、右腕の痛みも、徐々に薄れはじめていた。
「……リース! リース……」
背後から、そして遠くから、自分を呼ぶ声が聞こえる。
矢羽根が風を切る音が何度か聞こえた。
グリセラトプスの牙が緩む。体をよじって、矢の飛んでくる先に向き直ろうとしていた。
ビクン
突然、肩に刺さる圧力が振動した。
グゥルルルルルルルル〜
小刻みに痙攣しながら、目の前の化け物が断末魔の叫び声を上げる。
グリセラトプスの拘束からは逃れたが、リースの体はかろうじて幹に支えられていた。既に体に力が入らない。
ガサガサと草を踏む足音が近づき、グリセラトプスの下に潜り込む。
朦朧とする頭を振って視線を動かすと、グリセラトプスの胸に深々とアンプルが突き刺さっていた。リースはその場に力無く倒れ込んだ。
深々と、心臓の上に刺し込まれたアンプルによって、グリセラトプスの体には壊死が始まっていた。目に入った奴の顔が、一瞬、人間の顔に見えた。
リースの意識は、そこで闇に飲まれていた。