グリセラトプス殲滅作戦
アイアンピークは、切り立った崖が深い谷を覆う、オーディーヌの森で一番険しい地帯だ。背の高いイパセラの木や寒さに強いユキガシの林が延々と続く。
遺伝子組み換えされていても、変温動物のグリセラトプスは寒さに弱い。これ以上標高の高い積雪地帯には踏み込めないはずだ。決戦の舞台は、このアイアンピーク。当初の作戦通りだ。
本隊から別れてこのアイアンピークを目指している命知らずな15人は、大きく2つのグループに分かれて、少し散開しながら馬を進めていた。
張り出した枝でほとんど空は見えないが、ユレキニアの鳴き声が、ほぼ真上から聞こえてくる。グリセラトプスの気配は、すぐ近くにあった。
空気が痛い。
馬上のリースは、高いところで結わえた金色の髪を振って、コートの襟元のボタンを一番上まで留めた。
遺伝子組み換えされていても、ヒトとしての意識はあるのだろうか。
考えてはいけない問いが、リースの頭の中に浮かんだ。
もしヒトとしての意識が存在していたとしたら、それを知ってしまったら、殺すことに躊躇してしまうだろう。
きっと。
「いたぞ」
前を行くバルディスの低い声に、騎士達の間に緊張が走った。
グルルルルルルルルルル〜
呼応するように、地を裂くような不気味な唸り声が、木々の間を這い出てくる。
林が開けて空がのぞいている草むらに、まるで暖をとるかのように寄り添っているグリセラトプスが、きっちり3匹。近づいてくる我々の気配を感じて身構えていた。
すぐ先の林の向こうは、もう崖である。
剣士達は馬を下り、慎重に距離を詰めていく。
全員、すでに剣を抜いている。
「想像していたモノより遙かに浅ましいな」
グリセラトプスを前にして、歴戦の勇者であるバルディスの声も緊張していた。固い鱗に覆われた鈍色の外皮に長い尻尾。バランスの悪い薄い皮膜が張っただけの羽。つきだした顎には鋭い歯が並び、歯の隙間から、毒を含んだ涎が地面に垂れる。
「これで、さらに不死だという……」
実際にモンスターを目の前にしてみると、不死という事実が恐ろしく絶望的な言葉に聞こえてくる。しかも、元はヒトであったもの。ハ虫類のような黄緑色の目は殺気立っていて、理性の欠片も感じられない。
「引き離して1匹ずつ仕留めるぞ」
右手から回り込んできたアレックス達も、徐々に距離を詰めていた。
3匹のグリセラトプスは、だいぶ興奮してきている。特徴的な鼻の上の大きな角をこちらに向け、激しく上下に振って威嚇する。
「矢を放て、奴らを引き離せ」
フレデリックが部下に指示を出す。
間髪入れずに何本もの矢が、グリセラトプスめがけて飛んでいく。固い外皮には少しの傷も付けることはなく、無惨にも跳ね返される。それでも、引き離す作戦には有効だ。
「ローランド! サラ! 隙を見てアンプルを打ち込め!」
背後の弓士に叫ぶように言って、リースとバルディスは走り出していた。アランもその後を追う。
一番手前にいたグリセラトプスが、固い鱗に覆われた長い尻尾を振った。バルディスはそれを、器用に飛び退いてかわした。モンスターの死角から一気に間合いを詰めたリースの切っ先が、袈裟懸けにそいつの右腕を切り落とす。
赤褐色の粘り気のある血液が、ブワッと周りに飛び散って、ユキガシの白い幹を赤く染める。
着地したリースに、もう1匹のグリセラトプスが向き直り、負傷した1匹をかばうように襲いかかる。後方に飛び退いていたバルディスが、すぐに追いつき、そいつの尻尾を切り落とす。下から切り上げたリースの鋭い剣尖は、ユキガシの枝ごとその右手を根本から切り落とした。
その先では、アレックスが最後尾にいたもう1匹のグリセラトプスに斬りかかっていた。
皮膚の薄い脇腹を斬りつけられ、雄叫びにも似た鳴き声を上げている。不格好だが巨大な羽を広げて、剣を向ける騎士達を威嚇している。
考えたくないことだったが、3匹は、互いに協力し合っているように見受けられた。体を入れ替え互いに助け合い、交互に攻撃を繰り出している。
それは、知能があることを意味していた。彼らの動きには、通常のグリセラトプスでは考えられないほどの統率されたまとまりがあった。
火花でも飛びそうなほどに激しい金属音が響いて、バルディスの剣がグリセラトプスの歯とかみ合った。彼を引っ掻こうとする左手首を、今度はアランの剣が下から切り上げた。
鋭い爪が生えたその左手首が血しぶきを上げながら草の上に落下していく。
「ローランド!」
剣を咬ませたまま、バルディスが弓を構えていたローランドに叫んだ。
最大の武器である両手の爪を失って、毒を打ち込む歯は剣で受け止められていても、敵はただでは死ななかった。しかも、ものすごい力だ。両手で必死に押し返していても、じりじりとその歯は、彼の腕に食い込んでいく。彼の盛り上がった上腕二頭筋が、その力のすさまじさを物語っていた。
さらにそいつは、尻尾を振って最後の抵抗をした。
その尻尾に弾かれて、バルディスは20メートル近く飛ばされた。
「バルディス!」
リースは、すかさず駆け寄って、彼の体をイパセラの根本に引きずった。
「バルディス!」
「すいません……姫……」
リースの呼びかけに、苦しそうな息で、絞り出すように反応する。
両方の腕に、グリセラトプスの毒歯が食い込んだ痕があり出血していた。尻尾で叩かれた脇腹の皮膚が裂け、見る見る服を赤く染めていく。
「しゃべるな」
この分だと、肋骨が折れているだろう、とリースは思った。戦闘に巻き込まれない木の根本にもたれ掛からせ、解毒剤のカプセルを口に含ませる。
ギュァァァァァ〜
断末魔の叫びを上げながら、グリセラトプスが胸をかきむしるような仕草をした。ローランドの射たアンプルは、見事に心臓に突き刺さっている。
グリセラトプスの固い鱗が、バラバラと剥がれ落ちていく。剥がれ落ちて剥がれ落ちて、鱗の下から肌色の皮膚がのぞいてくる。
「ぐぅえっ……」
ユキガシの間で、誰かが嘔吐する声が聞こえた。
ヒトの名残を保つもの。目の前で崩壊していく生物が、本来ヒトである要素を備えたものであるという事実は、思ったよりも強烈だった。覚悟をしてきたはずの何人かが、本能的に後ずさりをしていた。目の前で壊死していくその生物は、強烈な臭いをも辺りにまき散らしている。
「誰でも良い。バルディスを頼む」
距離を取って待機している薬師・医師の方に向かって叫ぶと、リースは再び剣を握りしめた。
足下に転がっていた先ほど切り落としたグリセラトプスの右腕が、トカゲの尻尾のようにピクピクと動いている。
グリセラトプスは、腕を切り落とされても、脇腹を斬りつけられても平気だった。腕の切り口の細胞が、アメーバーのようにモゾモゾと動き、恐ろしいほどの速度で肉を再生している。
「くぅわっ!」
横から薙ぐように斬りかかったオリバーが、逆に鋭い爪に引っ掻かれて吹っ飛ばされた。少し離れたところから、サラの放ったアンプルはもう1匹の羽にたたき落とされた。
傷を負った2匹の化け物は、崖の方を目指して木々の間を歩き始めた。それを、前方に回り込んだリースとアレックスが迎え撃つ。
「あいつの足は、確かに俺が切り落としたはずだ」
剣を構えたまま、アレックスが、左奥でうなり声をあげている化け物を忌々しげに睨み付けた。リースも剣を握る指に力を入れた。そいつの右足は、確かに途中から少し色が薄かったが、それでもちゃんと生えており、足として十分すぎるほどの機能を果たしている。自己再生した結果だろう。
背中合わせに並んで剣を構えた二人は、それぞれがグリセラトプスと向かい合っていた。
「一丁、共同戦線と行きますか」
右足を引いて剣先を敵に向けるように振りかぶりながら、前を向いたままアレックスが言う。
「そうですね」
左足を引いて、切っ先を下げて構えながら、リースが応じた。
背中合わせのまま、二人はお互いの意思を確認し合った。
背後から、フレデリックが1匹の背に斬りかかった。
グシャッ
湿った音がして、開いた羽が真っ二つに切り裂かれた。鳴き声を上げて振り向きかけたそいつの懐に飛び込んだアランが、アンプルを振り上げた。
アンプルは、無情にも奴の背中に刺さっていた。そいつは、直前で攻撃を読んで身をひねったのだ。
「くそっ!」
振り下ろされた左手の攻撃を飛び退いて交わして、アランが悔しそうに吐き捨てた。
うずくまった仲間を助けるかのように、もう1匹のグリセラトプスが左手と、半ば修復されてきている右手を振った。
その次の刹那。
右手をリースが、左手をアレックスが、ほぼ同時に上段から袈裟懸けに切り落としていた。ものすごい量の血液が辺りに飛散する。アレックスは、着地と同時にそいつの足を薙ぐ。背後に回り込んだリースの剣が、2枚の羽を根本から切り落とした。息のあった連係プレーだ。天を仰ぐようにのけぞって叫び声を上げているそいつの心臓に、フレデリックがアンプルを刺し込んでいた。
ギュガァァァァァァァ〜
先ほどにも増して耳を覆いたくなるような絶叫を放って、目の前のグリセラトプスが苦しみはじめた。
グゥワァァァ
グゥワッァァァ〜
体を振り回すたびに、両腕の切断面から、激しく、粘り気のある血液が吹き出して森を汚していく。先ほど一度見たからと言って、慣れるものではない。
鱗が剥がれ落ちていく体から人の皮膚がのぞき、両腕の切断面は特に生々しい。目の前で悲鳴を上げながら壊死していくヒトの属性をもった生物から、みな一様に目を背けようとしていた。
その隙に。仲間の血液を浴びてうずくまっていた最後のモンスターが、ヨロヨロと立ち上がって、崖の方をめがけて歩き出していた。
固い背中に何とか刺さったアンプルでは、やはり有効な役目を果たしていない。
見れば、破れた皮膜のような羽がどんどんと修復されはじめていた。
「まずい! やつ、逃げる気だぞ」
アランの叫ぶ声が聞こえた。
足下の、既に体の壊死が始まってきているグリセラトプスから自身の剣を引き抜くと、リースは不格好に羽ばたいて断崖へと飛び出したグリセラトプスに向かって走っていた。
「リース!」
アランが叫んだのとほぼ同時に、グリセラトプスが、ものすごい雄叫びを上げた。
リースの剣は、グリセラトプスの固い硬皮に覆われた皮膚を、背中から真っ直ぐ腹へと突き抜けていた。
森中に響き渡るような叫び声を上げて、グリセラトプスは、その痛みに身もだえする。それでも、不死身のグリセラトプスは死ななかった。
壊れたグライダーのように、リースをその背に乗せたまま、錐もみでもするように渓谷の向こう側の森へと落ちていく。彼女は、グリセラトプスに突き刺した剣に必死に捕まりながら、不安定な背中の上でバランスを保っている。
「リース様!」
「閣下!」
兵士達が、口々に叫ぶ。
「リース!」
ティーダによって応急処置を施されていたバルディスが、痛みに顔を歪めながら、血だらけの右手を高く挙げた。伸ばした右手の先に、見る見る小さくなっていくリースの姿が見える。落ちていく彼女を、どうすることもできなかった。
その時すでに。
アレキサンドロスは馬に跨りその腹を蹴っていた。100メートルほど先に、岩が張り出している箇所があった。崖が張り出している不安定なその先端まで速度を緩めることなく走り、一瞬のためらいもなく、大渓谷の向こうへ飛び出していた。
「アレックス閣下!!」
今度は、カイザースベルンの兵士達が叫ぶ番だった。
ものすごい土埃を上げながら、馬が蹴った崖の先端が崩れ落ちていく。
彼の馬は、神業のようなジャンプをみせ、見事に谷の向こうへと渡っていた。
「アレックス!」
フレデリックも、慌てて馬に跨りそれを追いかける。しかし岩が崩れ落ちた崖からは、渓谷の反対に飛び移るのはどう考えても不可能だった。
「大至急、兵を立て直す。渓谷を回り込んで、二人を追うんだ」
フレデリックが、惨劇の後に呆然と佇む兵士達に檄を飛ばす。
「それから、負傷したものの治療を。グリセラトプスの死骸も、基地まで運ぶ。早くしろ!」
アランもローランドやフルブライトに指示を出す。
「大丈夫ですか? 隊長?」
「俺は平気だ。リースを……リースを頼む、アラン」
バルディスが苦しそうな声で傍らに跪いたアランの手を握った。
銀色の瞳が、「姫を頼む」と訴えていた。
「谷を回り込むには、ベースの村付近まで戻らないとならない。ティーダ、負傷者達を連れて、大至急戻ってくれ。戻って本隊にも捜索をさせるよう指示を」
「無事でいて下さい。リサ、アレックス……」
手の届かない向かいの森を口惜しげに睨みながら、バルディスは二人の名を呟いた。