太陽と月
「まだそんなに激しく動いてはいけませんよ」
中庭で素振りをしていたアレキサンドロスは、背後から聞こえた聞き覚えのある声に振り返った。
「これは、セフィールド卿」
「看護師に聞いたら、ここではないかと言われまして。そのご様子では、怪我の方は、随分と良いようですね」
声の主は、渡り通路から中庭の芝生の上へ降りて、アレキサンドロスの元まで歩いてきた。
「あぁ。あなたの応急処置のおかげで、傷の治りも早いようだ」
「しかしながら、看護師の注意も無視して、素振りをなさっているとか」
アレキサンドロスは、リースの言葉を、「ははは」と笑ってやり過ごす。
「僭越ながら申し上げますが、まだもう少し、安静になさっていて下さい。せっかくふさがった傷が、また開いてしまいますよ」
「これはすまない。セフィールド卿にまで怒られてしまったな。散々文句を言っていたフレデリックがいなくなったから大丈夫かと思ったのにな」
照れ笑いを浮かべながら、リースの勧めた木のベンチに腰をかける。
「殿下。殿下の御身をお預かりしている我が国の立場も考えて下さい」
「いやいや、本当にすまない。気をつけます。でも、じっとしていると落ち着かなくて。騎士というのはこれだからいけない。剣を握っていないと不安になる。それと、俺のこと、殿下なんて呼ばないでくれ。アレックスで構わない。それと、同じ騎士同士。敬語も不要にしてくれ」
鞘に収められた剣の柄を物足りなさそうにいじりながら、隣に腰掛けている騎士の顔を見る。
「では私のことも、リースとお呼び下さい。アレックス」
5日前も今日もそれほど言葉を交わしたわけではないのに、もうすっかり、二人は意気投合していた。お互い、名前で呼び合うことに抵抗はない。
「わかった。お互いにそういうことにしよう。フレデリックには会われたか?」
「えぇ。昨夜、軍本部で。エーデルバッハからのそちらの軍は、ラムズバルトで無事こちらと合流した。フレデリック卿も、ラムズバルトに出立しましたよ。しかし本当によいのですか?」
改めて確認するようにアレックスに問いかける。
「オーディーヌの森は、二国の国境の森。協同で守るのは当然です。元々そのために出兵してきた俺達だ。使ってもらわねばただのくたびれ損で終わってしまう」
アレックスからは、バルディスを通じて、全面協力の申し出が王城にいたリサフォンティーヌの元に届けられていた。遺伝子組み換えされたその化け物は、今はキール国内の森に潜伏していて、王子は怪我を負っている。カイザースベルンに、多大な迷惑をかけてしまっていることをリサは気に病んでいたのだ。
「わかった。ではお言葉に甘えて、合同宣戦を引かせていただこう」
隣国の司令官の言葉をなおざりにすることも出来ない。
「あぁ。そうしてもらえると助かる。フレデリックから聞いたかも知れないが、カイザースベルン本隊も森を取り囲む街道沿いを封鎖している。今のところ目撃談は入ってきていないが…」
病院で静養中の自分よりも、軍から来たリースの方が最新の話題に触れているだろう。と、アレックスは思った。最新のニュースについてリースに確認をとる。
「えぇ。こちらにも特には。あれからずっと森の中に潜んでいるようですね」
「そうか。それで、持ち込んだ奴の素性はわかったのか?」
アレックスにも、ゴッティスバーグから護送されてきた密入国者の話は伝わってきているようだ。
「えぇ。昔の事件に関わった人間が、裏で糸を引いているようです。捜索させたのだが、奴らを雇ったというギルバートと言う男は、既に国外へ逃亡した後だった。捕らえたドラクマ人の話によれば、彼らは貿易商人と名乗ったギルバートという男に金で雇われただけだということだった。彼らに荷車の処分を任せて、自分たちは先にキールを出たと」
「そうか…」
「それから」
リースは脇に挟んできた書類ケースから、封蝋の押された封筒を取りだして彼の前に膝をつき、
「キール王リサフォンティーヌ陛下から、アレキサンドロス殿下に親書を預かって参りました。お受け取りいただきたく」
封書を恭しく差し出した。
「これはこれは。有り難く受け取らせていただこう」
目の前で、自分の書いたものが人の目に触れていると思うのはあまり良い気分ではないな、とリースは思った。もちろん、開封して読んでいるアレックスは、目の前の人間からの手紙だとは思ってもいないだろうから、これがまたやっかいだ。
なるべく表情を悟られないようにして、膝を折ったまま時が過ぎるのを待った。
「承った」
読み終えた便せんを丁寧に封筒に戻して、アレックスはリースに立つように促した。
「秘密兵器を開発中なのですね」
トリステルで開発中のGMモンスター殲滅兵器は『破壊アンプル(通称:DA)』と名付けられており、すでに解析を終えたGMグリセラトプスの遺伝子組み換え部分から、いわゆる『死のワクチン』を製造し、アンプルに封入する実験が進められている。昨日の段階では、ワクチン製造も、アンプル製造も、どちらも最終段階に入っているという報告だった。
「大量生産する事も考えて、来週の初めには、殲滅作戦を実行に移せるかと。ひいては、作戦の本部をラムズバルトに据え、作戦自体は、国民におよぶ危険が少ない森の中でと考えている。作戦の詳細についてはラムズバルトでお話しするが」
ベンチに座り直したリースが、硬い騎士の声で話す。
「そうか。あなたはいつそちらへ?」
「これから発とうと思っています」
「俺も同行させてもらえるか?」
「実は、あなたには来週、寸前になってから来ていただく予定でしたが」
アレックスの全身を上から下まで見下ろして、
「お元気そうですから一緒に参りますか?」
と笑顔を向けた。
「ありがとう。それは助かる。実は病院と言うところがどうも好きではなくてね。これ以上閉じこめられるなら逃げ出そうかと思っていたのですよ」
アレックスは、子供のような屈託のない笑顔でリースを見た。放っておいたら、本当に逃げ出していただろう。
「それは良かった。抜け出されて肝を冷やすのは、私の部下達ですからね」
お預かりしている王子がいなくなったのでは、警護をしている兵士が肝を冷やすだろう。
「馬も平気ですか? 馬が無理なら馬車の手配もするが」
「このくらい、何ともない」
「では、私は一旦軍に戻って、同行する部下達に指示を出してくる。それから、あなたの馬を連れて戻ってきます。そうですね…」
中庭から見える時計塔の時間を見る。
「11時には戻れると思います。仕度をして待っていて下さい」
「わかった。よろしく頼む」
*****
「随分と、いい待遇でかわいがっていただいたようだな」
アレックスは、愛馬の顔を見るなりそう言ってその鼻面を優しくなでている。
「前より毛艶が良くなっている」
「そんなことありませんよ。ただ、乗ってくれる主がいないので、少し運動不足にはなったかも知れない」
アレックスが、自身の黒毛の愛馬に跨るのを眺めながら、リースは言った。リースの白馬より随分とがっちりした黒毛の馬は、見るからに足が強そうだった。リースの馬も良く走ってはくれるが、二頭が並ぶと、かなり華奢に見える。
「久しぶりにあなたを乗せられて喜んでいるようだ」
「どうかな」
馬を御しながら、アレックスは薄茶の髪を掻き上げた。
素敵だ。とリースは思った。真新しい軍服に身を包んで馬に跨るアレックスは、絵の中から抜け出てきた伝説の騎士のような風格がある。見送りに出てきた看護師の女性達が、皆、うっとりとした瞳で彼を見つめている。
実際には、リースは自覚していないが、彼女たちの視線は、並んで話をしているリースとアレックスの二人に向けられていた。二人が並ぶと、太陽と月が並んで話をしているかのようだ。
馬が出発してしまってからも、その光に当てられた人達は、しばらく呆然とその場に佇んでいた。
リースとアレックスは、馬を並べて話しながら街道を行く。後ろにはリースの部下、白騎士団の騎士が五人従っていた。その後ろには、薬師であり医師見習いのティーダもいる。バルディスは、フレデリックと一緒に先にグランヒースに入っている。
空はすっきりと晴れ渡り、気温は低いのだが陽の光が暖かい。
「そういえば。先日来、ドレイファス王より、キール王とのお見合いのお話を頂いていたのだが断ってしまってね」
刀鍛冶についての話が終わったところで、いきなりアレックスがその話題を振ってきた。リースは驚いて、危うく顔に出してしまうところだった。
「あ、あぁ…そうみたいですね」
平静を装って少し笑ってみた。
「俺はそれを今、少し後悔している」
「え?」
アレックスの思わぬ言葉に、リースはすっかりリサフォンティーヌの気持ちに戻って、いろいろと思考を巡らしていた。
ばれた?
ばらされた?
探りを入れられている?
さっきの手紙が原因?
どうしよう。何か言わなくては。焦れば焦るほど、言葉というのは出てこないものだ。返答に困っていると、
「俺は、リース・セフィールドという騎士のことを良く知らなくてね」
アレックスが思いがけない言葉を続けた。
「?」
「優秀なのは剣の腕だけではなかったということをね。あなたのような立派な騎士が仕えている方ならば、お話をお受けすれば良かったなと思ってね。少し後悔しているんだ」
え?
とりあえずばれてはいないようだ。ほっと胸なで下ろす。
「リース。あなたとなら、一緒に戦ってみたいと思う。それに、キール王の元にはバルディス卿もいる。俺は昔から、『ドレイファスの鷲』に憧れていた。騎士として、二人と共に戦えたらどれだけ幸せかと、そう考えたら急に、断ったことを後悔した」
彼の言葉に、彼女は思わず吹き出してしまった。
「何を言うかと思ったら…」
「俺、変なこと言ったかな?」
「言いましたよ。アレックスは、考え方そのものもすっかり騎士なのですね。あなたが乞われていたのは、キール王の婿ですよ。騎士として仕えることではない。それに、臣下がどうであれ、あなたには関係がないはず。私達臣下は、主君を守るために命を懸けて戦う駒。あなたは、駒を動かす役目で、駒と共に戦う人ではない。本当なら、私のことなど気にかけるよりも、陛下がどんな人か、そちらを心配するべきではありませんか?」
「ははは」
指摘されて認識したのか、アレックスは笑い出した。
「確かに。確かにそうだ。お見合い相手をないがしろにしたのでは失礼な話だな。でも、俺は、リサフォンティーヌ姫のことは、誰に聞くまでもなくすばらしい方だと思っている。美人で賢く、人望もある。彼女に関して、悪い噂は聞かないよ」
そんなこと、直接本人に言わないでよ! とリサは心の奥で叫んでいた。恐らく真っ赤になっている顔を、金色の横髪でさりげなく隠し、動揺する心を、必死に宥めようとする。自分のことについてコメントするなんて、こんな事態になろうとは思ってもみなかったが、何とか無難にこの場を切り抜けよう。
「主のことを、そこまで信頼していただけているとは光栄です。しかし実際の所は、どうかわからないではないですか」
「うん?」
「噂はあくまで噂。姫は、堅牢な城の中で守られて暮らしている。鳥籠の中の鳥と同じです。外に出てくる噂も、作られた噂かも知れない。優秀なのは陛下の周りの人間で、陛下自体は、人形に過ぎないかも知れませんよ」
もしかしたら、王子の本音が聞けるかも知れない、と、リサは少し賭けに出た。
「リースはそう思っているのか?」
不敬を疑われそうな問いかけに、一瞬怯む。
「そうは思っていない。でも、私は、直接陛下のお仕事ぶりを拝見させていただいているわけではありませんから、よくはわかりません。王としてご努力されていることだけは、わかりますが」
「キールの民は、みな、心から王を愛している。もし本当に姫が人形に過ぎないとしても、これだけ国が立派に治められていると言うことは、姫の人柄が優れていると言うことだ。姫の周りに集う人間が優れていると言うことは、それだけ姫が魅力的な人間で、慕われていると言うことを示している。そう、俺は思う。俺は騎士になった自由な身だ。キールにもドレイファスにも、何度か旅をしたことがある。その度に、キールはよい国だと実感する」
そう力強く言ってくれる王子の横顔に、リサは見とれていた。この人は本心でしゃべっている。お世辞や嘘ではなく、本心からリサフォンティーヌのことを評価してくれている。何とも言えないうれしさが、心の底からわき上がってくる。
「キールは小さな国ですから。カイザースベルンのように大きい国だと、統治もまた大変でしょう。私はドレイファスの生まれだが、大きな国は、目が行き届かないところもよくある。でも、そう言っていただけてうれしいです。そのようにご評価いただいていると知ったら、きっと陛下もお喜びになる」
王として喜んでいる笑顔を必死に押さえ込んで、臣下として喜んでいる笑顔を作ってアレックスに感謝を述べる。でもさすがに限界だ。これ以上この話題に触れたら、そのうち墓穴を掘るかも知れない。アレックスはもとより、このキャラバンの誰一人として、リースがリサフォンティーヌであることを知らないのだ。こういう時バルディスがいてくれたら…いや、話し上手なアランがいてくれたら。
「アレックスは国に恋人はいないのですか?」
徐々に話題を逸らしていこう。
「恋人か…残念ながら」
「しかし、あなたのように美形で優しく、人間的に出来た方だと、かなりもてるのでは?」
事実私もクラッと来ています。台詞が顔に出ないように必死に平静を装ってみる。
「それは、そっくりそのままあなたに返した方が良さそうだ。あなたは姫の恋人候補には? 四天王は近衛隊と伺ったが」
「確かに、王の身近にはおりますが、任務と恋とは違いますよ」
「姫は身持ちが堅いと?」
「さぁ、それはどうでしょう」
また、微妙に戻ってきた会話に苦笑いを浮かべながら、リサは次の言葉を探していた。
「それに…堅苦しい王宮暮らしは、私には合いません。もとが、地方の出です。自由に騎士をやっている方が気楽でいい。恋に縛られるのも、私は苦手です」
「おっ。気が合うな〜」
アレックスは、うれしそうな、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。初めてみる笑顔だ。
「俺も、縛られるのは苦手だ。王太子みたいな堅苦しい仕事は兄に任せて、俺は自由でいたかったんだ」
「私も!」
言ってしまってから、「しまった!」と思った。ちょっとまずいことを口走った。さらっと聞き流してくれればいいのだけど。
「お兄さんが?」
こういう時に限って、ちゃんと突っ込んでくるものだ。リサは、気取られないように視線を逸らした。
「えぇ…兄は跡取りですから。うちみたいな地方の弱小貴族でも、家を継がなくてはならないとなると大変ですよ」
「そうなのか…お互い気楽な次男、ってわけか」
「ははは、そういうこと」
何とか上手に嘘で切り抜けた。無駄に手綱を握りしめていた両手には、じっとりと汗をかいていた。
「そろそろここらで少し休憩にしませんか。ちょうど半分くらいまで来ましたし」
「そうだな、そうしようか」
あぁ。次から何の話題にしようか。
彼女の心は、休憩だというのに休まることを知らなかった。