鍋の中の小人
うちには昔骨董市で買った古い鍋がある。それは大昔に作られた鉄鍋で、とても希少価値があるそうだが格安で売ってもらった。
まぁ、本当に安物なのだろう。表面の塗装はところどころ剥れているし、へこみも見られた。おそらく家から持ってきたものを適当に売り文句をつけただけなのだろう。
だが、それは別に構わない。問題は、その鍋は値段がつけられるような代物ではなかったということだ。
俺は眼前に置かれた鍋にチラリと目をやる。鉄色をした古臭い鍋だ。その底に、小さな少女が座っている。いや、正確に言うならば生えている。少女の上半身が、鍋の底から生えているのだ。
日本人形のような容姿をした少女はこちらを見やりながら首を傾げる。
「どうかしましたか?」
そう。彼女は生きているのだ。何でも、付喪神の亜種らしい。中途半端な状態で人化してしまった稀なケースだという。というか、そもそもそういう存在がいること自体が驚きだが。
俺は嘆息しつつ、そいつ――蒼子に語りかける。
「何でもない。ただ、考えごとをしていただけだ」
当初、俺が鍋を買った時はまだ人化していなかった。だが、買って数週間下あたりでいきなりこんな姿になってしまったのだ。捨てることもできないし、かといって人に見せるわけにもいかない。結果として、こいつは俺の家に置くことになった。
ただ、それでも話し相手としては重宝している。俺は蒼子に質問を投げかけた。
「何か食べたいものがあるか?」
「じゃあ、煮物! 私を使ってくださいね」
俺は首を振ってその言を否定する。
「それは無理だな。お前は使いたくない」
「何でですか!? 私は使ってもらうことこそが楽しみなのに」
「……でも、前使った時悲鳴あげてたよな?」
「嬉しい悲鳴という奴です」
嬉しい悲鳴なら、決して『ぎゃああああっ!』とか『死ぬぅううううっ!』とかは言わないはずだろう。以前ためしに那珂を開けてみたら彼女は息も絶え絶えになってぐったりとしていた。
以来、俺はこいつを調理に置いて使ったことはない。本人的にはものすごく不満らしいが、精神衛生上よろしくない。悲鳴を聞いた後で飯を出されたら反応に困ってしまうじゃないか。
俺は嘆息しつつ、台所へと向かっていく。蒼子はそれをただ黙ってみているだけだ。基本が鍋であるため、移動ができないらしい。わかりやすく言うと、彼女はケンタウロスの下半身が鍋バージョンだ。
こんなに夢のない存在もあるまい。
俺は冷凍庫から冷凍食品を取り出してレンジに放り込んだ。その様を見て、蒼子は不満げに頬を膨らませる。
「いけませんよ! いつも冷凍食品ばっかり! 体を壊してしまいます!」
「野菜ジュースを飲むから大丈夫だよ」
「それは気休めに過ぎません! いいですか? 食は体の資本です。きちんと食べなければ……」
また始まった。蒼子は元が鍋であるためか、食品に関しては人一倍のこだわりを見せる。さらに、俺の食生活についてもいちゃもんをつけてくるくらいだ。全く、せっかくの一人暮らしだというのに、まるで親がいるようで気が滅入ってしまう。
俺はまだ高説を垂れている蒼子に飴玉を放り投げた。鍋の底に当たり、カラカラという音が響く。蒼子はそれを上手く自分のもとまで持ってきて、ペロペロと舐めはじめた。
……基本的に彼女は人化しているものの基本は道具であるため食事は必要としないらしい。だが、それでも何も与えないのはかわいそうだと思いこうやって飴玉や俺の食事を恵んでやっている。
俺は一心不乱に飴玉を舐めまくる蒼子に苦笑を寄越した。
「お前は俺のお袋かよ。別にいいだろ。食事くらい自分の好きなもの食べたって」
「お袋も同然です。私はこう見えても百年以上生きているのですよ?」
飴玉を抱きかかえながら言われても……。
と、そこで電子レンジから電子音が響く。俺は手近にあった皿を取り、レンジから取り出した冷凍食品を広げる。
今日の夕食はチャーハンだ。適当に形を整えて、俺は食卓まで持っていく。
蒼子とちょうど向き合う形になりながら、俺は手を合わせた。
「いただきます」
俺はスプーンでチャーハンを掬って口に放り込む。冷凍食品というのも最近は馬鹿に出来ない。ともすれば、下手なコンビニや定食屋にも勝るほどだ。
俺がもぐもぐと米を咀嚼していると、蒼子が物欲しそうな顔で見てきた。すでに飴玉は小さくなりつつある。なくなるのも時間の問題だろう。
俺はスプーンに少量のチャーハンを掬って彼女の方に突き出した。
「食えよ。美味いぞ?」
彼女はチャーハンをおそるおそる口に入れ、それからもぐもぐと噛み始める。
「全く……どうしてこんなものが美味しいんですか……一から作ってこその料理だというのに……」
不満げにしながらもどこか嬉しそうに頬を綻ばせていた。こいつは本当にわかりやすい。百歳以上だというが、精神年齢はまだ子どもだ。
もしかしたら、人化した年月がそれと関係しているのかもしれない。
そんなことを思っていると、蒼子が俺の持っているスプーンを揺らしてきた。何事かと見れば、彼女は口を大きく開けている。その意味を理解した俺は脇に置いてあったコップを持ち、スプーンに少しだけ注いだ。
それから、そぅっと彼女の方に突き出す。蒼子は嬉しそうにこくこくと喉を鳴らしてそれを飲んでいた。
こいつとの共同生活は大変なことも多いが、面白い。退屈した覚えがない。
蒼子と一緒にいると楽しいし、本当に新鮮なことばかりだ。彼女はまだ人化して日が浅いせいで見るものすべてに感動している。その時の顔といったらない。とてつもなく幸せそうで、まるで子供のようだった。
思わずその時の光景を思い出してしまい笑っていると、蒼子が首を傾げた。
「? どうしました?」
「いや、なんでもない。ちょっとな」
俺はまた含み笑いを返す。蒼子は何がなんだかわかっていない様子だった。
俺はふっと口元を緩めながら、再びチャーハンを口にする。
おそらくこれが美味い、と感じるのは単に冷凍食品が発展しただけというわけではなく、誰かと一緒にいるからだろう。
俺は小さな隣人に内心感謝の言葉を述べながら、静かに瞑目した。




