ユイ
数日後、それまで「決して一人でいないこと」という成敗屋の忠告を守っていたユイはこの日だけはこれまた言い付け通り、たった一人で帰路についた。
成敗屋の言っていたことを思い出す。
『ユイさん。誘拐されるにあたって気をつけて頂きたい事がいくつかあります』
『何ですか?』
『わざと捕まるとはいえ、ある程度の抵抗はしてください』
『はい、わかりました』
『相手は必ず誰もいないような場所にあなたを連れて行くでしょう。公園や高架下ならいいのですが、自宅に連れ込まれると厄介です。必ず目隠しをされても焦らず自分の場所を分かるようにしていてください』
『…できる限りやってみます』
『あと最後に、相手が猥褻な真似をしたら、先程教えたアレをかましちゃって下さい。』
『…はい』
『簡単な護身術です。致命症には至りませんが、相手に隙は作れますので』
一通り手順を確認するとユイは踏み出した。妙な緊張で変な汗がユイの頬を撫でる。
もうすぐ、あの磯田がいつもいて凝視してくる交差点だ。
平常心を保ちながらゆっくり進み、ユイは横目でその存在を確認した。
いない。
いつもなら彼女の進行方向と垂直右方向にセダンが止まっていて、そのなかにあの磯田の気味の悪い眼光が光っているのだが、今日に限ってそれがなかった。
ユイの頭のなかをいくつかの憶測が飛び交う。
まさか、バレた?
ついに諦めたのか。
姉の元へ行ったのかもしれない。
とりあえず、帰ろう。
ユイは嫌な予感を抑えつつ走り出した。
しかし、二三歩いかないうちにユイは背後から羽交い締めにされた。
「離せェ!磯田ァ!」
そう叫ぼうとしたが相手の塞ぐ手の方が早い。
「ようやく一人で来てくれたね。」
磯田の表情が余裕なのを確認するとユイは
ぐっと前にかがんで後ろに下がった。
「お、おぉ?」
少し驚いたのか、締め付ける手がゆるんだ。すかさず体を振るうと、すんなりと磯田は体から離れ地面に叩き付けられた。
「った~。何こいつ。」
そう言う彼にユイは制服のポケットから例の「果たし状」を出して投げつけた。
「何コレ?」
首を傾げる男が訊ねるも先程までいた少女は消えていた。
「いやー、ホンマにビビりましたわー」
翌日ユイは単身、成敗屋に訪れていた。
「よくやってくれました。この分はお姉さんの請求からいくらか引いてお支払い致します。」
「ウチも報酬もらえるんですか?」
「何せこんな危険な仕事を引き受けてくれたものですから。当然ですよ」
「やったぁ!」
「ところで、相談があるのですが。」
「何ですか?仕事ならいくらでも引き受けますよぉ!報酬付きやけど。」
「そう言って頂ければこちらもお願いしやすい。」
フードを被っているとはいえ、あまりにも成敗屋の表情がにこやかなのでユイは不審になってきた。
「そ、それでそのお願いてなんですの?」
「実はこの成敗屋、事務所こそ立派にあるのですが従業員が私一人しかいないんです」
「いや、そうやろうなとは思ってましたけど…」
「働きませんか?」
「は?」
「ここで!」
「ちょっとそれは…」
「成敗屋として!!」
「ムリぃ!」
「…」
「いや、最後の聞いたら誰かて嫌がるでしょ!」
「やっぱ『成敗屋』てのがまずかったのかなぁ。依頼も全然来ないし。」
「イジけんといて下さい。今までの威厳が一気にぶっ飛びましたよ」
は!と気を持ち直すと改まって成敗屋は言った。
「失礼。私は形や名目には囚われず純粋にこの京都の町に蔓延る悪を成敗したいと思ってまして…」
「説得力ゼロやないの」
「あなたの仕事振りなら私の信念と理想に見合っている」
「お手伝い(小遣い稼ぎ)したいのは山々なんですけど、ウチ部活あるし」
「構いません構いません。平日は毎日7時に来て一時間だけ居ていただければ結構ですし土日は自由出勤です。」
「それでも…」
「ユイさん、いや吉村ユカリさん」
彼女はびくっとした。
何故分かった。
「都坂高一年生ですね。」
「なんでそんなことまで…」
成敗屋はフードをとりながら言った。
「私は都坂高校二年、望月 怜です。」
ユイの顔が驚きに変わったのも無理はなかった。何故なら彼女は怜のファンだったのだから。
「えー!びっくりですウチ。なんで望月先輩がこんなことを?てゆーかなんでウチの事を知ってるんですか?」
「それは、あなたが有名だからよ」
と言うのは嘘であり、怜はこっそりシネミヤの後輩から彼女の詳細を聞いていたのである。にもかかわらず「えーそうなん?」と一人で照れている彼女を怜は可笑しく思いながら続けた。
「お願い!ホントーに人手不足なの!」
「是非!とゆーかやらせてください!!」
切り替え早!という気持ちは面に出さないまま、吉村の手を握った。
「あなたは晴れて成敗屋に入社致しました!」
「やったー!宜しくお願いしまーす!」
…
「…これだけ?」
「そうね」
寂しい空気が流れる。
そのまま変な空気にしないように怜が話を続ける。
「ところであなたはなんで『ユイ』なんて偽名を使ったの?」
「単に警戒してただけですよ。だって初対面でいきなりフード被って話し出すから、怖ぁてしゃーないやないですか。」
「…怖かった?」
「なんか威圧感ヤバかったすよ?」
怜は内心歓喜で絶叫していた。
「じゃあ、成敗屋の制服はパーカーにしましょう!」
「いいですね。顔バレしないで済みますし。」
「じゃあ決定って事で!」
「でも、ウチに成敗なんかできるんですか?やり方知らんし。」
「それは、今晩の仕事で見せるわ。二時に渡月橋に来て。」
「二時て…、午前二時ですかぁー!?明日学校あるんですよ。」
「そうよ。一番人通りが少ない時間にやらなくちゃ。コーヒー三杯は飲んどいて」
「渡月橋て、嵐山まで行くんですか?嵐電動いてたらまだしも、歩いたら三十分はかかりますよ。」
「雰囲気は出さないと、モチベーション上がんないし。」
「…わかりました。しっかり拝見させて頂きます。」
そう言って事務所を出て行く彼女の背中を見つめながら思った。
まるで今まで数々の成敗を施しててきたかのような感じで話したが、今回が初仕事じゃないか。