エピローグ
「あっ……あっだだだだだだだぁ~!?」
「ああああっ! ごめんなさい~!」
昼下がりの教室。
思わずばたばた暴れたあたしに、貼り付けかけた大判の湿布を両手で持ったまま、ミーシャが叫ぶ。
「し、沁みました? 沁みましたか~っ!?」
「いっ、いや、沁みたっていうか……めっちゃくちゃ痛い……!
そこんとこ、もう、とんでもないアザになっちゃってるから……!」
「――えいっ!」
ぺたっ。
「ぬおおおおおおっ!?」
腫れた二の腕に湿布を貼られて、またまた暴れるあたし。
いやぁ……
やっぱり、バノット・ブレイド教官に勝とうなんて、とうてい無理な話だったみたい。
ぼっこんぼっこんに叩きのめされて、全身アザだらけ。
試合が昨日の今日だけに、まだ全然ダメージから回復できてなくて、ちょっと歩いただけでも、身体がギシギシ言っちゃうよ……!
あっ。
ちなみに《剣》の部の優勝のメダルは、当然というか、バノット教官じゃなくて、あたしが貰うことになった。
『俺が受け取ってどうする?
そもそも、そんなもの、生徒だった頃に貰いあきた』
なんて、先生は堂々と言い放ってたけど、そもそもの話をするなら、教官が出場してるって時点で失格なんですけど……
そう、だから、対戦の組み合わせ上、運悪く途中でバノット教官と当たって、30秒でやられちゃった人たちがいるわけなんだよね。
その人たちは絶対、あたしの優勝に納得できないだろうなー、と思って、授与式の前に、改めてあたしと勝負したい人はいませんか!? って、きいてみたら――
『いえいえいえ! 滅相もない! 《炎の武神》さま相手にそのような!』
『まだ死にたくないので遠慮します』
『わっ、わっ、ちょっ……!? 追いかけてこないでぇぇぇっ!!』
って、あたし、もはや完全に引かれてたんですけど……
バノット組の単独総合優勝は、無事に果たされたわけだけど、あたしとしては、嬉しいような、アレなような……
「それにしても、ひっでー話だよなぁ!」
教室の隅のほうでは、砂糖をたっぷり入れたミントティーを飲みながら、ルークたちがぼやいてる。
「いや、最初から、ちょっと怪しいかなー、とは思ってたけどよ!
まさか、あのナントカさんが、マジでアニータに妨害を仕掛けてたなんてなぁ」
ルーク……まさか、まだリリスさんの名前、覚えてなかったのっ!?
――いや、そんな冗談(?)はさておき。
試合のあれこれが片付いたところで、あたしは、ダグラス教官から、リリスさんの一件について知らされた。
リリスさんは、遠い国境の砦の勤務が決まって、今日の朝早く、学院を出たそうだ……
『あいつにも、自分自身を見つめ直す時間が必要だってことだ』
って、ダグラス教官は言ってた。
うーん……騙されてた、ってことは事実なんだけど……
何か、これも、すごく複雑な気分だな……
「そもそも、一番ひでーと言えば、先生だよなぁっ!」
ルークの大声が、あたしのもやもやした気持ちを吹き飛ばす。
「俺たちが、あれだけやきもきして、あれこれ必死にがんばったってのによー!
全部、先生たちの手のひらの上で、踊らされてただけだっていうんだもんな!
まったく、やんなっちまうぜっ!」
叫んで、ぼりぼりとお菓子をヤケ食いするルーク。
「はっはっ……まったく、ものの見事にしてやられた、という感じですな……」
その横で、上品に真鍮のカップを傾けるライリー。
このティーセットも、ライリーのコレクションのひとつだ。
今日はどうやら、砂漠の国ふうのお茶会のスタイルらしい。
教室にまでティーセットを持ち込んじゃうんだから、ライリーのお茶好きも、相当なもんだよねぇ。
「まさか、タシュール教室の全員までもが、先生と結託していたとは……
もはや、誰も信用なりませんなぁ」
「ホントだよー! ……あたたたたたっ!」
今度は向こうずねの打ち身に包帯を巻いてもらいながら、思わず相槌を打つあたし。
「先生ってば、とにかく、全ての言動が紛らわしすぎるんだよねっ!
そもそも先生がやってた『呪術の研究』だって……
結局、何のことだったと思う!?
なんと『お天気の操作』だよー!?
イサベラ閣下に頼まれて、競技会の日の晴天を確保する、でっかい結界を張るための研究をしてたんだって!
も~、ホント、完全にバカにされた感じ~!!」
「わたしたち全員、最初から最後まで、大間違いのまま、突っ走ってしまったということですのね~……」
くるくるっと手際よく包帯を巻いてくれながら、ミーシャが、深いため息をつく。
「あー、大間違いといやあ、あの、本部座席ぶっとび事件!」
ルークが、大声で言った。
ていうか『事件』って……あれ、ルークが自分で吹っ飛ばしたんじゃあ……?
「いや~、アレは、やばかった!
ホントのことが分かったときには、もう、冷や汗ダラダラだったぜー!
だってよ、あの香って、イサベラ閣下が、先生に頼まれて焚いてたもんだったんだろ?
アニータが、自分の過去を見やすくなるようにさ。
まあ、あの時は、そんなこと、ちっとも分かんなかったわけだけど……
いっくら怒ってたからって、よりによって総長閣下のとこに殴り込むなんて、オレも、度胸あることしたもんだぜ……」
「はっはっ。普通なら、その場で消し炭にされても、文句を言えないところでしたなぁ」
「罰が、毎日腕立て伏せ一千回くらいで済んで、ホントに良かったぜ……」
朗らかに笑うライリーに、蒼ざめつつ、ため息をつくルークだ。
いや、一千回「くらい」って……
「――あっ! それにさ、聞いてよー!」
ふと、あることを思い出して、声を張り上げるあたし。
何か、思い出せば思い出すほど、ぼやきの種が尽きないんですけど……!?
「《ビレの薬種店》での、例の会話の件だって、先生、ひどいんだよー!
あたしね、あの後、
『もしも、あたしの狂戦士化が呪術のせいだったとしたら、ほんとに、あたしのこと、実験台にしてたんですか?』
って、思い切って先生に聞いてみたの。 そしたら、
『当たり前だ。せっかくの機会がもったいないではないか。
実験台という言い方が気に入らんなら、被験者と言い換えてやってもいいぞ』
って、こうなんだもん……
何かもう、気が抜けちゃって、腹も立たないよぉ」
「先生は、そういう方ですもの~……」
諦めっていうか、悟りっていうか、とにかく何かの境地に達したみたいな表情で、うんうんと頷くミーシャ。
と、
「――あ! そういえば」
急に、ぱん! と両手を合わせて、
「そのサムライ・ブレード」
ミーシャは、あたしの腰を指差してきた。
「あれから、ずっと、差しているのですね~?」
「うん」
あたしは、柄に手を掛けて、ゆっくりとさすった。
「今回のことの、記念にね」
あの夜、母さんが、あたしに残してくれた刀。
――怒りと憎しみに、呑まれてはいけない。
あたしの中に眠る、火。
そのことを、もう二度と、忘れないために。
「いつでも帯剣してるって、なんか、マックスの野郎みてーだな。
――おっ!?」
ばしん! と両手を打ち合わせて、ルークが叫ぶ。
「マックスといえば!
あいつが女装してグラウンドで踊るのって、今日の正午じゃなかったっけか?
もう、あんま時間がねーぞ!? おい、アニータ、行かなくていいのか?」
「まあ、約束は約束だから、守ってもらわなきゃなんないけどね」
あたしは、軽く肩をすくめて笑った。
「でも……まあ、ここは武士の情けってことで!
あえて、見ないでおいてあげようかと」
実は、筋肉痛がひどくて、出歩くのが億劫だからって理由もあるんだけど。
「いや……それって……かえってひどいんじゃねーか?」
「はっはっ。見物人は、大勢集まるでしょうし……
アニータが来ないとなれば、マックスは、完全無欠の笑われ損というわけですな!」
え! そうかな?
あのときは、つい、勢いで賭けに乗っちゃったわけだけど……
やっぱり女装して踊る姿なんか見てあげちゃ可哀想かな~と思って、あたしは、行かないことに決めていた。
でも、もしかして、そっちのほうが逆にひどい……?
「まあ、アニータが行かなくても、俺たちは行くけどな!」
「はっはっ。共に指差して笑いましょう、ルーク」
いや、どう考えても、ルークとライリーのほうがひどいよねぇ。
「ミーシャも、一緒に来ねーか?」
「あ……残念ですけれど~。
私、この後、お部屋で、明日からの講義の予習をする予定ですの~!」
そうか! 明日からは、もう、普通に講義が始まるんだ。
――あ!
『講義』ってセリフを聞いた瞬間、ルークってば、ダッシュで逃げていっちゃった。
勉強、ほんとに苦手なんだねぇ。
明日からも、色々ありそうだなぁ、この組は……
「それでは、おふたりとも。また後ほど、お目にかかりましょう」
優雅に片手を振って、ライリーが出て行く。
「はい~! ……さっ、アニータさん、できましたよ~!」
「ありがとっ、ミーシャ!」
しっかり包帯を巻いてもらって、あたしは元気よく――もとい、そろーっと――腰掛けてた机から降りた。
「あたしも、すぐに予習にかかりたいところだけど……
その前に、手紙を一通、書いときたいんだよね」
もう、部屋に、便箋は用意してあるんだ。
ヒノモトから持ってきた、きれいな花模様の便箋。
とっておきの知らせのときに使おうと思って、前からずっと、使わずに取っておいた――
「ねえ、ミーシャ」
「はい~?」
「あのさ、よかったら……後で、一緒に予習、付き合ってくれない……?
あたし、多分、こっちの勉強、さっぱり分かんないと思うから、色々教えてほしいんだけど……」
「ええ、もちろん、喜んで~!
あっ。お勉強が終わったら、みんなで食堂へ行って、デザート食べ放題しましょうね~!」
「おーっ、いいね! ――それじゃ、また後でねっ!」
「ええ~!」
軽く手を振って、ミーシャが自室に引き上げていく。
あたしも手を振って、自分の部屋に戻った。
ベッドと机と椅子があるだけの、狭い部屋。
ちょっと椅子を引いただけで、もう壁にぶつかっちゃう。
でも、これから、ここが、本当に、あたしの居場所――
ゴトゴトと、机と椅子のすきまに、無理やり身体を押し込める。
さあ、書かなくちゃ。
……そうだ、もちろん、ソヨカ師範にも。
そのうち……もう少し、時間が経って、完全に心の整理がついたら……いつかはきっと、伯父上にもね。
でも、今は。
今回のことを、一番、知らせたい人がいる――
* * *
青い青い、空の下。
「ちっくしょおぉぉぉぉ! 覚えてやがれ、アニータ・ファインベルド……っ!」
「おおー! いいぞーマックス、もっとやれー!」
「はっはっはっ、ピンクのドレス、実にお似合いですぞ~!」
「――貴様ら、ブッ殺す!!」
ピンクのドレスを着た剣士と格闘家と王子が、グラウンドの真ん中で、ド派手な乱闘を巻き起こし――
「先生~っ! あのあの、質問ですの、質問ですの!
『魔術解釈学論理』の第3章第2節と、第5章第1節に、矛盾した記述が~……あら?」
「ば、馬鹿者……ッ!」
ばたばたと教官のラボに駆け込んできた生徒が、魔術実験の装置を蹴り倒し、室内で局地的な豪雨が発生。
『塔の窓から鉄砲水が噴き出す』という、とんでもない椿事が巻き起こり――
「閣下、お茶が入りましたわ」
「うむ……」
轟く爆音と、怒涛の水音を背景に、その総司令官たる女が、優雅にティーカップを傾ける――
「今日も、良い天気だ」
青い青い、空の下。
帝国魔術学院《暁の槍》。
その一角、女子寮2号棟、《風見鶏館》の一室で――
少女はペン先にきれいなブルーのインクをつけると、軽やかな鼻歌まじりに、父親への手紙を書き綴り始めた。
帝国魔術学院! 【完】




