今、目覚めの時 9
* * *
「う……んっ!? ……おっ!?」
はっ! と意識を取り戻し、ルークは、ばたばたともがき始めた。
自分はどうやら、地面にうつぶせに倒れているようだ。
そして――
「むう。あまり、ごそごそするな。座り心地が悪い」
出し抜けに上から降ってきた声に、彼は驚いて、むりやり首をひねり――
「って、うおおおおおッゴホッゴホッぐえっ!?」
驚きのあまり、激しくむせた。
「かっかかっ閣下ッ!?
なんで、オレの上に座ってんスかああぁッ!?」
「お前が私の椅子を破壊したからだが」
倒れたルークの背中の上にあぐらをかいたまま、こともなげに、イサベラ。
「それより、見ろ、ルーク・リンドローブ。
おまえたちの奮闘、無駄ではなかったぞ」
「え!?」
ルークは、イサベラの尻の下敷きになったまま、ゾウガメのように思い切り首を伸ばし――
「あ……!」
そこに展開する光景を目の当たりにして、思わず、言葉を失った。
* * *
同じ頃。
「いっ……いったたたたぁ~……!」
「はっはっ……今のは、いったい!?」
ミーシャと、そしてライリーも、意識を取り戻している。
「――きゃあっ!?」
ぱちぱちと数度、瞬きをしたところで、ミーシャはようやく悲鳴をあげた。
自分たちを取り囲むようにして佇んでいる、黒ずくめの集団に気付いたからだ。
「むうっ、先ほどのは、あなたたちの攻撃に相違ございませんな!?
何だか知りませんが、覚悟は――」
ミーシャをかばい、《ジークの鉄槌》を振るおうとしたライリーに、
「!?」
しー、と、黒ずくめのひとりが、人差し指を立てる。
その指を、仮面の上からくちびるのあたりに当てたまま、彼――彼女?――は、もう一方の手で、バトルフィールドのほうを指差した。
そこで起こっている出来事を見た途端、
「おお……」
《ジークの鉄槌》を振り上げかけたライリーの腕が、静かに下ろされる。
「あ……!」
ミーシャもまた、その光景に目を奪われ、瞳を輝かせて見入った。
「アニータ、さん……!?」
* * *
「何だっ……!?」
ようやく意識を取り戻したマックスは、激しい眩暈に苛まれながらも、ぐらつく額を押さえ、何とか立ち上がった。
「あ!? てめぇ! この野郎っ……」
真横に突っ立っていた、小柄な黒服仮面の喉元を、問答無用で引っつかむ。
だが、ネックハングで宙に浮きながらも、黒服はとてもそうとは思えない落ち着き払った態度で、
「………………」
無言のまま、バトルフィールドのほうを指差した。
「あぁ!?」
凄みつつも、思わずそちらを見たマックスは、
「おぅ」
ぼとり、と黒服仮面を取り落とす。
「何だ……こりゃあ!?」
* * *
『おお、何と……何という……』
さすがの司会も、今度ばかりは、言葉を失っているようだ。
そこに、全ての者の言葉を奪うような、壮大な風景が出現していた。
花だ。
光の、花。
白い炎が、巨大な花弁のように大きく広がり、空へと伸び上がっている。
そこから無数の光の欠片が噴き出し、輝きの粒となって、地上に降り注ぐ――
その、光の中心に。
今、ふたつの人影が立っていた。
アニータ・ファインベルドが。
そして、彼女の肩を抱くように、レオナルド・ガッシュが。
「あの、野郎……!?」
思わずマックスが飛び出そうとした矢先、
『あ、あー、両者、いまだ動かない! まったく動きませんッ!』
その出鼻を激しくくじく形で、ようやく自分を取り戻したらしい司会が、だしぬけに実況を再開する。
『両者を取り巻く、複雑な《光子》の動きもそのままです!
これは――精神系!? 精神系の術なのか!?
これは凄いっ! こんな状況は、まさしく、大会始まって以来だぁっ!
どうやら、ふたりのあいだでは、今まさに、精神領域での激しい戦いが――
おっ?
おっ……おおっ!?』
不意に、《光子》の動きが緩やかになった。
そして、その中心で、ふたりが、ゆっくりと離れる。
* * *
「戻ってきたか。アニータ・ファインベルド」
低い、穏やかな声が言った。
何だか、百年ぶりくらいに、自分の耳で音を聞いたような気がした。
あたしは、その声に聞き覚えがあった。
わざと擦れさせた囁き声じゃなく、その人の、本当の声――
「はい」
あたしには、もう分かっていた。
今まで戦っていた相手が、誰なのか。
「あの。……どうして」
笑うのがふさわしい場面だとは、思わなかったけど。
あたしは、笑ってしまった。
だって、他に、どんな表情も、ふさわしいとは思えなかったから。
「どうして、偽名なんて?」
「簡単なことだ。
生徒であるということにしておかねば、この競技会に出場することはできん」
そっけないほど簡潔に答える、その口調。
ああ、どうして、もっと早く気がつかなかったんだろう――?
「どうして……?」
でも、思わず呟いた問いかけの意味は、どうして気がつかなかったのか、ってことじゃなかった。
どうして。
どうして、こんな――
どうして、あなたは――
どうして、こんな無茶苦茶で、ド派手で、もう、何て言ったらいいかわかんないくらい、馬鹿みたいに大掛かりな『お芝居』を仕組んじゃったんですか――!?
「これはな」
まるで、声にならないあたしの疑問が、丸ごと分かっている、とでもいうように。
こともなげに肩をすくめて、その人は言った。
「事の初めから、お前のために定められ、仕掛けられた計画だったのだ。
閣下が、お前を迎えるためにヒノモトを訪れた、その時からのな。
今、帝国は優れた戦士を求めている。
お前の噂を聞き、閣下はすぐに、お前を学院に迎える決断をされた。
だが、お前が真に俺たちの仲間となるためには、お前は、過去と対決しなくてはならなかった。
己自身をありのままに見据え、受け入れることのできる、安定した精神の主でなくては、共に戦うことはできんからな。
あの夜、お前を脅かした者たちと同じ姿をした俺と戦うことで、お前は、そこで起きたことを思い出し……そして、乗り越える。
そういう手筈だったのだ。
まあ、途中に、これほど様々な障害が起こってくるとは予想外だったが……」
その人の目が、ちらっと動いて、大破した観客席や、本部座席のほうを見る。
「え!?」
つられてそっちを見たあたしは、思わず、自分の目を疑った。
いや……あの、本部座席のところにいるのって、ルークじゃない!?
なんか、イサベラ閣下に座られてるみたいに見えるんだけど、気のせいだよねっ!?
「えっ……えっ、でも……
どうして、あたしの昔のことを、そんなに?
あの、夜のことまで……!?」
「閣下は、ヒノモトで、お前の伯父上と話された。
それに、そもそも、お前の話を学院に持ち込んだのは誰だと思う?」
「えっ?」
「分からんか。――お前の父上だ」
「父さん……?」
「まったく」
突然、呆れ返った、という様子で両手を広げて、その人。
「さすがはあの《海の狼》ラス・ファインベルドの娘だ。
こちらの思うように事が動いたのは、最初の半日だけだったな。
後はもう、出たところ勝負の連続だ。
この俺ともあろうものが、これほどひやりとさせられたのは久しぶりだぞ。
せめて、今日という日を迎える前に、実験と称して、お前の記憶をさらに詳しく探ろうと考えていたのだが――
それも断られたときには、さすがに焦った。
結局、本番当日まで、この有様だ。
だが、古来より、帝国には、素晴らしい格言があってな。
『終わりよければ、全てよし』という」
その人の灰色の目が、あたしを、じっと見下ろす。
「答えろ、アニータ・ファインベルド。
俺たちは、成功したか?」
「ええ……」
あたしは、笑った。
満面の笑顔で。
「あっ、でも、もうひとつだけ聞かせてください!
本物のレオナルド・ガッシュくんは、今、どこにいるんですか?」
「そんな者は、この学院にはいない。
俺が正体を隠して出場するために、事前に噂を流し、架空の人物をでっち上げたのだ」
「え! 嘘!?」
「本当だ。
タシュール教室の者たちは、普段から常に素顔を隠している上に、外部との交流がほとんどないから、誰も疑わない。
無論、タシュール教官と彼の生徒たちは全て了解済みで、実に熱心に協力してくれた……」
いつの間にか、柵沿いにずらりと並んだ黒ずくめたちが、こちらに向かって、ぱたぱたと手を振ってくる。
「そ、そこまで……っ」
眩暈がしそうになる。
何、それ。
「あたしのために……ここまで!?」
とても信じられない。
まさか。
でも――
その人の左手が、ゆっくりと上がる。
覆面の、布の端をつかむ。
右手に握られた銀色の剣は、いつの間にか形を変えて、見覚えのある、まっすぐな杖になっていた。
「俺たちは皆、根っからの祭り好きなのだ。
どうせやるなら、派手にやろうではないか?
――さあ、俺たちの祭りは、まだ終わってはいないぞ!」
おおおおぉおおおぉおおおおおっ!?
静まり返っていた観客席が、これまでで最大のどよめきに揺れる。
ばっ! と脱ぎ捨てられた覆面の下から現れたのは、あたしのよく知っている顔。
束ねられた黒髪。
鋭い灰色の目。
まるで、怒っているみたいな仏頂面――
「剣を取れ、アニータ・ファインベルド!」
バノット・ブレイド教官の、力強い声が響く。
「恐れるな!
そのままだ、そのままのお前でかかってこい。
全力でだ。
思い上がるなよ。
お前の全力ごときで、俺は倒れん!」
な、何だろう。
おまえにはできない、って言われてるのに、どうしてだろう。
あたし、わくわくしてる。
全力を。
ここでなら、あたしの全てを出し切れる。
そしてきっと、いつか、その先へ。
あたしは、ゆっくりと刀を構えた。
先生は微動だにしない。
まるで、壁だ。
ぶつかってもぶつかっても、絶対に破れることがなく、揺らぐこともない壁だ。
そんな壁に出会ったとき、人はいつか、それを駆け上がって、新しいステージに進むんだろう。
すべてを破壊する、炎の力。
いつか、その力で、この場所を守れたら――
先生が微かににやりと笑い、くるりと杖を回して肩に担いだ。
軽く、左手を突き出してくる。
空へ向けられた手のひら、その指先が軽く曲がり、挑発的な手招きになった。
よおぉぉぉっし……!
あたしは、息を整えた。
観客席の歓声が遠ざかる。
心臓の音が聞こえる。
野生的な歓びが湧き上がり、白い火が、あたしの身体を満たす。
そうだ、この感じ。
あたしは、ずっと、こうやって戦いたかった――
「アニータ・ファインベルド……! 参るっ!!!」




