今、目覚めの時 8
* * *
ひ。
あかい、ひ。
あたしの、あたまを、だれかが、なでている。
おおきな、て。
ぱちん。
ちいさな、ひが、そういった。
いろりの、ひ。
ぱちん。
あたしは、そう、こたえた。
「セイナは……苦しまなかったのか?」
あたしの、あたまを、なでている、おおきな、てが、そういった。
「……骨も残らなかった。今となっては、もう、確かめようもない……」
もうひとつの、こえがこたえた。
「セイナたちを襲ったのは……おそらく、バンガクの配下、白狐党の者どもだ……
面をかぶった黒ずくめの男たちが山に入るのを、見ていた者がいる。
そやつらも……皆、跡形もなく……」
ぱち、ぱち。
いろりの、ひが、そういった。
「この子がやったのか?」
おおきな、てが、そういって、もうひとつの、こえが、こたえた。
「そうだ……まさか、この子に、あのような力があろうとは……!
火を呼ぶ子と言われてはいたが、よもや、本当に……!
魔術使いは、その家の血筋によらず、突然に現れるというが……
この子は、山ひとつ火の海にして、全てを灰にしたのだ。
こんな幼い子どもが! 恐ろしいことだ……!」
「恐ろしいだと!」
あたしの、あたまを、なでていた、おおきな、てが、さけんだ。
「誰がそんなふうにした!
なぜ、セイナとアニータを守れなかった!?」
「やろうとはした! 屋敷にかくまい、護衛をつけようとしたのだ!
だが、セイナが聞き入れなかった!
一族の者たちは、この子を認めてはおらぬ。
そんな屋敷へ、戻ることはできないと――」
だん、と、ゆかを、たたく、おと。
ぼろりと、すみが、くずれる。
ひの、かたちが、かわる。
ぱち、ぱち。
ああ、そう、そうだね……
「そもそも、貴様に言われる筋合いはないわ!
セイナを放って、ひとり祖国に戻った貴様などに!」
「……帝都では、異民族に対する差別は、まだまだ厳しい。
慣れぬ国で苦労させるよりはと、こちらに残したが……
結局は、彼女を苦しめる結果になってしまった……」
あたしの、あたまを、なでていた、おおきな、てが、あたしの、かたを、ぎゅうっと、だいた。
「あのとき……俺が、ここに留まることができれば……」
ぱち、ぱち。
ひが、そう、つぶやいて、あたしは、ぱち、ぱちと、こたえた。
「この子は、俺の子だ。もう、置き去りにはしない。
帝国へ連れ帰る。――魔術師の学院に入れるのだ。
魔術師たちは、種族や民族の違いに寛容だと聞く。あそこならば……」
「それは、許さん!」
もうひとつの、こえが、さけんだ。
「妹の忘れ形見だ。
妹は、あの家から逃れる前に、書き置きを残していた。
自分にもしものことがあれば、この子を頼むと……
妹の、セイナの、最期の頼みだ。兄の私が、それを叶える!」
「俺の娘だ!」
「何が、娘だ! 今まで放り出しておいて、都合のいいことを言うな!」
「貴殿こそっ、これまで、さんざん邪魔者扱いにしてきたのだろうが!
よくも――」
ぱち、ぱち。
ああ、そう、そうだね。
あたしは、ひ。
にんげんたちの、なかで、ちいさくなって、いるのは、いやだな。
もっと、もっと、ひろがりたい。
ひろがり、のびあがり、はじけ、ゆらめき、おどり、のみつくし、はいにかえて、
さいごに、なにも、なくなるまで。
もえつきるまで。
もっと、もっと、もっと――
「アニータさん……」
だれ。
「こんにちは。私の名前は、ソヨカ・オウグンといいます……
今日から、一緒に、お勉強しましょうね……」
にんげん……
おんな、の、ひと。
まるで、ああ、みず、の、ように、あたしの、こころ、に、
その、ことば、が、染み透って、少し、ずつ、
あたし、は、そう、何?
何て、言ったの?
「アニータさん……」
あたしは、火、燃える、もっと、もっと、大きく、
「アニータさん……あなたは、可愛い、人間の、女の子……」
何?
女の、子?
子ども、そう、あたしは、
あたしは、子ども、
にんげん、の……
「我らでは、もはや、これが用いる炎の力を御することができぬ……」
男の人の声が、言った。
「どうにか、抑えようとはしたのだ。だが、もう限界だ!
あれからいくつ、離れを焼かれたか……
気をつけていただきたい。これは、火の化身のようなのだ。恐ろしい……」
そう、そうだ。
あたしは、恐ろしい。
火、火、火、燃えろ――
「何ということを!」
ぴしゃりと、女の人の声が言った。
「この子は、今も、少しずつ、戻ろうとしているのです。
それなのに、そのような言葉を聞かせて、この子の心を乱してどうするのですか?」
「何も聴こえてはいない」
「いいえ、聴こえています」
「何もかも忘れているのだ。きっと、言葉も忘れたのであろう。何も喋らぬ」
「それは、思い出したくないからでしょう」
「――思い出さぬほうが、良かろう」
苦々しげに、その声は言った。
「だが、もしも……いつか……
これが、いつか心を取り戻して、母親のことを訊くようなことがあったら、こう答えてやってくれ。
おまえの母親は、おまえを生んですぐに病で死んだ、と。
そして、この刀を、おまえに残したのだ、と……
あれの、形見だ。
我らが駆けつけたとき……何もかもが燃え落ち、焼けただれた中に、この子がただひとり、この刀を握りしめて、じっと座っていた。
白い光に包まれて、な……
どうか……この刀を、この娘に――」
ああ、そうか……
あたしは、心の中で、静かに頷いた。
あたしの母さんは……あたしを生んですぐに、死んじゃったんだ……
そして、あたしに、この刀を残してくれた……
そうか……分かった……
ひどく心地よく響く、その言葉を繰り返しながら、あたしは、うとうととまどろみ始めた。
これでいい。
このまま、心地いい暗闇の中で、ずっと、眠っていよう――
『……アニータ・ファインベルド』
誰かが。
『アニータ・ファインベルド』
誰かが、あたしを呼んでいる。
『アニータ…………えい、面倒くさい。
起きんか、この馬鹿者!』
――誰、なの。
『黙れ』
自分から話しかけてきたくせに、その声は、傲然と言った。
あたしは、重いまぶたを、うっすらと開いた。
真っ暗で、何も見えない――
「……っ……!?」
不意に、あたしの目の前に、きらめく人影が現れた。
その光は、あたしの目を焼くほどに強烈なものだった。
あたしは悲鳴を上げて目をかばった。
ああ、この眩しさ――
まるで、まるで、まるで――
『こら、何を、ぐずぐずしている?
とっとと目を覚まさんか。蹴飛ばすぞ』
――嫌!
あたしは、その光を見ないように、ぎゅっと目を閉じて叫んだ。
ぎらつく光。
炎。
火の、あかり。
だめ、だめ、だめ!
目を覚ませば、思い出してしまう。
怖いもの。
思い出すのは、怖いのだもの。
『まあ、なんて髪の色なんでしょう、まるで火の色だよ』
『禍々しい色……きっと災いを呼ぶよ』
『火事を呼ぶ子だ』
『恐ろしい……』
違う、違います!
あたしは、人間の、子ども。
あたしは、恐ろしくないよ。
あたしは、あんなこと、しませんでした。
『目を覚ませ。
お前は戦士だ。
雄々しく戦い、自らを守り抜いた、勇敢な戦士……』
違います!
あたしは、何もしてない。
何もしてません!
あたしは悪くない、怖くなんかないよ、恐ろしくない。
鬼の子どもじゃない。
火事も呼ばないよ。
あたしは、ただの、人間の、子どもなの――
みんな、怖がらないで、あたしを嫌わないで、ひとりにしないで。
あたしは、ふつうです。
だから、みんな、あたしを恐れないで――
『馬鹿者』
その人は、そう言って、
『誰が、おまえなどを恐れるか』
あたしの頭を、ぼこん、と叩いた。
あたしは、思わず目を開けてしまった。
呆気にとられて、その人を見つめた。
強すぎる、その光を。
きらめきの中から声が聴こえる。
『お前こそ、恐れるな。
怖がることはない。
その恐怖は、お前の心を歪めてしまう』
こころ、を――?
『そうだ。
もう、分かるだろう? ……思い出せ。
あの、月のない夜の出来事が、お前の狂戦士化の原因なのだ。
狂戦士化も、母の死を忘れたことも……
お前が、自分で選んだ道だ。
自分の心を守るためにな。
お前は、母親の死を――
そのために、自分が怒りに駆られて人を傷つけ、殺したことを、認められなかった。
自分が、恐るべき破壊の力を持ち、それを他の人間に対して振るったことを、受け入れられなかった。
幼いお前には、酷な事実だっただろう。
だが、今のお前ならば、超えられる。
目を覚ませ!』
破壊の、力――
不意に足元の闇が崩れて、激しい炎が噴き上がった。
あたしは息を呑んだ。
揺れている。
踊る。
沸き立つ。
地の底に眠るマグマのような、流れる血のような、真っ赤な炎――
――嫌ァ!
あたしは喚いた。
違う、あたしじゃない!
あたしがやったんじゃないよ!
『目を背けるな!』
その人の声は、あたしの身体を、心を、突き抜けるように響いた。
『お前は、殺した。
それは正しいことではなかったのかもしれない。
だが、間違ったことでもなかった。
命を懸けた戦いの善悪を、裁ける者は誰もいないのだ。
だから、アニータ・ファインベルド……
お前は、その事実から、目を背けてはいけない』
「あたし……は……」
『お前の力、お前の過去。
すべて、お前のものだ。
お前が引き受けずに、他の誰が引き受けるのだ?
この炎は、お前の力。
お前を守る。
そして、いつか、お前の大切な者をも守るだろう。
あの日、お前自身の命を救ったように』
「まもる……」
狂気の火、復讐の火、滅びの火。
憎しみの火。
怒りの火。
あたしは――
『そうだ。お前は火だ。
人を守り、暖める火。
暗闇を照らす火。
悪しきものを清める、浄化の火――』
いつのまにか。
血のような、マグマのような、どろどろとした炎は、その色を変えていた。
白く――
軽やかで、まるで光そのもののような炎。
あたしの周りで、花が咲くように、いくつもの火花が散る。
白い炎が、広がる。
闇を、押しのけていく――
『俺たちの場所へ戻って来い。
そこは修羅の庭かもしれない。
だが、そこでなら、お前はひとりではない。
共に戦う、仲間たちがいる』
「なか、ま……」
『そうだ』
その人が、力強く頷く。
『目を背けるな!
己の過去を見据え、その重みを背負え、アニータ・ファインベルド!
お前が支えきれないときは、俺たちが、共に支えよう』
「俺たち……」
『ああ』
その瞬間。
その人の口の端に、ちらっとだけ笑いがよぎったような気がした。
『戻ってこい、アニータ・ファインベルド。
俺たちは、おまえを歓迎する』
ああ。
この人は――
「あなたは……」
『帰るぞ』
輝く手が、差し出される。
大きな手が。
あたしは。
ためらいなく、その手を握った。
「はいっ!」
闇の、彼方から、光が、溢れて――




