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帝国魔術学院!  作者: キュノスーラ
第九章 今、目覚めの時
39/43

今、目覚めの時 6

    *    *    *



 その場に居合わせた、全員が。

 その瞬間、呼吸を忘れた。


 バシイッ!


 激しい音が響く。

 両の手が打ち合わされる、音が。


 凄まじい速度で飛来した銀の刃は、少女の手のひらのあいだに、がっちりと挟み止められていた。


「……ウゥ……」


 息を呑んだ一同の前で、彼女は獣のように唸った。  

 やがて――

 ゆっくりと顔を上げてきたとき、その顔つきが、変わっていた。


 舌舐めずりをするかのような凶悪な笑みがこぼれる。

 燃えるようにぎらつき、焦点の合わない瞳。


「キャアアアァァァァアッ!!!」


 大気を震わすように甲高い叫びが上がった。

 それは悲鳴ではなく、歓喜の叫び、怒りと挑戦の意思の表明だった。


「出たか!」


 レオナルド・ガッシュは鋭く呟いた。

 仮面の奥で、彼は――

 笑ったのではないだろうか?


「来い! ……アニータ・ファインベルド!」


「イィイイィーアッ!!!」


 少女は、手のひらで挟み止めたレオナルド・ガッシュの剣を、ぱっと空中に投げ上げた。

 同時、座り込んでいた姿勢から、ばねが弾けるように跳躍し――

 目にも止まらぬ素早さで、空中にある剣の柄を掴み取る。

 着地し、ぐうっと姿勢を低くしたその姿は、ぎりぎりまで引き絞られた弓から今にも射ち放たれようとする鋭い矢のようだ。


「やるな」


 レオナルド・ガッシュは呟いた。


「だが……」


「――ギッ!?」


 駆け出そうとしたアニータが、呻いて、動きを止める。

 その手の中で、ヴン!! と唸りを発し、銀色の剣が震えた。

 まるで超微細な振動を受けた砂型のように、少女の指のあいだで、銀色の剣はたちまちのうちに形を失い、ざあっと零れ落ちて虚空に消える。

 戸惑ったように一瞬動きを止めた少女に向かい、レオナルド・ガッシュは、無造作に左手を向けた。

 少女は弾け跳ぶようにその場を離れた。

 一瞬前まで彼女が立っていた地面に、無数の光のナイフが突き立ってゆく。


 次々と放たれる光の刃をかわして、少女は獣の仔のように、「あるもの」を目がけて走り――

 肩口から地面に転がって、再び立ち上がったとき、その手には、先ほど手放したアニータ自身の刀が握られていた。


「ウゥオオオオオオォ!!」


 絶叫と共に、白刃がひらめく。

 レオナルド・ガッシュが続けざまに放った光の刃を、彼女は、神速の剣技でことごとく斬って落とした。

 光の欠片が、宙で真っ二つに切り裂かれては砕け散り、きらきらと舞い散ってゆく。


 ザアアァァァッ……!


 奇妙な音が響いた。

 左手で絶え間なく光の刃を撃ち放ちながら、レオナルド・ガッシュは右手を高く掲げている。

 その手の中に、銀色の剣が復元されつつあった。

 砂時計の砂が落ちる様を逆回しに見ているように、下から、上へ――

 銀色の柄から鍔、そして刃へと、形が定まり、実体化してゆく。


 アニータの目が、ぎらりと光った。

 そして、疾風のごとき突進!


 相手が武器を取り戻さぬうちに斬る。

 躊躇はなかった。


 血を流して倒れるがいい。

 倒さねば。

 ――目の前の、憎い、黒衣の男を――


「キャアアアアアーッ!!」


 絶叫とともに振るわれた刃が、肉に食い込む、その寸前!

 銀色の剣がひるがえり、その一撃を受け止めた!


「ガァアアアアアアアアア」


 アニータが吠える。

 その表情は歪み、目は血走っていた。


「!」


 出し抜けに、アニータの刀から紅蓮の炎が噴出し、レオナルド・ガッシュに襲い掛かる。

 顔面を焼かれる寸前、彼は少女の身体を突き放し、数メートルも跳び退った。

 だが、炎はのたくりうねる蛇のように迫り、彼を叩き潰そうとする。


 虹色の光が弾けた。

 レオナルド・ガッシュがかざした右手の前に魔力の壁が出現し、アニータの攻撃を食い止めている。

 飢えた猛獣が檻の壁をかきむしるように、紅蓮の炎は繰り返し見えない壁を叩いたが、鉄壁の守りは小揺るぎもしなかった。


「……お前の目には、憎悪がある」


 不意に、レオナルド・ガッシュは呟いた。


「なぜ、俺を憎む?」


 答えはなかった。

 凄まじい温度と勢いを持った炎が、繰り返し、繰り返しぶつかってくるだけだ。

 それは、怒り狂った子どもが、拳を叩きつける様子にも似て――


「ことばを忘れたか? 話せるはずだ。

 ……思い出せ」


 彼は言った。

 一語、一語、幼子に聴かせるように、はっきりと。


「なぜ、お前は、俺を、憎む?」


「ウウウウゥウウゥゥ……」


 炎の向こうで、少女の顔が鬼神のようになった。


「……ユルサナイ……!!」


 押し出される声は、普段の彼女のものではなかった。


「オマエタチハ……」




 ――許さない。

 ふたりの戦いに魅入られたように立ち尽くしている観客たちを押しのけ、リリスは、再び観客席とバトルフィールドとを隔てる柵までたどり着いていた。


 赤い髪の少女。

 ああ、憎い、憎い、憎い――




「待てコラァァァ!!」


 その姿をとうとう捕捉したエニグマが、居並ぶ人々をボウリングのピンのように薙ぎ倒して突進し――




 憎い、憎い、憎い!


 赤い髪の少女の身体が、不意に、ぎらつく光の粒子をまとい始めた。

 凄まじい勢いで集中した《光子》が、並の人間の目にも見てとれる光として具現しているのだ。

 激しい旋風が巻き起こり、少女の着物を激しくはためかせる。

 その足元から、大地をそのものを侵蝕するかのように、緋色の輝きからなる魔方陣が展開してゆく。

 それはあっという間に、バトルフィールドのほぼ全面を呑みこみ――


「ウオオオオオオオオオッ!!!」


 少女の咆哮と共に、渦巻く風が炎をまとい、轟! と凄まじく巨大な火柱が立ち上がった!

 その火柱は少女を守るように彼女を取り囲み、天を衝くように高くそそり立った。

 人々は、言葉を失い、その壮絶にして荘厳な光景を見つめた。


「……ユルサナイ……!」


 レオナルド・ガッシュの耳に、少女の唸り声が届いた。


「オマエタチハ、アタシノ――!」




 お前は、あたくしの、大切なものを奪ったわ。


「報いを受けるがいい!」


 激しく吹き荒れる風が、リリスの金の髪を蛇のように躍らせる。




「やめろっ、この――」


 エニグマが、最後の邪魔者を投げ飛ばして、リリスに飛び掛かり――




 炎の照り返しを受け、リリスは、あの言葉を高らかに叫んだ。




 その直後。

 いくつもの出来事が、同時に起こった。




 無限の増殖を続けていた緋色の魔方陣が、凍りついたように止まる。

 少女を守っていた炎の壁が、消える。


 アニータは、立ち尽くしていた。

 きょとんとした表情で。


 守りを失い、動きの止まった彼女に向けて、レオナルド・ガッシュが走り出す――




 リリスは満足しきったように息を吐き、ふと、何かに気付いたように振り向いた。 

 衝撃。

 彼女が意識を失う前に最後に見たものは、憤怒の形相で両拳を組んで振り上げたエニグマ・フラウの姿だった。




 アニータの顔に、少しずつ、理解の色が広がり始めた。

 ガラスの器に静かに亀裂が入るように、ゆっくりと。

 その奥から、闇があふれ出す。

 助けを求めるように唇が開いた。



 絶叫がほとばしる。



 魔方陣が、砕け散る。



 その只中を、レオナルド・ガッシュは少女に向かって、一直線に突進し――



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