今、目覚めの時 5
はーっ……はーっ……はーっ……
自分自身の息遣いが、やけに大きく聴こえる。
ぐっと握りこむ、柄の感触。
炎を照り返して、ぎらぎら輝く刃。
十数歩を隔てて向き合った黒い姿を、あたしは睨みつけた。
炎の中から平然と出てきたその姿を見たとき、あたしは、魔術で戦うっていう選択肢を捨てた。
手持ちの中で最強の術をあっさりと打ち破られた今、これ以上、魔術を使っても、無駄に消耗するばっかりで、まったく意味がない。
こうなったら――
不利かもしれないけど、白兵戦に勝負をかけるしかないんだ!
レオナルドくんは、最初から持っていた銀色の剣を、だらりと右手に垂らしたままで構えてもいない。
あたしなんか、敵じゃない。
そう思ってるんだろう。
――確かに、そうだ。
この人が、今のあたしじゃ及びもつかないくらい強いってことは、ここまでの戦いで、分かりすぎるくらい分かってる。
でも。
降参したり、棄権しよう、なんて考えは、欠片ほども浮かばなかった。
それだけはできない、という気がした。
もちろん、みんなと約束したメダルのため、総合優勝のために。
そして――
(……そして……?)
自分で、思わず首を傾げる。
そして……他に、何が、あるの……?
その、瞬間だ。
「!」
すうっ、と、レオナルドくんの剣が上がった。
柄に、左手が添えられる。
切っ先でまっすぐにあたしの眉間を指して、ぴたりと構えたその姿。
まるで巨大な岩みたいに、圧倒的な安定感と、威圧感があった。
(ああ、本当に……本当に強いんだ、この人……)
その構えは完璧だった。
鋼鉄の壁みたいに、たとえ全力でぶち当たったとしても、破れそうになかった。
――それでも。
(やるんだ……)
なぜか、無性に泣きたくなった。
変だな。ここは、泣くところじゃないのに。
摺り足で、じりじりと間合いを詰める。
(この人には……)
こんな、やつらには――
(絶対に……)
ぜったいに――
(負けられない!!)
まけちゃ、いけない――
「――ハァッ!!!」
ダンッ!!
呼気と踏み込みの音が、同時。
自分の刀の切っ先と、微動だにしないレオナルドくんの切っ先がほんのわずかに触れ合った、その瞬間!
相手の切っ先を跳ね除けて、喉元めがけ、一撃必殺の突きを放つ!
まるで、引き伸ばされた水飴みたいに。
時が、ゆっくりと流れる――
左に跳ね除けたレオナルドくんの切っ先が、瞬時に目の前に戻ってきた。
うっと息を呑む間もなかった。
このままじゃ、切っ先に顔面から突っ込むことになる。
思考じゃなく反射で、身体が動いた。
姿勢を、思い切り低くする。
屈むどころじゃない、ほとんど頭から相手めがけてダイブするような格好になった。
でも、あたしの伸ばした腕の先には、刀がある。
転がりながら、相手の両足を薙ぎ払うように、一撃――
(当たれ……!)
ぱぁん、と。
レオナルドくんが地面を蹴った。
あたしが振るった刃は、跳んだ彼の足元を空しく通り過ぎ――
どふうっ!
「……っがっ……!?」
うつ伏せになったあたしの背中に、重い一撃が叩きつけられた。
息が止まる。
指先が痙攣する。
それでも持ち上げようとした刀を、右手ごと押さえ付けられた。
「――降伏しろ」
背中から肺を突き抜けて胸にまで通るような痛みにもがいていたあたしは、突然、耳元で聞こえた囁き声に、思わず動きを止めた。
ひゅうひゅうという息の音だけで話しているような、聞き取りにくい声。
彼は、あたしの真上にいた。
声の位置と、感触からして、あたしの背中を膝で押さえつけているらしい。
じゃあ、さっきの一撃は――
あたし、彼の飛び膝落としを喰らっちゃったってわけ!?
「降伏しろ」
感情を一切読ませない声で、彼は言った。
「お前は、俺に勝てない」
「い……」
血の味がする。
口の中を切っただけか……それとも、まさか、肺からの出血……!?
さっきの一撃で、肋骨の二、三本、折れたんじゃないだろうか。
もしも、それが肺に突き刺さってたりしたら――
早く降参して、手当てを受けなきゃ、本当に、死んじゃうかも――
「い・や・だ」
ああ、あたし、何を……何を言ってるんだろう?
でも――
「あ・た・し・は……ぜったいに……降参、しない!」
* * *
「やめて、やめて、やめてですの、アニータさぁん!」
「アニータ! 棄権です、棄権してください!
……駄目です、聞こえていない! ミーシャ!」
珍しくも焦った口調で、ライリーは叫んだ。
「やむを得ません。これ以上の試合続行は無理です! 助けに入りましょう!」
その手にはすでに、どこからともなく取り出された《ジークの鉄槌》が握られている。
「え……ええ~!」
涙でべたべたになった顔で、ミーシャも頷いた。
――だが。
「ッ!?」
出し抜けに、ライリーの表情が大きく歪んだ。
彼はミーシャのほうを向き、何か言おうとするように口を開きかけたが、果たせないままに、その場に崩れ落ちる。
「ラ、ライリーさん……っ!?」
そして、彼に駆け寄りかけたミーシャも、また。
びくっ、と体を大きく震わせると、そのまま糸が切れた操り人形のようにその場に倒れ伏し、ぴくりとも動かなくなった。
「………………」
どこからともなく出現した、仮面に黒衣の男――あるいは、女――たちは、無言のままで目を見交わしあうと、静かに拳を下ろす。
彼らの中指に嵌められた指輪から突き出た毒針は、それと同時に、音もなく元の仕込み溝に戻っていた。
* * *
「もうやめろ!」
マックスは叫んだ。
こうなっては、なりふりかまってはいられない。
彼は、観客席と競技場を隔てる柵に片手をつくと、一気にそこを飛び越えようとした。
「!」
その瞬間、獲物を捕らえる豹のように、彼に飛び掛かってきたものがある。
普段の彼ならば、とっさに反撃できたかもしれなかった。
だが、気が急いていたために、気付くのが遅れた。
しかも、そいつは、空中で不安定な体勢でいる瞬間を狙って襲い掛かってきたのだ。
バトルフィールドの砂の上に不自然な体勢で叩きつけられたマックスは、
「こン、のっ……!」
怒りに燃える目で襲撃者を睨みつけたが、
バシッ!
その眉間で一瞬、光がひらめいた。
マックスは身体を小さく痙攣させると、直後、がくりと脱力する。
「……………」
ばちばちと帯電する指先を握り込むと、仮面に黒衣の人物は無言のまま、その場から姿を消した。
* * *
「どうするのだ、バノット……」
テントが吹き飛び、その上、クレーター状に地面が抉れて見る影もない本部座席――
ぼろぼろになり、完全に伸びた逞しい若者――ルークの身体の上にどっかとあぐらをかいて、学院総長イサベラは唸った。
側には、ばっくりと割れた香炉のかけらのいくつかが転がっている。
いくつか――というのは、他の欠片は、ルークが全力で暴れまわったために、中の香もろとも粉々になり、砂粒レベルにまで粉砕されてしまっていたからだ。
「得意の策略はどうしたのだ?
もはや、筋書きと違うどころか、収集のつかん事態になってきているぞ……」
だが、いくらぼやいても返事がないことを、彼女は充分に承知していた。
バノット・ブレイドの姿は、とうの昔に、本部座席から消えていたからだ――
* * *
「あたしは!」
文字通り血を吐くように、あたしは叫んだ。
胸が痛い。背中も痛い。
どこもかしこも、もうボロボロだ。
でも、それでも。
どんなに痛くて辛くても、あたしは――
「絶対に、降参しない! 降参なんか、するもんか!」
「……馬鹿め」
出し抜けに襟首を掴まれて、まるで子猫でも持ち上げるみたいに、ぐいっ! と引き起こされる。
不意打ちだったせいで、緩んだ指先から刀の柄が滑り落ちた。
あっと思ったときには、そのまま、どかっ! と蹴飛ばされて、あたしはなすすべもなく地面に突っ込んだ。
もう、両腕を上げて受身をとることもできなくなっていた。
「力もないくせに、ずいぶんな大口を叩く……」
彼は、倒れてるあたしの目の前まで来ると、持っている剣を静かに揺らした。
「二度と俺の前に立てないようにしてやろうか?
事故に見せかけるくらい、簡単なことだ……」
「そうしたいんなら……」
泣きたい。
いや、もしかするとあたし、もう泣いてるのかも。
顔を流れ落ちていく熱い感触が、汗なのか、血なのか、それとも涙なのか、もう、区別なんてつかない。
――それでも。
「やってみりゃいいじゃん……!」
あたしは、ゆっくりと立ち上がっていた。
傷だらけの拳を固める。
何が、自分を突き動かしているのか。
あたしには、分からなかった。
それはただ、奥底から湧き上がってくる、訳の分からない、とめどない、止めようもない奔流のような感情――
「やるなら、やればいいよ!
あたしは、降参なんかしない!
絶対絶対絶対、降参なんか、しない!!」
「ああ……」
どうでもよさそうに、そう呟いて。
「ならば、死ね」
彼は無造作に右手で剣を振りかぶり、あたしに向かって、目にも留まらぬ速さで投げつけた――




