今、目覚めの時 4
「おっ……」
落下したアニータの身体が巨大なマシーンを直撃する様を見た瞬間、彼女は、覆面の下でそう呟き、
「……おう」
次の瞬間、ド派手な音を立てて爆散した《さわやかくんフォーエバー》に、静かな唸りを上げる。
彼女は、じっとその地点に目を凝らした。
観客たちとて、れっきとした学院の生徒だ。
全員が素早く退避しており、爆発に巻き込まれるような間抜けな者はいなかったようだが――
「ずいぶんと、派手にやっているな。
さて……あの機械が止まったということは、これが、また役に立つということか?」
足元に置かれた、もうもうと煙を上げる巨大な香炉を、ちょんちょんとつま先でつつき――
と、その瞬間!
「見付けたぜええええっ!!」
ゴバァッ!
本部座席のテントを吹き飛ばし、飛び込んできたのは、胴着姿の逞しい若者だった。
さすがに驚いて振り向いた彼女の目に、ごうごうと噴き上げる激怒のオーラ――もとい《光子》の流れが映る。
「ルーク・リンドローブか? お前、何を」
「何てこった……!!」
岩すらも打ち砕きそうな拳を固め、彼は、歯軋りさえして唸った。
「総長閣下が、妨害工作に一枚噛んでたなんてよおっ……!
こっちは、信じてたってのに! あんまりだぜっ!!」
「は?」
紫の覆面の上で、金色の目を見開き、イサベラ。
「妨害工作だと? おい、何を言ってーー」
「許せねぇ……!!!」
叫んだ彼は、泣いてすらいるようだった。
ブワァッ!! と彼の全身から噴き出した闘志が、イサベラの紫のローブを激しくはためかせる。
「アニータは、落っこちちまったけど……!
絶対絶対、また立ち上がってくるっ!
その試合を、邪魔するなら!
たとえ、総長閣下でも、絶対に、許しちゃおかねー!!」
「おい、待たん――」
「問答無用ッ!」
怒鳴ったその拳に、蒼白い光が宿って――
「喰らえ! 必殺、地・脈・炸・裂・けぇぇぇぇぇん!!!」
ドォオオオオオオオォォン……
背中から伝わってきた鈍い振動に、あたしは、うっすらと目を開いた。
青い空が見える。
……ええと……何?
あたし、どうしたんだっけ……?
空は、まるで縁を切り取られたようにギザギザしていて、視界の周辺ぐるりには、奇妙な機械の部品が見えている。
飛び出したパイプ、折れ曲がった金属板。
垂れ下がるコードに、飛び出したバネ――
「――って、しまったああぁぁぁぁぁっ!?」
はっ! と正気に返って、あたしは、ばたばたと暴れた。
何だろうコレ? って一瞬思ったけど、何だろう、じゃないよ!
これって、ミーシャがあたしをサポートするために持ち出してくれた、空気清浄化マシーンじゃないの!?
落ちる瞬間、世界がぐるぐる回転して、空と地面と観客席とが入れ替わりに見えたことを思い出す。
レオナルドくんの魔術の一撃を喰らったあたしは、ものの見事に吹っ飛ばされて墜落し、ミーシャのマシーンに激突しちゃったんだ……
「ぬうぅん! ふんぐぐぐぐ……!」
そうと気付いたからには、のんきに寝てなんかいられない!
ぎゃぎゅぎょぎょぎょぎょ、と、倒れ掛かってくる部品を腕で押しのける。
「痛っ! 痛てててて……!」
身体の節々が軋んで痛むけど、贅沢は言ってられない。
あの高さから、あの勢いで落下して――普通だったら、生きていられたはずがないんだ。
ハゴロモの術の、風の結界がどうにか持ちこたえてくれたからこそ、墜落の衝撃が和らげられたってわけ。
絡みつくコード類を払いのけて、どうにかこうにかマシーン――というか、もはやスクラップ――から這い出す。
さあ、敵は――
レオナルドくんは、どこっ!?
わあっ!!!
必死の思いで這い出したあたしを、観客の人たちの歓声が出迎えた。
そして、
『おおっ……!? き、奇跡! まさしく奇跡です!
アニータ・ファインベルド選手は、生きていた――!
しかも、まだまだ、闘志が衰えていない様子だぁーっ!!』
「……アニータ!?」
「ア、アニータさ~ん!」
司会の人のアナウンスに混じって、横から、聞き覚えのある声が!
「あ! ライリー、ミーシャ……!」
「はっはっ……さすがに一瞬、肝が冷えましたよ!
あの状況で、生きておられるとは、さすがはアニータですな!」
「うううううう~!
生きてらっしゃって、ほんとに、ほんとに、良かったですのぉぉぉぉ~!」
こめかみに一筋の汗を垂らしながらにこにこしてるライリーと、だーっと目の幅に涙を流してるミーシャ。
「当然……!」
あたしは、にっと笑って、親指を立ててみせた。
「まだ、優勝してもいないのに……死んだりするわけないじゃない!」
「えっ……まさか」
ミーシャが、はっとした顔になる。
「アニータさん……まだ、戦うおつもりなのですか~!?」
「あったりまえでしょ!」
さすがに無傷とはいかなかったらしく、身体のあちこちがずきずきと痛む。
けど、それがどうしたっ! て感じだよね。
こんな、やられっぱなしのままで、引き下がるわけにはいかないよ――!
でも、
「ダメですわ~!」
ミーシャは、えぐえぐ泣きながら叫んだ。
「そんな、ひどいケガ、してらっしゃるのに……!
もう、優勝なんて、いいですから!
棄権してください、棄権~っ!」
「え!?」
「……アニータ」
目を見開いたあたしに、妙に冷静な調子で、ライリー。
「先ほどから、顔面が流血でかなり壮絶なことになっているのですが……お気づきですかな?」
「嘘!?」
慌てて拭ってみると、袖口に、べったりと赤い血がついた。
うわっ……汗の感触と混じって、ちっとも分かんなかったよ!
墜落したときに、マシーンの部品か何かで、どっかを切っちゃったのかな!?
「平気、平気、こんなの! 痛くないし!」
「ダメですってばぁ~!」
泣きながらすがってこようとしたミーシャの手を、あたしは、さっと後ずさって避けた。
「……! ……ア、アニータ、さん……」
「ごめん。ありがとう、ミーシャ」
でも、分かって。
今、試合の相手以外の人間と接触したら、ルール違反で失格負けになっちゃう。
あたしは――
このままじゃ、引き下がれない!
ミーシャとライリーに、ひとつ、大きく頷いてみせ。
あたしは、再び戦場へと踏み出していく。
「……あー、あーあー……」
周りを見渡して、あたしは思わず、ぱかんと口を開けちゃった。
半ばマグマ溜まりと化したようなバトルフィールド。
魔術の流れ弾で、いくつもクレーターが開いた観客席。
――って、なぜだかいまや、本部座席まで、爆発でもしたみたいに吹っ飛んでるし……!
無我夢中だったとはいえ、とんでもない被害を出しちゃってるな、あたし……
そして、こんな状況でも逃げ出さず、ちょっとでも安全そうなところに固まって、やんやの喝采を送ってくれる観客の人たち!
義理堅いというか、神経が太いというか、心臓に毛が生えてるというか……
いや、それはともかく!
「――レオナルド・ガッシュ! どこにいるの!?」
鋭い声で叫ぶ。
その声に応えるように――
再び、炎の中から黒い姿が現れた。
* * *
何ということ。
リリスは、きりりと糸切り歯を噛み鳴らした。
撃ち落とされ、巨大なマシーンに突っ込んだアニータ・ファインベルド――
死んだか、少なくとも重傷は免れなかったはずと思ったのに、血を流しながらも、平然と立ち上がってくるとは。
(……こうなったら……)
リリスの目には、暗い炎が燃えていた。
(こうなったら……もう一度……)
固唾を呑んで試合の成り行きを見守る観客たちに紛れ、リリスは、少しずつ、バトルフィールドへと近付いていった。
* * *
「あの、バカ野郎……!」
競技場の手摺りを砕かんばかりに掴んで、マックスは呻いた。
炎の中から歩み出てくる黒衣の選手――レオナルド・ガッシュは、アニータとは、完全に実力の桁が違う。
アニータの渾身の術を受けて何のダメージも受けなかったばかりか、放った術で、ホムラノオロチを貫通しさえしたのだ。
アニータはおろか、自分も――いや、おそらくは、この場にいる生徒たちの誰ひとりとして、彼を打ち負かすことはできないだろう。
傍から見ているから、その圧倒的な実力差がよく分かる。
アニータ本人は、気付いていないのだろうか――?
「うおおぉー! いいぞ、アニータ・ファインベルド!」
「根性あるう! やっちまえーっ!」
「せめて、一矢報いろーっ!」
無責任な歓声をあげる周囲の観客たちを、マックスは、ブッ殺してやろうかと言わんばかりの目つきで睨みつけた。
(……今すぐにでも、棄権したほうがいい……!)
このまま戦い続ければ、彼女は、致命的な大怪我を負わされかねない。
タシュール教室の生徒たちが暗殺部隊と呼ばれているのは、単なる見た目からのあだ名などではないのだ。
総長命令により、学院の利益に反する存在を、隠密裏に始末する――
殺しの精神を叩き込まれてきた者にとって、放つ技は、常に必殺のものでなくてはならない。
これまでの試合で、全ての相手を30秒で「倒して」きたことは、レオナルド・ガッシュにとって、大いに歯痒いことだったはずなのだ。
本当なら、彼が相手どった者たちは、血を流して死んでいなければならないはずなのだから。
ここまで、「倒す」だけで済んでいたのは、これまでの相手が反撃しなかった――あるいは、したくてもできなかった――からに他ならない。
「レオナルド・ガッシュ!」
顔面から襟元にかけてを朱に染めた壮烈な姿で、アニータ・ファインベルドは叫び、
「勝負!」
鞘音も高く、刀を抜き払った。
「やめろ!」
マックスは叫んだ。
あんなふうに真っ向から挑んで、もしも相手が、手加減をする気をなくしたら――
「やめろ、アニータ・ファインベルド! ……死ぬぞ!」
うおおおおおおおおおおおおぅ!!
熱狂した観客たちが踏み鳴らす靴音と雄叫びが、彼の声を呑み込んでゆく。




