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帝国魔術学院!  作者: キュノスーラ
第九章 今、目覚めの時
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今、目覚めの時

 ド……ドドドドォォォッ……


 真っ青な空の下、競技場の砂の上に、一歩を踏み出した瞬間。

 砕ける波の音が聞こえたような気がした。


(え?)


 あたしは、思わず目を見張る。


「うおおおおっ! アニータ・ファインベルド、がんばれーっ!!」


「負けるな~! ファイトッ!」


「勝・利! 勝・利!!」


 反射的に耳を澄ましたけど、聞こえてくるのは割れんばかりの歓声と拍手だけ。

 その迫力は、まさしく怒涛のごとし!

 ……だから、聞き間違えたのかなぁ?


「あれ?」


 バトルフィールドを挟んで、あたしの反対側――

 レオナルド・ガッシュくんの控え室出口を見て、首を傾げる。

 そこに、まだ、彼の姿はなかった。


『いよいよもって始まろうとしております、総合戦技競技会《剣》の部、最後の試合!

 アニータ・ファインベルド選手、悠然と登場だぁーっ!

 その姿には《炎の武神》としての風格さえ、漂っているようでありますっ!』


 うっおおおおおおぉぉぉぉ~!!


 いや、だから《炎の武神》って、誰っ!?

 まあ、いいけど……これから、このあだ名が定着しちゃったらどうしよう……?


『対する《暗黒神話》レオナルド・ガッシュ選手は、いまだ、姿が見えなーいっ!

 集中を高めているのでしょうか!?

 それとも……まさか《暗黒神話》ともあろう戦士が、アニータ選手との対決を、恐れているのかあぁーっ!?』


 どおおおおおおおおおおおおっ!


 司会の人のアナウンスに、どよめく観客の人たち。

 そうなのかな……!?

 正直、こっちもかなりビビっちゃってたけど、意外と相手も同じだったりして。

 そう思うと、ちょっと気が楽になってきた。


 はっ、それともレオナルドくん、まさか、試合の直前に急にお腹が痛くなって、トイレにでもこもってるとか――!?

 いや、まさかね……


『本当に、いったいどうしてしまったのか、レオナルド・ガッシュ選手――!?

 万が一にも、このままレオナルド選手が姿をあらわさないということになりますと――

 アニータ・ファインベルド選手が、不戦勝で優勝だぁ――っ!

 あまりにもあっけない幕切れ! 果たして、それで良い……の……』


 ――彼が。

 ゲートから、姿を現した。

 明るい部屋の片隅に、ふと、影がさすように。


 その瞬間――

 まるで潮が引くように、司会の人の声が小さくなっていく。

 観客席のざわめきが、静まっていく。


(な……何……? この、感じ……)


 彼が、進んでくる。

 まっすぐに、あたしに向かって。

 まるでその足跡から波紋が広がるみたいに、一歩、彼が歩を進めるたび、彼の身体から発する空気が辺りに広がっていく。

 長身を黒い装束に包み、仮面をつけ、抜き身の剣を持った、その姿――


 あたしは、息を呑んだ。

 近付くにつれて、姿が大きくなっていく。

 単に近付いているからという以上に、大きく見えてくるような気がした。

 砂の上を歩いてくるのに、足音が聞こえなかった。


 レオナルド・ガッシュ――


(違う……)


 マックスと戦ったときと、違う。

 これまでの誰とも違っていた。

 刀を交えるまでもなく感じる、圧倒的な力――

 黒い覆面の上に着けられた銀色の仮面が、彼の表情を隠している。


「時間無制限、一本勝負。魔術の使用も可です……!」


 さっきまでとは対照的に、静まり返った競技場。

 審判の声だけが響き渡る。

 でも、あたしの意識には、その声はほとんど届かなかった。


 なんて、強そうな人だろう……

 これまでずっと三十秒で勝ち上がってきたって話も、今なら信じられる。


(怖い……)


 ただ、向かい合って立っただけなのに、圧倒されそうになった。


 これまでの対戦相手はみんな――何ていうか――キラキラしていた。 

 全力を尽くして、この試合を楽しもう! っていう気持ちが伝わってきて、あたしも、わくわくしながら戦ってた。

 でも、この人は――

 この人は、何だか――


「どちらかが試合を放棄した場合、また戦闘不能の状態になった場合には、相手の勝利となります!」


 ああ……嫌だな、もうすぐ、試合が始まっちゃう。

 この審判のせりふが、いつまでも終わらなければいいのに……


 自分がそう思っていることに気付いて、驚いた。

 あたし……逃げたがってる?

 このあたしが!?


(ダメだっ! )


 あたしは拳を固めて、自分の太ももに叩きつけた。

 勝負は、相手と向き合って立った瞬間から、もう始まってる。

 ここで、負けると思ったら、ほぼ確実に負ける。


 あたしは、勝ちたい!

 勝たなきゃならないんだ!


 だって、ミーシャや、ルークや、ライリーに約束したもん。

 絶対に勝って、メダルを獲ってみせるって!

 あたしが勝たなきゃ、バノット組の単独総合優勝はなくなっちゃう。

 ここまできて、そんなの絶対に嫌だ!


 それに。

 正々堂々と戦い抜いて、バノット教官に、見せ付けてやらなくちゃ。

 あたしは自分の力で「発作」を乗り越えたんだってこと……


 でも。

 こうして向き合っているだけで、背中がぞくぞくしてくる。

 心臓が縮み上がって、足がすくむ。

 何なの、これ!? おかしいよ……!


 レオナルドくんは、ただ立っているだけ。

 それなのに、どうしてだろう。

 ものすごく、怖い――


 たらりと、冷たい感触が額の横、そして頬を伝っていった。

 雫になって流れ落ちるほどの冷や汗が、いつの間にか湧いている。  

 あたしは袖を持ち上げて汗を拭き、知らず知らずに荒くなっていた息を整えようと、深呼吸を繰り返した。



    *    *    *



「あぁ? ……何だ?」


 その異変に最初に気付いたのは、ルークだった。

 観客席から身を乗り出してアニータの様子を見つめ、


「えっ……おいっ!? ミーシャ、ライリー!

 なんか、アニータの様子がヘンだぜっ!?」


「急に、どうなさったんでしょう~……!?」


 手製の双眼鏡を覗き、ミーシャが、心配そうな声をあげる。


「アニータさん、今にも、倒れてしまいそうな顔色ですわ~!

 まさか、急病でしょうか……!?」


「ふむ」


 いつになく厳しい色を瞳にたたえ、ライリー。


「奇妙ですな。あれは、まるで――

 何か、恐ろしいものでも見たような様子ではございませんか?」


「恐ろしいものって、何だよ!?」


 やきもきして居ても立ってもいられない、という様子で、ルーク。


「そりゃ、あのレオなんとか野郎は、めちゃくちゃ強いかもしれねーけど……

 あのマックスと戦うときにも、顔色ひとつ変えなかったアニータだぜ!?

 それがなんで、今になって!?」


「急に、激しい腹痛にでも襲われたのかもしれませんな……」


「ンなワケ、ねーだろ!」


 のんきなコメントを漏らすライリーに、思わずばしっ! と裏拳でツッコミを入れ――


「んっ!?」


 その場で派手にひっくり返ったライリーにはもはや構わず、ルークは急に真剣な顔つきになると、ふんふん、と鼻をうごめかせた。


「何だ? この、匂い……」


「えっ?」


「ほら、ミーシャも感じるだろ? 何か、このへん……妙に、お香くさくねーか?」


「お香~……?」


 言われて、ミーシャも目を閉じ、ふんふんと空気の匂いをかぐ。


「あっ……ほんとですの! かすかにですけど、何か、甘い香りが――

 あっ!?」


 ぱん、と手を打ち、ミーシャが叫ぶ。


「この香り! あれと、同じですわ!」


「『あれ』とは、いったい?」


 むっくりと復活してきたライリーに、ミーシャは焦った表情で、


「あのあの、あれです! この香り――

 アニータさんが、リリスさんに術をかけていただいたときに、部屋で焚かれていたものと同じなのです~! 

 あの施術のとき、アニータさんは、激しい拒否反応を起こしました。

 関係があるかどうかは、分かりませんけれども、この香りが、アニータさんの精神状態に悪影響を及ぼしているという可能性は、大いにありますわ!」


「なるほどっ! だから、アニータはあんなに調子悪そうなのかっ!」


 ばん! と手摺りを両手で叩き、ルークは、いきなりその場を走り出そうとする。


「えっ!? ちょっと、ルークさん!? どこへ行くんですの~!?」


「いや、どこかは分かんねーよ!

 けど、匂いがするってことは、どっか、近くで香が焚かれてるってコトだろ!?

 そいつを消せば、アニータの調子も、元に戻るかもしれねー!」


「……あっ!!」


 ルークのことばに、ミーシャが、ぱかっと口を開けた。


「それなら、私の発明品の中に、使えるものがありますわ!」


「発明品!?」


「ええ。超強力・空気清浄化マシーン《さわやかくんフォーエバー》ですの~!」


 このネーミングセンスに対してのツッコミを入れる者は、少なくとも今、この場においては、誰ひとりとしていなかった。


「スイッチを入れれば、ほんの十秒で作動!

 ほとんどの毒性物質を、特殊なフィルターにより無効化し、森林浴を思わせる爽やかな空気を生み出すのですわ~!」


「よっしゃあ!」


 ガッツポーズを取り、ルークが叫ぶ。


「それだ、それ! ミーシャ、それ持ってきてくれ!

 そいつで時間を稼いでるあいだに、オレが、大元を探してぶっ潰すッ!」


「あ、でも~……!」


 不意に、ミーシャの表情が曇った。


「どうやって、持ってくればいいのか~……

 あのマシーン、大きさが、ちょっとした小屋くらいありますの~!

《ベルーガくん1号》は、もう、エネルギーを使い切ってしまいましたし……」


「はっはっ! ここは、私の出番のようですなっ!」


 華麗なポーズを決めつつ、叫んだのはライリーだ。


「召喚の術を使って、その《さわやかくんフォーエバー》をここに出現させます!

 その《フォーエバー》は、今、どこに置いてあるのですかな!?」


「え~とえ~と、10番倉庫の、3-5コーナー、右手前の角です!」


「了解いたしました! ……ミーシャ、付近の皆さんに警告を!

 ルーク、このことを、先にアニータに知らせて、それから大元を叩きに行ってください!

 彼女を、安心させてあげなくては!」


「わっかりましたですの~!」


「了解だぜっ!

 うおおおおお! 待ってろよ、アニータッ!!」


 そして、三人は動き出す。

 友に、勝利をもたらすために。



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