激突! 総合戦技競技会! 7
ぱち、ぱちぱち。
「………………」
目を閉じたまま、マックスは、そんな音を聴いていた。
感覚で、自分が仰向けに倒れていることが分かる。
背中がずきずきと痛むのは、板壁か何かに激突した――その「何か」が、自分の身体よりも頑丈でなくて本当に良かった――せいだろう。
そうだ。
あれだけの魔術にぶっ飛ばされた直後でも、これくらいのことは考えられる――
とっさに魔力障壁を張ったが、到底、相殺し切れる威力ではなかった。
結果、魔力障壁ごと、思い切り吹っ飛ばされ――
ぱちぱち、ぱち、ぱち。
(誰だ? 拍手なんかしてやがるのは……殺すぞ……)
痛む身体を持て余しながら、閉じていた目をうっすらと開く。
視界に飛び込んでくる、真っ赤な炎。
聞こえていたのは、炎が爆ぜる音。
(あぁ……俺は……焼け死んだのか? あいつの魔術を、喰らって……
――ん? 違、う……?)
あちこちがずきずきと痛むが、思い切って動かしてみると、指も、手足も、首も無事のようだった。
では、今、目の前に見えている炎は……?
マックスは、ぐらぐらする自分の頭に喝を入れ、目を瞬かせた。
幻覚にしては真に迫りすぎている、その炎。
だが、不思議なことに、熱さをまったく感じない。
よく見れば、炎と自分とを隔てるように、薄く硬質な輝きの壁が立ちはだかっていた。
(何だ……?)
「ふん」
イサベラは薄い笑みを浮かべて、頬杖を突いていた手を放し、指を鳴らした。
同時、炎を食い止めていた不可視の壁が消える。
アニータの魔術の直撃からマックスを守った学院総長は、何事もなかったかのような表情で再び姿勢を元に戻し、
「重傷者は出ていないな? よし、それならいい。救護班を向かわせろ」
それだけ命じて、小さく手を振った。
本部座席のイサベラ閣下が、こっちに小さく手を振ってくるのが見えた。
魔力の壁が消えると同時に、あたしは観客席に突進する。
どうしよう、どうしよう、あたし、マックスを――
彼は、バトルフィールドと観客席とを隔てる板の柵を突き破って、座席に半分埋もれたみたいになっていた。
「マックス!?」
「……ってぇ……」
倒れた彼のかたわらに膝をついて叫ぶと、ふらふらと不安定に泳いでいたマックスの視線が、はっきりとあたしを見上げてきた。
「……おう。やるじゃねぇか、お前。
お前の勝ちだ」
『マ……マックス・ブレンデン選手、試合放棄! 試合放棄です!
勝者! 《炎の武神》アニータ・ファインベルド選手――!!』
「ちょっとっ!?」
少し焦げながら(あたしの魔術の余波を受けちゃったらしい)叫んだ司会の人は放っておいて、あたしはマックスの胸倉を掴んだ。
「い、痛ぇな……! てめぇがブッ飛ばしたんだろうが。ちったぁ、手加減――」
「ふざけないでっ!」
怒鳴りつけると、へらへら笑っていたマックスの表情が、一瞬で真顔になった。
「あんた……さっき、わざと、狙いを外したでしょ!?
どういうこと!? あんな、手加減されて勝ったって――」
掴んだ胸倉をがくがくと揺さぶりながら叫ぶ。
重い身体は、ほとんど持ち上がらなかったけれど。
彼のくちびるが、開く。
「お前を……」
「お前を、狙っている奴がいた」
「……え?」
「俺たちのバトルを邪魔しようなんてバカには、思い知らせてやらなきゃな。それだけのことだ」
俺の言葉に、あいつは、混乱したような顔になった。
だが、俺は、それ以上詳しいことを喋らなかった。
そうだ。今、これ以上のことなんて、こいつには必要ない――
「気にするな。
そうでなくたって、お前の魔術の発動の方が、速かったんだ。
お前の勝ちだ」
「マックス……」
わあぁあああああっ!!
不意に、もうひとつの競技場のほうから、歓声が湧き起こった。
『勝者! 《暗黒神話》レオナルド・ガッシュ選手――!』
俺は、そっちを見ているあいつの腕を掴んだ。
ぐいっと力任せに引き寄せて、耳元に囁く。
汗の匂いがした。
「あと一戦。おまえは、心置きなく戦って、勝て」
驚いたように見返してくる、みどりの目。
「勝てよ。アニータ・ファインベルド」
あいつは何も言わずに、俺を見つめていた。
一呼吸、二呼吸――
その表情に、ゆっくりと微笑が戻ってくるのを、俺は、黙って見つめていた。
何か言って、その表情の変化を邪魔したくなかったから――
「分かったわ」
あいつはそう言って、立ち上がった。
その目は、もう俺を見ていない。
もうひとつの競技場――そこにいるはずの、これから戦う相手を――タシュール組のレオナルド・ガッシュを、燃えるような視線で射抜いていた。
ああ……残念だ。
そこにいるのが俺だったら、どんなにか――
『決勝戦は、第1競技場にて行われます!
東! アニータ・ファインベルド選手!
西! レオナルド・ガッシュ選手!
これより、控え室に移動してください!
観客の皆さま! 競技場を移る際には、押し合わないよう、落ち着いて、ゆっくりと歩いて移動してくださーい!」
アニータ・ファインベルドが、袴の裾をさばいて踵を返す。
俺は、その背中をじっと見守っていた。
――と、不意に彼女がくるりと振り向いてくる。
太陽を背負ったその姿は、まるで、翼持つ戦いの女神のようで――
「そういえば」
人差し指を突きつけ、彼女は言った。
「グラウンドで女装ダンスの件、忘れたわけじゃないからよろしく」
「………………………。」
* * *
「とうとう、レオナルド・ガッシュと、アニータ・ファインベルドの激突か……」
金の目を細め、イサベラは呟いた。
グラウンドの整備と、選手の休息のために、試合開始までには、いくばくかの時間がとられている。
「この時を待っていたのだ。
さて、バノット。この勝負、どうなる?」
「アニータ・ファインベルドは、この試合に、勝つことはないでしょう」
「ほう?」
用意された飲み物に口を付けながら、イサベラは微かに首を傾げてみせた。
「また、ずいぶんと確信を持っているようではないか?」
「当然です。今回の相手は――」
「彼女の手には負えん、か? ふん、確かにな」
言って、何を思ったのか、イサベラは不意にくすくすと笑い出した。
「それで、お前の筋書きとやらはどうなっているのだ、バノット?
彼女は敗れ――そして――?」
「彼女は」
重々しく答えるバノットの声には、予言めいて荘重な響きがあった。
「己の過去を見出すでしょう」
「だが、危険ではないか?」
「人はいつか、己自身と向き合い、その全てを受け入れなくては、前進することはできません」
「ふん」
バノットの言葉に、暗赤色の液体を満たしたグラス――底には、一粒の果実が沈められている――を静かに揺らし、学院総長は言った。
「もしも、受け入れることが、できなかったときは?」
バノットは、静かにかぶりを振る。
「これから戦う相手が、彼女の助けとなるでしょう」
「ふむ……」
そのときになって初めて、イサベラはくるりと振り向き、それまで彼女の背後に控えていた男を見つめた。
「お前が、か?」
全身を覆う漆黒の装束に、同じ色の被り物。
手にするのは、抜き身の、銀色の剣――
「できるのか? ……レオナルド・ガッシュよ」
学院総長の問いに、その男は静かな目つきで頷き、そして、銀色の仮面をかぶった。




