激突! 総合戦技競技会! 5
* * *
観客たちのざわめきを聞きながら、マックス・ブレンデンはひとり、無言で集中を高めていた。
競技場の東西に設けられた、選手のための入場口の手前は、巨大なついたてで周囲から仕切られた、屋根のない小部屋のような空間になっている。
組によっては、この小部屋に級友たちが詰め掛け、選手を激励する、ということもあるようだった。
おそらく、バノット組もそのパターンだろう。
彼の場合は、違った。
戦いに臨んでは、頼るべきものは己ひとりだ。
横からごちゃごちゃ言われて集中を乱されると、かえって苛々する。
鋼に固く革を巻き付けた剣の柄を、ぐっと握りしめては放す。
指の形にへこみ、しっくりと手になじむ柄の感触が、彼を鼓舞し、高揚させる――
「マックス……」
不意に、女の声が聞こえた。
マックスの表情が変わる。
隠そうともせず、うざったそうな表情になった。
「委員長命令が聞けねえのか?
これから、試合だ。邪魔するんじゃねぇ」
「つれないですわね」
ついたての隙間からするりと入り込んできたのは、長い金髪の女――
リリス・タラール。
「せっかく、あなたを勝たせてさしあげようと思いましたのに……」
「てめぇの助けなんざ、要らねぇ」
不機嫌に唸ったマックスの視線が、ちらりと横に流れた。
外に立っている係員の生徒――万が一にも、ライバルへの妨害を企む輩を侵入させないためだ――に、ダグラス組の連中といえども誰も入れるなと、わざわざ念を押しておいたはずなのだ。
「あら」
リリスは口元に手を当て、上品に笑った。
「見張りの係員は何をしているのかって、お思いなのね。
――あたくしの得意分野をお忘れかしら?」
マックスは、ちっと舌を鳴らした。
人の心を暴き、惑わし、操る――《人形遣い》のリリス。
まったく嫌な女だぜ、と、マックスは胸中で吐き捨てた。
組の連中が、彼女との関わりをできる限り避けようとするのも無理はない。
彼女が精神系の術を扱うから、というわけではなかった。
ここは帝国魔術学院だ。
魔術に貴賎などないし、そのために使い手が差別されることもない。
嫌われるのは、その心根。
彼女は、自分の魔術によって知った事柄を、己の利益のために利用しようとするからだ。
リリスが、マックスの腕にそっと手を置く。
マックスがそれを振り払おうとするよりも早く、彼女は囁いた。
「アニータ・ファインベルドを確実に倒す方法、教えてさしあげましょうか?」
「……何だと?」
思わず問い返したマックスに、リリスは、嬉しそうに微笑んだ。
「あたくし、彼女に術をかけましたのよ。あの女の過去を視ましたの」
「俺に黙って、裏工作か――」
「とんでもない。あたくしの能力を知って、彼女のほうから、頼んできたのですわ」
確かに、それは嘘ではない。
だが、自分からそう仕向けたことについては、リリスは一言も触れなかった。
「人間の心は、優秀な防衛機構を備えていますわ。
耐えられないほどの恐怖や悲しみをおぼえたとき、自らを守るために、それを忘れてしまう……
もしも何ひとつ忘れない人間というものがいるとすれば、おそらく、発狂してしまうでしょうね」
「何が、言いたい?」
「彼女は、幼い頃に、何か恐ろしい体験をしたようですの」
大仰に声をひそめ、リリスは囁く。
その声は、蜂蜜のように甘ったるい響きを持っていた。
「狂戦士化の鍵となるほどの、恐ろしい体験。
それが何かまでは分からなかったけれど、あたくし、どうすればあなたの役に立てるかは分かりましたのよ――
ねえ、マックス。あたくし、あなたを勝たせてさしあげたいから、特別に、その方法を教えてさしあげるわ。
アニータ・ファインベルドと鍔競り合いになったとき、たった一言……
『月のない夜に』と、仰ればよろしいの」
「何だ、それは……?」
「あたくし、術を解除する前に、彼女の精神に遅発性のトラップを仕掛けておきましたの。
このキーワードを耳にすれば、アニータ・ファインベルドは、すべての記憶を取り戻し――自滅しますわ。 あなたの勝ちよ!」
言われて、マックスは、しばらくのあいだ、黙って何事か考えているようだったが――
「無理だな」
やがて、小さく肩をすくめた。
「観客席には、大勢の教官たちや、総長閣下もいるんだぜ」
まして、その全員がこちらに注目している試合中のことだ。
どんな小さな《光子》の動きも、見逃されることはないだろう。
真っ向からの攻撃ではなく、事前に罠を仕掛けて相手を狂気に陥れるような魔術を使ったとなれば、その場で試合への参加資格を剥奪される程度では済まない。
評議会からの、相当に重い処分を覚悟しなくてはならないだろう――
「大丈夫」
だが、リリスはますます満足げに笑っただけだった。
「だって、これは、魔術ではありませんもの。
催眠術と呼ばれる類のもので、《光子》を利用することなく、人の心に影響を与えることができる……」
マックスは黙った。
それを驚きのためと取ったリリスは、彼の腕を取り、身体を押し付けた。
「もちろん、簡単ではありませんでしたけれど、他ならぬあなたのためですもの……
あたくし、あなたのためなら、何だってしますわ。
ああ、心配なさらないで。
このことは、あたくしとあなただけの秘密。
絶対に、ばれやしませんわ。
あなたは、ただ、驚いたようなふりをすればいいの……」
マックスは、にやりと笑った。
「汚ねぇ女だな」
「あら、誉めてくださるのね?」
次の瞬間、マックスの右手が目にも留まらぬ速さで振り抜かれた。
ばしっ! という激しい音とともに、リリスが悲鳴をあげて地面に倒れる。
目を見開いて見上げたリリスの頬に、たちまち、赤い手形が浮かび上がった。
「ふざけるんじゃねえ!」
マックスの怒鳴り声には、ただの腹立ちではない、本物の、燃え上がるような怒りがあった。
「この俺が、そんな卑怯な裏工作で勝って、喜ぶとでも思ったか!?
人を見下げるのも大概にするんだな!
お前のさもしい根性で、俺の戦いを汚すんじゃねえ!!」
「嫌、待って、違う、違うの……」
リリスには、マックスの怒りが理解できないようだった。
彼の膝にすがり、懇願するように見上げる。
「あたくしは……ただ、あなたのために……」
「この」
再び手を挙げかけたマックスだが、その手は、途中でだらりと下がった。
触れているのも忌々しいとばかりに、一歩、下がってリリスの手を避け、
「あいつに――アニータ・ファインベルドにかけた術を、解除しろ」
底冷えのする口調で、命令した。
「今すぐにだ! 誓え!
この俺に、ぶっ殺されたくなけりゃな……!」
その瞬間、リリスの目に魔性のような炎が燃え上がった。
彼女は物も言わずに跳ね起きると、マックスが止める間もなく、入ってきたついたての隙間から飛び出していく。
「くそっ! 待て!」
――と、その瞬間だ。
『さあ、いよいよ、選手たちの入場です!
東! アニ―――タ・ファインベルド―――ッ!
西! マックス・ブレンデ―――ンッ!』
わああああああああああっ!!
「畜生!」
司会のアナウンスに続く、怒涛のような大歓声の中で、マックスは歯を軋らせた。
このままでは――
「おっす、いいんちょー!」
不意に、ひょいっ、と別の顔がついたての隙間からのぞいた。
男のように刈り上げた髪型がトレードマークの、ダグラス組のエニグマ・フラウだ。
「やっぱ、おーえんしたかったんで、どさくさまぎれに来ちゃいましたー!
試合、がんばって――」
「エニグマッ!」
突然、斬りつけるような剣幕で怒鳴られ、さしものエニグマが、びくっと肩を強張らせる。
「お前! 今すぐ、リリスを探せ!」
「へっ?」
予想したのとはまったく違う内容を怒鳴られて、エニグマは、目をぱちくりとさせた。
「リリスを……っすか?」
「そうだ! とにかく探して、とっ捕まえろ! いいな!?」
「はぁ? あの――」
「ごたごた言わずに、行け!」
競技場の中央に向かって進み出ながら、振り返って、マックスは指を突きつけた。
「しくじったらぶっ殺す」
「マ、マジっすかっ!?
なんか、よくわかんねーけど、了解っす……!
――うおおおぉい! リリス、どこだあぁーっ!?」
「アニータ・ファインベルド……!」
少しでもバトルフィールドに近付こうと押し合いへし合いする観客たちの間をすり抜け、リリスは進んでいた。
彼女もまた、競技場に少しでも近付こうとしている。
競技場に――
憎い、あの娘に。
マックスが、あのおかしな娘に興味を持ったことは、一目で分かった。
このあたくしに振り向きもしないマックスが、あんな娘に――
勝ちにこだわるマックスの性格ならば、ああすれば、絶対に乗ってくると思ったのに。
あの娘――
「許さない……わ……」
呟いたリリスの形相は、悪鬼そのもののように、醜く歪み切っていた。




