そして、記憶の旅路へ―― 3
あたしは、喫茶店でのリリスさんとの会話の内容を、みんなに話した。
あたしの狂戦士化の原因が、もしかすると過去の出来事に関わっているのかもしれないこと。
リリスさんの《記憶遡行》の術を使えば、その原因を突き止めることができるかもしれないこと――
「うーん……」
あたしの話が終わって、開口一番にそう唸ったのは、ルークだ。
「リリス・タラールか。オレ、あんま、どんな奴か知らねーな」
「わたしもです~。確か、金髪の、すごい美人さんですけど……直接お話ししたことは、一度もありませんの。精神系の術がお得意というウワサだけは、聞いていますけど」
首を傾げるミーシャ。
「あまり、表に出るタイプの方ではございませんな」
ライリーが、冷静な調子で言う。
「ダグラス組と我々との小競り合いはしょっちゅうですが、そういうときにも、ほとんど参加していたためしがございません」
「じゃあ、たとえばマックスの野郎なんかと比べると、あんまし、オレたちにライバル意識を持ってないってことかな?」
「ふむ、それはどうですか……」
腕組みをし、ライリーは考え深げに呟いた。
「単に、関わり合いになるのが面倒ということかもしれませんよ」
「でも、あっちから、あたしに声をかけてくれたんだよね……」
言ったあたしに、ライリーは視線を――といっても、彼のニコ目が実際にどこを見てるのかは、いまいち判然としないんだけど――こっちに向けて、
「そこが、どうにも理解できないのです。これまで、リリス・タラール嬢は、我々との関わりをほとんど持ってまいりませんでした。それなのに、今回、なぜ、急にアニータに?」
「分かんない。喫茶店にいたら、そこに偶然、リリスさんが来たの」
「偶然、ですか~……」
難しい顔で呟くミーシャ。
みんなの考えてることは、手に取るように分かる。
これまでに散々バトルを繰り返してきた、ダグラス組の一員が、よりにもよって競技会を控えたこんな時期に、敵に手を貸すような真似をするか? ってこと。
無理もない心配だ。
最近来たばっかりのあたしだって、その対立が相当根深いものだってことは、はっきり感じた。
でも――
「あたし、試してみたいの」
あたしは顔を上げ、みんなの顔を見渡して、はっきり言った。
「これまで、色んな方法を試してきたけど、あたしの狂戦士化の原因は全然分からなかった。
でも、はっきり言って、一生このままなんて、本気で冗談じゃないんだよね! いつブチ切れて、友達やまわりの人にケガさせるかも知れない自分なんてさ。
そりゃ、リリスさんに頼んだからって、確実に原因が分かるって保証はないけど……
でも、可能性が少しでもあるなら、何でも試してみたいって思う」
もはや、バノット教官に頼ることができなくなった今は、特に。
「アニータ……」
ルークが、不意に拳を固めて、感極まったような声で唸った。
「そこまで思ってたのかっ……! ホント、苦労してきたんだなぁっ!」
同時に、がしいっ! とあたしの身体に腕を回して、ぎゅうーっと抱きしめてくる!
「あだだだだだだっ!? ちょ、ちょ、ちょっとぉぉぉ!? 助けてーっ!」
折れる折れる! ろ、肋骨が折れる~!
「ルーク! 落ち着いてください! アニータを絞め殺す気ですか!?」
「は!? 悪い、悪い! 大丈夫だったかっ!?」
「うぐぐぐぐ……」
さすがは、ルークの腕力。肺の空気が、全部搾り出されちゃうかと思った……
「でも、アニータさん」
あたしの背中をさすりながら、ミーシャが言った。
「《記憶遡行》は、かなりのリスクを伴う術ですわ。そのこと、ご存知ですの~?」
「え?」
何、何? リスクって。
身近に使い手がいなかったせいもあって、あたしは、精神系の術にほとんど馴染みがなかった。
だからもちろん《記憶遡行》の術に関しても、ほとんど何も知らない。
「あの術は、対象の記憶を呼び覚ますものですけれど……同時に、術者にもその光景が《視える》のです~。ですから、自分でも忘れているような記憶、過去の出来事を、術者に対してさらけ出すことになるのですわ」
「えっ……そう、なの?」
「ええ。ですから、よく、お考えになったほうがいいと思いますわ~」
そうなんだ……
確かに、そんな術をかけてもらうってことは、言ってみれば、その人の前で素っ裸になるようなものだ。
さすがに、それはちょっと……
それに、自分でも忘れているような記憶を《視られる》なんて、ある意味、裸になる以上に辛いし、恥ずかしいことかもしれない……
黙りこんだあたしを囲んで、ミーシャ、ルーク、ライリーが顔を見合わせる。
一瞬、しーんとした。
「あー……まあ、どっちにしろ、だ!」
急に、ルークがばんばん! と手を叩いて大声を出したもんで、全員がびくっとして顔を上げる。
「アニータが、したいようにすりゃいいんだよ! それだけのことだよ」
「え……?」
「だって、アニータのことだろ?」
ルークは、自分で言いながら、うんうんと頷いている。
「オレ、頭よくねーから、ああすりゃいいとか、こうすりゃいいとか、アドバイスはできねーけどさ。はっきりしてるのは、どう決めるにしたって、その結果がかかってくるのはアニータの人生になんだ、ってことだ!
別に、この場で今すぐ決めなきゃなんねーことでもないだろ?
だったら、とことん悩んで、考えて……そんで、最後に、自分が一番納得いくように決めればいいと思うぜ!」
ミーシャとライリーも、横で大きく頷いている。
――ありがとう、みんな。
あたしは、胸がつまって、そう口に出すこともできなかった。
びっくりして……嬉しくて。
バノット教官とビレさんとの会話を聞いてから、まるで大きな荷物を背負ってるみたいに、ずっと心が重かった。
でも、この瞬間、その重さが、すうっと消えていくのが分かった。
あたしが、選ぶ――
そうだ。
あたしが、選べばいいんだ。
「わかった。ちょっと、落ち着いて色々考えてみるよ。決めたら、みんなにも言うからね!」
それでも、あまり長く時間をかけるつもりはなかった。
競技会が迫っている。
競技会が終われば、講義が始まって……バノット教官と、ほぼ毎日、顔を合わせることになるんだ。
それまでに、自分なりに何らかの行動を起こして、結論を出しておきたい――
あたしは、ぐっと拳を固めた。
* * *
ベッドに寝転がって、組んだ両手を頭の下に敷き、窓の外の星空を見上げる。
ここは女子寮二号棟――通称《風見鶏館》の中にあたしがもらってる寝室。
個室なのはありがたいんだけど、めちゃくちゃ狭い。
ほんとに、寝るためだけの部屋って感じ。
ベッドの足元のほうは、ぴったり壁にくっついてるし、寝転んだ頭の上には、小型の書き物机の天板が見えてる状態だ。
それでも、ベッドの横に窓があるから、かなり救いになってる。
そこから見える星の輝きも、その並びも、ヒノモトで見上げた頃とは違っていた。
「《火を吐く竜》……《箱》……《砂時計》……《剣士》……」
伸ばした指先で光の点をなぞりながら、ミーシャに教えてもらった星座の呼び名を呟いてみる。
大昔の大魔術師のなかには、星の光や配置を読むことで、未来を予見する力を持った人もいたという……
まあ、それはたぶん誇張された伝説で、実際は、星の運行を見て天候の変化を予測したり、日食や月食の周期を計算して割り出したりしてたってことだろうと思うけどね。
でも、今のあたしにとっては、おとぎ話と分かってるそんな力でさえも羨ましい。
「はー……」
何度目になるか分からないため息をついて、あたしは、むくっとベッドの上に上体を起こした。
ほんと、どうしよっかなー……
もしも、術をかけてもらう相手がミーシャとか、ルークやライリーだったら、こんなふうにごちゃごちゃ悩まずに『それじゃ、お願いっ!』て、《記憶遡行》を頼んじゃうところなんだけど。
相手が、ダグラス組の、リリスさんだってところがねぇ。
悪い人じゃない……とは、思う。単なる第一印象だけど。
それでも、ダグラス組である以上、油断はできない……
一応聞いてみたんだけど、残念ながら、ミーシャたち三人のうちの誰も、精神系の術を使うことはできないそうだ。
バノット教官なら使えるかもしれないけど、今の状況で、先生に頼むのは問題外だし。
最終手段としては、何でもできちゃいそうなイサベラ閣下に頼む、ってテもあるんだけど――
ひとつ気になるのが、もしかしたら、イサベラ閣下もバノット教官の仲間だったんじゃないか? ってこと。
『おまえのような人材を入れてほしいと、かねてからの要望があったのだ』
って、イサベラ閣下は言ってた。
あれが、もし、バノット教官からの要望だったって意味なら……?
「うーん……!」
ダメダメ!
何を考えても、悪いほうへ、悪いほうへと考えが流れていっちゃう。
『夜中の考え事は誤りの元』って、ことわざで言うけど、ほんとにそうだよねぇ……
――と、突然、寝室のドアが軽くノックされた。
「あの、アニータさん? 起きてます?」
あ、ミーシャだ。
「うん、起きてるよー」
「あ、そうですか~! あの~、ちょっと、お邪魔しても?」
「えっ? あ、うん、大丈夫。ちょっとだけ待って!」
あたしは慌ててベッドから降りると、寝巻きがわりに着てた灰色のローブの裾を直して、髪を軽く手櫛ですいた。
急いで扉を開けると、日中よりもゆったりした柔らかそうなローブを着て、でもしっかりと片メガネはかけたミーシャが、ゆらゆら燃える蝋燭を掲げて立っている。
「どしたの? ミーシャ……」
「いえ、あの」
ミーシャは、気遣わしそうにこっちを見つめて、
「アニータさんの部屋から、何か、唸り声みたいなのが聞こえた気がして……もしかしたら、悪い夢でも見てらっしゃるんじゃないかと~……」
「え!?」
何とまあ、あたしは、そんな大声でうんうん言ってたのか。
「ごめん、ごめん! ちょっと、例の考え事が、ドツボにはまっちゃってて。それで唸ってただけなの」
「あ、そうなんですか~?」
「ほんと、ごめん! せっかく寝てたのに、起こしちゃって」
「いえ、大丈夫です~。わたしも、寝てなかったんですの。……あの」
にっこり笑ったミーシャは、あたしをうながすように蝋燭を振った。
「よろしければ、居間のほうで、ちょっとお話ししませんか~?」
あたしは、ミーシャについて、居間のほうへ出ていった。
この寮って、基本的に、四つの寝室+ひとつの居間、っていうのを一セットにして構成されてるんだよね。
玄関――というか、廊下から通じる扉は、居間にひとつあるだけで、左右ふたつずつの寝室には、居間から入るようになってる、っていう。
で、同じ居間を共有する人たちを「同室」って言うんだ。
ちなみに今、あたしと同室なのは、ミーシャだけ。
ほんとは、あとひとり、同じバノット組で、エルナさんっていう人がいるらしいんだけど……
その人は今、例の「任務」でけっこう長く学院を留守にしてて、いないんだって。
「今、薬草茶を淹れますわ。よく眠れる効果があるものにしますね~」
あたしが部屋の真ん中にあるテーブルと長椅子につくと、ミーシャは、水差しの水とお茶の葉の缶を手に、居間の片隅に向かっていった。
ちょんとしゃがみ込むと、そこに置いてあった、謎のでっかい機械を操作しはじめる。
木枠の中に、いくつかの金属の箱と、ぐねぐねしたガラスの配管を無理やり押し込めたみたいなデザイン――
ミーシャ印の、全自動お茶淹れマシン 《スーパーポットさん》だ!
そう、実はこの居間、彼女の自作の『発明品』で、けっこうな床面積が埋まっちゃってるんだよね……
もうだいぶ見慣れてきたけど、初めて足を踏み入れたときは、どこの実験室に迷いこんだかと思ったよ。
それにしても、このマシンが実際に動いてるところを見るのは初めてだ。
あたしは小さな戸棚からティーカップをふたり分取り出すと、ミーシャが操作するマシンに近付いて、しげしげと観察する。
ガチャッ。
ウィーン……シュッシュッシュッ……
プシューッ!!!
「わぁぁぁ!?」
なんか、管の繋ぎ目から、白い煙みたいなものが出てきたんですけどっ!?
「あ、ごめんなさい、ちょっと、圧力が高すぎたようです~」
圧力、って……
ミーシャがあっちこっちの小さなバルブをひねり、レバーを動かすと、激しく吹き出していた湯気はおさまった。
やがて、ふんわりと、お茶のいい香りが立ち込めはじめる。
「はい、できました~!」
最後に、ティーカップを所定の位置にセットして、蛇口をひねると、下向きになったガラス管の先から、お茶が流れ出てくる。
「ありがと……」
差し出されたお茶を、若干のひきつり笑顔で受け取るあたし。
うーん……あのマシンの中を通ってきたお茶を飲むのかぁ……
正直言って、あんまり飲みたくないけど、せっかく淹れてくれたものを飲まないのも悪いし、微妙な心境……
「それで、決心は、つきましたか~?」
自分のカップを手に、長椅子に座ったミーシャが、そう問いかけてくる。
「いやぁ」
あたしは、思わず苦笑いをした。
「それが、さっぱりなんだよね! 試してみたいなぁ……でも、リリスさんがホントに信用できるのかなぁ……でもなぁ……って繰り返しで、ちっとも前に進まないの」
「わたしも、ちょうど、そのことを考えていましたわ」
例のお茶をためらいもなく飲んで、ミーシャ。
「リリスさんの考えは、わたしにも分かりません~。でも、もしも、アニータさんが試してみたいのなら……わたしたちの力で、危険を減らすことができると思いますの」
「え?」
「考えてみると、とっても単純で、簡単なことでした~。――わたしたちが、付き添えばいいのですわ!」
「付き添う?」
「そうです!」
ミーシャが、ぐっと拳を固める。
「術が行われているあいだ、わたしたちが、リリスさんとアニータさんの側にいればいいのです。《光子》の流れを観察していれば、万が一、リリスさんがアニータさんを害そうとしたとしても、すぐに分かりますわ~!」
「害する?」
不意に飛び出した、生々しい言葉に、あたしはびっくりして目を見開いた。
「ええ……こんなふうに考えることは、あまり、よくないことかも知れませんけれど。大会前の、この時期ですし。万が一にも、術をかけるときに、妙な細工をされたら……」
ミーシャの片メガネに、蝋燭の炎が映り込み、きらきらと輝いた。
その向こうから、青い目があたしを見つめている。
「でも、アニータさんの顔を見ていると、もう、答えが出ているような気がしますわ」
「答えが……?」
さっきからずっと、あたしはミーシャの言葉を繰り返している。
でも、一度繰り返すごとに、一枚ずつ薄皮をはぐみたいに、少しずつ、自分がどうすべきか――
いや、どうしたいのか。
それが、はっきりと見えてきた。
「……『やらずに後悔するよりは』……」
「『やって後悔するほうがまし』ですわね?」
にっこりと笑ったミーシャの手を、あたしはぎゅっと握った。
「ありがとう、ミーシャ。付き添い、お願いしてもいい?」
「もちろん!」
その瞬間。
表の廊下を、大きな足音が近付いてきたかと思うと、ドンドンドン! と扉が叩かれた。
「あの、ルーク、夜遅いですから、もう少し静かに……」
「分かってるって! ……おっ、灯りがついてる」
「さっさと済ませてちょうだいよ!」
バン! と勢いよく扉が開いて、やっぱり寝巻き姿のルークとライリー、そして、寝入りばなを叩き起こされたのか、ものすごく不機嫌そうな寮長さんの顔が浮かび上がった。
「お、アニータ、ミーシャ!」
よっ、という感じで片手を挙げて、ルーク。
「オレとライリーで、今の今まで、相談してたんだけどよ! なんと、すっげー簡単で、いい方法思いついちゃったんだよ。術をやってるときに、オレたちが、アニータに付き添ってやりゃいいんだ! どうよ!?」
あたしとミーシャは、一瞬、顔を見合わせて。
それから、弾けるように笑い出した。




