そして、記憶の旅路へ―― 2
「何の、ご用ですか?」
あたしは言った。
自分でも、明らかに声が固くなってるのを感じる。
それを聞いたミーシャたちが、ん? って感じで、あたしのほうを見た。
「ある実験を行う」
あたしを見据えるバノット教官の平板な視線には、まったく揺らぎがない。
「詳しい内容は、ラボで説明する。練習が終わり次第、四番塔に来るように」
実験。――本当だった。
まさかね、そんな。信じたくない……
ここまで来ても、心のどこかでそう思ってた。
それなのに……やっぱり、本当だった……
あたしは、手のひらに爪が食い込む強さで、ぐっと手を握りしめた。
「あたしの狂戦士化のことですか?」
斬りつけるような強さで、言い放つ。
「呪いじゃないんでしょ? だったら、あたしの研究なんかしたって、意味ないと思うんですけど!」
うまく口車に乗せようったって、そうはいかないんだから。
あたしは、もう、全部知ってるんだから。
そんな気持ちを込めて、あたしは、ぐっとバノット教官の目を睨みつけた。
「え、え、え? あの~……」
まったく事情がわからずに、あたしたちを交互に見比べておろおろするミーシャ、ルーク、ライリー。
バノット教官の表情は、変わらなかった。
彼は動かない視線であたしの目を見つめたまま、ゆっくりと二度、まばたきをした。
それから、ふと気付いたというように呟く。
「ビレの店か」
まったく悪びれた様子のないその口調に、あたしの我慢は、あっさり限界を超えた。
「何ですか、その言い方っ!?」
声を荒らげ、先生にくってかかる。
ルークが、ひっ、と息を飲む音がかすかに聴こえた。
教官に、特に、このバノット教官に逆らうってことは、それだけ大変なことなのかもしれない。
でも……こんなふうに、本当に実験に使う材料か何かみたいに扱われて、はいそうですかって素直に従えるはずがないじゃない!?
「そりゃ、あたし、確かに普通じゃありませんけど! 研究材料でも、何でもないですからっ! そんな、研究のためとか……実験だなんて、ひどすぎる! あたしが、あれのせいでどれだけ苦しい思いをしてきたかなんて、あなたには――!」
そこまで、渾身の声で怒鳴ったけど。
バノット教官の顔つきは、相変わらず、ちっとも動かなかった。
「……とにかく。呪いじゃない、ってことを調べてくださったことには、感謝します。それに、この組に入れてくださったことにも、感謝してます、本当に。……そちらは、後悔なさってるかもしれませんけど。
後のことは、自分で何とかしますから。あたしのことは、放っといてください」
そう言い終えるまでのあいだじゅう、バノット教官は、ずっとあたしを見ていた。
灰色の目に浮かぶのは――怒り?
違う。
哀れみ?
それも、違う。
それは……それは――?
「アニータ・ファインベルド」
ややあって、バノット教官の口が開いた。
「健闘を祈る」
そっけなく、それだけ告げて。
踵を返すまでもなく、その姿を、ブワッ! と黒い旋風が包み込み――
一瞬後には、もう、その黒ずくめの姿はどこにも見当たらなかった。
バノット教官の姿が消えてからも、あたしは、彼が立っていた場所をじっと睨みつけていた。
今の……いったい、どういう意味?
自力でやれるもんならやってみろ、ってこと……?
「あ……あの~っ……?」
そこへ、恐る恐る、といった感じで、声がかけられる。
振り向くと、ミーシャ、ルーク、ライリーがひとかたまりになって、ぷるぷると震えている。
ルークとライリーが、どことなく蒼褪めた顔で、
「アニータ……! 勇者だなっ! 先生にケンカ売るとは……ッ!」
「はっはっ……同感でございます……」
うっ……
自分が切ったタンカを思い出し、そこはかとない後悔が湧き上がるけど、もちろん後の祭りだ。
いや、でも、あたし、あんなふうにはっきり言ったこと、間違ってたとは思わないよ!
「アニータさん」
近付いてきたミーシャさんが、心配そうにあたしの顔をのぞきこんで、言う。
「あの、もしも、お聞きしてよろしければ、教えていただけませんか~? いったい、何があったのか~……」
そりゃ、そうだよね。
突然出てきて呼び出しをかけたバノット教官に、いきなり大声で怒鳴り返したあたし。
事情を知らないみんなは、そりゃあびっくりしただろう。
「実は……」
こうなった以上、もう、無理に隠したって意味がない。
あたしは《ビレの薬種店》であった出来事を、包み隠さず、みんなに話すことにした。
でも、正直なところ、話しながら、ちょっと心配だった。
みんな、信じてくれるかな……?
人違いだとか、聞き間違いだとか思われるんじゃないかな。
だって、みんな、何だかんだ言いながら、バノット教官のことをすごく信頼してるみたいだもん。
最近来たばっかりのあたしと、自分たちがずっとお世話になってきた先生。
どっちを信用するか、ってことになったら、それは当然――
「信じられねー……」
思った通り。
あたしの話が終わると、開口一番、ルークがそう呻いた。
やっぱり、そうだよね……
「先生、いくら何でも、そんな言い方はひどすぎるよなぁっ!」
「然様ですな!」
憤懣やるかたない、って感じで叫んだルークに、深くうなずいて、ライリー。
「アニータの心を考えれば、あまりにも配慮を欠いた仰りようと申し上げざるを得ますまい……」
「先生ってば、ひどすぎますわ~!」
ぎゅっと眉を寄せ、拳をかためて、ミーシャ。
「え? ……信じて、くれるの?」
こっちのほうこそ、にわかには信じがたい。
目を丸くして言ったあたしに、ルークが、ぼりぼりと後ろ頭をかく。
「いや、まあ、信じたくはねーけどよ。アニータが、その耳で、先生がそう言ってるところをはっきり聞いたってんだろ?」
「うん……正確に言うと、姿は見てないんだけど、声は、はっきり聞こえた」
「なら、本当なんだろ」
あっさりと言って、
「しっかし……マジかよー! 何か、めちゃくちゃショックだぜ!」
たわしみたいに刈り込んだ頭をがしがしとかきむしって、ルーク。
「だってよー、ほら、その日の、アニータの歓迎会! あれって、もともと先生が言い出したアイデアなんだぜ!?」
えっ?
「『自分は研究が忙しいから、お前たちで何か考えて、簡単でも歓迎会をしてやれ』ってさ。
それなのによー! そんなふうに、何つうか、こう……油断させといて、裏でこそこそするっての?
それで、アニータを実験台にしようだなんて、ずいぶんな話だよなっ!
オレ、先生を見損なったぜっ!」
「先生は、表向きこそ冷淡な印象を与える方ですが、本当は情に厚い方……そう、思っていたのですがね」
「でも……先生は、こうと決めたら、絶対にそれをやり遂げられる方ですから~……ご自分の研究のためなら、そういうふうに、アニータさんを……」
ライリーとミーシャが、交互に呟く。
「やっぱ、ちょっと許せねーな!」
ばしん! と手に拳を叩きつけて、ルークが叫んだ。
「おい、ミーシャ、ライリー! こうなったらオレたちで、今から、先生のとこに直談判に行こうぜっ!」
「いや、それはやめて!」
あたしは、慌ててルークを制止する。
「これは、あたしとバノット教官とのあいだの問題だもん。これで、先生とのあいだが気まずくなっちゃったりして、みんなにまで迷惑がかかるのは――」
「アニータ」
言ったあたしの肩を、ぽんっ、ぽんっ、と叩いて、ルークは、にっと笑った。
「あんまし、オレたちをなめないでくれよな! オレたち、仲間が困ってるときに何もしねーでいられるほど、薄情な奴らじゃねえんだぜ!」
「その通りですな!」
「そうそう、そうです~!」
「……ありがとう……みんな」
あたしは、万感の思いを込めて呟いた。
悩みを打ち明ければ、それを、真摯に受け止めてくれる人たちがいる。
ちょっと前までは、本当に、考えられもしないことだった――
「でも、ほんとに、直談判だけは思いとどまってほしいんだよね。
実はあたし、今、ちょっと考えてることがあるの……」




