存在価値って、何だろう? 3
ライリーが、不思議そうにこっちを向く。
「どうかしましたか、アニータ?」
「いや……」
思わず、そっちに向かって歩き出しながら、あいまいに首をかしげるあたし。
「今、そこに、バノット教官がいたような……」
人の流れの合間に、あの黒ずくめの姿がちらっと見えたような気がしたんだよね。
でも、こんなところで、こんなにタイミングよく先生に出くわすなんてことがあるのかな?
だいたい、先生は今、ラボにこもってるはずだし。
あれこれ考えてたせいで、似た人を見間違えたのかも……?
バノット教官らしき人影が見えたあたりまで来てみたけど、やっぱり、それらしい人はいなかった。
かわりに目に入ったのは、乾いたニンニクや薬草を軒下に吊るした怪しげなお店。
「《ビレの薬種店》……《処方・調薬承ります》?」
「その方は、この店に入っていったのですか?」
「いや、わかんないけど……そう言われれば、そうかもしれない。ちょうど、このへんで姿が見えなくなったし」
「ああ」
あたしと並んで看板を見上げながら、ライリーが、あっさりと言った。
「それならば、本当に先生かもしれませんな。先生は最近、呪術についての研究をなさっていますからね」
「呪術?」
「ええ。あの、呪いをかけたり解いたりする、呪術です」
――どくん。
呪い、ということばに、心臓が波打った。
「呪術には、いろいろな霊薬を必要とするものもありますからな。先生はときどき、霊薬の材料を自分で買い出しに行かれるのですよ。他の者の見立てでは信用できない、などとおっしゃいまして」
「そう……なんだ……」
「あ、ちなみにこの『呪術』という呼び名は、俗称でございまして。魔術の中でも特に長期間にわたり、継続的な効果を発揮するものを――」
ライリーがとうとうと説明してくれる内容を、あたしは、ほとんど聞いていなかった。
あたしには「狂戦士化」の呪いがかかっている。
そして、バノット・ブレイド教官は、呪術の研究をしている――
奇妙な符合。
まったくの偶然にしては、できすぎだ。
マックスが言ってたのって、まさか、このこと……?
本当に、先生は、あたしを実験台にしようとしてるの?
「ねえ、ライリー」
乾いた唇をひとなめして、あたしは、できるだけなにげなく言った。
「ごめん、悪いんだけどさ。……ちょっと、先に行っててくれない?」
「え?」
「あの……実は、ちょっと、先生に相談しときたいことがあるんだよね。ほら、さっきの人がほんとに先生だったら、今つかまえないと、またラボにこもっちゃうでしょ?」
この時点で、あたしは、ひとつの決断をしていた。
こうなったら――バノット教官に、直接、真相を問いただすんだ!
いや、さすがに、いきなりの正面突破戦法は、ちょっと無謀かなーと思わなくもないけど。
このまま、ひとりでごちゃごちゃ疑ったり、悩んでたって、事態はちっとも良くならない。
思い切って白黒ハッキリさせたほうが、ずっとスッキリするってもんだよね!
まあ、こんなふうに思えるのも、ある意味、先生を信用してるからだ。
そうじゃなきゃ、直接聞くなんて、怖くて、とてもできないもん。
「ほんと、悪いんだけど。
話が長くなるかもしれないから、ライリーだけ、先にミーシャたちと合流しててくれない……?
あたしは、後で、学院で落ち合うってことで」
一気に言ったあたしに、ライリーは、しばらくきょとんとしてたけど、
「そうですか。わかりました」
にっこり笑って、片手を挙げる。
「それでは、私は先に行っていましょう。学院の建物はどこからでも見えますから、帰るのに迷うことはございませんしね。それでは、お気をつけて」
「うん! ありがと。後でね!」
さすがはライリー、完璧に空気を読んでくれた。
ここで「いや一緒に」とか食い下がられても困るもんね。
さーて……
「おじゃましまーす」
ライリーの背中が見えなくなるまで見送ってから、あたしは、そっと《ビレの薬種店》の扉を押し開けた。
カロロン、カロン……
木のドアベルの乾いた音が、ほんのかすかに響く。
いや、別に悪いことをしてるわけじゃないんだから、もっと堂々と入っていったっていいんだけど……
目的が目的なだけに、緊張して、自然と声も小さくなる。
お店の中は、薄暗かった。
入ってすぐ右手に、古ぼけた小さなカウンターがあったけど、誰もいない。
小さな窓から射す光だけが、天井や壁にところ狭しと吊るされた干物や薬草の束、棚にずらりと並んだビンを浮かび上がらせてるだけだ。
って……先生どころか、お店の人すらもいないんですけど。
いや、それ以前に、さっきの人って、ほんとにバノット教官だったのかな?
思い込みだけで入ってきちゃったけど、人違いだったら、かなり恥ずかしい。
そもそも、ほんとにこのお店に入ったのかどうかも分かんないし……
でも、せっかくここまで来たんだから、とことん確かめるしかないか!
心を決めたあたしは、光の粒みたいなホコリが舞う中を、そろそろと進んでいった。
お店の一番奥、突き当たりの壁に、一枚の扉がある。
ノックしてみたけど、しばらく待っても返事はなし。
ノブをつかんで回すと、鍵はかかってないみたい。
思い切って開けてみる。
「失礼しま……あれ?」
あたしは、目をぱちぱちさせた。
そこはいきなり、外だった。
――いや、違う。
裏庭だ。
まわりは、ぐるっと建物の壁に囲まれてて、頭上に四角い空が見えてる。
薬草のたぐいが種類ごとにかたまってボサボサと茂り、なんだか、秘密の庭って感じ。
庭の真ん中に細いレンガの道が敷いてあって、向かいの建物の裏口に通じていた。
そこの扉が、少しだけ開いてる。
不思議な引力にひかれるみたいに、あたしは、その扉に近付いていった。
そして、扉に手を――
「えーっと?」
急に中から聞こえてきた声に、あたしは伸ばしかけた手を慌てて引っ込めた。
聞いたことのない、女の人の声だ。
「カエンソウとマンドラゴラ、それぞれ一束ずつ? あと多頭蛇の卵の干物、一袋よね?」
語尾が上がる、独特の話し方。
どうやら、この声の主こそが《ビレの薬種店》のご主人――ビレさんらしい。
誰かと会話してるんだ。
扉の隙間からそっとのぞいてみると、中は物置みたいになっていて、奥には二階にのぼる梯子があった。
声は、その二階から聞こえてきてるみたい――
「ペヨーテの粉末も頼む」
耳に届いたもうひとつの声に、あたしは、はっと肩をこわばらせた。
バノット教官の声だ。
聞き慣れてるわけじゃないけど、間違いない。
やっぱり、本人だったんだ。
「はいはい。ペヨーテの粉末が、一袋ね?」
ぎしぎしと床を踏む音と、声が一緒に移動する。
ビレさんの声は明るくて高く、バノット教官の声よりもずっと聞き取りやすい。
「それにしても、何? こんなに、珍しい薬種ばっかり買い込んでいくなんて……
ひょっとして、さっき話してた子に関わってのことかしら?」
どくん。
急に、心臓が騒ぎ始めた。
「まったく、とんでもない話よねぇ?」
あたしの内心にはまったく関わりなく、ビレさんの口調には、何の屈託もない。
「転入早々、学院の体技館を燃やしちゃうなんてさ? あんたもまあ、よくよく強烈な子を引き取ったのねぇ。狂戦士化だなんて……そうそうあることじゃないわよ?」
「ヒノモトの学院《高天原》でも調べたが、原因は不明だったそうだ」
「そりゃ、不明なはずよねぇ!」
ビレさんの口調は、どこまでもあっさりとして、軽かった。
「もともと呪われてないんじゃ、いっくら、そのセンでいくら調べたって、何も出るはずないもんねぇ!」
――えっ。
あたしは、思わず、自分の耳を疑った。
呪いじゃ……ない?
それじゃあ……あたしの「あれ」は、一体……
一体、何なの!?
「でも、残念だったわねぇ?」
凍り付いたあたしの存在には、無論気付いた様子もなく、ビレさんの言葉は続く。
「もしも呪いだったとしたら、あんたには、絶好の研究材料だったのに。《高天原》も匙を投げるほどの込み入った呪いを解除したとなりゃ、あんたの評判も、ぐぐーっと上がってたでしょうにねぇ?」
「そうだな」
気楽そうに笑うビレさんと、あっさりとそれに答えるバノット教官。
足元の地面が流砂に変わって、ずぶずぶと呑み込まれていくような気がした。
ほんとに……あたしが、研究材料?
しかも……もう、その価値もない……




