仲間……それは……
ゆるやかにカーブしながら学院の正門へと続く、レンガの並木道。
その長い道を、あたしは、ひとりでとぼとぼと歩いていた。
まさか、来たその日に、もう出て行かなきゃいけなくなるなんて……
立ち止まって、振り返る。
あたしの他には誰もいない道のずっと向こうに、木々に隠れて、校舎の屋根の先っぽだけが小さく見えていた。
あたしが我に返ったのは、医務室のベッドの上でだった。
そこにいた女の教官(マリアン教官と名乗っていた)の話で、あたしは、自分がどれほどとんでもないことをしてしまったのかを知った。
マックスとの戦いで狂戦士化したあたしは、加減なしで炎の魔術を使って、体技館の建物を、まるごと倒壊させちゃったんだ。
今回も、教官の力で、間一髪、大ケガをした人はいなかったらしいけど……
その場に居合わせたみんなは、今、教官たちに呼ばれて、事情を聞かれているってことだった。
あたしはものも言わず、マリアン教官が止めるのも振り切って、外に飛び出した。
それから走って、走って――ここまで来た。
そう、ほんとは、学院の人たちに謝ったり、報告したりしなくちゃならないことがたくさんある。
それは、分かってる……
でも、どんな目で見られるかと思うと、みんなに会うのが怖かった。
あたしは……逃げ出したんだ。
せっかくみんなと友だちになれると思ったのに、もう、おしまいだ。
そう思うと涙が出そうになってきたから、急いで気持ちを切り替えて、これからのことを考えることにした。
でも……これから、どうしよう。
ヒノモトには、もう戻れないし――
父さんの家はこっちにあるけど、そこにだって帰れない。
あたしが戻って、何があったか説明したら、父さんはきっと笑顔で許してくれる。
でも、心の中では絶対、ものすごくがっかりするだろう。
これまで、あたしが何か壊したり、人にケガさせたりするたびに、父さんがこっそりお金を払って、なんとか事をおさめてくれてたのを、あたしは知ってる。
また、父さんに迷惑がかかると思うだけでも心苦しいのに、せっかく招かれた学院をすぐに退学になっちゃったなんて、とても言えないよ……
そうだ……もう、家には戻らないで、どっか別の場所に行っちゃおうかな。
あたしみたいな娘はいなくなったほうが、父さんにとってもいいかもしれない。
どっか大きな街でなら、なんとか働いて、食べていけるかもしれないし……
そうだ、それに、壊したものの弁償だってしなくちゃならない。
気が遠くなるような金額だろうけど……
それでも、自分で何とかするしかない。
あたしは、もう一度、大きく息を吐いた。
正門のほうを向いて、ゆっくりと歩き出す。
「どおぉおぉわあぁぁぁ~っ!?」
そんな声が聞こえてきたのは、あたしが一歩を踏み出そうとした、ちょうどその瞬間のことだった。
「きゃあぁあぁああ~っ!? 下ろしてくださいですのぉ~っ!」
とんでもない悲鳴が、ずいぶん遠くから聞こえてくる。
ていうか、あの声は……!?
あわてて振り向いたけど、後ろには誰もいない。
右にも、そして、左にも。
って、ことは――!?
「だああぁぁぁああああああーっ!?」
ドスンッ!
「イヤあああぁ~っ!?」
ドンッ!
「ぐえ!」
いきなり、あたしの目の前の地面にルークくんが降ってきて、その上に、ミーシャさんが思いっきり落っこちた!
「ご無事ですかな、おふたりともっ!?」
そして最後にあらわれたのは、なんと、真っ白な翼を生やしたライリーくん。
彼がすたっと地面に飛び降りるが早いか、その大きな翼は何千もの光る羽に変わって、宙に溶けるように消えていく。
「うぐぐぐぐ……」
「ごっ、ごめんなさいですの~、ルークくん……」
「はっはっ……やはり、一度にふたりを抱えて飛ぶというのは、いささかムリがあったようですな」
「仕方ねーだろ! 急いでたんだからよー! アタタタタ……」
「ライリーくん……ルークくん、ミーシャさん!?」
あたしは、あんまりびっくりして、荷物を放り出して三人に駆け寄った。
「どうして……!?」
「どうして? じゃねーよ、アニータ!」
立ち上がったルークくんが、凄い剣幕で近寄ってくる。
彼の手が、ばっと上がったとき、殴られるんじゃないかと思った。
大きな手が、あたしの肩を、しっかりと掴む。
「医務室に迎えに行ったら、走って出て行っちまったっていうからさ!
もう、びっくりしちまって、慌てて追っかけてきたんじゃねーか!」
「えっ……?」
「いや、つまり、何つーか」
がしがしと後ろ頭をかきながら、ルークくん。
「あんなことになっちまって、アニータが責任感じて思いつめたりしてるんじゃねーかって、心配でさ!
けどよー、アニータは悪くねーって!
あのあと体技館がブッ壊れたのだって、たぶん半分以上はオレの大技のせいだし」
太い眉を下げて、そう唸ってから、
「あ、ほんとにマジで、大丈夫だからな! アニータのアレで、ケガした奴、誰もいねーし。
この学院、防御の術が使えねー奴なんて、ほとんどいねーからな! 大丈夫、大丈夫!」
「あの、あの、アニータさん……」
ルークくんの後ろから顔を出して、ミーシャさんが言う。
「アニータさんは……たぶん、あのことを、すごく気にしてらっしゃると思いますの~。
でも……わたしたち、そんなの、ぜ~んぜん、気にしませんから!」
「その通り! ちょっと焦げたり燃えたりしたくらいでは、我々の固い絆は小揺るぎもしませんな!」
「ライリー! しーっ、焦げるとか言うなって! アニータがまた気にしたら困るだろーが!
――なあ、アニータ!」
おっきな手でライリーくんの顔面を押し返しながら、顔だけこっちに向けて、ルークくんが叫ぶ。
「なんつうかさ、アレだ! ――出て行くとか、言うなって!
オレら全員、アニータが来てくれて、マジで嬉しいんだよ、マジで!
だからさぁ、いてくれよ! このまま! なっ!?」
「そうですの~! せっかく、お友だちになったんですもの。
それなのに、もうお別れだなんて、そんな、さびしいこと、おっしゃらないでください~!」
「はっはっ、その通りですな! 我々の運命は、すでに分かち難く結ばれているのです。
これからも四人で力を合わせ、同じ道を歩んでゆこうではございませんかっ!」
あたしは、目を見開いて、三人を見つめた。
「……ほっ……」
そんなつもりはなかったのに、自分でもびっくりするくらい、声が震えた。
「ほんとに……!?」
「もちろんっ!」
三人が、声をそろえて大きくうなずく。
「マジで……!?」
「マジで!!」
「…………うっ」
もう、我慢の限界。
あたしはいきなり、レンガの道の上に座り込んで――
思いっきり、声をあげて泣いた。
今まで生きてきて、人前でこんなふうに泣いたことなんて、一度もなかった。
涙が後から後からあふれてくるのに、ちっとも哀しくない。
逆に、心の奥底にずっしりと溜まってたものが押し流されて、どんどん気持ちが軽くなっていくみたいだった。
来てくれて、嬉しいって……
ここにいてほしいって……
友だちだって、言ってもらえた。
こんなに嬉しいことって、他に、あるだろうか――?
三人は、あたしが突然号泣しだしたもんだから、かなりびっくりしたみたいだけど――
やがて近づいてきて、あたしの肩をかわるがわる優しく叩いてくれた。
泣いて、泣いて泣いて――
涙の代わりに、三人の手の温かさが、心にしみこんでくる。
いったい、どれくらい、そうしてただろう。
やがて、自然と涙が止まった。
あたしは、ぐちゃぐちゃになった顔を袖で拭いて、ゆっくりと立ち上がった。
「アニータさん……大丈夫ですか~?」
「うん。……ありがと、ミーシャさん」
「歩けますか~?」
「うん。もう、大丈夫。
ルークくんも、ライリーくんも、来てくれて、ほんとに、ありがとう」
彼女たちは、にっこりと微笑んだ。
「ミーシャ、で、いいですの! みなさん、そう呼んでくださいますもの。
わたしは、癖で、どうしても、アニータさん、って言ってしまいますけど~……」
「おう、オレも呼び捨てでいいぜ! つーか、こっちがもうフツーに呼び捨てにしてるしな!」
「はっはっ。私のことも、どうか気取らず、ライリーと呼んでいただきたいですな」
「じゃあ……ミーシャ。ルーク。ライリー。
ほんとのほんとに、ありがとうっ!」
不思議だな。
みんな、今日会ったばっかりの人たちなのに、大昔からいっしょにいた親友みたいな気がする。
こんなことってあるんだ。
仲間って、ほんとに不思議だね。
「さぁーて!」
ルークくんが――いや、ルークが、ぱんっ! と景気よく手を打ち鳴らす。
「そんじゃ、みんなで戻るかっ! 帰りは歩きでな……」
「そうです、戻りましょう~。
先生も、アニータさんと早くお話がしたいって、おっしゃってましたし~!」
――うっ!
「先生って……あの、バノット・ブレイド教官……?」
いったんは羽みたいに軽くなった気持ちが、一瞬でずーんと重くなる。
あたしにはぜんぜん覚えがないんだけど、医務室のマリアン教官から聞いた話によると、バノット教官は、あたしが大暴れしてるところを思いっきり目撃していたらしい……
うわあああ! 絶対、めちゃくちゃ怒られる!
そうじゃなきゃ、めいっぱいうっとうしがられたりして……
いや、それ以前に、あんなことしちゃった後で、どんな顔して先生の前に出ればいいわけ!?
「うー……」
思わず足を止めちゃったあたしを、みんなが不思議そうに見る。
――と。
ブォン!
「うわっ!?」
いきなり、目の前で激しいつむじ風が巻き起こり、あたしたちはそろって尻餅をついた。
「何をしている、おまえたち」
冷たい声が聞こえた。
はっと顔をあげると、そこに、黒いローブを来た、背の高い男の人が立っていた。
何ともいえず顔が怖くて、手には槍みたいな形の杖を持ってる。
こっ……この人が、バノット・ブレイド教官だ!
「あのっ!」
男の人の正体を直感したあたしは、何か言われる前に、あわてて立ち上がって頭を下げた。
「あっ……あたし、あんなとんでもないことしちゃって、本当にすみませんでした!
あたし、自分が壊したところ、直します!
いや、ほんと言うと、修復の魔術は得意じゃないですけど、でも、どうやってでも修理します!
課題とか、反省文とか、どんな罰でも受けます!
だから、お願いします! あたしを、先生の組に置いてもらえないでしょうか……!?」
「今さら、何を言っている」
聞こえてきたバノット教官の声は、最初の一言と同じで、氷みたいに冷たい。
や、やっぱり、ダメ――?
「体技館なら、俺とダグラスがもう直した」
……え?
思わず、顔をあげたあたしを、バノット教官は、灰色の目でじっと見下ろしてる。
「アニータ・ファインベルド」
「はいっ!?」
「あのマックスを相手に一歩も退かず、俺の生徒が三人がかりで互角……
おまえは、稀有な戦闘力の持ち主のようだな」
「…………はっ?」
「閣下の人選は確かだったようだ」
その瞬間、バノット教官の口の端に、ちらっとだけ笑いがよぎったような気がした。
「よく来た、アニータ・ファインベルド」
ことばといっしょに、大きな手が差し出される。
「俺たちは、おまえを歓迎する」
差し出された手を、あたしは、信じられない気持ちで見つめた。
あたし、何て言われたの?
今、何て?
『俺たちは、おまえを歓迎する』――
「あ……あ……」
胸の奥が、かあっと熱くなった。
あふれ出してきたのは――
今度は、涙じゃなくて、心の底からの笑顔!
「ありがとうございますっ!」
差し出された先生の手を、思いっきり握りしめる。
びっくりするほど大きくて、硬くて、ざらざらした手だ。
何ともいえず頼もしくて、それに、意外なくらい温かかった。
「あたし、がんばります! 大会の《剣》の部でも、絶対、優勝して、メダルを獲ってみせますっ!」
「いよっ! いいぞっ、アニータ!」
「ともに、勝利を勝ち取りましょう!」
「そうです~!」
みんなが口々に応援してくれる。
と、そこへ。
またもやブワッとつむじ風が起こり――
「アニータ・ファインベルドはここだなっ!?」
ものすごくいかつい服装の教官(!?)と、マックスが一緒にあらわれた。
なっ……何!?
まさか、さっきの仕返し!? それとも、宣戦布告!?
「そら、言え!」
ドンと教官に背中を押されて、
「あー、うー」
マックスが、目を逸らしたまま、ぼそぼそと口を開く。
「あ……あの、よ。……さっきは……俺が、悪……」
「はっきり喋らんか、馬鹿者ぉぉぉ!」
「ぎゃああああああっ!?」
――こうして。
あたしの新しい学院生活は、輝かしく、その幕を開けたのだった!




