プロローグ
弥生の月の一日、正午前。
ヒノモト帝国が誇る魔術の学び舎《高天原》にて、大爆発が起こった。
第一学舎《天照》の爆発にともなう火災により、校舎及び周辺一帯の林が全焼。
被害総額は算定不能。
怪我人多数。
奇跡的に、死者は出なかった――
* * *
「それは、まったくの幸運にすぎなかった。
そのことに異論はないじゃろうな、アニータ・ヒエン・ファインベルドよ?」
「はい」
クガイ師範のことばに、あたしは、小さな声で返事をした。
ここは《高天原》でいちばん大きな衆議堂。
畳敷きの広間にずらりと座った師範たちは、全員ものすごく険しい顔をしてる。
副学長のクガイ師範の顔は、そのなかでも一番厳しい。
「それでは、自分の責任を認めるのじゃな?」
「でも、師範!」
あたしは《高天原》の制服、墨染めの着物をぎゅっと握りしめて言った。
「術を使って校舎を壊したのは、たしかにあたしです。でも、あれはレンカたちが――」
「わたくしたちが何だと仰いますの!?」
いきなり横から金切り声をあげたのは、そのレンカだった。
手足や首が包帯でぐるぐる巻きになっていて、ところどころに添え木もされてる。
いつも自慢にしてた白い顔には、でっかい湿布が貼ってあった。
あたしたちは、衆議堂から「濡れ縁」を出たところにある砂利敷きの庭にいる。
正確には、砂利の上に敷いた筵の上に座らされてるんだ。
さすがに縛られたりはしてないけど、斜め後ろに立ってばりばり威圧感を発散してるふたりの師範代といい、あたしを見る師範たちの視線といい、まるっきり罪人扱い。
包帯だらけの手を振りたてて、レンカが叫ぶ。
「見なさいよ、このケガ! 顔にまで! どうしてくれますの!? こんなマネしておいて、あたくしのせいにしようだなんて、あなたいったい、どういうつもりですの!」
――ぶちっ!
「どーゆーつもり、じゃ、ないでしょーがっ!」
身勝手きわまりないレンカの発言に、あたしは思わず怒鳴り返した。
「そーゆーあんたこそ、何、自分が被害者みたいな顔して堂々と座ってんのっ!?
もとはといえば、あんたが毎日毎日まぁぁぁぁいにち、しょーもない嫌がらせをしかけてきたのが悪いんでしょっ!?」
「何の話ですの? ヘンな言いがかりをつけないで頂きたいわ!」
「今さらとぼけるつもり!? 見苦しいわよ!
組のみんなをけしかけて、あたしを無視したり、下駄やら筆入れを隠したり!
わざと足を引っかけてきたり、物を落としたり、棚に落書きしたり!
それに……今朝の一件っ!
あまりにもしょーもなさすぎると思って今までは大目に見てあげてたけど、家族のことまで持ち出すなんて、あれは、ひどい!
こっちにも我慢の限界ってもんがあるんだからね!」
今日の朝。
あたしが食堂で朝ごはんを食べて教室に戻ろうとしたら、廊下の掲示板に人だかりができていた。
何だろう? と思って見たら、そこに何枚もの手紙が張り出されていた。
その半分は、あたしが父さんにあてて書いたものだった。
父さんへの手紙はいつも長くなるから、教室とか食堂にも持っていって書いてた。
それが途中でなくなって、どこで落としたのかと思ってたら……
それだけなら……いや、断じてよくはないけど、百歩ゆずって、まあいい。
許せなかったのは、それに対する『返事』。
あたしの母さん、セイナ・ヒエンは、このヒノモトの騎士階級――「武士」の娘だったんだけど、あたしを生んですぐに死んじゃった。
だから、あたしには父さんしか家族がいない。
そして、父さん――ラス・ファインベルドは、この国の人間じゃないんだ。
遠く《輝きの海》を越えた、リオネス帝国の海軍の将校。
あたしは、父さんとは小さいころからほとんど会えなかった。
たまの手紙のやり取りだけが親子のつながりって言ってもいい。
だから、父さんへの手紙と、その返事って、あたしにとっては、ものすごく大事なものなんだ。
それを……!
直接、誰が書いたのかは知らないけど。
あたしみたいな娘はもういらないとか、うっとうしいからこんな長い手紙は書くなとか。
父さんになりきって、面白半分に、あれやこれやと。
よくもまあこれだけ思いついたなってくらいに、ひどいことばっかり書き連ねてあった。
そして、人だかりのなかにレンカの顔が笑ってるのを見た瞬間――
『発作』が起きた。
「だいたい、あたしが気にいらないなら、正々堂々とサシでケンカ売ってくりゃいいじゃん! いつでも相手になるよ! それを……」
「いい加減にせぬか!」
あたしの怒鳴り声を、クガイ師範の厳しい声がさえぎった。
「経緯については、どうであれ!
そなたは学友たちの命を大きな危険に晒したばかりか、由緒ある西校舎を破壊したのじゃ!
この事実は変わるものではない!」
「それはっ! ……それは……そう、ですけど」
そうだ。
ブチ切れたあたしは、炎の術を暴走させて校舎を吹っ飛ばし、学院のみんなに――何の関係もないみんなにまでケガをさせちゃったんだ。
重傷者が出なかったのは、師範たちが魔力の乱れに気付いて間一髪で「盾」の魔術を使ってくれたからだった。
それがもしも、あと少し遅かったら……
あたしは一度『発作』が起きると、自分が何をしてるのか、わからなくなってしまう。
ただひたすらに周囲のものを打ち砕き、暴れまわる。
親しい人でさえ見分けがつかず、攻撃する。
加減なしの魔術をつかって、目に入る、あらゆるものをなぎ倒す――
『狂戦士化』
そう呼ばれる現象だった。
そのあいだのことは記憶できない。
我に返ったときのまわりの様子や人の話で、自分がどんなことをしてしまったか、初めてわかる……
母さんの実家であるヒエン家の人たちが無理をしてあたしを《高天原》に入れたのは、この原因不明の『発作』のせいだった。
これは何かの『呪い』かもしれない、ヒノモトの魔術研究の最高峰である《高天原》でなら原因を突き止められるかもしれない、ってわけ。
――それに。
みんな、大きな声では言わなかったけど。
母さんや父さんのことを悪く言う声も、あたしの耳には聴こえてきた。
『ほら見なさい。家の者の反対を押し切って、異国の男と一緒になったりするから』
『ご覧なさいな、あの髪! なんて嫌な色でしょう! あんな髪の娘にヒエン家の敷居をまたがせるなんて、あたくしは絶対に我慢なりませんわ』
『まるで火が燃えているような髪じゃないかね? おお、嫌だ嫌だ』
『目の色もおかしい! この国の者なら黒いのが普通なのに、あんな苔のようなみどりとは。あれは魔物の色じゃよ』
『名前の響きだって異国風で、滑稽ですよ。セイナお嬢様の気がしれませぬな』
いい厄介払い、ってわけだ。
でも、あたしはくじけなかった。
ソヨカ師範の弟子になったあたしは、魔術や剣術の修行をがんばって、実技でなら誰にも負けない! っていうほどの実力を磨いてきたし――
何とか『発作』の原因を突き止めようと、努力もしてきた。
でも、ソヨカ師範や、他にも何人かの信頼できそうな師範に診てもらったけど、結局、誰にもこの『発作』の正体はわからなかった……
「――以上の点から、アニータ・ヒエン・ファインベルドには、相応の処分が必要であると考えるものであります」
いつの間にかクガイ先生は、学院総長や、集まった師範たちに向かって演説してる。
全員が難しい顔で唸りはじめた。
「しかし、クガイ師範!」
末席でうつむいていたソヨカ師範が、突然、声をあげた。
「アニータ・ヒエン・ファインベルドは、正気であの破壊を行ったのではありません!
彼女の『発作』については、クガイ師範はじめ、この場にお集まりの皆様もよくご存知のはず!
その原因も問わず……今回のことをまるで彼女ひとりの咎であるかのように責め立てるのは、いかがなものでございましょう!?」
「黙らっしゃい、ソヨカ師範!」
クガイ師範が、ぴしゃりと言い放つ。
「そもそも今回の一件の根本は、そなたの、弟子たちへの監督不行き届きと見ることもできるぞ!
そなたは発言を許される立場にない。黙らっしゃい、黙らっしゃい!」
「ですが――」
「ええい、くどい、くどいっ!」
ソヨカ師範の言葉を遮り、ばしばしと袴の膝を扇子で叩いて、クガイ師範が喚いた。
「もはや結論は明らかではないか!? 話を不要に長引かせるでないっ! この後、この衆議堂は定例の学院総長会談の会場となっておるのじゃ。よって早々に結論を……いやゴホン、オホン」
「ちょっとぉぉぉっ! 何それっ!?」
もはや、堪忍袋の緒も限界。
あたしは筵の上にどーんと立ち上がり、その場の全員があっけにとられて見つめる中、びしいっ! とクガイ師範に指をつきつけた。
「会議だか、何だか知らないけどっ! 要するに師範は、あたしなんか、さっさと追い出しちゃいたいんでしょっ!?」
「な……いや、それは……」
「まっ、無理もないですよね。突然、ブチ切れて校舎をぶっ飛ばしちゃうような弟子なんて迷惑すぎるし、いないほうにいいに決まってる。
でも……今の言い方って、いくら何でも、あんまりじゃないですか……!?」
ああ、もう、泣きそう。
あたしだって、好きであんなことしたわけじゃないよ……!
でも、泣いてたまるか。
それじゃ、まるで負けを認めたみたいだ。
あたしは、この人たちの前では絶対に、泣かない!
「いいですよ」
あたしは、やけっぱちの笑顔を浮かべて、胸を張った。
「これまでお世話になっといて失礼だけど、あたしだってこんな場所、もう、まっぴらごめんですから! 師範たちがそこまで仰るなら! お望み通りこっちから、きれいさっぱり、辞めてさしあげます!!」
ざわざわざわっ、と満座がざわめいた。
「アニータさん!」
ソヨカ師範が何か仰ってるけど、あたしは、あえて聞かなかった。
今、優しい言葉なんか聞いたら、絶対に心が崩れて涙が流れてしまうって、分かっていたから。
「あー……それでは、本人も、こう申しておることじゃし」
気まずい沈黙をクガイ師範が断固とした調子で破った、その瞬間。
ブワッ!!!
「うわっ……!?」
突然、吹きつけてきた突風に、あたしたちは思わず顔を手でかばった。
袖や袴がバサバサと音をたて、髪がかき乱されるほどの激しい風だ。
目も開けていられない!
でも、変だ。
その風は衆議堂の奥から吹いてきた。
奥のほうは襖も開いてないのに、いったい、どこから――?
「おわぁああっ!?」
風がおさまって、一瞬の後。
すっとんきょうな叫び声をあげたのは、あたしじゃなくてクガイ師範だった。
あたしは、といえば。
驚きすぎて、声も出なかった。
「おや」
彼女は、小さく声をあげて、まわりを見回した。
女の人にしては少し低くて、かすれぎみの声。
踵の高い、焦げ茶色の革製の靴。
紫色の、ずるりと長い衣。
ゆるやかに波打った肩までの濃い金色の髪に、きりっと整った顔。
そして、珍しい金色の目。
異国の、人――
「誰っ!?」
あたしは思わず叫んだ。
全員の目が点になってる。
無理もない。
だってその人、今まで何もなかった衆議堂の畳の上に、いきなり湧いて出たんだもん!
「むう……すまん。いささか、場所の見当が狂ったようだ」
いかにも異国風な外見からは想像もつかないほど流暢なヒノモトの言葉で言いながら、ごそごそと靴を脱ぎ始める女の人。
「なっ、なっ、ななな」
あまりのことにドモりながら声をあげたのは、それまで一言も喋らなかった、学院総長のハクウン先生。
ふさふさの白いヒゲと眉毛がふるえてる。
「何を、なさっておいででございますかなっ!? あなたさまはっ!?」
「学院総長会談に出席しようと思って来たのだが」
「定刻には早すぎますぞっ! しかも、いきなりこのようなところに転移してこられるなど……」
ハクウン先生の声が、尻すぼみに小さくなる。
は、そうか! 《転移》の魔術……!
魔術は、極めれば世界を思うがままに動かすこともできる、強大な力だ。
その秘密を外部の人間に盗まれたりしないように《高天原》の敷地のまわりには侵入防止の結界が何重にも張り巡らせてある。
それを越えてきたってことは……
この人、とんでもない力を持った魔術師だ!
あの結界を、力まかせに破るならともかく――いや、それだって凄いけど、気付かれもせずにスッと通ってくるなんて、もはや神業の領域。
いったい、何者?
……ん? 待てよ。
『学院総長会談に出席しようと思って来た』ってことは――
この人、どこかの国の魔術学院の、総長閣下!?
「ん?」
あたしの査問会をしっちゃかめっちゃかにした紫ローブの女の人は、両方の靴を脱ぎ終わったところで、ひょい、とこっちを見た。
彼女の金の目と、あたしのみどりの目。
視線がまともにぶつかる。
「………………」
奇妙な沈黙のなかで数秒間、見つめあった後。
彼女は突然、にやーりと笑った。
なっ、何!? 怖ッ!!
あたしがとまどって――というよりもビビッているあいだに、彼女は何のためらいもなく裸足で庭に飛び降り、ざくざくと大股に砂利を踏んで近付いてくる。
「あ……あの……?」
完全に腰が引けているあたしの前で、ざっ、と立ち止まった彼女は、
「ふむ」
迫力の笑顔はそのまま、猫みたいに光る目であたしをじろじろと観察し――
そして言った。
「私はリオネス帝国から来た、東の帝国魔術学院《暁の槍》学院総長、イサベラ・アストラッド。
おまえ、私の学院に来ないか?」