見学ツアー
結局次の日も香楽の熱は下がらず、彼女は2日続けて学校を休むことになった。
今日はもちろん美鷹中の2年生が住宅地開発現場を見学に行く日で、香楽は自宅で歯痒い想いをすることになってしまったが、子音や緋色たちはというと多少なりともワクワクした気持ちで今日を迎えていた。
学校の正門前には、朝のホームルームを終えた2年生たちが続々と集まってくる。
まだそれぞれの担任は姿を現していないため、生徒たちは整列を行おうとせずにそれぞれが勝手にグループを作っておしゃべりを始めている。
美鷹中は2年生だけで300人を超える生徒がいるのだから、その光景には圧倒されるものがあったが、5組の子音はキョロキョロと辺りを見回すと、ようやくその中に緋色の姿を見付け、彼のもとへ走っていった。
「おーい、ヒロ!」
緋色もすぐに子音に気付くと、子音に応えた。
「よう、ネオン」
「今日もやっぱりシンディはお休み?」
「ああ。熱が下がらねーとさ」
「はぁ、罰が当たったか」
「いや、そーでもねえだろ」
「どうして?」
「あれ?ネオン知らなのか?」
「???」
すると緋色は苦いような笑顔を子音に向けた。
「あいつさ。遠足とか運動会とかの日になると、たいがい風邪ひくんだよな。運が無いのか本番に弱いか、多分どっちかだな」
そしてその後、担当教師たちが正門前に姿を現し、担任がクラスの生徒を集めた後にスクールバスに乗り込み、美鷹住宅地開発現場への見学ツアーが始まった。
バスの中は予想以上に賑わしく、担任教師はなんとか生徒たちを静めようと声をかけるが、治まる気配は全く無い。
先々日より教師から「遠足では無い」とはクギを刺されてはいたものの、そこはまだ10代半ばの子どもたちのすることだから仕方が無いところもあるだろう。
担任教師はバスの一番前に陣取り、後ろを向きながら声をかけていたが、やがてそれではらちが明かないことを理解し、バスの車内マイクを握り締めると、ボリュームいっぱいに叫び声を上げた。
「うるせーぞ!オメーら!!」
「おー!!」
なんとか声は通ったものの、生徒たちのテンションは下がらない。
いい加減諦めモードに入った教師は、結局自分のテンションを生徒たちに合わせ、見た目ノリノリで見学ツアーの説明を始めた。
考えてみれば教師たちも久しぶりの郊外での授業ということもあるし、自分の生徒たちが楽しそうにしていることに決して悪い気がしているワケでも無いので、こういう流れになってしまうのも当然なのかも知れない。
「いいか、オメーら!目的地では全部で3グループに分けるぜ!」
「おー!」
「向こうに付いたら速やかに行動しろ!!」
「おー!!」
「間違っても置いていかれるんじゃねえぞー!」
「おー!!!」
現場に向かうバスの中はどれも似たような状況で、特に男子生徒たちのノリがいい具合になっている。
意外にも緋色も他の男子生徒たちと同様に騒いでいたが、別のバスに乗っていた子音だけは少し様子が違っていた。
何故か子音は黙って外の景色を見ていて、隣の席の同級生たちとも話をしようとしない。
不思議に思った子音の友人の一人が彼女に声をかけても、彼女は低いテンションであまり話に乗ってくるようなことが無く、その心情には実は子音自身が一番驚いていた。
「珍しいね、ネオン。こういう時って、あんたが一番テンション高くなるのにね。お腹でも痛いの?」
「ううん。そういうワケじゃ無いんだけど、なんだか気分が乗らないんだよね」
「心配事でもあるの?カグラのこととか?」
「ブー!そんなんじゃ無いよ。」
すると子音は自分の胸に軽く手を添え、少し不安そうな表情で友人の顔を見た。
「あたしさ、なんだかさっきから心臓がドキドキしてるんだ・・・。おかしいな〜。あたし、こんな変な気持ちになったの、もしかしたら初めてかも」
「ウブな奴だな〜。初恋でもしたか?何度目の初恋か言うてみい!」
「『何度目の初恋』ってどういう意味さ?ううん、そんな気持ちがいい感じじゃ無いよ」
「んじゃ気持ち悪いの?バス酔い?」
「あ〜そっちの方が近いかな。少し胸が苦しくて、なんだか不安な感じがして・・・」
そして子音は再び外の景色に目を向けると、友人たちに聞こえない声でポツリと呟いた。
「これって・・・もしかして『嫌な予感』ってやつ?」
☆
巨大な岩石の発破の準備を進めていた桑原は、先日の作業で掘削した部分に特殊火薬を差し込み、発火のための配線を行っていた。
今まではこの違法作業には、彼は補佐という形でしか携わったことが無かったが、今回は人手が足りなかったようで、彼単独での作業となった。
現在使われている火薬は、電気配線以外では簡単には着火しない作りになっているため、安全性の確保はわりと容易になっている。
例え火薬ごと焚火の中に放り込んでも爆発しない構造になっているというのだから、IT以外でも科学は進歩しているのだと驚かされる。
とは言え、やはり辰波からの申し出でほぼ全ての作業を桑原一人で行わなければならないというのだから、面倒なことも多い。
しかし絶対に他の人間は寄せ付けさせないという条件があったため、彼以外の人間に気を配る必要は無いし、未開拓の地域なので岩さえ砕ければ後始末もしなくても良いということだったので、桑原は早く自分の仕事を終わらせてしまおうと、懸命に作業を続けていた。
今日は市内の中学生の一団が工事現場の見学に訪れているということだったが、特に今の桑原に関係がある話では無い。
工事の現場を見学したいという団体の申し込みは他にもよくあることで、阿坂組ではそのための見学コースを定期的に確保している。
本日の見学コースは桑原のいる現場から5km以上離れた場所であり、他の作業員にも立ち入り禁止と通達されていたため、桑原は余計な事に振り回される必要は無く、充分に作業に集中することができていた。
この違法な作業により彼に支払われる報酬は5万程度。
もちろんこれは彼にとって充分な報酬とは思っていなかったが、無いよりはマシだし、違法作業に反論したり暴露する必要性も感じてはいない。
特に悪いことをしているという感覚も皆無だったので、彼はこれも1つの『仕事』と割り切り、報酬は不定期に支払われるボーナス程度に考えていた。
現在の彼の調査の範囲で判っていることは、この開発事業の妨げになっている地中の大岩の大きさが、幅約50メートル四方以上に及ぶ大きさだということ。
岩の表面にはたくさんの古代文字のような彫り込みがあるため、あるいは何かの遺跡ということも考えられるが、それならなおさら宅地開発のためには外に情報が漏れないように破壊処理を進めなければならない。
今回の発破作業は、まさにそのための第一歩というわけで、一介の作業員である桑原は余計な詮索をせずに本社からの指示通りに動けばいいだけの話なのだが、それでも彼にはもう一つだけ気になる部分が残っていた。
岩の冷たさが尋常では無い。
彼が先日最初にこの大岩に触った時には、単に地中にあったために冷たく感じたのかとも思っていたが、
桑原は今日改めてこの大岩を触ってみて、やはりそれが気のせいでは無いということを確信していた。
試しにペットボトルのミネラルウォーターを垂らしてみると、それが岩の上で氷の結晶へと変化する。
外気に触れたせいで多少は温度が上がったはずなのだが、それでも零下を保つこの岩の正体について、桑原は得体の知れない不安をそこはかとなく感じていた。
「ふん、俺が考える必要は無えんだ。とっとと終わらせるか・・・」