住宅地開発
桑原は土木建築会社「阿坂組」に勤務する土木作業員である。
ブルやバック・ホーンなどの重機一種免許を持つ彼は、性格の荒さからなかなか昇給の機会には恵まれてはいなかったが、それでも勤続年数の長さから同僚の信頼もそれなりに厚く、仕事での腕の確かさには定評がある。
ただ無類の酒好きが禍して二日酔いから仕事を欠勤することも珍しくなく、その辺りに桑原の欠点があった。
齢40を過ぎてやっとできた男の子を実家のある県外に残し、月に一度程度の帰省を楽しみに仕事に励む彼は、50歳を目前にしてこれからの生活設計が確かなものになっているわけでは無いが、それでも数日後に迫った休日を前に、今度は息子や嫁にどんな土産を買っていこうかとか、今日の夜は何処で一杯引っ掛けようかなどと考えながらクレーンのレバーを操作していた。
彼の現在の仕事は美鷹市の住宅街建築予定地の土壌整備で、いわば先発隊のようなものだ。
元々丘陵地だった美鷹の土壌を切り崩して土台の基礎を形成することが阿坂組に課せられた仕事で、切り開かれた広大な砂利のフィールドには、数えきれないほどのブルやクレーン、ダンプが忙しなく動き回り、それぞれの職務に励んでいた。
重機が唸る度に、付近に残された小さな木々のまとまりから名も無い鳥たちが空に舞い上がる。
桑原は慣れた手つきでレバーを滑らかに操作しながら、「こんな奥地まで開発の手を広げなくてもいーだろうによ・・・」と一言呟いた。
今から数カ月前のこと。
住宅地開発予定地の視察のため、彼は上司らと共に、まだ自然に手付かずだったこの地域を訪れたことがある。
人の手が加えられていない森林や山地は、うっそうとただ伸び放題に伸びた木々や雑草にだらしなさを感じるものだが、元々彼の生家がそのような地域の近隣にあったため、桑原はそれはそれで趣のようなものを感じていた。
現在は彼の故郷周辺にもそのような地域はすっかり無くなり、後は整備された公園に名残りがあるのみである。
桑原はこの無骨な自然を眺めて、もし機会があれば息子を連れてきてどんな反応を見せるか見てみたいとも思っていたが、仕事と酒と睡眠で一日が過ぎる彼にそのような時間があるはずも無く、なんとなくモヤモヤしたような気持ちを背負いながら、結局今に至っていたのだった。
「お〜い、桑さん。」
もう昼食の時間が間近に迫った頃、桑原のクレーンに近づいてくるヘルメット姿の男がいた。
彼の上司にあたる辰波という男で、彼は上下関係にありながらも同い年のため、割と話が通じる人物である。
「よお、たっつぁん。どうした、わざわざ昼飯の時間を知らせに来てくれたか?」
「いや〜桑さん。実は頼みたいことがあってよ」
「どうしたい」
「桑さん午後から現場変わってくれないかい?」
「現場?」
「ああ。実はこの先の浅いところに硬い岩盤が見つかってよ。ドリル加えながら崩してんだけど、どうも若いモンだとなかなか捗らなくて。
桑さんそっちに行って、チャチャッと崩してやってくんねーかな」
重機の扱いにおいて、経験の技は大きな力になる。
例え同じ免許を持っていたとしても、熟練した使い手に若い者は敵わないことが多い。
クレーンのアームから伝わる土壌の感触というものは、経験と共にその感受性が強くなり、それがスムーズな機械の操作に繋がっていく。
特に硬い岩盤などが相手の場合は、無理な機械の操作は故障を招くことも多く、一度壊れてしまったとなれば、その修理費も莫迦にならない。
経験年数の長い桑原は、その辺りについての腕が確かなことは辰波はよく理解していて、それを見込んでの器用の提案だったのである。
「よっぽど硬いのかい?」
「ああ。実はさっきクレーンが2台いかれちまったんだ」
「2台?それは難儀だな〜」
「由のとこの若いのに任せていたんだけど、どうもいかん。今日中にけりを付けておきたいんで、頼むよ桑さん。いいかい?」
「ああ、判った。それじゃあ、午後からそっちに行ってみるよ」
「頼んだよ」
販場で昼食を済ませた桑原は、付近まで走るダンプに乗せてもらい、目的の現場に向かった。
そこはさっきまで場所とは大きく違い、まだ多くの木々が残り、土壌の起伏もほとんど馴らされていない。
奥には3台のクレーンと小型の掘削機が設置してあり、その周りには数人の作業員の姿が見える。
桑原は馴染みの作業員の姿を見付けると、彼に声をかけた。
「よお。クレーン2台がいかれたってか?」
「よお、桑さん。そうなんだよ、まあ見てくれ」
作業員はクレーン傍まで桑原を誘うと、砂利の間から僅かに姿を見せている岩肌を指差した。
「あの岩盤なんだけどよ。どうもずいぶん厚いみたいで、機械の方が参っちまってよ」
「岩盤?岩なんじゃねえかい?」
「そうかも知れん。しかしそれじゃあ、ずいぶんでかい岩だ」
「広いのか?」
「今付近の砂利をどけているが、ざっと20m四方以上はあるな」
「だったらクレーンと穴掘りだけじゃ難しいかも知れんぞ」
「ああ。だが上から発破(爆薬)はなるだけ使うなと言われている。
掘削かけながら掘ってみるから、悪いけど桑さん、上手くやってみてくれよ」
桑原はクレーンに乗り込むと、アームの操作を始めた。
砂利の間から見える岩肌をなぞり、アームから伝わる感触を確認しながら掘削に適した個所を探っていく。
しかし岩肌は思いの他広範囲に渡って頑丈で、なかなか脆い部分を探し出すことができない。
もしこれが大岩だとしたら、おそらく住宅地開発の妨げになり、予定より長い工期を設定しなければならなくなる。
それは期間従業員に近い就労条件の桑原にとってはいくらか好材料ではあるが、だからと言って引き延ばすようなことをしたいわけでも無い。
しばらくクレーンで辺りを掘り起こしながら作業を続けた桑原は、岩とも岩盤とも判断が下せないこの岩肌が広範囲にあることを確認し、作業を中断すると諦め顔をしてクレーン車から降りてきた。
「ずいぶん広いな。こりゃもしかしたらエアーズロック並みの大きさかも知れん」
ちなみにエアーズロックというのは、オーストラリアにある周囲9、4?の大岩のことである。
「アハハ・・。まさかまさか」
「しかしずいぶんやっかいな事に変わり無い。こりゃ工期延びるぞ」
「あちゃ〜。それは困ったな」
桑原はクレーンで掘った穴を覗きこむと、その深部に姿を見せている黒い岩肌を確認し、穴を降りていった。
彼は特に岩石に詳しいというわけでは無いが、どのような岩かを確かめてみようと考えたからである。
「変成岩や堆積岩とは違うみたいだな・・・」
そしてむき出しの黒岩の表面をザラッと撫でてみたが、彼はそこで奇妙なことに気が付いた。
「なんだ?この岩、ずいぶん冷たいぞ・・・」
彼が触ったこの岩は、不思議なことに氷に近いほどの冷たい感触を持っていたのである。