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対峙したもの

 香楽が気が付くと、彼女はジンワリと湿った暗闇の中にいた。

 まだ意識ははっきりしないが、辺りの空気は怪訝に重く、香楽の肺を圧迫するように重く圧し掛かってくる。

 おそらくメタンハイドレードから気化したガスが、彼女の呼吸を阻害しているのだろう。

 元々メタンガスは人間にとっては有毒なガスで、長時間それを吸い続ければ命に関わる可能性は高い。

 ここがガスが充満した空間であれば、彼女はすぐにでもここから避難しなければないであろう。


 香楽は自分が気を失う瞬間の出来事は、よく憶えていた。

 確かタール状の巨大な粘液状の生物の襲撃を受け、神酒と共に地割れの中に転落してしまったはず。

 実際に今彼女がいるのは土壁と岩石に覆われた広い空洞で、特に灯りがあるわけでは無いが意外に視界は広く、そこが地下にできた巨大な空洞だということがはっきりと理解できた。


 おそらく転落した時に打ちつけたと思われる肩と側頭部が激しく痛む。

 意識をはっきりと取り戻しつつある香楽は、なんとか起きあがりその場に立ち上がろうとするが、体が思うように動いてくれない。

 一度力を振り絞って立ち上がりはしたものの、急に頭の中から血が引いていくような感覚と目まいに襲われ、彼女はすぐにまた手を突いてしゃがみ込んでしまった。


 土と岩に囲まれたこの空間には、奇妙な気配があった。

 静けさや湿気とは違う、まるでどこかから空気の塊が意識を持って香楽を押し潰そうとでもしているような、激しく不快な緊張感と威圧感。

 彼女は取り戻しつつある意識の中で、ようやくその恐ろしい雰囲気を放つ闇の住人の居場所を感じ取り、睨むように根源へと目を送った。


 そこに居たのは、一人の作業着姿の男だった。

 しかし男の持つ気配は人間のそれとは大きく違っていて、禍々しくもおぞましいオーラを激しく放出している。

 蒼白な顔色は闇の中にはっきりと浮かび上がり、目は黒く濁り白眼の部分は見られず、その異質な風貌を自負するように不敵で気味の悪い笑みを浮かべている。

 体中にあの地上で見た巨大な生物と同様のタールを汚らしくまとい、男はうずくまる香楽を遠目で見ながらも、今にも飛びかかるような前傾姿勢で満足げな表情を浮かべていた。


 男が卑しくも恍惚の表情を浮かべている理由は、香楽にはすぐに理解することができた。

 男の右手が、怪我をして力を失った神酒を無造作に握り締めていたのである。

 神酒は苦痛に表情を歪め、苦しそうに息を荒げている。

 時折痛みに小さな呻き声を上げ抵抗しようと試みるが、力が入らずどうにもできない状況だ。


 そして男は先程にも増して邪悪で不敵な笑みを見せると、不自然なまでに白い凶悪な牙を覗かせ、勢いよく神酒の頸筋へと噛みついた。

「やめろー!!!」

 体が思うように動かない香楽には、叫ぶことが精一杯の抵抗だった。

 しかし男の凶牙は微塵の情けの色も見せず、神酒の清純な血を汲み取っていく。

 神酒は痛みに大きく目を見開き、悲鳴にすらならない声を上げて痙攣を繰り返していたが、やがて糸の切れた傀儡のようにグッタリと力を失ってしまった。

 彼女の瞳からは、あの人懐っこい輝きはすっかりと失われ、男が掴んだ彼女の頸を支店に折れ曲がるように意識を失っている。


 見ると男の足元には、さらに2人の人影が倒れているのが見える。

 香楽はその2人が子音と緋色だということに気付くのに、長い時間はかからなかった。


「お前!なんてことするんだよ!!」

 香楽は何かとても大事な物を奪われたような激しい怒りと悲しみに駆られ、涙声で叫んだ。

「あんたがみんなを殺したの!?どうしてそんなことするのさ!!」


 興奮で短い呼吸が繰り返される香楽の叫びは、呂律が回らず発音が歪んでいる。

 しかしその意は男にはっきりと伝わったらしく、男は不敵な笑みのまま彼女を確認し応えた。


「・・・まだ死んではいないぞ。しかし死んだも同然だろうな」

 香楽は興奮しつつも、なんとなくその意味が理解することができた。

 男の行為は、あの吸血人間どもと同じものだ。

 だとしたら時間が経てば、神酒たちもあのおぞましい吸血人間と同様に変わり果ててしまうということを意味しているのだろう。


「・・・我が瘴気は血を好む。永く【旧き神】に封印されていた故に、我は血に渇いているのだよ」

「・・・瘴気?」

「そうだ。我が眷属としもべを生み出す、このニャルラトテップの瘴気をな!」



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