SickMan(シックマン)
美鷹市警察署に設けられた災害特別対策本部。
今ここに数名の政府高官や危機管理担当者、医師や地質学者などその道の専門家が集められ、今回の住宅地開発地域で発生した異常事態についての議論が繰り広げられていた。
今回のメタンガスの引火・爆発については既に報道機関によって公表されていたが、常軌を逸した存在である、通称『吸血人間』の発生については、全てのマスコミに規制がかけられている。
その理由はもちろん一般市民の過度のパニックを避けるためだったが、一部のマスコミはヘリによる周辺地域のライブを行っていたため、政府はさらに強力な報道管制を敷き、秘密裏に事を解決するための方法の発見にやっきになっていた。
既にメタン爆発が発生して5時間余りが経過しているが、火力は未だ衰えず状況回復の目途は立っていない。
それに加え吸血人間の情報の漏洩があちこちの機関で目立つようになり、対策本部の面々はその度に規制を強めるための連絡を繰り返し、異常事態の打破のために尽力していたのである。
「全くあの仰々しいデカい火柱は、どうやったら鎮火する事が出来るんだ!?」
災害対策本部長の相良が、数人の本部員を前に吐き捨てるように悪態をついた。
「相手がガスでは水は使えない!消火剤ではあの規模に対応できない!二酸化炭素放出では近隣住民と取り残された作業員に被害が及ぶ!これでは八方塞ではないか!」
すると高官の傍にいた迷彩服に身を包んだ自衛隊員らしき男が敬礼をし、現在の状況の報告を行った。
「本部長。先程人工衛星『斎河』からの現場上空からの赤外線サーモグラフィーによる詳細映像が届きました」
「結果はどうだった?」
「はい。やはり現場上空及び周辺の気温は上昇していますが、爆心地の地中温度は低温のままです。宮唆大教授の沙希原氏の言う通り、地中にメタンハイドレードが存在しているのは間違い無いと思われます」
「そうか。しかしメタンハイドレードが結晶を維持するには低温高圧が条件のはずだが、なぜあの地域に存在できたんだ?」
「はい。これはまだ未確認の情報ですが、救出された現場監督の一人が、付近で低温の巨大な岩石の存在を示唆しています。岩石の種類は確定できていませんが、もしこの岩石に恒常的な吸熱作用があるのであれば、メタンが結晶状態を維持するのも可能かと思われます」
「吸熱反応?セラミックでも埋まっているのか?」
「それはまだ判りませんが、かなり激しい吸熱反応の模様です」
「判った。とにかく地中の岩が何であれ、あの異常な爆発炎上を食い止める方法をなんとしても見付けだしてくれ。おそらく相手がメタンハイドレードなら、エネルギー源はまだまだ尽きることは無いだろう。もしどうしても有利な条件が揃わなければ、海外の専門家に援助を求めても構わない。そこは私が責任を持とう。判ったか?」
「了解しました」
相良が次に状況の説明を求めたのは彼と同じの60歳程度の老齢の男で、名を比留間と言った。
比留間は帝都大医学部の教授をしており、今回の吸血人間の出現の原因を究明するためにメンバーに加えられた一員で、報道管制が敷かれている間に事態を収拾するために、特別に招集された切り札的存在でもあった。
「比留間さん。もう何度も同じことを言っているのでウンザリしているかも知れないが、もう一度言わせてくれ。今回の災害の異常さは、なんと言ってもあの訳の判らない血を吸う奇妙な病気が被害者の間に蔓延してしまったことにある。理性を失って人の血を吸うために襲うなんて、まるでゾンビ映画の極みだ。常軌を逸するにも程がある。しかしだからと言って、マスコミに【吸血鬼やゾンビが出ました】などと公表できる訳が無いし、そもそも上にそんな報告はできん。部員の中にもあれが吸血鬼だなどと戯言を言っている奴がいるが、私はそんな迷信を受け入れられる立場では無いんだ。比留間さん、教えてくれ!もうあの変異した作業員どもを捕獲して、いくつかの調査結果が出ているはずだ。奴らはいったい何者なんだ!?」
最初比留間は、黙って相良の話を聞いていた。そして彼の言葉が終わると同時にため息をつき、このような回答を彼に示した。
「相良さん。正直言って、今回の事例は私にとっても初めての体験で、しかもこんな異常な事態は想定されていませんでした。私も最初は本気でゾンビか吸血鬼かとも思っていましたが、それでも私も科学者のはしくれですから、なんとか納得のいける解答を導き出したいと思っていました。そこでいくつかの調査結果が出ましたので、まずはそれからお報せしましょう。まずは我々の調査チームは、あの吸血人間に【シックマン】と名付けました。多少安易な命名ですが、名前が無いことには何かと不便ですからね。」
「シックマン(SickMan)・・・?」
相良は比留間の言葉を聞き困惑したが、やがて彼の意を汲み取ることができたらしく、僅かながらも安堵の表情を見せた。
「・・・それじゃあ、彼らは・・・!」
「はい。彼らはペイジェント(患者)です。まだ完全な治療法は確立していませんが、おそらくなんとかなるのではと考えていますよ」
☆
比留間の話は、次のようなものだった。
実は初期に捕獲されたシックマンの全てが、血液検査と尿検査の結果から『ヘモグロビン欠乏症』の疑いがあることが判明したのである。
ヘモグロビン欠乏症とはヘム合成回路の酵素が生成されない疾患で、この症状により赤血球の主成分であるヘモグロビンの合成に支障がきたされるため、極度の貧血と尿毒症を引き起こすというものである。
体内の血液が欠乏すれば血を求めるようになるのは想定できることで、シックマンの異常行動の一因はそこにあるのではと考えられていた。
加えて見られる顕著な症状が、神経系の錯乱。
こちらの原因については判明していないが、この2つの症状から考えれば、シックマンの行動は合点がいくということだった。
「ヘモグロビン欠乏症はヘム合成回路に異常があった場合、後天的に発症することがあります。しかしまだ治療法が確立されていないので、最初はシックマンの完全回復はありえないのではと考えておりました。ですがシックマンの回復を図るための治療の過程で、ある奇妙な現象が起きたのです。錯乱を抑えるための治療の過程で起きた事なのですが、昏睡状態で脳を保護する薬を投与したところ、顕著な回復を見せた患者が多数現れたのです」
「回復!?治った患者がいるのか?」
「はい。まだ退院できる段階には至りませんが、ヘモグロビンの欠乏にも驚くほどの改善が見られました。元々狂犬病に効果があると言われている【ミルウォーキー・プロトコル】と呼ばれる治療法なのですが、シックマンに対しても効果は絶大のようです。おそらく神経系の錯乱とヘモグロビン欠乏症の間には、深い関連性があるものと考えられます」
「つまり・・・意識が正常に戻れば治る・・・ということか?」
「そういうことになります」
「そうか・・・・治るのか!」
相良は比留間から伝えられた内容を理解すると、先程までとは打って変わり希望に満ちた表情を見せた。
彼はいくら現実主義者とは言え、やはりこの異常な状況から、あるいはオカルト染みた結論が出るのではとどこかで恐れていた部分もあった。
しかし今比留間から伝えられたことは、明らかに科学的に解明可能な内容である。
少なくてもこの内容であるなら、例え状況がマスコミに公表されたとしても、最悪の事態は免れることができる。
「しかし、相良さん。ここまではなんとか科学的な説明で辻褄が合いますが、まだまだ判らないことの方が多い。例えばシックマンの噛み傷から何故新たなシックマンが誕生するのか。これは未だ解明されておりません。あるいはヘモグロビン欠乏症を併発するウィルスが血液感染をしているという可能性も考えられるのですが、今のところはそれらしいウィルスは発見されておりませんし、そもそもシックマンが何故生まれたのかが全く判っていないのです」
「うむ。確か報告によると、爆発の直後からはシックマンが疑似的感染以外の手段では発生してはいないようだが」
「はい。つまり状況から判断すると、まずあの爆発事故とシックマンには関連があると思って間違いないでしょう。おそらくあの爆発の前後にシックマン症候群の原因物質が振り撒かれ、そしてそれは現在はストップしている。もし原因物質が振り撒かれ続いているのであれば、さらに広範囲にシックマンが誕生していてもおかしくは無いですからな。」
「・・・判りました。つまりいずれにせよ、原因を突き止めるには・・・」
すると比留間は一度目を閉じてから浅く息をすると、厳しい目で相良を見た。
「そうです。やはりどんなに危険が伴うとは言え、原因究明にはメタンハイドレードの調査が絶対不可欠でしょう。
おそらくそれは、何万年もの太古からあそこに眠っていた物質のはず。
それならばあの中には、もしかしたら我々の想像を超える物が閉じ込められているのかも知れません。それが危険物質か未知のウィルスなのか、今のところはなんとも言及はできません。
あなたは立場上オカルト的な答えは望まないとのことですが・・・。
例えそれが古代の邪神だったとしても、私はなんの不思議も無いと思っていますよ、相良さん」




