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すり潰すような悲鳴で、意識が白濁の底から覚醒した。
祥子は次第に戻る、五感――まずは断末魔の音。次に、焦げ付くような臭いは嗅覚、紗のかかったような視覚、と取り戻して行くにつれ、混乱を覚える。
ざり、とブーツが砂利を踏んだ。
そのまま、オートで大地を踏みしめ、身体を斜めにする。急所を『エネミー』の真正面からずらすためだ。
両手を構える。
僧兵特有の『気』で身体強化を行い、防御を上げ、
ダン!
と空中に飛び上がった。
「うらあ!」
雄叫びを上げ、突き、蹴り、回転と連撃を行う。武術『百花繚乱』。とにかくモーション数がやたら多い。隙も多いが、大ダメージを与える。雑魚戦では、広範囲に当たり判定が多いため、掃討に使用することが多い。
骨の砕ける音に肉を穿つ感触がリアルに伝わってくる。
(……え)
連撃のオートモーションは止まらない。
エネミー情報が視覚の端に出ている。レベル11、イッポンヅノ。腰みのをはいた鬼霊界所属の蛮族風エネミーだ。出現は主に山岳、森地帯。
祥子は二回ほどの武術発動で雑魚掃討を終了すると、
「あれ?」
と今更周囲を見回した。
風が頬を撫でる。血臭が入り混じっていて顔面をしかめた。レベル11のイッポンヅノが出る山岳フィールドだ。自分自身を包むのは、神職の着用する和風僧服だ。思わず袖を引っ張って、柔らかな布地の感触に息を飲む。色は白基本にところどころ赤のより紐でアクセントがついており、袖をふると紐が揺れた。
「――夢?」
なんだか色々リアルだが、夢だということで祥子は結論づけた。彼女が生きている間にヴァーチャルリアリティのゲームが世へ出るとは思えない。
昨晩別クラスの僧兵のレベル上げをしていたので、そのまま夢でも続投してしまったようだ。
基本ソロ狩りばかりの祥子は、夢の中でもやっぱりソロだった。
パーティプレイは苦手で息がつまる。
(ソロの方が気楽でいいや……)
指示があれこれと飛んで、その通りにやれば効率はよいけれども、ひたすら気を使う。
その意味では、祥子の精神力はかえって非効率に稼働し、やたら摩耗する。
(床滑ると、カス、っていう人もいるし……)
ライトプレイヤーは武器も装備も整っていないままにレベルが上がってしまうこともある。
レベルだけは上がりやすいのだ。
同じカンストレベル100でも、攻撃力が倍以上違ってくるのは、装備にどれだけ時間と金を積んだかによる。
祥子も課金ユーザーだが、ガチ勢力と呼ばれる面々に比べれば、やはりどうしても一歩も二歩も遅れると自覚していた。
かつて戦争コンテンツに行った時、死亡した祥子は、「ンなカス装備で来るなタヒね」と死体蹴りされた上に、倒れ伏した背中と頭の上で何度もジャンプされたことがある。
驚いたが、自分も悪かったと思い、祥子は装備を整えるべく、金策や素材作りなどに奔走した。
武器も防具も強化すると『+1』などがつき、最大10まで鍛えることができる。更に『加護』と呼ばれる特殊能力付も可能であった。
しかし、失敗が過ぎると、現在の強化値が下がったり、加護が消えたり、最悪はまれに強化武具が砕けてしまうことがある。かなりのリスクがあった。
何度も強化に失敗し、剣や杖、防具が砕けて心が折れかけた。しかし、忍耐と時間をささげた結果、今の武器は最高レベルだ。そう、ない胸張って、空気に向かってなら言える。
本職の魔法剣士(マギフェンサ-)では、ある程度目安とされる打撃力及び魔法力をそれぞれ3000超え、ボスソロもくいつけるところまでもっていった。
それなりにレベルも装備も上位に食い込み、死ににくくはなったが、それでもやはり団体行動は苦手だし、人と足並みを揃えて効率よくプレイなど疲労するばかりだ。
(この夢は……一人で……楽だな……)
祥子はうなずくと、もっと雑魚狩りをしようと山を分け入って行くことにした。
すると、
「サンボンヅノとか聞いてないーーーー!! 依頼殺意たけええええ!!!!」
と少女の絶叫が聞こえてきた。
夢の中なのに他のプレイヤーがいるらしい。心の奥底で誰かと交流したいという相反する願望が表れたのであろうか。
(どうしよう……ここは初心者向けフィールドなのに、ハード帯のサンボンヅノがレアエネミーで出ちゃったのかな?)
祥子はその場で硬直した。
横殴りして参戦した方がいいのか。あるいはそれは空気読めてない行為なのか。
「ルルさん、声、大きいです! 他のエネミー来ちゃうんでッ、てか、僕ら全滅ですね。知ってた。僕知ってました。僕運がないんです。僕のせいです。ごめんなさい。バルハラで詫びます」
何だかせっぱつまっている。容易にレイプ目を想像させる後半抑揚のない声だった。
「あなたたち、手を動かしなさい! オールダーは全力を尽くして戦場に倒れたものしか受け入れてくれないわ」
「ルルはこの若さで死にたくないよーーーーー!!!」
「僕も死にたくない死にたくないーーーーー!!!」
カオスだ。
仲良しパーティーに横殴り参戦するなどハードル高過ぎて胃けいれんを起こしそうだが、これは参加してもいい流れ。
そうに違いない。
祥子は「横殴り、失礼します!」と声を上げて、最速でエネミーに突撃する武術『蹴撃』を使用した。
威力は低いが、移動武術としては最適だ。その後、すかさず大ダメージを与える武術に切りかえれば、エネミーに先制攻撃が出来る。通常ソロではそうするが……
「え、何? 何?」
少女が視界の端で混乱しているのが見えた。祥子の胃はけいれんする。間違えたか。やはり参戦すべきでなかったのか。
しかし、武術モーションは今更止まらない。
『散華』
これも威力は低めだが、使用者を起点に、青い輪が『りーん!』と澄んだ音をたてて一瞬で周囲に広がる。わずか、一秒。発動して輪は消えた。
エネミーを一定時間硬直させる技だ。
すかさず、状況を確認して、補助術の体力防御増加及び回復技を連続爆発させる。どちらも青い光が身体を包み込んだ。
「助力、感謝する!」
補助技で硬直の生じた祥子の脇を、大きなバトルアックスをかついだ鎧姿の紫紺の髪をした女が駆け抜けた。
さきほど「戦え」とはっぱをかけていた女性だろう。
「なんだか知らないけど、ナイスアシストーーーー!! ルル、やっちゃうからね、おらあ! 肉ミンチにしてやるんだから!!」
栗色の髪に身軽な格好をした少女は、二挺の銃を手に、ひらひらと空中から魔法弾を撃ち込み、着弾すると爆撃を起こしている。
「ありがとうございます。僕は不幸じゃない……」
レイプ目をした灰色フード姿の男は、捻じれた杖をかかげた。ぶつぶつとその薄い口元が何かを呟いている。詠唱だ。その杖に、黄色い光が収束していく。
『サンダーボルト/雷撃』
魔法術はチャージ時間が必要だが、その分殲滅力は強力だ。
一気に、サンボンヅノの体力を削ったのが分かった。その体表が赤色に染まる。エネミーの体力が三分の一以下になると、『怒り状態』になり、身体の色が変わるものもある。サンボンヅノはまさにそれだった。
「いっきに、攻勢、たたみかけるわよ!」
紫紺の髪の女が指示を飛ばした。このパーティーのリーダーのようだ。
「ルルに命令すんな、このハゲー!」
「ハゲてないわよ!!」
「育毛剤買って、叩くと増毛するくし持ってるの知ってるもんねー!」
「この戦闘が終わったら表に出ろ」
「もう表ですー」
よく分からない罵り合いをしながら確実に二人はエネミーの体力を削って行く。
前衛としてヘイトを稼ぎ、後衛の魔術師が合間に魔法を叩き込む。
ついにサンボンヅノが大きくのけぞって、大地に背中から倒れた。
「勝利ーーーー!!!」
ルルという少女が二挺拳銃を構えてポーズした。
「いえーい! 飛び入りの人、ありがとねーーー!! 助かっちゃったよぉ!」
「本当。一時は全滅を覚悟したわ。ありがとう」
紫紺の髪の女は血濡れたバトルアックスを地面に突き立て、ふぁさり、とロングヘアを書き上げた。髪質が細いらしく、確かにあまり量が多いようには見えなかった。
「私はエレナ。ハーフエルフの戦士よ。こっちのチビはガンナー兼シーフのルル。それから魔術師のタロットワーク」
エレナの紹介に、各自「よっしくねん!」「僕からもお礼を。ありがとうございました」と挨拶や礼をする。
祥子は……完全に硬直していた。
(うえ、え、え? ここ、しゃべらないといけない場面!? どうしよ、どうひよう、夢なのに、なんなのこれーーーーー!?)
がちがちに緊張した祥子は、ようやく一言絞り出した。
「――白面」
それをコミュニケーション障害と言う。
ルルがびょんと飛び跳ねた。
「白面? はっさんでいいやー。よっしくよっしく!」
かろうじて祥子はうなずく。ここでもはっさんらしい。急激に祥子は中二病まるだしの自分の名前が恥ずかしくなってきた。
「私たち、麓の村から、鬼霊界の侵略者討伐の依頼を受けて集まった面子なの。今回の報酬は白面さんを入れて四等分させてもらうわ。いいでしょう、二人とも」
「僕も賛成です」
「えええええええええええええええええええええええええっ」
ルルがこの世の終りという顔で絶叫したが、二人からの冷たい視線を受けて、ひとさし指を合わせつつきながら「し、仕方ないね。人の道にもとるよねっ」と誤魔化した。
「ルルさんて、金の亡者ですよね」
「うっせー、鳥の骨!」
「えっ、僕は……確かに筋力一般人より低いですけど……」
「ちょ、マジに傷つかないでよ、ルルの目を見て! 悪意がないでしょ!?」
「凄く……濁っています……」
「ふざくんなーっ」
ふう、とエレナは嘆息する。
「そろそろ下山しましょう。繁殖期のイッポンヅノは麓の女性をさらうというのでその前に数を減らす依頼だったけど……もう十分過ぎるわ」
「賛成ーっ。ルルはもうこれ以上働きたくないよーっ。あったかいベッドで今夜は寝るんだからあっ」
「白面さん。悪いけれど、一緒に依頼報告してくれるかしら。その場で報酬を等分させてもらうわ」
かろうじて。
祥子はうなずいた。
彼女は思った。変な夢だな、と。
にぎやかに下山する彼らの後を無言でついて行き、ちらちらと時折振り返るルルに、「……何か」と小声で聞くと、
「どして仮面してるの?」
と好奇心いっぱいに尋ねられた。
(えっ)
仮面? 祥子は慌てて、ぺたり、と顔面に触れる。
スキンのように全く違和感がなかったが、ひんやりとした硬質の感触に、背中を汗が流れる。
仮面というか、お面をしたまま戦闘に乱入し、始終ほぼ無言。
どう考えても変質者である。
祥子は沈黙し、その無言を答えととったようだ。
エレナが注意した。
「ルル、人にはそれぞれ事情があるのよ。余計な詮索はご法度よ」
「ちぇー、分かってるよ、この洗濯板」
「おい、表に出ろ。ヒューマン」
「ここはもう表ですー!!」
再びけんかを始めた二人に、後ろへと下がって来た魔術師のタロットワークがのんびりと口を開いた。
「僕達、即席パーティーだったんですけど、けっこう息があってるかもしれませんね。そう思いませんか、白面さん」
え、どうしてそういう結論になるの!? と祥子は内心思ったが、長考の末、無言でこくり、と頷いた。
「ですよねえ」
灰色ローブの魔術師はどこか嬉しそうだ。
祥子はいつもは読めない空気を読めたことで胸をなでおろしていた。
まさかその反応が、後のパーティー結成につながろうとは、知りもせず。
ここは九つの界の内、常に接敵する鬼霊界及び狂気の夢幻界と接近しつつある人間界。
祥子の冒険はまだまだ始まったばかりである。