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白い雪のような乱舞するエフェクトと強烈な眠気が祥子を襲った。
そして、とてつもない『違和感』。
まるで、一枚の薄い『膜』をぐんにゃりと通り抜けたような――そう、決定的に、世界が『変わって』しまったような。
だが、違和感は突き抜けて、祥子はギルドハウスの入り口に転送された。
なんだったんだろう、と思う間もなく、和洋折衷の室内にポップビートな曲が流れてくる。
中華風な天井照明に、金襴緞子の和風の部屋。外側は石畳のテラスがあり、枯野山水が広がっている。ちょうど枯れ木の向こう側に丸い月がかかっていた。
ここは、ギルド『自宅警備保障会社パワードサムライ』のギルドハウスだ。各人がギルドに貢献することで稼がれるギルドポイントを消費して作られる。
中に入ろうとしたとたん、
『貴様ァ! ワシの後ろに立つなと言っただろう!』
いきなり威嚇されるのは、単なる仕様だ。眉毛の太いちょんまげ二頭身サムライドールが目をかっと開いて罵声をあげたのだ。課金者のみ配布された運営の期間限定プレゼントだが、祥子はみじんもほしいとは思わなかった。内心「うひっ」などと奇声を上げつつ、「おじゃま、します……」とおそるおそる中へと進んで行った。
猫脚のチャイナソファに足を組んで腰かけ、《働きたくないでござる》こと通称≪社長≫が手をあげた。今日の彼はピンクカラーの両剣を背負い白いコートを着ている。
「よ、はっさん」
はっさん、とは祥子の分身≪白面≫のあだなである。はくめん、だから、はっさん。単純明快だ。
「みんなー、ミーティングはじめるぞー、席についてくれー」
かけ声に従い、遊んでたむろしていた面々がロの字に配置されたソファに着席していく。一人、白猫耳に猫ひげメイクの≪☆あや☆≫が「うにゃにゃのにゃー」と言いながら真ん中のローテーブルにジャンプして乗り、仁王立ちしたので、
「あや、会議だから座りなさい」
と≪社長≫にたしなめられた。≪☆あや☆≫はテーブルの上でそのまま体育座りする。白いスクール水着姿で、背中に赤のランドセルを背負い、猫耳の幼女が机の上で体育座りしているのだ。運営になぜこんなコスチュームを作ったのか聞いてみたいような気もするが、単なる需要と供給の関係であろう。そもそも無限大とも言える外装を、どのように組み合わせるかはプレイヤーの良識にゆだねられているのである。たまたま組み合わせが「……おい……おい……」なものになっても、仕方ない。重ねて言うが、仕方ないのである。
「おいこら」
「いじめだにゃ」
「いじめじゃありません」
「いじめるー」
「座れ」
「このドS!」
≪☆あや☆≫は捨て台詞をはいて、ぴょん、と飛び上がると、すたたたたーと効果音を出しながら着席した。その臀部からは、二股の白い尻尾が生えている。猫又幼女ロールプレイのようだ。ドS呼ばわりされたギルドマスターの≪社長≫は、「俺はドMなのに……」とぶつぶつつぶやいていたが、全員着席したのに従い、手をたたいた。
「よし、ギルド『自宅警備保障会社パワードサムライ』のミーティングをはじめる!」
どきどきしながら、祥子は両足の膝をそろえた。
「まずは、次に実装される新クエスト『邪教集団カオスシードの見えざる侵攻』についてだ」
邪教集団カオスシード。
混沌を至高とする邪教の一派で、『怒りの日』と呼ばれる終末に、すべてのカオス信者が決起し、世界を阿鼻叫喚に陥れることになるだろうと『噂』されている。
カオスシードの精神的指導者は八名いるが、武闘派で知られる理性的な闇の尊師ン・ジェイドの失脚に伴い、カオスシードの上層部は『怒りの日』を到来させるべく、本格的に動き出す。
このカオス信者は、どこにでも潜んでいる。本人すら知らぬまま、無意識の潜在下で操られている者もいるという。
潜在的なカオス信者の総数は、一つの界の人口に匹敵するとすらされている。
今回のクエスト中で、邪教集団は、この潜在的に精神を汚染された人々がいっせいにカオス信者化する恐ろしい儀式を行おうというのだ。
これの阻止がプレイヤーの目標となる。
各界の王国上層部に入り込んだ一党を見つけ出して戦闘、尋問。
その後、巨大な生体コンピュータ『肥大する脳』をようする邪教集団の本拠地に乗り込み、これを破壊する。
二段階方式クエストとなっている。
なお、この『肥大する脳』を破壊して得られるレアアイテムがプレイヤーの狙いとなる。レアアイテムはその希少度に従い、1~13までナンバリングされ、数字が大きいほどドロップしにくい。事前情報では、『肥大する脳』を破壊すると、低確率でレア13の魔法職系武器『虚飾の書』、ハンター系統武器『ブレインウォッチャー』などがドロップすると言う。
祥子としては、ぜひとも魔法剣士用のレアドロップを狙いたいところだ。
「皆参加すると思うけど、ま、できれば声かけあってギルド内でパーティ組んでガンガンギルドポイント稼いでくれ。強制とかじゃないけど、このギルドハウスももうちょい拡張したいしね。やっぱり『浮遊城』はロマンでしょ」
「はーい」
「Ok」
次々と了解の旨声が上がる。
「次が、人事部長、バトンタッチ」
「おう」
すっく、と見知らぬプレイヤーが席を立った。黒い甲冑、具足に緋色の陣羽織を重ね、紋の入った額宛をあてている。背中からは旗指物が突き出ていた。その頭上プレイヤー名表示は、《島津豊久》。見たことのないプレイヤーである。
「初めにあいさつとことわりを。普段は《ながしの浪人》だが、人事部長の時は《島津豊久》でいかせてもらう」
「うむ、浪人はそういうわけだ」
「ああ。最近、長期間ログインしていないギルドメンバーをチェックさせてもらった。今週末までにログインが確認できない場合、ギルド人数上限数に差しさわりがあるため、斬らせてもらおうと思う」
へっ!? と祥子は寝耳に水で驚いた。斬るって……切る、つまりギルドメンバーから削除されるということだろう。
「ログイン確認できていないメンバーにはこの旨メールを送付させてもらう。このログインチェックは今後も定期的に行っていく。何か意見のある者は忌憚なく述べて欲しい」
「はい」
《レズ姉》が挙手した。
「どうぞ」
「今週末というのは早過ぎだと私は思いますね。月末でいいんじゃないですか」
「なるほど」
「俺からも」
《働きたくないでござる》こと《社長》が付け足す。
「週末期限は早いと俺も思う。《レズ姉》の言うとおり、月末確認でいいだろう。これから毎月月末確認てことでどうかな」
「なるほど。他に、ご意見は?」
《島津豊久》は周囲を見回した。
「ないようですね。では、これから毎月月末確認で……斬る!! 私からは以上です」
最後だけ妙に一人称が折り目正しくなって、《島津豊久》は、背中の旗指物を揺らしながらたったったっと部屋を去って行った。戻ってきた時は着流しに肩掛け、笠をかぶった《ながしの浪人》にチェンジしていたが……
(なんで島津豊久? あっ、確か安土桃山時代のなんか凄かった武将だから……人を容赦なく斬る=メンバーから切るで、人事部長島津豊久……!?)
祥子としては、日本史選択しているため、なぜ人事部長が島津豊久なのかようやく理解が及び、「ああ……ああ……」な状態であった。
「次が、俺からは最後。このギルドにも外部のボイスチャットルームを導入したいなーって思ってます」
な、なぬぅううう!? と祥子は目玉を飛び出させる。気分的なものであるが、そのくらい驚いた。
「スピークスピーク2ってアプリ。ギルドホームページにボイスチャットルームダウンロードできるサイトのリンク貼ってるから、一度見てみて欲しい。英語だけど、日本語化パッチあてれば日本語になるから」
「えええええー、あやは英語嫌いだにゃっ!」
「私も英語は嫌いですね。見たくもありません」
「だいじょぶ、だいじょぶ、導入簡単だから。なんなら俺が手取り足取り腰取り教えるし」
「死んでください」
「すみません」
「あやは……嫌じゃ、にゃいよ……?」
「あ、ネカマはちょっと……」
「うにゃー!!!!!」
《社長》にお断りされた《☆あや☆》が奇声を上げた。その猫耳幼女白スク赤ランドセルというかっこうと言動から、中身はどう考えても男です、ありがとうございました状態にギルド内で認識されているのだった。
「ともかく、DLしたら、チャットルームの接続アドレスと、入室パスワードがいるから、今いるメンバーには伝えておくな」
祥子はとりあえずコピー&ペーストでその接続アドレスとパスワードとやらをメモ帳に保存したが、ボイスチャットなんて……と打ちひしがれていた。ハードルが高い。あまりにも高過ぎる。
(でも、参加しないと、きっとますます疎外感を味わうようになる……未来が見える……とりあえず試験的に導入して、無言で皆の会話を聞こう……そうしよう……喋るとか無理だし。私の声暗いし。変だし。無理だし!)
「あー、ちなみにネカマ諸君、躊躇するなら、デフォルトで入っている女性の声に変換もできるからね。安心して参加してくれたまえ」
「あやには関係にゃい懸念だにゃ」
「いや、一番関係あるっしょ」
一条の光を見たのは祥子である。ボイスデータが入っていて、コスチュームを変えるように、自分の声を別の声に変換できるなら、参加できるかもしれない。
以上で会議の連絡事項は終了し、そのままクエストに出かける者や、残って雑談に入る者などに分かれた。
「そういえばなんすけど」
《ケツ穴ZUPZUPZUP》が話を振る。
「こっち来る時、酷い眩暈みたいなんがしたんすよね。あとなんかぶつかったみたいな感じで。ゲームし過ぎっすかねえ」
ボイスチャット『スピークスピーク2』のデータをダウンロードし、導入を進めていた祥子は思わず手を止めて話に聞き入った。
「ケツ穴、オールとか平気でやってるからそーなるにゃ! って、でも、あやも同じような眩暈がしたにゃ! なんかスライムにダイブしたみないか変な感じがしたにゃ」
「……奇遇ですね。スライム云々は知りませんが、私もですよ」
「レズ姉もかにゃ!?」
「ええ。私も自分がゲームやり過ぎなんじゃないかと思いましたが、3人同じ眩暈を覚えたなら、ゲームのストロボやフラッシングエフェクトが原因かもしれませんね」
ロングポニーテールにスリットの入ったドレスの《レズ姉》は顎下に手をあてて、考えるポージングをする。
「1990年代後半に、ある有名アニメが赤と青のストロボやフラッシングを多用して、多数の視聴者――特に子供ですね――が体調不良を訴え病院に搬送される事件がありました。アニメの名前を取ってケモモンショックと呼ばれていますが。同じことが起きたのかもしれません。他に体調不良などを覚えた人はいませんか?」
残ったメンバーは「ノシ」「ノ」「ノノノノノノ」と挙手していく。
「ふむ……これはけっこう大事かもしれません。いちおう運営に通報しておきます」
《レズ姉》はそう言うと、目の前で人差し指と親指を直角に立て、左右の手で逆に組み合わせると長方形を作った。そのまま、すいっと指を離して、大きな長方形を空中に描く。すると、薄青緑色に発光するエフェクトとともに、半透明のボードが展開した。
このボードを操作し、《レズ姉》はさっさと運営に現状起きたことを完結にまとめて報告する。
「通報終了しました。体調不良になった人で暇な人は同じく通報してください。すでに多数各所から行っているかもしれませんがね」
「うーん、やばいな」
《社長》が片足を膝上にのせた姿勢に、両手をひざに乗せたまま身を乗り出した。
「すぐ修正できるならいいが、体調不良を訴える奴が大多数で原因不明の場合、ゲームが長期間メンテナンスに入るかもしれん。俺から『ナインウォー』とったら何も残らないのに! 困った!!」
「ニート止めて働いたらいいんじゃないですか」
冷ややかな《レズ姉》の言葉に、「ああん!」と《社長》が身もだえしている。だが、青ざめたのは祥子も同じ。
(ゲームが長期間メンテナンス!? やだ、困る。カンストしたいのに!! 『ナインウォー』取ったら何も残らないのは私もだよ! 学校なんか行きたくない。ずっとゲームしていたい。ゲームしたい。ゲームしたい。強くなりたい。もっともっともっと強くなりたい……)
追いつめられたように、画面に食い入る祥子は、《社長》の懸念どおり、『ナイン・ウォー』が翌日から期間不明の長期メンテナンスを決定告知するのを目にすることになる。
あまりにも多くのプレイヤーが、同時刻に謎の体調不良を訴え、仕様変更はない旨告知があったことから、外部からのサーバー攻撃ではないか、との噂が駆け巡った。
しかし、それすらももはや関係なくなる。
ずっと、ずっとゲームをしていたい。
祥子の願いは、リアルに叶えられることになる。
その生と死。命を代価として。
酷い焦燥と不安に押し潰されるようにして就寝した祥子は。
灰色の霧の中で、『何か』と対面し、
『亜sづ8l;l、s567ちぃおp@「。lsztyふいおpk@」」pllmcrうぇtryつゆいお「ぱwsdfghjkl4えrちゆぴおpxchvjbkんlm;、、』
ナイン・ウォーワールドの大地に、降り立った。