第一話 目覚め
秀都は徐に目を開いた。
そして秀都は気づく。自分は何故か目を閉じて眠っていたという事に。
前後の記憶を秀都は探った。と言っても、彼の毎日はある種ルーティンのように、ほぼ一定のリズムによって刻まれているため、わざわざ振り返ってみる必要もなかった。
だが、唐突にそのルーティンは崩壊を告げた。
「ここ、何処だ?」
目覚めたのは決して豪華ではない天蓋付きベッドの上。
そして電子機器とはまったくもって無縁そうな室内。
秀都は思わず目眩に襲われ、右手をついて左手で額を抑えた。
「(ま、まずい…。『電子機器が近くにないと死にかけてしまう病』が……)」
そんな病気はないが、言ってしまえば秀都の精神状況は最悪な状態にあった。
人混みを歩いていて、人酔いするのと同様に、電子機器が一個として近くにないと、秀都はあまりの退屈さと絶望に目眩が起きてしまうのだ。と言っても当然それは病気などではなく、心の持ち様なので簡単に改善できる。
ついでに言えば、『死んでしまう』ではなく『死にかけてしまう』のも、心が原因だ。
「(…いや、待て。待て待て待て。おかしいぞ、全ておかしい。まず部屋、パソコンが一台もねえってのはどういう事だ…? それどころかコンセントすらねえじゃねえか? そして次に、この天蓋付きベッド。どこの時代だよって感じ。………けど、夢にしちゃ覚める気配がない…)」
秀都は珍しく頭の中で糸が絡まるような、そんな感覚に苛まれた。
そして、次の行動が秀都の脳内にある糸を余計に刺激し、絡まっていく。
バンッ! と鋭く扉が開かれる音が決して小さくない部屋に響き渡った。
「イザリオ!! 帰ってきてたのね!?」
「あ………………?」
出会したのは一人の少女だった。
この屋敷(城とはとても呼べないサイズなので仕方なく)のメイドや執事ではないのが、服装と口調からして分かった。だが、問題はそこではない。彼女は腰に剣らしき何かを下げ、また格好は所々肌を露出させたアーマーのようなものを着ていることに、違和感と問題点が混在するのだ。
だが勿論、それは相手も同じであった。
イザリオが居ると思った部屋に、イザリオは居らず、それどころか謎の男が居座っている。また、格好も上流階級が着飾るような豪華なものではなく、逆に平民や農民、低級騎士が普段着るような庶民感丸出しの安っぽい服装でもない(現在の秀都の服装は、上は白地に金字刺繍の入ったTシャツ、加えてその上に羽織る軽い上着、下はダメージジーンズの七分丈)という点が、彼女を困らせた。
そして、奇しくも投げかけた問は両者共に一つだった。
「「誰!?」」
◆ ◆ ◆
「アンタ何者…? イザリオは何処!」
「ちょ、ちょっと待て、落ち着け!」
それから数分後の出来事であった。
膠着した絵面は何処へやら、今や一方的に秀都が問い質されていた。
勿論、腰に差していた剣で脅されながら。
彼女の表情は鬼気迫るモノがあり、秀都は秀都で必死になって考えた。
「(どうするどうする…。まずは落ち着かせる事が大前提だが、ここで大法螺吹いても後にバレる。やり過ごすにせよ、今後手探り状態を続ける可能性の高い俺にとって、それはかなりリスキーだ。とは言っても、この女、人様の話聞く気はねえようだし……気を逸らすだけじゃダメだ、何かインパクトがありつつ、相手の意識を無意識に誤魔化す方法……)」
そこで秀都が閃いたのは、今の置かれた現状を逆手にとったやり方だった。
「聞いてくれ! 突飛な話だが、俺は気づいたらここに居た! イザリオってヤツの事も知らない。都合のいい話に聞こえるかも知れないが、これは事実だ!」
「嘘偽りをベラベラと……! 黙りなさい! ここへは正面玄関、つまり私達と一度顔を合わせなきゃ絶対にたどり着けない。侵入したと考えるのが普通よ!」
「かも知れないな、いや、そう考えるに決まってる」
「な…に?」
引っかかった。秀都は内心でハンドクラップを鳴らした。
「だが、もし侵入したとするならば、俺は何故ここに居る? 発見の可能性を考えてないってのはまずありえないだろう? そもそも、イザリオってヤツを俺が知ってるなら、こんな場所で狙わない。ターゲットがフリーになったときを狙うさ」
「そ、それは、そうだけど…」
「そして次に、俺は武器もない。布団に下半身を突っ込んだままの何もできない体勢で、だ。この状態で俺がアンタに歯向かうのはまず無理だ。可能性云々以前に、不可能。そして、さっきから行っているが俺はイザリオってヤツを知らない。それどころか、ここが何処なのか、アンタが誰なのかすら知らない。なにもかも俺は知ら無さ過ぎるんだ」
「………」
彼女は苦渋と困惑に満ちた顔でこちらを見やった。
秀都が考えたのは大きなインパクトで無意識に意識を逸らす作戦。だが、この難度は果てしなく高い。いざ相手ががむしゃらに斬りかかってくれば、秀都の命はそこまで。仮に話に聞き入ってくれても、相手が自分の獲物の存在を無意識に忘れてくれなければ、相変わらず生存率は低いままだ。
だからこそ考えたのが、相手の意思への同意と反意。
一度従順的でいて、明確な反意を含んだ意思を告げる。勿論相手は反論する。だが、そこに同調するような同意の意思を乗せることで、相手は一瞬だが混乱するのだ。感覚的に言えば、右に進む指示を示した看板に従って動いていたら、急に左に進む指示を示す看板が現れたような感じだろうか。
疑惑や疑念以前に、思わずだが「は?」と意識の中を空っぽにする意味合いがある。
それも、相手が斬りかかるような強く明確な敵意を持っていれば持っているほど。
「(取り敢えず、流血沙汰は避けれた、かな?)」
まだ刀を握っている右手に恐怖を抱きながらも、秀都はふぅっと胸をなでおろした。
だが、本題はこれからだ。
「イザリオってヤツが誰で、何なのか、それは分からない。だが、その表情からして、アンタの、いやこの土地の重要な人物なのか?」
「……部屋から気配がしたから、イザリオが帰ってきたものだと思ったのよ…」
「イザリオってのは家出中なわけか……。行き先に思い当たる場所は……ってあったら探してるか」
「……アンタ、何者なの」
「俺か? 俺は久良木秀都。秀都で構わない」
すんなり自己紹介できたな、と秀都は自分で自分を褒め湛えた。
ニートになってから秀都は、月一で開かれるオフ会くらいでしか女性と話す機会はなかった。それ以前も男子とは接点があったが、女子とは接点が少なかったせいか、話慣れしていない。しかし、殺人未遂なこの女性に対しては、何となく女性としての意識が出来ないためか、自然体で話せていた。
そもそも秀都はコミュ力が低いわけではない。勿論高くもないが。
「ヒデト……ヒデトね。私はメルディ、メルでいいわ」
「メル、ね。よろしく。そんじゃま、俺としては色々質問したい事が山積みなんだけど」
「………」
「あらら…。聞いてますか? って聞いてるワケないか」
事務的に自己紹介を終えたメルディに、質問を投げるのは暖簾に腕押しだと秀都は直感した。
さてどうしたものか、秀都は腕を組んで情報を聞き出す方法を模索する。
だが、それは幸か不幸か、いや、そのどちらも含めてこの場面は打開された。
「メル! 何やってん…………だ……?」
「メルちゃん! 何……え?」
秀都にとってはまったくの初対面、一人の大柄な少年と小柄な少女がやってきたのだった。
少年は180程度の身長で、細身。だが、服を着ていても分かる程に、圧倒的な力のオーラを感じる。髪型は特別切り揃えたりしているわけではない、若干ワイルドな感じ、顔は切れ長な瞳が特徴的な野性味溢れる『カッコイイ』顔立ちだ。
少女は少年と比較するとやけに小さく、下手をすれば160に届いてすらいないかも知れない。服装は若干だぶっとしたローブのようなもの、髪型はほんわかしたショートカット、目は愛らしい程に大きくくりっとしている。いろんな意味で少年と比べると正反対な感じだ。
「…お前、何者だ?」
「(あーくっそ、さっきやったよそれ。そしてアンタも剣持ってんのかよ。ここマジで何処なんだ? 銃刀法違反じゃねえの? ヤクザなの? マフィアなの? バカなの? 死ぬの?)」
「おい、答えろ!」
「ちょ、ちょい待ち! そこの、えーっと、め、メルから話を聞いてくれ! 俺はそいつにも同じこと聞かれたんだよ」
「……クラナ、離してあげて」
「メル! お前まで…」
「大丈夫、危害を加えるような気も感じないし、そもそもそんな力持ってないわ」
「(その通りだ。まったくナイスフォローだな、メル)」
クラナ、と呼ばれた少年(青年と呼んでもいい)が掴んだ胸ぐらを強引に離した。
メルはショックから立ち直ったのか、刀を杖代わりに立ち上がって秀都に二人を紹介した。
「ヒデト……私達は仲間よ。アンタをさっき掴み上げたのはクラナ、こっちでビクビク怯えてるのはレイシア。クラナの無礼は私が謝罪するわ、ごめんなさい」
「いや、気にしなくていい。そもそも俺がこんなトコに居るのが間違いなんだ。……まぁ、俺も来たくてここに来たわけじゃないんだけどな」
「クラナ、レイシア。ここは少し任せたわ。私、少し疲れたから下の部屋で仮眠を取ってくる」
本当に疲弊した様子で、メルディは部屋を後にした。
残されたのはクラナ、レイシア、秀都。今世紀最大の『集まっちゃいけない面子』である。
暫し無言の時間が続いたが、この場の空気をいち早く切り裂いたのは、意外にもレイシアだった。
「あ、あのっ……私、レイシアです。えっと、ヒデト…さん、ですよね?」
「え、あ、ああ」
「その、まず、えっと、何故ここに?」
「メルにも信じてもらえたかは半信半疑だけど、俺にも記憶がないんだ。気づいたら此処にいた」
「くだらない嘘をつくな! お前のせいでメルが何れ程疲弊したと思っている!?」
「クラナッ! 今は争う場面じゃありませんッ!」
決して大きな声ではないが、空気がビリビリと震撼するような、威圧感のある声。
流石のクラナも掴みかかろうとした右手を収めた。
秀都もまさかの行動に、少し思考が固まった。
「すいません……。そ、それじゃ、ヒデトさんは、何処出身の人なんですか…?」
「えーっと…。多分俺はこの世界の人間じゃない」
「え?」
先程から順応性が高いレイシアは難なく秀都の話に順応してきた。
だが、それでもこの話題には呆然とするしかないようだ。
「いや、まぁ、信じられないのが当たり前だよな…。俺は、この土地も、この大陸も、果てはこの世界すら知らないんだ。信じなくても構わないが、事実だけは述べておく」
「………この世界の人間じゃない、ですか」
「あー、けど、なんて言うんだ。その、もし、この世界について少しでも教えてくれれば、まぁ、大した事は出来ないけど、なんか手伝う程度の事は出来るつもりだ。烏滸がましいかも知れないけど、俺は敵じゃないし、えーっと、同盟っていうか、ギブアンドテイクな関係? とかも、アリかなって」
秀都はしどろもどろになりながらも必死に説明した。
その間レイシアは聞くのに徹するフリをして、とある魔法を発動していた。
それは。
「(『心隙可視』!)」
精神系魔法『心隙可視』
ほんの数秒間だが、相手の心の中を覗く魔法。用途は、敵国の兵士を捕虜にして、敵国側の情報を盗み出したり、この大陸にある裁判システムに取り入れられている。しかし、汎用性は低く、余程自分達が優勢にあり、また、相手側から攻撃を受けない体勢が取れていないと、使用はお勧めされない。
魔法のエキスパートであるレイシアは、その手の一癖ある魔法にも微細ながら着手していた。
しかし、今視たところ、秀都に明確な悪意や敵意はまったく感知されなかった。
それと同時に、嘘をついている様子もない。
「(…つまり、どれもこれも本当の話って事ですか。いくら出来た人間でも心でまで嘘をつくことはまず出来ませんし……私達を信頼した、というよりは彼の言う通り、ギブアンドテイクな関係を築く為の第一歩、でしょうか)」
「……レイシア、コイツの言い分はどうなんだ。俺にはさっぱり分からん」
「…取り敢えず嘘ではないようですね。後、こちら側に対しての敵意や悪意も感じられません」
「(なんだなんだ、心の中でも読まれたか? まぁ、それなら好都合だ。嘘なんて俺はつく必要性が今はまったくもって皆無だからな。それどころか、嘘をついた方が損しちまう)」
何はともあれ、秀都はレイシアを最重要人物として『視ること』を決めた。
それと同時に、秀都の中でのクラナの知力的地位は陥落した。
秀都は話の切れ目を狙って、二人に話しかけた。
「頼む、この通りだ。自分で言うのもなんだが、俺を助けといて損はないはずだ。必ずアンタらの役にたってみせる。だから、今回は将来的な目で見た投資だと思って、な?」
「…私は構いませんよ。ヒデトさんは別に私達に仇なす怨敵ってワケでもないですし」
レイシアは冷たく言い放った。先程のオドオドとした様子はブラフだったのだろうか。
秀都は友好関係は築けそうにないな、と勝手ながら判断した。
「悪いな。必ず借りは返す」
「ええ、私達は『ギブアンドテイク』の関係で成り立っていますから、当然です。貴方の強化は私達の補強、私達への援助は、貴方への支援。そういう事でしょう?」
「話が早くて助かる。それじゃ、まずは色々質問をしてみたいんだが……」
「それなら、私の部屋に来てください。クラナ、貴方はメルちゃんを見てきてあげてくれませんか?」
「…うぅむ、そうだな、分かった」
レイシア的には暗に「邪魔なので何処かへ行ってください」という意味なのだが。
クラナ的には「メルちゃんを任せましたよ」的な意味に聞こえたようだ。
二人にはもしや溝があるのでは、と疑ってしまう秀都だった。
◆ ◆ ◆
メルディ襲撃から三十分が経過。
まったく慣れる気配のないこの『違世界』の独特な雰囲気。
多分それは、決して異世界だから、ではなく、今現在の部屋の切り替えにも問題はあるはずだ。
「どうぞ、粗茶ですが」
「ご丁寧にどうも…」
粗茶って言いながら紅茶を出すんだな。秀都は注がれたレモンティーを一口飲んだ。
今現在レイシアの部屋で、秀都は客人扱いされていた。勿論相手にその意識はなく、礼儀を通すという意識だけの若干無礼な対応だ。秀都の気分的には警察に運び込まれて尋問を受ける前のような、物凄く気まずい感覚である。
四人用のパーティテーブルに対して、真正面から向き合う形で秀都とレイシアは座った。
秀都はレイシアに対して興味深い、という意識を持っていた。女性らしさをアピールしながらも、敵の能力や考えさえ掴んでしまえば何処までも冷酷に扱う心の持ち主。好意を一転悪意に変換しながらも相手に送り続ける図太さ。秀都はその点を買っていた、と同時に嫌悪もしていた。
「で、質問とは一体なんでしょうか」
「その前に一ついいかな」
「…はい?」
「ギブアンドテイクの関係って言ったが、別に俺達は上下関係も無ければ規約も法もない。言ってしまえば俺がアンタらから死ぬほど情報を盗み取って何処かへ逃げることも出来るわけだ」
「…?」
「アンタは履き違えてるって言ってんだよ。俺はモノじゃないし、道具じゃない。意思と感情を伴った一介の人間だ。それはアンタも同じ、だが、アンタの俺に対する扱いは道具其のものだろ。俺に対する精査が終わったからと言ってそこまで冷酷に扱っていいのか、って事。それはギブアンドテイクでも何でもない。ただの押し付けと我儘だ。自分の意思を相手に無理矢理押し付ける理不尽、その一言に尽きるね。当然、それを分かっていてやってるんだろうけれども」
「つまり、貴方を丁重に扱った上で敬え、と言いたいのですか?」
「極論だな、おい。もっと簡単なんだって」
「…何を言いたいのか全く分かりませんが」
「…そうかい、ならいいさ。これ以上時間を割くのも勿体ない、取り敢えず質問を開始する」
秀都は敢えてここで退いた。これは作戦だ。
秀都は先程の強引な押し問答で一つの答えを得た。それは、レイシアが人間の感情の機微に対して敏い、という点。そして、敏いが故に人間心理を深く突き詰めすぎて、自分自身は人格とキャラを保てていない、という点。そして、レイシアが全く人間の感情を信じていない、という点。
考えてみれば、クラナに対しての態度もそうだが、彼女自身の態度の豹変も異常だった(秀都はその時点から既に推測を開始していた)。そして、彼女が例え旧友であろうが、親友であろうが、人間の感情に付随するモノは信じない、という論理と言うか、ポリシーのようなものに行き着いた。
「(ま、これもギブアンドテイクの一環だ。このロボット少女に感情ってもんを教えなきゃな)」
秀都は異世界の情報を、そして引換に感情を。
既に彼のギブアンドテイクな生活への順応は、異様な速度で進んでいた。