プロローグ 神様の悪戯
東京都某区にて。
真夏の炎天下の中、一人クーラーの効いた部屋に篭もりきってパソコンと睨み合う男が一人。
彼の名前は久良木秀都、現在十九歳のニートである。
彼がニートに至った経緯は、遡れば約一年前の事になる。
一年前、秀都は大学受験に向けて、知識を詰め込む段階に入っていた。秀都は元々頭の回転数が他人より速く多い、つまりは知能指数が高い。事実、当時受けた模試では合格圏内どころか、ほぼ確実に受かるとまで言われていた。それでも必死に勉強を詰め込むのは、彼自身、自分がテストの結果や努力の結果が実った瞬間に胡座をかいてしまう、という数少ないウィークポイントを自覚していたからだ。
しかし、それは他者の目には違って見えていた。
勿論悪いのは彼らだ。コツコツと地道に勉強を重ねた秀都と、その時だけを楽しむ刹那的な生き方をしてきたクラスメイト。大学受験に向けて不利なのは当然後者であり、前述したが悪いのは彼らだ。高校生にもなって、自身の行動に歯止めを掛けられず、剰え努力してきた人間を卑下する。
秀都は耐えた。折れて負けてしまえば、今までの努力も、自分自身の才能も投げ出してしまうような錯覚に囚われたからだ。今まで好意的に接してくれていたクラスメイト達は、受験へ向けてのストレスの捌け口に、秀都を愚弄し、嘲笑した。
それから三ヶ月後、秀都は高校を退学した。
理由はクラスメイトとの大規模な喧嘩、それによって相手に怪我をさせた事。
秀都は全てを失った。
信頼も。努力も。過程も。結果も。未来も。過去も。…何もかもを失った。
そんな彼が行き着いたのが、ネットの世界。オンラインゲームの世界だった。
秀都にとって、そこは快適な空間だった。お互い現実の事情があるからか、余計な詮索や深入りはしないが、何か困った事があれば相談に乗ってくれる。奇しくも、その世界だけは、三次元と称される現実よりも暖かく、信頼出来る場所だった。
初めたキッカケである、とあるMMORPGは、一年間の間飽きることなく続けていた。ゲーム内でのプレイヤーとしての名声もあり、有名ギルドに所属している。と言っても、そこは十三人程度の少数精鋭ギルドで、ある種同好会的な雰囲気もあるが、メンバーのレベルや装備・テクニックは総じて高い。
秀都は、そんな世界で今日も今日とて変わりなく、並行した世界を歩んでいく。
◆ ◆ ◆
一方その頃、異世界オールドギリス南東部エッジ大陸にて。
盟国アルデルタール当主、イザリオ・クランディオは深々とため息を吐いた。
異世界オールドギリスは、十三の大陸によって形成される球体の惑星だ。しかし、地球やその他太陽系と違い、魔力という物的事象が存在する。それと同時に、魔獣や魔物といった、本来の獣よりも遥かに知能も戦闘力も高いモンスターが生存しており、人間と魔獣の混合種である『亜種族』と呼ばれる、半獣人の奇形な人間、それと純潔の人間、その他多くの種族が入り混じって共存している。
オールドギリス十三大陸の内、エッジ大陸は比較的底辺に位置する『国』であった。
そもそも十三大陸は、大体七つから八つの『皇国』によって軍事支配されている。故に、大陸同士での小規模なぶつかり合いは少なくない。しかし、『九ヶ条の盟約』によって、『皇国』同士の戦争は禁止されている為、大規模な衝突に発展する事はない。
そして、『皇国』の中でも最も軍事的支配力の高い国を『神皇国』と呼ぶ。大陸の覇権を持つ国と呼んでも差し支えはない。そして、毎年秋頃に開かれる『大陸会議』によって、各大陸の所有者、つまり『神皇国』同士が顔を突き付け合わせて、今後の大陸間での経済活動や同盟関係などについて、その場で語り合い、各大陸はお互いに傷つけ合わないように折衷案を作成していく。
だが、イザリオは『神皇国』の帝でもなければ、『皇国』の王でもない。
『盟国』、つまり村や街、小国同士によって形成される小さな『国』の『当主』でしかないのだ。
「(はぁ……。何とか地位を底上げ出来ないものかな……。そもそもここ周辺は金鉱こそあれ、農地に適さない荒廃した土地が多いから、ひもじい思いをさせている人々も少なくない…。多少でも、皇国側からの年貢を引き下げられればいいのだけどな…)」
イザリオが悩んでいたのは、この国の行く末であった。
『盟国』程度なら大陸には十も二十もある。その中でも、イザリオを当主とするアルデルタールは、戦力・知力・生産力、すべてにおいて平均以下だ。小粒での精鋭は何名か居るが、単発では国同士での遣り取りにおいて意味はない。平均・総合してのインパクトが、国としての戦力なのだから。
また、問題はそれだけではなかった。
エッジ大陸には七つの『皇国』があり、『皇国序列』と呼ばれるものがある。その名の通り、皇国の中でも最も支配力のある『神皇国』を一位とし、それ以下を順位付けするシステムだ。
そして、イザリオが所属する皇国領を支配しているのは、序列四位の実力派。
その名をサウスロードベイ皇国、そこの参謀がかなりの切れ者なのだ。
「(……あー、ダメだ)」
イザリオは、盟国領内の一番端に存在する森、その最奥地に広がる草原でゴロゴロと寝返りを打った。
「(こっちの戦力は若者だけなら五十名以下、全国民含めても二百に満たない。本当に国家間での戦争における戦力になるのは、僕の知る限り三名だけだ。どうやっても勝目がない……)」
イザリオは俯せのまま、バタバタと足を揺らした。
そして、今度は仰向けになって太陽を拝む。
「誰か……この国を救ってくれないだろうか…」
◆ ◆ ◆
その時、オールドギリス及び全惑星を統括する唯一神の空間にて。
「ふーむ、中々面白い事になっておるのう」
唯一神『アルカナ』は言葉遣いとは全く似合わない、ニコニコとした笑みで呟いた。
アルカナ、それは運命を司る神にして、神すらも超越した『唯一神』である。有名な神話における、ゼウスやヤハウェ、と言ったのは惑星や銀河単位での統括者としての『唯一神』であり、全惑星、全神類を統括し、それでも尚『唯一神』と呼ばれるのはアルカナただ一人だ。
アルカナは普段は幼い少女の形をしている。服は白のロングワンピース。赤目に金髪、ピンク色のアクセントが付いた小さなサンダル、威圧感の少ないアルカナは、しかしその手腕で多くの神々を統治し、アルカナの御前にて跪かせた。
「オールドギリスは後十年で滅ぶ予定なのじゃが……まったくもって想定外じゃな…。仕方あるまい」
そう言うと、小さな魔法陣を空に描く。
すると、そこから小さな筐体の物体が姿を現した。
「『パンドラの匣』、これを開く事になろうとはのう…。オールドギリスを期限内に滅ぼさねば、この座を奪われかねない、仕方のないことじゃ…。だが…」
そこで、アルカナはニヤ、と人の悪い、いや神の悪い笑み、とでも言うべき笑顔を浮かべた。
「ただ滅ぼしていくだけの一方的殺戮程つまらんものもない…。これは、少しばかり面白味がないとのう。クックック……」
そう言うと、タッチパネルのように空間に二人の少年の顔が浮かんだ。
その背後には見知らぬ男女が何名か個別に映ったパネルも存在する。
「さて、物語をトレードしようではないか…。適材適所、この言葉が似合う場面も、ここを除いてばかりは中々ないのう…」
そう言うと、手早くパネルの内容を移し替え、切り替えていく。
そして、最後のパネル。
イザリオと、秀都。
「制約も盟約も規約もない。理不尽には理不尽を。災厄には災厄を。それを成し遂げてくれるのは、彼らだけだからのう。せめても、私を楽しませるのじゃぞ?」
そう言うと、イザリオと秀都のパネルをすり替えた。
それと同時に、グラグラとアルカナの空間が大きく揺れ始める。
「む……因果律に不要なダメージを与えてしまったか…。まぁよい。その程度数秒で直してくれる」
立ち上がっていたアルカナは、ジロリとすり替えたパネルを睨みつける。
もう既にトレードは終了しており、物語は入れ替わった。
秀都とイザリオ、この二人の物語は、歪曲しながらも紡がれていく。