魔領にて 2
その日、ジル国の王城にある謁見の間には諸侯と王と王位継承権を持つ王子たちが集まっていた。
ジル国王であるアルガイア王は一同を見渡すと険しい顔で呟いた。
「レイアが交渉に失敗したようだ」
重々しい言葉に周囲はわずかにざわついた。
すると一人の臣下が前に出て発言する。
「陛下、お言葉ですが、まだ失敗と言うほどでは無いのでは?その、交渉自体は続いていると聞きました」
臣下のその言葉に王は首を振る。
レイア姫の報告は望みが残っている様な無いようでは無かったのだ。
お互いが交渉で求めている物がお互いに譲れない物である以上、平行線を辿るのは仕方が無い。
「何も得られなければ失敗も同じだ。このまま交渉する意味はあまりないだろう」
元々、交渉の余地はそう広くは無かった。
相手はこちらと違い、追いつめられている訳でもない。
「交渉をお止めになると?」
その言葉にも首を振る。
ため息混じりの憂鬱そうな声を出した。
「あえてこちらから止めるその必要はあるまい。聖人殿にはしばしレイアの遊び相手になっていてもらうか」
交渉は続けるがその目的は変化するだろう。
これからはユリアという交渉のカードを得ることとそれを用いた取引を持ちかける交渉へ移る。
信頼は大きく傷つくが仕方あるまい。
「陛下、聖人をいつまでも魔領で野放しと言うわけにも行きません」
気勢を上げるのは魔団派の貴族だ。
しかし、元々が魔団の不甲斐ない対応に嫌気してのこの事態だったのだ。
「誰に気を使うのだ。カリナスめ、臆病風に吹かれて深奥の間に籠もりおって」
王がぽつりとつぶやいた怨恨の言葉は思いの外、宮殿に響いた。
ジル国の窮地は中央が機能していないことの象徴的出来事だ。
各国の暴走を咎めるはずの中央組織がまったく機能していない。
しかし、一方でここで聖団を切るなら生きるために魔団にすり寄るより他ない。
「聖人を利用して聖団と、そして魔領と交渉するしかあるまい」
大臣が王に歩み寄ってそうつぶやいた。
二面交渉だ。
暗に聖人を拘禁しましょうという提案に王は一考した。
瀬戸際外交とも言えるかもしれないが有効ではあるだろう。
聖人という存在はそれほどに大きなカードとなりうる。
「なるほどなぁ」
備蓄はほぼ底を付いた。
我々には猶予が無い。
国がその尊厳を失うまでの猶予がもうあまり無いのだ。
あのアンネの継承者にも矜持があるだろう。
教会内の権威を目指すならば失敗などはもみ消そうとするはずだ。
拘禁を受ける事態になれば、態度を改める可能性もある。
ことが内々に済んでもそれなり対価を引き出せるかも知れない。
◇◇◇◇◇
会議は終了し、諸侯たちは皆邸宅に帰って行った。
先ほどまでの会議を思い出し、第一王子であるフェンネルは目を細めた。
父である王は国民に気を掛けすぎていると彼は思っていた。
国家とは民であるとは言うが本質は違う。そうフェンネルは思う。
国家とは力だ。王とは力ある存在であることを示し続けなければならない。
神意を欠く聖団との交渉は元々、王の威厳に泥を塗る行為だと考えていた。
「フェンネルさま」
うら若い娘の事がした。
この声はフェンネルが飼っている暗殺者の声だ。
「グリナリアか。どうした」
地味な召使いの服を着ているにも関わらず妖艶な雰囲気のグリナリアに目を細める。
「はい。仕掛けを完了しました」
「そうか、それで何をした?」
「はい、井戸に毒を蒔いて置きました」
「ふふ、それで殺せれば楽で良いな」
当人を殺せずとも周りに犠牲が出れば、疲弊するはずだ。
続けていけば、そのうちに殺せる。そう考えていた。
聖人を交渉の手札にするのもそう悪くは無い発想だろう。
だがその場合に置いてあの娘が実際に生きている必要も無い。
彼女を完全なコントロール下に置いてその存在を利用するなら、死んでもらった方が都合が良いのだ。
殺した上で生きているかのように偽装するだけでよい。
厄介な聖人の排除には時間と手間がかかるはずだ。
魔団派の急先鋒であるフェンネル王子は笑みを浮かべるとグリナリアに命じた。
「次の手を考えておけ」
「はい」
◇◇◇◇◇
宿への帰り道、ミーナは溜息を吐きながら呟いた。
「ユリア、あんなに挑発したら危険じゃないですか」
その言葉に私は首を傾げた。
「挑発に見えましたか?」
「違うんですか?」
首を傾げるエルフの少女に私は苦笑した。
確かに彼女の言うように私はある種の挑発をしたのだろう。
彼らの危機感を煽ったのは事実だ。
今回の交渉は相当にタフにやらないとならないだろう。
「ミーナなら外に居た者も含めあの場に居た全員を倒せたでしょう」
「ユリア。全員は無理です」
謙遜に思えたので私は笑って言った。
「ミーナなら出来るでしょ」
「んー、私一人なら」
そういう言う意味か。その言葉に苦笑いを浮かべる。
「私は足手まとい?」
「ちょっと不安です。魔領は結界の力で聖団側の魔法が制限されちゃうから」
確かに魔領の結界はその機能故に相当に私の力を制限する。
しかし。
「私は純粋な魔法出力だけならユノウスを超えているのですよ?」
魔法の制御能力だって低い訳では無い。むしろ超一流の範疇に十分納まる。
結界の効果として多少威力が下がる程度ならあまり問題は無い。
ただし、実際には精度も落ちて誤差が大きくなるため、精緻な魔法は使えなくなるのだが。
「知ってますよ」
愁香荘に付くとクロナが報告に来ていた。
帰ってきたのは彼女だけ?
「貴方はえーと、クロナさんですね。貴方だけですか?」
「はい、アンネリーゼ様。メイム隊員は既にこの地方を離れましたので」
「どういうことです?」
「情報収集のためです。メイムは今、ここから東に200キロ、ガイスの街にいます。領内ではマジックアイテムの威力が低下しますので彼女とは無線装置を利用して通信しています」
困惑する。
彼女たちは私を守る為に独立して行動しているはず。なのだが。
指揮権を持っているのはあのユノウスだから任せて置けば良いとは思うが若干、不安に感じた。
「そんな遠くまで。そっちの様子はどうなのですか?」
「悲惨なものです。物が行き届かずに食うに困る人々が町中に溢れ、畑からは農作物や家畜などが盗まれているようです」
「そんなに」
周辺の状況は予想以上に悪いらしい。
物資が滞ればこういう事になるのは目に見えていた。
「一定の食料の配給が国から為されていますが地方ではその量が確実に目減りしています」
「彼らが切迫しているのは事実の様ですね」
ジル国が国家の体を失うのはこのままではもはや時間の問題だ。
悲しい事だが彼らが追いつめられる事が交渉を有利に進める上で必要なことなのだ。
私が考えるようにして椅子に腰掛けた。
すると目の前で報告を続けていたクロナが突然の提案をした。
「ところでアンネ様、宿を移しませんか?」
「どういう事です?」
「何者かがここの井戸に毒を放りました。ここは敵の手中。少々危険過ぎますように思えます」
毒?井戸に?
「毒ですって?宿の者や他の客は?」
私一人を狙うには少々、度が過ぎた行為だ。
井戸は地下水を通して周囲に繋がっている。
誰の仕業かわからないが被害が出過ぎるはずだ。
「他の客はいない様ですし、直ぐに気づきましたので大丈夫でしょう。井戸も中の水を全て捨てて洗浄しました。水は湧きますので定期的に排水を行い、数日も立てば土壌も洗われて害が無いレベルまで希釈されるはずです」
見境無しだな。なりふり構わずと言うことだ。
しかし、不思議だ。
ここで私を排除するために動いたということはどんな意図があるのだろうか?
この国は今、正念場を迎えている。
魔団全体のキャパが限界に近いのだからここで魔団に対して私を殺す程度の事がどれほどのアピールになるかも疑問であれば、そもそも今、この国が陥っている状況の解決には意味を為さない。
余力が無く、他国も何も交渉をできないのが実状であることを理解すれば生命線足りうる私という交渉筋を無理矢理に絶つ意味などあまりないはずだ。
国家の思惑とは別の思考が働いているのでしょうか。
この際、国や民はどうでも良いと考える勢力の犯行か。
或いは妨害を考える魔団中枢の行動が意外に早かった。
ここが危ないか。
とある事情からそう危ない訳でもない私は少々申し訳なく思いながらも頷いた。
「ええ、別のところに向かいましょう」
「かしこまりました。実は既に別の滞在地の手配が済んでおりました」
その言葉に困惑する。
「何処に向かうのです?」
「べオルグ軍の工作員が現地で調達済みだった屋敷に移ります。元々直ぐにそちらに移る予定でした」
「べオルグ軍が?」
「はい、ここを含め、各地にそういう諜報員を忍ばせてあるのです」
なるほど、そういうモノもあるのだろうな。
そういう分野にこそベオルグ軍は真の強さがあるのだ。
それこそ内通者は聖団の中にもいるだろう。
ベオルグ軍の息がかかった者は何処にでもいる。
ベオルグ軍が情報を欲している相手は何も魔団だけでは無いのだから。
「よく屋敷が手には入りましたね」
「現地の協力者の方の屋敷です」
◇◇◇◇◇
協力者の邸宅は王都の郊外にあった。
その屋敷の造りは相当に立派で敷地内に私兵がたくさんいることも伺えた。
かなりの権力者であろう。
「ここですか?」
「はい。そうです」
合図をすると私兵が門を開く。
その動きを見るに私兵たちの練度も高そうだ。
庭園の続く道を抜けるとお屋敷の前に整然と並んだ人の列が見えた。
その中でも身なりの良い一人の女性が前に出る。
彼女の後ろには執事とメイドと思われる人たちが控えている。
「私がこの館の主人を務めているシルエンテと申します」
彼女は私にそう告げた。
「私は聖団に所属するユリア・アンネリーゼです」
存じています、と彼女は言って笑みを浮かべた。
「アンネ様の護衛に当たってはこの屋敷の私兵三百をお使いください」
「かなりの大人数ですね」
その感想に彼女は優雅に微笑むと言った。
「ええ、それなりにお金を掛けておりますので」
彼女が手をあげると邸宅の扉が開いた。
主人である彼女が歩き出したので私たちはその後をついて行った。
屋敷の中は驚くほどに豪華な造りになっている。
「見事な屋敷ですね」
「ここは脱税や横領が発覚して斬首刑になったダン・ボーグン伯爵の屋敷です。少々、時代遅れかも知れませんが物はどれも一級品ですよ」
これほどの邸宅は魔領の外でもそうは見ない。
これほどの富を得たダン・ボーグンと言う男はどれほどの不正をしたのだろうか。
「シルエンテさんはどうしてこちらに?」
「そのダン・ボーグンは親戚筋ですので」
それが理由なのか。
ただ、これだけの屋敷を維持するのも大変なことだろう。
主人が屋敷の奥の間の扉を開いた。
会議室?
私邸には珍しい造りの部屋の上席の椅子が待っていた執事の手によって引かれた。
「どうぞお座りください。アンネさま」
「ありがとうございます」
私が用意された席に座ると彼女は入り口に近い席に座った。
良くはわからないが力関係では私が上位ということになるらしい。
しかし、はっきりしない関係は居心地が悪いものだ。
協力者と言ったが彼女は一体、何者なのだろうか。
「少し話しませんか?アンネ様は交渉の旗頭ですからもっと詳しく状況を整理した方が良いでしょう」
是非に、と応じると彼女は改めて自己紹介を始めた。
「私はシルエンテと申します。一応この国の貴族の末席に名を連られていますが実体は商人ですわ。そして、私たちは外との独占的な交渉権を持っている立場にあります」
「交渉?」
「正確には支援でしょうけど」
つまり、この人たちは外からの支援を受けていると。
「私たち、ですか」
「実際には6諸侯が既にこちら側に付き、様子を伺っている勢力がいくつかあります」
取り込み作戦は上々といったところか。
この作戦に私が駆り出されて良かったと思う。
彼らが出てくるにはべオルグ軍との関係が深い私で無いと難しかっただろうから。
「どれほどの勢力になりますか?」
「兵にすれば総数で3万ですか。まだ国を割るほどの規模はありませんがジナ国の主力部隊と一戦交えて持ちこたえる程度の戦力は有しています」
戦争は勘弁願いたいところである。
「それほどの規模の勢力をどうやって維持をしているのですか?」
「もちろん、べオルグ領府からの援助を受けていますわ」
どういった方法だろうか?
公には貿易路は閉鎖されている。
そして聖団側の転移魔法はこの魔領領域内では制限がかかり並みの魔法使いでは使用できないはずだ。
「国境は公然と閉鎖されているはずですが」
「そうですね。ですが私たちには秘密の輸送路がありますので」
閉鎖線を越える方法?
「地下道でも掘りましたか?」
「まさか。もっと安全で確実なものですわ」
そう言ってシルエンテは天を指さした。
なるほど、空輸か。
ベオルグ軍は空を制している。
彼らはこの世界で空を飛ぶ技術を唯一保持し、そして独占しているのだから。
「空の道を絶つことは不可能ですよ。べオルグ軍から秘密物資は結界の上空圏外から投下され、ここに届けられています」
「結界は神の瞳による解析を遮断していると聞きましたが」
それどころか結界は聖団の神々の力を弱める働きまである。
そのために聖団は未だに大規模な戦争を忌避している。
「ええ、あの結界は聖団に組みする神による魔法の力を遮断します。しかし、自由落下する物を防ぐことまではできませんので」
「なるほど」
物を飛ばすだけの空輸でもソウルストレージ領域にアイテムを圧縮保存できるバックパックを使えば、大量の物資を輸送できるだろう。
「お陰でこの屋敷の金庫には、この国全体の一ヶ月分の食料と魔領公貨であるディナム金貨一億相当が入っています。それらの一部は貴方の即決で自由に動かして構わないとのことです」
魔領の公式通貨であるディナム金貨が一億。私の俸給の100年分ぐらいじゃないかな。
さすがに呆れて呟いた。
「お金がそんなに?」
「お金もですがこの情勢下です。食料も大変に有効かと思われます」
ディナム金貨は聖団が制圧し、没収した周辺国の物だろう。
元魔団の資金ならそのくらいはあっても当然か。
「随分と有利な条件が揃っていますのね」
やや呆れた。
彼が過保護な事は知っていたがここまで尽くして貰う必要も無いだろう。
ただ、これらの物資が実際に彼らの胸襟を開かせるまでに至るのかは微妙なところだ。
「貴方の危険は無いのかしら、シルエンテ」
「王城や王都の周辺が多少なりともまともな物資にありつけているのは我がシルエンテ商会のお陰です。ええ、良好ですよ。彼らも最後には私たちを頼るしか無いわけです」
その自信があり気な優雅な声音に彼らにとってのシルエンテ商会の存在感を感じた。
「この国の派閥について説明しましょう」
「派閥ですか」
「はい。派閥は大きく分けて4つ。最大勢力はフェンネル第一王子を中心とした魔団派、神教主義者たちです。第二勢力が経済財閥団で筆頭は恐れながら私です。第三勢力が国民主義者のサロン派、レイア姫です。このうち、私たちにもっとも好意的なのは第三派閥で両者を合わせれば規模的には一応、第一を凌ぎますね。ですが第一を圧倒するほどではないのも事実です。王たち、王権派の第四派閥の動向は気になるところです。王権派閥は一応の中立ですね。日和見ともいいますか」
「今の交渉は第三派閥としているのかしら?」
「第一派閥は神の意向が変わらない限りなびきません。交渉のメインは3と4になりますか。フェンネルは代表をしていますが彼の思惑もまた別でしょう」
「彼個人のスタンスはさておいて彼らの要石は結局、神なのよね」
「そうですね。私たちはこの魔領という特殊な地で孤立故の信仰を深めてきましたから。国民を見れば神教主義こそ最大勢力なのです」
神か。自分の立場からして民が敬神であることはそれが例え異教徒であっても尊ぶべきことなのかもしれないけれど。
「神は人の世の為にあるというのに」
しかし、その本質を歪めたのはむしろ聖団が先だろう。
私は深く思考するために目を閉じた。
方法はある。だがそれには覚悟が必要だ。
例え人に石を投げられても揺れない強い覚悟が。
◇◇◇◇◇
シルエンテの屋敷に身を寄せて数日が経った。
「ユリアさま、来客が参ったようです」
この屋敷付きのメイドが私にそう告げた。
「私に来客ですか」
この状況下で私に会いに来る人間などいるのだろうか?
困惑して、来賓の間に続く扉を開くとそこにはミーナの他に二人の人物が座っていた。
ミーナはうれしいのか、にこにこしている。
私は来客の顔を見て呟いた。
「貴方たちが何故ここに?」
来客の正体はスルトとトールだった。
ユノウス十二神将のうちの二人である。
「拠点の防護強化だよ。どうにもヴィラーヌ卿が動いているらしいのでな」
そう答えるスルトの横でトールは夢中な様子でクッキーをかじっている。
私はヴィラーヌの名を聞いて困惑を深めた。
「ヴィラーヌ?え?まさか、あのヴィラーヌですか?」
その名を目にしたことはある。
吸血鬼ヴィラーヌと言えば伝説のモンスターの名前だ。
モンスターでもあり、ある意味においてヒーローの類でもある。
神殺しや竜殺しのエピソードも数多い、相当な英傑である。
あのユキアがモチーフになってるあのユキウスと双璧を為すダークヒーロー。
各地に彼を題材にしたサーガがいくつも残っている。
生ける伝説。
神話級の偉人だ。
「そうだ。魔領の最終兵器とも目される男だからな」
それが理由で十二神将の中でも特に戦闘能力が非常に高いこの二人の戦神が駆り出されたのか。
「話は聞きますが」
「うちでもヴィラーヌの動向は徹底的に監視している」
それほどの人物なのか?
ヴィラーヌが生存している
困惑する私にスルトは呟いた。
「ヴィラーヌは魔団がその扱いに困るほど実力者だ。言ってしまえば、聖団におけるユキアやユノウスに近い存在だ」
その言葉に私は更に困惑した。
「それほどに?」
「魔領の守護者だ。世界最高の魔法使いと称される程の」
化け物だ。
そうスルトは呟いた。
◇◇◇◇◇
二回目の交渉が決定した。
前回の会議場にスルトを連れて出向く。
今回、トールはシルエンテの屋敷にお留守番である。
あのおこちゃまはシルエンテの用意したお茶菓子にご執心らしいので喜んでいた。
レイア姫は少し困った様な顔で私を迎えた。
「宿を変えたのですね」
「ええ、お陰様で」
「その節はご迷惑をかけました」
「いえ」
どの程度かは分からないが事の次第はこの姫にも伝わっているらしい。
「シルエンテさまの邸宅に泊まっているそうですね」
「はい」
少し世間話をする。
レイア姫の口調が重い。
急激なトーンダウンには何か理由があるのだろうか。
「護衛の者が増えましたね」
その質問に対して私は簡潔に答えた。
「身の危険が増えましたので」
「私には」
そこで姫は一端、言葉を切った。
戸惑い、迷いながら考えている。
しばらく言葉を待つとやがて姫はその重い口を開いた。
「私にはもうこれ以上、交渉を続ける理由がわかりません」
「と、言いますと」
「父や兄は貴方を狙っています。おそらく命を狙った者は兄の手の者でしょう」
「・・・そうなのですか」
それが事実だとして姫たちにとって明らかに不利になる発言だろう。
それを私に言う意味はなんだろうか。
「私はこの国ではさほど重視されない姫なのです。だから貴方との交渉に望む役を任されました。私の一存はあまり意味を持ちません」
発言からは王権派における彼女の地位の低さを伺える。
同時に王権派の状況はあまりよろしくないらしい。
「つまり」
「私は何も約束は出来ないのです。貴方とどれほどこの交渉で私に出来る事は伝書鳩の様に父や兄たちの思惑に依って決められた事を貴方に告げるのみなのです」
「この場では決められないと」
私はさすがに苦笑いを浮かべた。
交渉相手がイニシアチブを持たないことはわかっていたことだがそうはっきりと言われるとこちらもさすがに困る。
「私は貴方から支援を取り付ける事は出来ませんでした。今の私はただ交渉している風を装って貴方をここに止めるだけの役割なのです」
「レイア姫?どうしてその様な事を?」
「私としては交渉を決裂させて貴方を帰す事が出来ればと思っています」
「それが貴方の意志ですか?」
「そうです」
「国の民はどうしますか?」
私の問いに彼女の表情が曇った。
「民は飢えて死ぬかもしれません。貴方の誠実さで民は救えませんよ」
「私には民を救えません。ですが、この国では王の決定がすべてなのです」
そう悔しげに呟く姫。
「施政者の側に立つ貴方の意志は彼らにパンを与えたいではないですか?」
「それを止めているのは貴方たちではないですか!」
「それは当然です。これは戦争ですから」
「人道にまず立ち、支援を約束することは出来ないのですか?」
「出来ないでしょう」
そう単純な構図では無いのだ。
もちろん、私たちだって只の無垢な民が本格的に飢えて死ぬ事態に陥れば戦争を終わらせるべく、駒を進めるだろうけれども。
そうなればやはり無駄な血が流れるだろう。
私の言葉に姫は目を閉じると呟いた。
「すみません。今日はここまでにしましょう。父も決めかねているのです」
貴方の意志を問うたいところだが。
彼女が自ら決めると言うのは今の状況では難しい話かもしれない。
「分かりました」
結論が出ないのは仕方がないかもしれない。
もっとも私の方はある程度の感触を得ている。
上手くやれば、そう悪くはない。
すると、スルトが私に対して強い口調で声を発した。
「敵だ」
直ぐに遠くで爆発音が聞こえた。
「襲撃ですか」
「まさか、兄が?」
困惑する姫にスルトが笑った。
「さぁ?しかし、襲撃者はかなりの手練れようだな」
「スルト様。レイア姫を安全な場所まで」
ここで優先すべきは彼女の身柄の安全だ。
私はそう判断してスルトにそうお願いした。
「待て、ヴィラーヌはおまえを狙っているんだぞ?」
本当にあのヴィラーヌは動いているのだろうか。
だとしても、この姫を安全に帰す必要がある。
「レイア姫が死んでも交渉は決裂です。私にはミーナが居ます」
私の決定にスルトが従う義理も無いだろうけれど。
その言葉にスルトは困惑しながらミーナを見た。
「ミーナ。ヴィラーヌが相手に持ちこたえるられるか?」
「がんばります」
スルトは頷くとレイア姫の方を向いて言った。
「彼女を王宮に逃がしたら直ぐに戻る。いくぞ」
「は、はい」
「待ってください!姫の護衛には我ら騎士団が」
「だったら早くしろ」
会議室を出ていくスルトたちの姿を見送りながら私は呟いた。
「敵の戦力を見極める良い機会かもしれませんね」
「ユリア、屋敷まで急ぎましょう」
ミーナの言葉に頷き、私たちは駆けだした。
シルエンテの屋敷は郊外だ。町の中心にあるこの会議場からはやや距離が離れている。
帰り道のその道中、ミーナが困惑気味に私に尋ねた。
「どうして、スルトさんをレイア姫につけたのですか?レイア姫が狙われる可能性はそう高くはないと思いますけど」
「万が一があっては困りますから」
一方、私にはとある理由から万が一が無い。
その理由を彼女にだけは説明すべきだろうか。
そのことで迷いながら歩みを進めていると目の前に白い服装の少女が現れた。
初対面だが知っている相手だ。
写真を見せて貰った事がある。
その相手は聖団から危険人物としてリストアップされている。
「貴方がシロさんですか」
「そうだ」
確認するまでも無く敵だ、
白昼堂々、町中で魔剣ヴィルドーラを構え、戦場鬼シロが現れた。
よくもまあ駆り出される娘だ。
その襲撃に対してミーナが前に出た。
「誰だ?」
「べオルグ軍の兵士、ミーナ」
その簡単な名乗りにシロは不機嫌そうに呟いた。
「三下は消えろ」
その言葉にミーナは怒るわけでも無く無言で両手を叩いた。
マルチウェポンで両手に銃を召喚。
流れる所作で銃を連撃。
バックファイアの閃火の中を迷わず突き進む。
さすがのシロもこれには回避行動を取る。
ここまでミーナの方が先手先手で来ている。
シロが武器を変化させた。
鞭状剣。
鞭の様にしなる特殊な剣がミーナに向かい進む。
対するミーナのアクションは。
加速。
――――超獣
確か、最近になってミーナは故郷のある森人の試練を突破したと聞いている。
彼女の神級魔法が起動するとその突進速度は跳ね上がった。
急加速にシロの攻撃が変化した。
ミーナは身につけた魔法装具の力を解放する。
―――超騎士
もう一段階、さらなる加速。
超機動の中でさらに銃撃を撃ちまくる。
シロの変化はミーナの変化に対応しきれない。
シロの白い闘衣に赤が混じり始めた。
他人の血で赤く染まると言われる戦鬼の白装束が自らの血で染まるのはシロにとって屈辱的な事だ。
「きさま!!!」
シロのヴィルドーラが形を失った。
シロの両手には僅かな煌めきが見える。
鋼糸への形状変化。
一撃より、面を攻撃可能なスタイルに変えたようだ。
シロが動きながら無数に鋼糸を飛ばし、陣を張る。
その動きにミーナは片手の銃をある一点に向かい放った。
ドン。
音と共に鋼糸がその弾丸に向かい収束する。
それはミーナが瞬時にシロの構築した鋼糸陣を解したと言うことだ。
ぎょっとするシロにミーナは下がりながら銃を回し、チェンジする。
アンチマテリアルライフル。
その巨漢が突如出現し、信じがたい程の正確さで撃ち放たれた。
シロがとっさに射線上から体を反らす。
「曲がれ」
力ある言葉にミーナの弾丸が変化した。
修正された軌道はシロの真芯を捉えている。
加速を続ける物体には慣性がある。
シロがあれを避けるのは無理だろう。
「くそっ!!」
シロはヴィルトーラに盾への形状変化を求める。
しかし、その形状変化も間に合わぬ程の超高速弾が変形途中のヴィルドーラをまっぷたつに破壊しながらシロを貫いた。
「神滅弾だと!?」
ラグナの効果を乗せた銃弾に神唱で出来たヴィルドーラがはぜ砕けた。
ミーナは次の瞬間にはライフルを納め、両手銃による銃撃を再開していた。
ともに変幻自在、無限に変化する武器を持ちながら、より優れた技を持つはずのシロがただ圧倒されている。
其処にある絶対の差とはつまり、加速と変化と力学の暴挙だ。
そして、何よりミーナがずば抜けて居るのが。
「認識能力ですか」
精霊魔法式。
彼女が妖精さんと呼ぶ、エルフ特有の魔法がその差を作り出している。
精霊とは周囲に存在する魔素を擬人化する魔法だ。
擬人化。いや、彼らの言葉で言うところの精霊化か。
この世界では風や熱や音やその他、全ての森羅万象に魔素という流れが存在している。
そこに精霊化魔法式と言う名の命が加わることで自然が意志を持つのだ。
そして、エルフは体の感覚器官の一部がより高度に魔素と繋がっている。
エルフが精霊の声を聞くとき。
世界の全てが声となって明らかになる。
魔素による全情報認識把握能力。
精霊感と呼ばれる第六感。
全てを知る能力がミーナを別次元の戦士へと押し上げている。
これはユノウスの持つ先読みの魔法式に匹敵する程の能力だ。
「舐めるなっ!」
シロが叫び、その武器を構えた。
その武器の貌が崩れる。
無形秘剣。と呼ばれるシロの奥義の発動のその瞬間。
その始まりの僅かな変化にミーナは反応し、シロの目の前に小型の爆弾を出した。
閃光弾。
一瞬と白色と爆音と衝撃が世界を染める。
光の世界で少女は一人動きを止めない。
その光に紛れて銃声は後から響いた。それから崩れ落ちるような音がした。
「閃光に紛れて飛ぶ音速を超える弾丸をどうやって避けますか?」
その問い掛けにシロが答える様子は無い。
まぁ、あれを避けることは不可能に近いだろう。
もっとも、五感を無くしても精霊の全認識があるミーナには可能だろうけれども。
「おまえは・・・くそぉ」
さて何が起こっているのか。
視界がつぶれた私の手をミーナは握ると駆けだした。
しばらくすると視力が回復してきた。
ミーナの顔をのぞきこみながら呟いた。
「閃光弾の合図ぐらいほしかったですね」
「それは相手にもばれます」
そう呟くミーナに私は苦笑した。
「シロは?」
「逃げました。視界が死んでるにしては見事な感じでしたね」
その点においてはシロとやらも運が良いと言うか。
変な話だが全感覚を持つミーナは相手を殺さないことに関しても達人だ。
平然と見逃したのだろう。
「ユリア、化物が居ます」
「え?」
そのミーナの端的な言葉に困惑しながら前を向く。
其処に一人の男が立っていた。
顔はよく見えないが白い長髪に黒い帽子、片手に黒い剣を握った黒衣の男。
私の手を握るミーナの手が震えている。
このミーナが震え上がっている?
生憎、私は精霊感を持たないので相手のすごさはピンとこなかったが。
「貴方がヴィラーヌ卿ですか」
当たりをつけてそう尋ねると相手はかすかに笑った。
「そういう貴殿はユリア・アンネリーゼだな」
「そうです」
「アンネの者とこうして相対するのは三度目だ」
「そうなのですか」
「三度目だ。そして、過去二度、命を奪っている」
そう告げて男は剣を下段に構えて駆けだした。
早い。
ミーナが私の前に出る。
瞬時に召喚した銃による銃撃を放つ。
しかし。
ヴィラーヌはそれを危なげなく避けながらこっちに向かって来る。
「シロは私が創って人に与えた兵器だ。あれでも人には過ぎたものと思っていたが」
ヴィラーヌは目を細め、銃撃に向かい剣を突き立てた。
「つっ!?」
ミーナが慌てた様子で回避を取る。
見えないがおそらく今避けたのは跳弾か?
迫り来る弾丸を見切って跳弾を発生させてミーナを狙った?
どんなインパクトを銃弾に与えればそれが可能なのか。
いや、リフレクトを発生させる力場魔法か。
しかし、魔法式は見えない。
これは。
「精霊魔法」
「そう驚くことではない」
ヴィラーヌの攻勢が続く。
たちまちにミーナが追いつめられる。
あのミーナがここまで後手に回るのは驚きだ。
瞬間、小さく紅い血飛沫が舞った。
ヴィラーヌの剣がミーナの躰に浅い傷をつけたのだ。
当てるのと同様に避ける達人でもあるミーナが傷を負うという事態はそうない。
とにかく、お互いが全認識を持つ超人同士の戦いだ。
割って入るタイミングは見えないが。
私は巨大な魔法式を創った。
どうせ、適当に割って入ってもお互いに避けるだろう。
「ユリア?!」
「避けなさい」
――――超爆
すさまじい爆轟が響く。
しかし、その爆発がヴィラーヌに届くその瞬間。
彼の剣が魔法を叩き切った。
炎がその勢いを急速に弱めていく。
ハジャ?いや。
魔式切りとも違う攻撃に加えて既に具現化していた爆炎が収束していく。
「つっ」
魔法を破壊した「何か」と炎を収束した「精霊魔法」。
これほどの威力がある精霊魔法を初めて見た。
精霊魔法。魔素共鳴行動、或いは精霊現象とも呼ばれるそれは魔法式を伴わない原始の魔法だ。
魔素を動かすのみである精霊現象であれだけの規模の炎を消した。
そんなことが可能なのか?
「只の魔法使いが精霊使いである私に勝てる道理もない」
「普通は逆ですよ」
精霊魔法は最弱の魔法と呼ばれている。
本来出来ることはそう大きく無いはずなのだ。
「誤解があるな。精霊とは魔法ではない」
ヴィラーヌが私に向かい加速した。
私は瞬時に転移魔法を使い飛ぶ。魔領の内部ではやや制御が甘くなるが賭に出た。
「いけない!ユリア!!」
何故と思った瞬間。
私の転移の成功と同時に目の前に転移したヴィラーヌがその剣を振った。
「魔素を認識する精霊感は魔法式と魔法効果の全てを暴く。お前がどこに転移するかなど風を読むより明らかだ」
魔の式を解され、転移先を先読みされたのだ。
それが分かった瞬間。
私の首をヴィラーヌの振るった剣が切り飛ばした。
◇◇◇◇◇
斬った瞬間、ヴィラーヌは違和感を覚えた。
妙な感覚だ。何かを斬り間違えたという感触。
全認識を持つ彼が間違えるなどあり得ないはずだ。
しかし、間違えた、いや、失敗したと感じた。
目の前の少女はアンネリーゼで今も間違いないはずなのに。
「これは」
首を刈った娘からは血すら流れていない。
首無し少女はそのまま、ヴィラーヌにしがみついた。
「なに!?」
少女の躰の内部で偽装魔法式が起動した。
―――神唱代償魔法式
――エルシャントンの揺籠
ヴィラーヌはその魔法を見た瞬間に目を見開いた。
「奇跡だと?!」
◇◇◇◇◇
奇跡。
神級魔法を超える領域の魔法を指す言葉だ。
魔法そのものが神唱化する程の強度を持った魔法。
ハジャでは簡単に破壊することが出来ない内包存在強度1000オーバーの出力を有した神化した魔法。
その封印魔法が起動しヴィラーヌを包んだ。
その結果を見届けること無く私はミーナに言った。
「逃げますよ」
「え?うん!」
ひとまず屋敷に戻ればトールがいる。
ヴィラーヌ相手には戦力を揃えるべきだ。
今度は私がミーナの手を掴んで駆けだした。
ミーナは困惑した様子で呟いた。
「あの、どうしてユリアが二人いるの?」
その言葉に私は笑って言った。
「ごめんなさい。ここに居る私はコピーなの」
「でも本物の気配がするよ?」
精霊感が私を本物だと認識しているのだろう。
仕方がない。
ミーナの精霊感がぽんこつなのではなく、魂を読みとる技術で見るならば、この私は私という個体と完全なる同一体であるのだから。
「ええ、この子機にも存在自体は完全に繋がっているから。私と、この私は完全に同一なの」
「まさか」
ミーナの言葉の続きは別の場所から発せられた。
「禁呪「聖戦」による感覚共有制御体か」
私たちの進路の前に平然とヴィラーヌが立っている。
やはり奇跡を破壊したのか。
聖団の切り札の一つである魔法を簡単に退けられてしまった。
「奇跡を使う魔法使いは初めて見た」
そう呟くヴィラーヌに私は聞き返した。
「そういう貴方はラグナを使えるのですね」
あの超爆を破壊したのを見て薄々感じていた。
この男は神殺し・奇跡潰しの力をも自在に使いこなせるのか。
ユキア級の戦士なのだ。
「違うな」
男はそう告げる。
「違う?しかし、その力は」
ヴィラーヌは驚くべき事実を告げた。
「私は竜の法を解す者。概念魔法師だ」
淡々と告げるその言葉に私は息を飲んだ。
間接的に概念式を操ることならユノウスも出来る。
しかし、直接竜の力を具現化する魔法など使えない。
使えるはずがない。
そんなことは。
あのユノウスにも不可能だ。
「アンネを継ぐ者よ。お前の技は見させて貰った」
ヴィラーヌはそう言うと目を細めた。
「禁呪である聖戦は他者との感覚共有が極度の負担となって術者の命を削ると言われている。それを押さえるために何も持たない個体と感覚を共有するとはな。そこに居るお前もお前の魂を正確に写すだけの人形なのだろう?」
その通りだ。
私は頷くとヴィラーヌに対峙し言った。
「貴方では今の私を傷つけることは叶いませんよ。去りなさい、ヴィラーヌ」
「随分と精巧な人形だな。それほどの物だ。それを創ったのは聖団ではなく、ユノウスとか言う小僧か?」
「彼の抱える技術者ですよ」
ヴィラーヌは愉快そうに笑うと剣を私に向かい構えると言った。
「そうか、まぁ良い。私の目的はお前の影響力の排除だ。その人形とやらも精々有限の数であろう。この剣が直接貴様に届かずとも全てを壊してくれる」
やれやれ無茶なことを言う。だったら私も遠慮しない。
私が手をヴィラーヌに向けた。
空間を裂き光芒が飛来する。
「む」
その瞬間。
ヴィラーヌに無数の奇跡魔法が雨の様に降り注いだ。
私は一歩、前に出る。
「こういう使い方も出来るのです」
私がこう呟く度に無数の魔法が飛来しヴィラーヌの居る場所を撃ち払う。
無限の魔法陣。
私の感覚共有個体は100体。
その共有個体によって生み出された魔法を今ここにいる私という個体の認識による直接視誘導で発動される。
超遠距離転移発動攻撃。
私は常に私と同格の魔法使い100人の魔法援護を受けているに等しい。
―――無限魔法陣
―――終無魔弾
ヴィラーヌが概念魔法を起動し、魔法を破壊しているのを見つめながら私は一歩前に出た。
「貴方は不死の怪物でしたね。ヴァンパイアロード・ヴィラーヌ」
ならばこちらはこう応じる。
「私こそ、貴方を殺しきるまで殺し続けましょうか」
私の言葉に虚空の彼方より無限に飛来する魔法にその身を焼かれたヴィラーヌが笑った。
突如として魔法の光の全てが弾かれる。
―――概念魔法「不変」
「・・・?」
「すべての現象はこの空間の不変を冒しえない」
ヴィラーヌを包む防御結界が全ての魔法を退けている。
魔法破壊とは違う力?
―――概念魔法「塵」
ヴィラーヌを中心に魔法や大地を含む全てが爆ぜ黒く炭化した。
「全てを塵と化す概念だ」
「無茶苦茶な!?」
黒い衝撃波が迫ってくるのを私は別の個体の援助で転移する。
こうすれば転移魔法式を読まれることも無いだろう。
「まさか概念魔法が一つだとでもおもったのか?」
「では奇跡の極みをお見せしましょう」
準備は整った。
彼へと手をのばす。
それだけで遠く、遙かより私の力は其処へ具現する。
―――百重魔法融合式
――――天地破滅
生み出した神唱による奇跡を代償に疑似的に概念魔法を起動するユノウスの秘儀をアレンジしたこの魔法は奇跡を対価にして高次元魔法である竜滅と概念魔法・神滅の疑似再現効果を持つ一撃を作り出す魔法式だ。
疑似起動・再現は効率が凄まじく悪いのだがそれを強引に物量でカヴァーする。
生み出されたのは全てが蒼く輝く神竜双滅の巨矢だ。
蒼光放つ矢は概念を破壊し尽くす。
さすがの不死もその概念をも破壊する魔法の前には存在を保てないだろう。
私はその魔法を解き放った。
しかし。
アルマゲドンが突如として何かに阻まれてその破壊を止めた。
暴虐の破壊衝撃がその場に留まり何かと押し合っている。
―――概念魔法「魂滅」
「ひとつ、誤解があるな。神滅はイドによるエゴの破壊。竜滅はエゴによるイドの破壊でしか無い。竜滅か。その魔法にイドに対する絶対的な優位性など無い。―――所詮、魔法に過ぎないならその魔法を破壊することは可能だ」
ヴィラーヌは平然とそう呟く。
「魔法に完全なる破壊をもたらすアシャカの式と概念に完全なる破壊をもたらすユキアの式はお互いを食い合うウロボロスだ。互いに相殺しあう」
そして。
ついに私の発現した疑似魔法が消し飛んだ。
ヴィラーヌのアシャカの式の出力が私の魔法を押し切ったのだ。
つまり、魔法を殺す概念に、概念を殺す魔法が殺されたのだ。正面から力で押し切られた。
それは無茶苦茶な事実だ。
「つっ」
「お前が100人の魔法より私一人の魔法の方が上だった。ただそれだけの単純な話だな」
そう単純でも無いけれど。
私は本来発動できない魔法を起動する為の特殊魔法陣の発動にリソースのかなりを割いている。
だから純粋に100人分の出力が出せているかと言えば、そういう訳では無い。
けれども。
「化物」
「ふん、今更か。俺をそう称すには随分と遅い感想だな」
ヴィラーヌはつまらなそうにそう呟いた。
その瞬間。
ヴィラーヌの剣が煌めいた。また避けれそうもない。
私の躰をその剣が貫く瞬間。
「済まない。遅れた」
その言葉と共にヴィラーヌの剣を彼女の剣が受け止めた。
この声の主は。
「・・・炎神スルトか」
そう答えたのはヴィラーヌだ。
スルトは不適な笑みを浮かべて剣を構え直した。
「吸血の君主ヴィラーヌ」
お互いがお互いの存在を認め合うや即座に剣撃を重ね合う。
すさまじい剣閃の応酬が止めどなく続く。
幾度斬り合ったか。
ヴィラーヌの頬に紅い線が一筋見えた。
僅かだが漸く、無敵に見える化け物にも傷が付いたのだ。
「剣の腕ではほぼ互角か」
「やや私の勝ちだろう」
そう呟きながらもスルトに余裕は見えない。
魔団最強の魔法使いはべオルグ軍最強の武芸者の剣が圧倒出来ないほどの剣の力量をも併せ持つということなのか。
「残念だよ。スルトよ」
ヴィラーヌの剣が黒を帯びる。
―――概念魔法式「神滅の刃」
「貴様のレヴァンテインは神唱結晶製だと聞いている。この一撃は受け止められまい」
「概念魔法か。そんなものを使いこなす奴が居るとはな」
ヴィラーヌの剣が走った。
それをレヴァンテインが受け止めたのを見てヴィラーヌの目に困惑が見えた。
「オーディンが言っていたよ。ヴィラーヌは世界最高の魔法使いの一人だと。だがな古の魔法使いよ。概念魔法にたどり着いたところでそれが終わりだと思わないことだ」
「何だと?」
スルトの剣が黒を帯びる。
「まさか、竜の素材を使って改造を?」
「そう言うのが得意な奴が主人でな」
―― 神鬼一閃
―――概念魔法「不変」
その一閃の斬線はまったく見えなかった。
そして、ヴィラーヌの躰から激しい血飛沫が飛んだ。
「単純なルールをお前が見落とす訳はあるまい。魔法でアシャカの力を宿すだけではラグナによる魔法式の破壊は防げないぞ」
「神がラグナを操るという想定外が大きかっただけだ。しかし、概念による防御を超えるとは」
ヴィラーヌは今の一瞬で概念による防御を張ったのか。
そして、それをスルトに斬られた。
スルトはにやりと笑いながら言い放つ。
「概念とは言え所詮、魔法式による起動だ。なら根本の魔法式を絶てば良い」
「そんな屁理屈で不変の結界を斬るか」
ヴィラーヌが一歩下がる。
その顔に張り付いているのは苦笑だ。
「ここで貴様とやりあうも良いだろうが今日は止めておくか」
「逃げるのか?」
ヴィラーヌの傷はもう癒えている。
戦うことにまったく支障は無いだろうがスルトと今の段階で本気でつぶし合うは避けたいのだろうか。
「次はユノウスを連れて来るが良い。不死である私を本気で倒す気ならばな」
そう呟いたヴィラーヌの姿が消えた。
「魔法?」
「いや、違うな」
魔法式は見えなかった。
まさか精霊魔法による魔素からの直接起動?
「色々と引き出しの多い敵だな。しかし、これほどの実力者が何故、魔団に従っている?」
スルトは腑に落ちない様子でそう呟く。
「ヴィラーヌか。あいつをユノウスと引き合わせるのは危険だな」
「どうしてですか?」
「何かしらの勝算があってあえて引いたのだろう。俺と戦うことで奥の手が露呈することを嫌ったと言うことだろう」
スルトは忌々しそうにそう呟いた。
なるほど、納得が行く理由ではあった。
ここで私たちを討ったところでユノウスが残っていれば、いくらでも別の対処が可能だろうし、力の露見は彼の対策の餌食になるだけだ。
逆に行えば、概念魔法と言うどうしようも無い物をも超える程の隠し玉がまだあるかもしれないということか。
魔団にこれほどの底力があったとは驚きしかない。
私は漸く危険が去ってほっと一息を吐いた。
「ミーナごめんなさいね」
「何が?」
不思議がるミーナに私は言った。
「いえ、この躰のことを黙って居て」
その言葉にミーナは笑って呟いた。
「んー、ちょっと驚いたけど平気。何となく分かってたから」
「そうなの?」
「うん。まぁ自信は無かったけど」
◇◇◇◇◇
その報を受けてアルガイヤ王は眉を歪めた。
にわかに信じ難い報告だった。
「あのヴィラーヌ卿がアンネの娘を相手に退いたそうだ」
その事実に配下の将たちはどよめいた。
「まさかヴィラーヌ卿が?」
ヴィラーヌという男がどれほど危険な人物かは聖団の人間より魔領に住む人間の方が良く分かっているだろう。
魔団や魔領の創設に直接関わったと言われている最強の怪物。
それどころか、魔領の守護結界を敷いたのもあの男だと言われている。
かつて魔族の姫アンダルシャンの配下の騎士だったヴィラーヌはアンダルシャンと時の魔王グラフトの盟約に従って魔団の守護者となった。
遙かな時を得て、彼が最強の存在となった後もその守護は続いている。
そうでなければあれほどの存在を魔帝ごとき小物が御することなど叶わないだろう。
「彼は魔領からそう長い時間は離れられぬと聞く」
「そういう制約の元で精霊と契約したらしいな」
魔領は元々は魔族解放領であり、帝都はアンダルシャンの居城があった場所である。
彼女の死後、彼女の遺言に従って魔団に解放された。
結果的にあの化物が魔領の外で活動することはほぼなくなった。
「もしかすると姫との思い出の結界が壊されるのが嫌なだけかも知れぬな」
「あの化物がその様な理由で動いているのでしょうか?」
その言葉に王は肩を竦めた。
「いずれにせよ。アンネリーゼの勢力はあれだけの化物がしとめ切れぬだけの力を持っているのだ」
その事実はあまりに大きい。
この国を滅ぼすことなど造作も無い怪物と同格の敵を腹に抱えて安心などあろうものか。
「レイアを呼べ」
◇◇◇◇◇
あの襲撃から数日が経っていた。
あれ以降王宮からのアクションは無く。ヴィラーヌの襲撃も無い。
私は若干暇を持て余し、ミーナは嬉々としてスルトとの稽古に励んでいる。
屋敷のテラスで周囲の状況を記した報告書に目を通していた。
隣にはシルエンテが控えており、詳しい状況の補足を教えてくれている。
「王宮は今混乱しているようです」
シルエンテの報告に私は驚いた。
「どうしてですか?」
何が一大事なのだろう。
彼らならば、私が襲撃された程度のことなら何とも思わないと考えていたのだが。
するとシルエンテは神妙な顔で呟いた。
「あのヴィラーヌを撃退したようですね。それが原因でしょう」
「あの、ですか」
ヴィラーヌについて聖団はあまり知識が無い。
そもそも魔領に対しては差別意識以外の理解は欠片も無い。と言うのが今までの聖団のスタイルなのだ。
まさか魔領と話し合いで交渉することになるなんて夢にも思っていなかったのだ。
聖団は魔団とは長い敵対状態にありながら、力技の攻略を目指すアプローチしかとれて居なかったのが実態なのだ。
魔領の地図すら持っていない有様である。
聖団は組織が古く、べオルグ軍の持つような諜報活動能力や工作活動能力が無いのである。
情けない事に継承聖人階位1位という聖団の最重要ポストの一つに座るこのアンネリーゼですらヴィラーヌという化物が存在していたことすらも知らなかった。
まぁ魔領にとってのユノウスが退いたということだろう。
そう考えれば動揺して当然か。
「この魔領には精霊結界が掛かっています。それは魔神の力を基とする魔法への魔素の働きを強め、聖神を基とする魔法への魔素の働きの弱めます。その精霊の力は七領の全土に及んでいます。これは言うなれば私たちは今、七国全てを覆うほどの巨大な原始精霊の腹の中にいるようなものなのです」
それほど巨大な精霊など聞いたこともない。
「すさまじいですね」
「そうです。故にこの結界の維持がヴィラーヌを拘束していました」
なるほど。
「だからヴィラーヌの威光はこの結界の外に出なかったと」
「もとよりヴィラーヌは魔団の協力者でしかありませんし、そう積極的でも無かったのです。こういう事態になるまでまったく動きませんでしたし」
あれほどの実力者が表に出てこなかったことは聖団にとっては幸運なことだ。
「魔領の結界を解放すると言うことはヴィラーヌという化物の楔を解き放つ事でもあります。つまり良いことばかりでも無いと言うことです」
なるほど。
もし聖団の本部をヴィラーヌに強襲された場合、元老院は持ちこたえられるだろうか?
元老院にはグラン・セクタスと呼ばれる6人の古英雄が居る。
全員が1000を超えるレベルを有する半神半人の人外たち。
聖団と竜の間の守護者である彼らとヴィラーヌ。
相対すれば勝つのは・・・おそらくヴィラーヌだ。
すると思案にふける私の元にミーナがやってきた。
「ユリア」
「どうしました、ミーナ」
「お客さんですよ。レイア姫です」
「?」
どうやらレイア姫がシルエンテの館に尋ねてきたらしい。
「何事でしょうか」
まぁ、大体、想像はつくが。
「おそらくは」
そう呟くシルエンテに私は苦笑した。
「では交渉と行きましょう」
◇◇◇◇◇
私の居るテラスにレイア姫がやってきた。
「父が貴方との交渉を打ち切る様、私に告げました」
意外ではないか。
彼らにとって私たちの存在はあまりに驚異だ。
「なるほど、その判断に貴方はどう思いましたか?姫」
「妥当だと思いました。貴方たちの実力は私たちには計り知れません。貴方たちは危険すぎます」
その言葉に私は溜息を吐いた。
「もしそんな理由で交渉を打ち切る気なら率直に言って判断が遅すぎると思います。私たちは貴方たちより遥かに強い」
「そうであってもそうと考えては交渉など出来ないものです。盲目的であることを否定はしません」
パワーバランスを考えたら無謀に交渉などできようがない。
彼らの自虐的な冒険主義を許していたのはこちらの生温い対応であるのも事実ではあろう。
「一つお聞きします。貴方は私が聖団とべオルグ軍において飛び抜けて強いと思いでしょうか?」
「違うのですか?」
「少なくともこの屋敷においてすら私と互角以上に戦える者が3人居ます。そして、私の実力では上から数えて10本の指には入らないでしょう」
「つまり、ヴィラーヌと拮抗する実力者がまだまだ居ると?」
「あれは正真正銘の超人です。我が方でも本気で対抗できるカードはおそらく、ユノウス、ユキア、スルト程度でしょう」
それでも。
「それでも明らかに聖団の陣営は貴方たちを凌駕しています。この状況下で私たちとの交渉を絶つことは自殺行為に等しい」
「そうでしょうね」
そう呟くレイア姫の諦観の隠った顔に私はため息をついた。
諦めてしまったのか。その表情から最後の糸が切れてしまったのを感じた。
もう無理だと思っている人間に何を問うても無理と答えるだけなのでは。
そう思えてならない。
「ここの空は綺麗ですね」
「私はあまり空が好きではないです」
「そうですか」
彼女にはもう拠るべき選択権は無い。
ならば方法は一つしか無い。
「はい、私は空の綺麗さは高慢だと思います」
「高慢ですか」
「空の綺麗さは何も無いのが美しいと見えるからです。空の空虚とはつまり、必要ないと全ての物を地に落とし縛り付ける故の潔癖です。もし、全ての物が自由に空を行き交うなら、空はあの美しさを失い、汚れるでしょうね」
全てを捨てるその高慢さ故に空は青く白い。
「そうかもしれませんね」
空は何かを許容しない。
「聖団は本当に譲渡しませんか?」
「姫。私たちは空ではありませんよ。全てを求めてここに居る強欲極まりない大地なのです」
「譲り合うことは出来ませんか?」
「私どもがお譲り頂きたいモノは既にお伝えしたでしょう」
「それをお譲りする事は出来ないのです」
「私は奪う為にここに居ます。貴方の役目はせいぜい自らを高く売ることだけです」
「売国をせよ、と」
「有り体に言ってそうでしょうね」
「出来ません。それをするぐらいなら最後まで戦います」
やはり、彼女には無理だ。
無理を無駄と口にする為にここに居るに過ぎない。
最後の使者。別れの言葉しか語らない道化。
そして。
やはり、最後のコレは彼女にしか出来ない。
私は静かにそれを口にした。
「では、一つ賭をしませんか」
「賭け?」
「そうです。貴方の御身と貴方たちの神遺物、アーガスソードをお貸しください。私が貴方たちの神と直接対話します」
神との直接対話。その言葉に少女は目を見開いた。
この交渉に最後の活路を見出すなら神を説き伏せるより他に無い。
「それは」
「貴方たちの神が聖団に属するなら私たちの勝ち、それを拒否するなら貴方たちの勝ちです」
「結果の見えている勝負になど意味があるのでしょうか?」
「ですがもし貴方たちの神がもし、聖団に属することに決まったらどうです?」
「・・・ありえません」
「そう信じるならばお受けしても良しいのでは?」
「ですが」
「王では無く神がお決めになったことなら貴方たちは従いますよね?」
その言葉に。
レイアは言葉を失った。
そう、これは賭だ。彼女にとっても最後の救いとなるかもしれない。
王が無理でも、神が認めるならこの国は救われるかもしれない。
「賭けと言った以上、こちらが勝った場合には何かを得られるというのですか?」
安易な対価をちらつかせる気は無い。
私は言った。
「ええ、難民を受け入れます」
その言葉に姫は困惑の色を強めた。
「どういう意味ですか?」
「貴方の国から我が方に移りたいと願う者について快く受け入れましょう」
「そんなことを」
「餓える者を減らすには良い手ですよ。良く考えて見てください」
「アンネ様、その提案は狡いです」
「どうしてでしょうか?」
「国民の全てが今の状況を良しと思っていません。例え、敬神な信者であったとしても仕事や食料を求めて亡命を希望する者はいるでしょう」
いるどころか、おそらく半数は難民になるだろう。
ジナ国の現状はそれほどに良くないのだ。
「いるでしょうね。それの何が問題なのですか?」
「彼らの心と体を切り取らないでください」
「それを決断する意思は彼らのものです。姫、望まずとも計算によって人は道を変えるものです。彼らが生きることは不幸ですか?」
生きるために信仰を捨てるのもまた人だ。
目の前の少女は目を伏せて呟いた。
「・・・幸いな事です。生きることは大事なのです」
彼女に迷いがあるのが見て取れた。
国民の為にせめて生きる道を示せる。
悪いことでは無いと思っているのだろう。
「私はヴィラーヌに命を狙われています。そう長居もできません。これは最後通告です。私はこの交渉を最後にするつもりです」
「分かっています」
「さらに言えば、我が方は今後ジナ国とは交渉の機会を設けないでしょうね」
「それも分かっているのです」
「・・・賭けに勝った場合、難民の受け入れと共に援助を要求します」
「どの程度ですか?」
「10万が一ヶ月は十分に食べられるだけの食料。半数はできるだけ即座にください」
私は頷いた。
「認めましょう」
その即答に少女は小さく頷いた。
「勝負しましょう。アンネリーゼさま。父は私が説得します」
私は笑みを浮かべて言った。
「ええ、良い結果を期待します」




