とある男の物語3
ゾンビ人間は今日も死んで生きる。
思考するゾンビとは一体何者だろうか。
哲学ゾンビは良く聞くけどなぁ。
まさしく俺はゾンビだ。
死ぬ為に生きる腐りかけの人間。
「…さん」
ああ、なんかかったるいな。
俺はぼんやりと手を動かす。
「…雪緒さん!」
漸く耳が意味のある音を認識した。
「どうしたの?大声だして?」
「作業終わったんですか!?納品今日ですよ??」
同僚の橘 朱枇さんが怒っている。
彼女にはそもそも関係ないはずだが…。
しかし、作業ねぇ。
実のところ、既に終えてメールで飛ばしてあるのだが。
今の俺はCGプログラマーなんて仕事に就いている。
ゾンビなのに仕事に精を出すとはこれ如何に。
「終わったよ。メールだした」
「それじゃ!報告してください!!なんでいつもぎりぎりなんですか!!」
もちろん、やる気が無いからなんだけど。
「良いじゃん、遅れたこと無いし」
「もぉ!もぉ!!」
牛が騒いでいるな。
俺はまた自分の思考に籠る為に入ってくる音を心の栓で遮った。
全ての音がノイズになって溶けていく。
嗚呼、世界もこんな風に無意味に溶けてしまえば良いのに。
いや、溶けて無くなるのは俺の方か。
だけど、こんな世界に溶けて浸み込むのだけは御免だった。
俺が消えてしまいたいのはこんな世界じゃないんだ…。
こんな生きるかいのない世界。
嗚呼、消えてしまいたい。
◇◇◇◇◇
ビールにつまみにあと、何か。
たぶんおにぎりだけど、本当のところ、何つめたか覚えてない。
ほとんど味なんて見ないで適当に詰めた俺への餌を片手にいつものボロアパートに帰還した。
扉を見ると付箋が張ってあった。
≪帰り着いたなら、となりの部屋に顔を出すこと≫
「つっ」
胸の奥がチクリとする。
こんな事でいちいちかき乱されている様じゃ俺のゾンビ道も精々腐りかけか。
まだ斑に生っぽくて痛々しい。
ため息を吐きながら隣の部屋の戸を叩いた。
隣人の茜さんが顔を出す。
「なんすっか?」
「やぁ今日も絶賛腐ってるね、雪緒くん」
あか姐さん今日は飲んでないな。
んー帰っていいかな。
「ああ、また拾い物だよ。君の家の前に落ちてた」
あか姐さんの指差したモノを見て眉を歪めた。
年齢17、8歳くらいか。長い黒髪の少女が眠った様に廊下に寝かされている。
軽々に使う言葉でも無いし、そうそう言うべきでも無い言葉だろうがあえて言うなら絶世の美少女だった。
すーぴーと可愛らしい寝息が聞こえるのでいびきをかいているとやばい系な脳の疾患でも無ければ、ただ普通に寝ているだけだと思われた。
「誰ですか、こいつ」
「え、知り合いじゃないの?」
あか姐さんは当てが外れたらしく困惑している。
「知らないですよ」
しかし、よくよく女の子が落ちているアパートだな。
それも美少女が落ちてる。今度大家に教えてやろう。
色んな需要で引っ張りだこに違いない。そして俺は引っ越す。
「私、これから夜勤だしちょっと引き取ってよ」
「勘弁して下さい。俺も一応男ですよ」
「そっかそっか、若いねぇ」
しみじみと呟くあか姐さんに俺は苦笑を返した。
「もう若くないですよね。俺も貴方も」
「君はまだぁ25歳だろぉ!ぴっちぴっちじゃんかぁー私、なんてぇもうすぐみ、みぃ」
「三十路ですか」
「みそじ、いうなーぁ!!」
お姐さんは相変わらず元気そうだな。
「まぁ、君なら問題ないでしょ」
「・・・貴方にとってはそれで安心でしょうけど」
安心と油断は異なるものだけれども、俺の枯れっぷりは末期なのでまぁ文句は無い。
やれやれと俺は首を良いですよ。
「分かりました」
「良いんだ」
別に通報されたって困りませんし。
「で、どういう状態なんです?こいつ」
「わかんない。健康そうに見えるけど」
じゃ、寝不足か何かか。
血色は良さそうだしな。
「脳とかだと不味くないですか?」
「違うと思うけど」
何の確証があるのだろうか。
まぁ、相手は正看護士だ。その判断をひとまず信じよう。
「ひとまず、様子見てヤバそうなら救急呼びます」
「おー頼んだよ」
◇◇◇◇◇
「ああ、可哀想に」
そう呼ばれて私は目を開けた。
「驚いた。まだ息がある」
何か言おうとして困惑した。
声が出ない。
顔だけを向けると穏やかな様子の老婆が私の前に座っていた。
「肺に鉄のパイプが刺さってるね」
淡々と告げられて私は震えた。
理不尽な死に対して恐怖し、嘆いた。
声にはならない。
己の血で満たされた肺のせいでこぽこぽと音が鳴るだけだ。
死にゆく音が微かに。
「可哀想にお前はここで死んでしまうんだねぇ」
哀れむ声に私は涙した。くやしいと思った。
「飛行機が落ちたんだ。息があるだけ大したものさ」
そうだった私は家族で飛行機に乗ったのだ。
私の家族は。死んだのだろうか。
急に苦しくなってきた。
心が苦しい。
もう苦しいのは嫌だ。
終わってよ。
「生きたいかい?」
その言葉に困惑した。
「もし、生きたいなら生かしてあげても良い。ほん一時だけだよ。時が来れば私が殺す。それでよければ、ほんの一時だけ生きて良い。それでも良いかい?」
私はよく分からない内に頷いた。
生きたい。生きたい。
生きたい。
「可哀想に。そんな必死じゃしょうがないねぇ」
老婆は私の傷口に向かって指を差し出した。
そこから赤い血が一滴、滴り落ちた。
「お前は私の眷属として生きるのさ。なーに、ほんの一時の夢さねぇ」
◇◇◇◇◇
俺(正確にはあか姐さん)が拾ってきた少女をひとまずソファに寝かせ付けると食事を始めた。
ん?レッド唐辛子ブラック胡椒100倍爆弾おにぎり??
何故こんな物を俺は買ったんだ?
明らかな地雷商品を机に置いて他のまともな物を食べ進める。
ビールは冷蔵庫に締まっておく。この状況で飲む気にはさすがになれなかった。
すると、きゅうと可愛らしい音がした。
「・・・?」
「おなかがすきました」
そう呟きながら少女が目を開いた。
「あ、あれ?ここは?」
起きたのか。
少女が不思議そうに俺を見た。
「誘拐ぃ!?」
「人の顔を見て、失礼な奴だな」
まるで俺の人相が如何にも誘拐犯みたいな感じに思われるじゃないか。
ああ、間違ってない。
「ご、ごめんなさい。間違えました」
いや、もしそうでも誘拐犯なら肯定はしないんじゃないかな。
意外に素直な少女に俺はため息混じりに呟いた。
「君が我が家の前に倒れていたのさ。もっとも君を介抱したのは隣の部屋の茜さんだけどね」
僕はやや言い訳めいた事を言った。
ただ、誤解されようがどうでもいい気分ではあった。
「おなかが空きました」
少女はそう唐突に呟いた。
どうやら俺の食事に反応して目が覚めたらしい。
「それを俺に訴える意味は何だ?」
「済みません。何か恵んでくれませんか?」
なんという物怖じしない子供だろう。
物怖じはしないが物乞いはすると言う。
そうは言っても、もう喰う物は無い。
「なんだ。こんな物でよければ、あげるけど」
口にする気になれなかった残り物の爆弾おにぎりを試しに差し出してみる。
「ありがとうございます!」
少女は目を輝かせ、一目散にビニールを破ると口に入れて頬張った。
おい。
パッケージぐらい確認しろよ。
「うぎゃぁああああぁあああ」
おお、美少女でもこういう顔をするんだな。
みずーみずーと叫びながらのたうち回る少女を見ながら俺は妙に感心していた。
◇◇◇◇◇
「とても刺激的な味でした。危うく貴重なカロリーを無駄にしてしまいそうでした」
目の前の少女は苦しみながらもあの謎飯を平らげた。
目の前で大仰しくごちそうさまをする少女にさすがに困惑する。
「そ、そうか」
「米の一粒には、えーとなんでしたか。とにかく貴重なのです」
なんだ、昔の百姓みたいな事を言いだしたぞ?
「ここはどこでしょう?」
「ここは俺の家だぞ」
「そうですね。えーと他には?」
「日本国東京○○区××町△丁目□番◇号??号室だな」
「おぉそこまで分かれば!感謝です」
手を合わせてお辞儀する少女。
いちいち仕草がズレた女の子だ。
「実は人探しをしていまして。ご迷惑ついでにお聞きしてもよろしいですか?四条院 ミツキという名前に心当たりはありませんか?」
誰だ?聞いたこと無い名前だが。
「しらん」
「そうですか」
すると。
「ちょっと良いですか?」
少女は急に真剣な顔をした。
ほんわかした雰囲気が変わった。
なにかあるのか?
「どうした?」
少女はおなかを押さえながら呟いた。
「お、おトイレを貸して下さい」
「・・・好きにどうぞ」
空腹に刺激物は危険だなぁ。
◇◇◇◇◇
「おしりの穴がひりひりするです」
「そういう事を異性の前で言うんじゃない」
「うぅ」
目をぐるぐるさせた少女に俺は何と言ったものか
「ひと休みすると良い」
あか姐さんが帰ってくれば整腸剤の類も貰えるだろうし。
「感謝です。きゅー」
そう言いながらソファの上でぐったりする少女。
しばらくするとスピーと寝息が聞こえて来た。
って、寝るんかい。
「仕方あるまい。長旅に加えて一度死んだからのう」
ん?な?
誰だ?誰が今しゃべった?
少女を見るが爆睡だ。
いびきは無いが美少女フェイスがゆるキャラみたいになってる。
「ほほ、勤労青年。こっちじゃ」
俺はその声の方を向いた。
猫だ。
黒い子猫がしゃべっている。
「腹話術じゃよ。詳しく知りたくないならそういう事にしておくが良い」
「あの子がしゃべってる?」
馬鹿な。思いっきり寝息を立てているじゃないか。
おお、しかも人様のソファーに涎まで垂らして。
「まぁ、みたいな物じゃ。気にするな」
「気になるだろ、普通」
「ふむ、しかし、深入りすれば死ぬぞ」
やだ、怖い。
その忠告に俺は言葉を失った。
死にたくない訳でもないだろうに。
「済まぬがこの子は命を狙われておる。しばし匿ってくれぬかのう」
「匿う?どういう事情だ?」
「さっきも言ったとおりじゃ、知らぬ方がその身の為。しかし、何も話さず頼むというのもやはり不義じゃのう」
不義というより不条理を感じるけど。
猫は澄まし顔で毛繕いを始めた。
この子と言い、この猫と言い、人様の家でどうしてここまでくつろげるのだろうか。
「家出少女なら通報するぞ」
「もはや帰る家など無い。家出少女ならぬ家無き娘と言う訳じゃな。しかし、保護を求めておるのは事実じゃて。警察より出来れば四条院の名を持つ者に保護を頼みたい」
「四条院?」
「そうじゃ、匿うついでに探してくれぬかのう。四条院の名を」
待て待て。
何で匿ったり人探しをしてあげなきゃいけないんだよ。
「さっき一度死んだとか言ったな。どういう意味だよ?」
「文字通りじゃ。お前さんの家の直ぐ近くであの子は一度絶命したのじゃ。もっとも直ぐに蘇生したがのう」
そんなこと。あり得ない。
「多少死ぬぐらいは問題ないがあの子を殺す術が無い訳ではない」
「意味が分からん」
「つまり、こういうことじゃ。道に迷って困った少女がおって導いて欲しいとな。善良な人間なら捨て置けぬじゃろ」
俺が善良?
まったく。
他人にどんな期待をしているのだ。
「俺にどんなメリットがあるんだよ」
「無いのう。わしらを匿えばそれだけでお前さんも命が狙われるかもしれん」
無茶苦茶だ。
呆れ顔の俺に澄まし顔に見えなくもない子猫は呟いた。
「何、期待はしておらん」
俺は善良でも無ければ、お人好しでも無い。
だが、まぁ、好奇心はそこそこ旺盛ということにしておこう。
「いいぜ。その四条院とやらを探せば良いんだな?」
俺がそう言うと猫はやや面食らった様子で呟いた。
「ふむ、頼むぞ」
「もし、尋ねられたら君らのことは何て説明すれば良い?」
「もっとも古い血の子が汝の助けを求めていると言ってくれればきっと分かる」
◇◇◇◇◇
「ばっちゃ」
私は涙し呟いた。
とても悲しい夢を見た。
存命だった頃のばっちゃの夢だ。
ばっちゃは死ぬしか無かった私に新しい命を吹き込んでくれた。
最初はばっちゃが死ぬその時までの約束だった。
ばっちゃが死ぬ時、その後継者である私は死ぬはずだった。
死ぬべきだった。
私はそれでもよかった。
ばっちゃは優しい人で争いを嫌い、戦争を呪った。
そんなばっちゃについて世界中を回った。
人を助ける為、人の死を見届ける為。
何故そんな事をするのか尋ねたことがある。
ばっちゃは懐古して良く言った。
「古い約束じゃよ」
と。
そして目が覚めた。
悲しい夢から目を覚ますと私の使い魔の猫が私のそばで呑気に伸びをしていた。
「アイリーよ。暫しじゃがここに匿ってもらうことになったぞ。なんと四条院も探してくれる」
私は驚いた。
「あの人を巻き込んだの?」
本当に危険なのだ。
ここにいつまでも留まるのは本当によろしく無い。
私にとっても。あの人にとっても。
「今更じゃ。わしらはここに土地勘が無さ過ぎる」
それが結果、迷子だ。
そして、ああなった。
「私、四条院さんに会えば助かるのかな?」
「さぁ、のう。ただ四条院の当代は相当な切れ者らしいからのう。賭けるしかあるまい。あの男に対抗しうる者となればそうおらんし」
私は目を閉じた。
まだ体力の回復は出来ていない。
「私は」
ばっちゃと約束したんだ。
生きるって。
「今のお前は動かない方が良い」
「・・・」
◇◇◇◇◇
四条院か。
聞いたことが無い姓だ。
ひとまず、試しにネットで検索してみる。
うん。見事に無いな。
こういう事に詳しい知人がいるわけでも無いし、どうしたものか。
電話案内サービスに架電してみる。
住所は適当。
はてさて。
「四条院さまのご案内は一件です。このままお待ちいただくと自動でお繋ぎ致します」
お?人違いかも知れないが一応ヒットしたぞ。
「はい、どちら様でしょう?」
「えーと、四条院さん。でよろしいですか?」
「はい。そうです」
「もっとも古き血が助けて欲しいと伝える様に言われました」
すると、電話越しに何かの音が聞こえた。
「あの?」
「守秘回線に切り替えました。貴方は何者ですか?」
「しゅ?え、いや、あの子供を拾いまして」
「事情はお分かりになりますか?」
「いえ?あの」
「メアリー様の娘さんは無事なのですね?」
「分かりません。俺は頼まれただけなので」
「彼女の保護がご希望ですか?」
「はい」
「分かりました。主にその用件を伝えます」
「主?」
「失礼。私は四条院家の執事めをしております、名を葛と申します」
「あの子は助けて貰えるのでしょうか?」
「状況は際どいでしょうね。神の似人が動いています。我が主でも勝てるか分からぬ程の最強の存在です。無論、我々も至高の魔術師の血統をみすみす失うつもりもありませんが・・・」
「なに?え?」
「ん?ふむ、なんと一般の方でしたか」
「ああ、えーと、そうだけど。一般?」
「忠告しましょう。この電話を最後にこの件から一切の手を引きなさい。貴方には危険すぎます。その子供は私共で回収致しましょう。彼女には「2日後の午前10時に新宿駅に一人で来て下さい、そこで合流しましょう」とだけお伝え下さい」
「危険?」
「死にますよ。それではよろしくお願いいたします」
電話が一方的に切られた。
おう、意味がわからん。
一応、繋がったし。まぁ良いか。
◇◇◇◇◇
「ばっちゃ」
血の海に沈んだばっちゃに私は必死に声を掛けた。
ばっちゃが殺された。
ばっちゃの死んでも死なないはずの不死の体が、しかし、確実に死にかけている。
「ローマ正教徒たちめ。まさか、偽人を完成、させて、いたとはねぇ」
「ばっちゃ!死なないで」
ばっちゃは白くなった顔で首を振った。
「無理さ。もう、死ぬ。まさかこの不死を殺す、なんて、奴らの妄執も大したものさ」
そんな。
「本当は、お前を、わしが、殺してあげないと、いけないのにねぇ」
そう言ってばっちゃは笑った。
「これから、きっと、つらい、思いをさせるねぇ。大変だよ。がんばり、な」
「ばっちゃ」
小さな呪文を唱えた。
すると血の中から黒い子猫が生み出された。
「その子は、わしから記、憶を継いでい、る。お前の、助けになる、はずさ」
「ばっちゃ」
「悲しむことは、ない。わしは、死んで、当然なのさ。約束を、やぶった」
「やくそく?」
「そう、約束さね。わしの友達との」
ばっちゃはぼんやりとした様子でそう呟いた。
「盟約でね。私は眷属を作っては、いけないこと、になっている」
意識が遠のいているのだろうか。
「ああ、お前の顔は、あの子に似ている。それで揺らいじまった」
ばっちゃの顔ははみるみる白くなっていく。
「わしは地獄に堕ちるかねぇ。もういちど、あの子と逢いたかった、が」
「ばっちゃ」
「アイリ。わしは、お前を殺すのは、やめた。わしはとっくに約束を破った。もう今更さ。せめて、お前は、生きなさい。この生きる、甲斐の無い、世界で」
「ばっちゃ!」
「逃げなさい。神の子は、わしでも、かなわん化け物だ」
「嫌だ!死なないで!!」
「漸く、この時が、来たんだね。ええ、人生じゃった」
そう呟いて。
ばっちゃは動かなくなった。
もう二度と動かなかった。
◇◇◇◇◇
「はぁ、まったく。この子は」
黒猫のレイチェが避難するような顔を私に向ける。
「仕方ないよ。あのまま彼処にいたら迷惑をかけちゃう」
私は首を振ってそう呟いた。
「行く当ても無いのにねぇ」
私はあのアパートを出た。
匿ってくれると言う申し出はありがたかったが迷惑を掛けてしまうのは忍びない。
私と一緒にいれば。
一緒に殺されてしまう。
私の命を狙っている連中に分別を求めることは難しい。
「だって、仕方がないじゃない」
「そうさ、仕方がないんだよ。お前は呪われた存在なんだ。呪われた人間が他人を呪うのは普通の事じゃ」
「レイチェ」
「きっとこれからもお前の歩む道には死人しかいないのじゃろうて」
「やめてよ。本当。縁起でも無い」
「されど汝、普通でもなし」
そういう人生を歩んで来た。
それでも私は生きていたい。
そう強く願った、その時。
きゅぅとお腹がなった。
「お腹が空いたなぁ」
「直ぐに動けなくなるよ。お前の血がいくら有能でも何も無いところから血を作る事は出来ない。お前の血が消耗される度にそれはカロリーの消費として返って来るのさ」
目の前がぼんやりしてきた。
「せめて冷蔵庫の中を全部喰ってくるべきだったね。今のお前じゃそう長くは無いよ」
泥棒みたいとそれを断ったのは自分だ。
「それでも構わない」
私は歩き始めた。
直ぐに視界が暗転した。
「うぅ」
「ほら、また倒れるよ。やれやれ・・・」
レイチェの呆れ声が耳に響いた。
◇◇◇◇◇
帰ると玄関の前に黒猫が座っていた。
済まし顔の猫は済ました態度で言った。
「やぁ、済まないがアイリーを回収するのを手伝ってくれないか?」
「アイリー?」
「紬甲 逢鈴じゃ。あの子の名前だ」
そう言って黒猫は済まし顔で堂々と歩き出した。
俺がそれを眺めていると猫はやや困った口調に変わって言った。
「ついてきてくれないかのう」
「荷物を置いたらね」
やれやれと呟きながら、部屋に荷物を置き出た。
戸締まりを確認し、猫の姿を探す。
猫はアパートの前で伸びをしながら俺を待っていた。
「悠長じゃのう」
どっちが。
「俺は仕事人だぞ。何をしているか分からない上に俺からして理解も興味も無い無駄な君たちより俺の方が余程忙しいさ」
「はは、左様じゃな」
とことこと歩き出した猫の後ろをついて行く。
「遠いのか?」
「人の足じゃよ、所詮」
何を。
ほんの20分程度歩くと河川敷が見えて来た。
「そこの下におる」
「そうなのか?誰も居ないが」
猫の指す当たりを見る。
何もない。
「結界を解こうか」
そう言って猫が何もない場所の周囲を一周した。
周回を終えると突如としてその周回の中心に少女の姿が現れた。
俺は困惑して呟いた。
「何が起こった?」
「不思議な事じゃよ。理解も説明も無し」
俺は相変わらず説明する気のない猫に対してため息を吐いた。
猫がしゃべる以上、もはや何でもありか。
不味いな。
あり得ないことの連続過ぎる。
こんな日常の壊れ方は余りに。
危うい。
「アイリーはなんで寝ているんだ?」
「ガス欠じゃ」
ガス欠。
「この程度のことじゃ、大した事はない」
大した事だろ、困惑する俺に猫は言った。
ぐったりした様子の少女は見えて俺は焦った。
「具合が悪いのか?」
病院に連れて行くべきか。
「そうじゃのう。腹を切られた傷が完治しておらんのだろう」
「はぁ?」
「内臓がかなりやられておったからのう。臓器を再生しようにも血肉となるべき材料が無い」
「何を言って」
「要は壊れた体を治すのに栄養が足らんのじゃ。さて連れ帰るぞ」
そうなのか。
それが事実ならSFに出てくるガン細胞のような体の持ち主だな。
あるいはファンタジーの住民か。
納得はしていないがそこは置いて俺は少女の体を抱き掲げた。
「軽っ」
「すまんのう」
猫はそう言って俺の前を先行して我が家に帰り始めた。
◇◇◇◇◇
「あれ?」
目を覚ましたアイリーが困惑した様子で周囲を確認している。
しばらく、きょろきょろと不審な挙動をした後で声を上げた。
「ええ!?」
人の顔を見るなり驚くとは失礼な奴だ。
しかし、前にもあったぞ。このやりとり。
二度はつっこまない。
「どうした」
「戻って来てます。不思議です」
さすがに呆れてつっこんだ。
「俺が君の猫に言われて運んだんだ。何の不思議も無い」
いや、猫がしゃべったり、得体の知れない術(?)やら不思議はいっぱいだが。
「レイチェが?なんという事でしょう」
「なぁ、どうして出て行ったんだ?」
あんな体調だとは知らなかった。
「そ、それは、あの、危険ですから」
俺が危険か。命を狙われていると言っていたな。
「ご迷惑をお掛けしたく無かったのです」
「そうか。それもそうだな」
他人は他人だ。
遠慮はあってしかるべきだし、そう頼られても困る。
少女の判断は妥当だ。
何も責める必要はない。
だから、俺は何も言わずに用件を告げた。
「四条院とはアポが取れたぞ」
「本当ですか!?」
「ああ、人に物を頼んだならその結果はきちんと受けろ」
いちいち逃げるんじゃない。探すのは面倒だろうに。
頼んだことの報告はきちんと聞く。それもまた責任と言うものだ。
俺は端的に四条院との会話を説明した。
「二日後の駅」
「ああ、あと二日間だ。それくらいの間なら匿ってやる。ここにいろ」
外で倒れて、いちいち呼ばれたんでは付き合いきれない。
だが、関わった以上、野垂れ死も夢見が悪いだろう。
「ですが、それは危険です」
「もう今更だろ」
死ぬかもしれないか。まぁいいさ。
何かと天秤に掛けるにはあまりに軽すぎるからな。
俺の人生は。
◇◇◇◇◇
お腹が空いた子供が居るので久々に料理を作ることにした。
空きっ腹ならスープで良いか。
俺が適当に野菜を切っているとアイリーが近づいてきた。
「貴方はご飯を作れる人でしたか」
「普通だろ」
「尊敬します」
するなよ。
一人暮らし男の料理なんて適当だぞ。
「えーと、あの。お名前をお伺いしても良いですか?」
今更かよ。
「雪緒だ」
「ユキオさん、私も手伝います」
まぁ、良いか。
「じゃタマネギ刻んで」
そう言って玉葱と包丁を少女に渡すと少女は不思議そうな顔で野菜を見た。
「これがタマネギ」
大丈夫か。こいつ。
少女はおそるおそる包丁を使い、そして。
「つっ、あう、痛いです」
「何やってんだ」
少女はいきなり指を切った。
呆れ顔の俺はその指を無意識の内に口にくわえていた。
あ。
何やってんだ、俺は。
「ぎゃあああああああああああ」
少女が叫んだ。
俺は慌ててその口を押さえた。
少女は真っ青な顔で動転している。
「まてまて。通報されるから叫ぶな」
まぁ、知り合いしか住んでないから大丈夫だとは思うが。
「むー!むーむー!!」
「いいか、落ち着け。いいな?」
「ん!ん・・・」
そう言って少女は頷いた。
俺は手を離した。
少女は両手をぶんぶんと振りながら慌てている。
叫ぶのは止めたが混乱は治まっていない様だ。
「た、大変なことになってしまいました!」
「なんだよ。悪かったから」
「違います!違うんです!!」
何が。
「そ、その、ユキオさんが吸血鬼になってしまったかもしれましぇん」
いま台詞、噛んだぞ。
「どうしようどうしようどうしようどうしよう」
「焦るな落ち着け」
なんでそんなに焦っているんだ。
はぁ?きゅうけつき?
「アイリー。はよ、文呪を刻め。気づかれるぞ」
猫がしゃべった。
つか居たのか。お前。
「あ、はいはい!そうです!」
猫の指示でアイリーはまだ血の滴る指を俺に向けた。
「あの、腕を出して下さい」
「なぜ?」
「早く!危険なんです!!」
必死だな。
俺は困惑しながら腕をまくって彼女の前に差し出す。
少女が指を滑らせて何かを書いていく。
落書きにしては余りに精緻で複雑なパターン。
少女が何かを書き終えると腕に描かれたパターンが一瞬、どくんと脈打った。
なっ!?
「血殻の気配を消す文呪です。消さないでください」
「え、ああ・・・」
なにが起こっている?
「まずいのう」
「エイズにでもなったか?」
その手の感染症のリスクを考えてみるが口の中に傷でもあれば感染したかもしれないが、さすがにこれだけでは。
「そんな軽い物じゃない。お主は最古の魔法使いの血に感染した」
最古の魔法使い?感染?
何を言っている?
「こうなった以上はお前も逃げるしかない。わしらと共に」
そう断言する猫に俺は戸惑った。
「理由を説明しろ。訳が分からん」
「わしらは血を分けた眷属となってしまった。そうなればお前も狙われる」
眷属?
「ヴァンパイアは分かるか?」
「さっきから吸血鬼ってそっちのことか」
もちろん、分かるが。
「君は吸血鬼?」
「一応はモデルになった者の末裔じゃ。もっとも血が連なっているだけじゃがな」
血が連なっている?
「そして、お前も今日この時をもって吸血鬼の末裔となった」
「はぁ?」
どういう意味だよ。俺に吸血鬼の親戚なんていないぞ。
「血を受けたからのう。お前も我らが血の一部となった」
「血を吸ったのが不味いと?」
「ああ、ただ血を浴びる程度なら吸血鬼化は起きんだろうしな」
困惑して聞き返す。
「血が混じるといけないわけじゃないのか?」
別に細菌ではないからのう、そう呟きながら猫は続けた。
「イニシエーションじゃ。魔術的に言って血に口を付ける行為は血を与えた行為に等しい。儀式が完成すれば、それを破棄はできん」
「出来ない?」
「わしらの血の能力は強大だ。それを壊せるのは神の力ぐらいじゃろう。主体であるこの子の血がお前の血を覚えた。それでお前はもはやこの血に捕らえられた」
分からん。
「言うより、見せた方が早いじゃろ」
「待って!レイチェ」
アイリーの制止の声が響いた同時に猫の姿がぶれた。
すると。
「な」
「驚くな。わしのこの姿が見せたい者ではないわ」
巨大な黒豹が俺に音もなく近づくと口を開いた。
「いっぺんシネ」
がりっ。
俺は喉を引きちぎられた。
◇◇◇◇◇
目が覚めると部屋が真っ赤だった。
おい、人の部屋がスプラッタ映画みたいになってるじゃないか。
掃除が大変そうだと思いつつ。
「俺は死んだのか」
「生きておるよ。お前はもう死ねない体なのじゃ」
さっきは突然、黒豹になって俺を襲った猫がそう言った。
「これで分かったじゃろ」
「んー、で?」
どうなるんだ?
「やれやれ察しが悪いのう。まぁ、無理も無いか。つまり、もう普通の人生は送れぬと言うことだ。四条院に保護して貰うしかあるまい」
「四条院ってのはなんだ?」
「この国に置ける魔術師の大家じゃ。あそこなら神道の加護もあるし、いくら神教徒でも手を出せまい」
「魔術師?なんだよそれ?」
「うぬ、かつては魔法使いであった者、今ではこの子のような者を指す。が。しかし、この娘もそっちの方はろくなものでは無いしのう。どう説明したものか」
猫はしたり顔で意味の分からない説明をする。
なるほど、説明する気なったとしてもこっちに理解できる話ではないと言うことだ。
「魔術師とは魔法使いを目指すものじゃ。竜の法によって魔法が滅んだこの石の世界でな」
いしのせかい?りゅうのほう?
「意味が分からない」
「長く生きていれば意味も分かってこよう」
「説明になってないな」
「まぁそれもまた然り」
しかりって適当に落とすなよ。
「あぅあぅあぅ、どうすればいいんでしょう!あぁああ!責任をとらないと!」
何男前なことを言ってるんだこの子。
「いや、明らかに悪いのは俺だろうけど」
「それでもこうなっては!」
「さて、ここを出るぞ」
「はぁ?」
「これだけの出血の後が見つかれば、お前も殺されたという事で処理されるじゃろ」
え、家を出るのか?なんで?
「でも、もう不死なんだろ。ならそういう心配は無いんじゃないのか?」
「不死がアリなら不死殺しもアリじゃ。不死を殺せる化け物がこの国に来ておる」
それ全然不死じゃないじゃないか。
◇◇◇◇◇
どんな決定打にも準備期間や予感があって、振り返れば「ああ、やっぱり」となるのが世の常だとは限らない。
たとえば、ゲーム序盤にスライムに混じってドラゴンが出てきたり、それこそラスボスが出てきてしまう可能性も現実であればあり得る。
それこそ現実は小説より奇なりであり、その奇とは奇妙と言うより妙の無さ、奇形と言う事なのだ。
順序だってとは行かず、ドラマは生まれない。
現実は非道く酷で突如として確定的だ。
ただ今回に関しては予感はあった。
多分に伏線はあって、多少なりとも親切だった。
ただし、現実はイージーモードではなくベリーベリーハードモードだった。
それだけだ。
◇◇◇◇◇
「すまないが食料を調達してきてくれ」
少女を連れ込んだ新宿のホテルで黒猫が言った。
この字面、犯罪臭しかしないな。
こんな時間ならコンビニしかないか。
少女はあの何かの魔術を使うにも力を使ったのかぐったりしている。
逆に俺はむしろ体の調子が良いぐらいなのだが。
「わかったよ」
俺はホテルを抜け出すと適当にコンビニに向かった。
コンビニなんてここならどこにでもあるからなぁ。
腹に詰められるならなんでもいいだろう。
しかし、これからどうなるんだ。
このまま死んだ事になってしまうのか?
本当にゾンビかよ。
俺は一体誰だよ。まったく。
「なるほど、君か」
そう声を掛けられて俺は振り返った。
なんだよ。こいつ?
「誰だよてめぇ」
俺は全身が総毛立つ。
恐怖というより畏怖?
その男はまるでどこかの美術館から抜け出してきた芸術品のように美しかった。
神が手ずから作り上げたような端正で彫りの深い顔。
均等のとれた体。
周囲に金粉を振りまくように輝く金色の長髪。
美しさと神々しさを兼ね備えた。
それこそ。
神の如き男が其処に立っていた。
いや、それだけではない。
うざい程に居たはずの新宿を歩く人たちが見渡す限りに置いて全て居なくなっていた。
あり得ないはずのまったくの空白。
その空虚に無くてはならない者として、パズルの1ピースのように決められていたかのような必然で計算つくされた世界調和の末に一人立っている男は眼を細めるとその美しい形の口を開いた。
「なるほど、異教徒。君には自己紹介が必要かな。俺は正教の大司教が一人」
落ち着いた美しい音の声が響いた。
「神人のネヴァだ」
アダム、カドモン…?
多少知識があった俺は困惑した。
カトリックでそんな名前を名乗る人間がいるのか?
許されるのか?それ?
こいつは詐欺師?
「ふむ、無理もない。完璧な人間、完全なる人間、神のごとき人間、全なる人。そんな物が実在する事実にすら、ただの人間には耐えがたいだろうからね。君が信じようとしないのも無理はない」
「何を言っている」
「可能性の問題だよ。私は全ての人間の可能性の顕現した存在だからね。100Mを世界記録保持者より早く走るぐらいは訳はないが、まぁそんな事はどうでもいいだろうな」
さっきからやたら一方的に話している。
「何を話しているんだ?」
「私は今、検邪聖省に所属している。請け負っている任務は魔女狩りだ」
そういうと俺に向かって何も持たない素手を突きだした。
「君に問う必要も語り合う必要も無い。私が見れば全ては知っていたことになる。そういう性質でね。だから既に状況は理解している。すまないが君は彼女の血を飲んでしまった。貴方が終厄の魔女にならないように死んでもらう」
「は?」
手を振った。すると光が生まれ。
その光が俺を貫いた。
それで心臓が冗談のように砕けた。
それからおそらく起こりえたであろう再生なんてなく。
滑るように意識が墜ちていくのを感じた。
ああ死ぬ。それが分かった。
「運が悪かったな。ただ、この世においてはそれで死ぬことはとてもありふれたことなのだ。君はただただ運が悪かった」
俺は何も言えず、何も見えず。
ただ死んだ。
◇◇◇◇◇
「どうして・・・」
どうしてこんな事になったのだろう。
彼の死体を前に私はその場に座り込んで呆然とした。
「今は居ないようじゃが早くここから逃げないと神の偽人がきちゃうぞ」
使い魔で黒猫のレイチェがそう言った。
でもそんな事より今はこっちの方が問題だ。
匿ってくれた恩ある男の人が死んでしまった。
私のせいで殺されてしまった。
「教えてよ、レイチェ。どうしよう、どうしたらいいの?」
この傷を癒して生き返らせる。
無理だ。既に魂の形質崩壊が始まっている。
まだ微かにその魂に触れることはできる。
それだけだ。死んだ人間を生き返らせることはできない。
「ふむ、このままエゴが昇華するとお前の血の一部になっちゃうんじゃないかのう?」
私の血に囚われる。
「そんなこと駄目だよ。せめて魂の回廊に魂を還して上げたい」
「血を。君の血を取り除くしかない。幸いにまだ感染して少しだ。エゴの領域は血統魔女の血に染まりきってないはずじゃろうて」
私は頷いて魔術の準備に取り掛かった。
世界第二位の魔女の血殻を受け継いでしまった私にならきっとできる。
そう、きっと。
「しかし、記憶を残しておくと因果が断ち切れないかもしれんのう。そうだ。死の記憶を変えておくのじゃ。ありきたりでありふれたところでトラックに轢き殺されたことにでも変更するがいいじゃろうて」
「それでいいの?」
「君と出会った記憶も消去する。それで幾分かの縁を断てるはずじゃ」
多少マシと猫が呟いた。
「わかった」
私は血を流し、魔術を使った。
私は魔女。
この石に眠った世界で魔法使いを目指す宿命に生きる魔術師たちの一人だ。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって」
せめてその魂まで囚われないように祈りながら。
私は死んでしまった彼の因果を変えたのだった。