紅に塗れた純血の花嫁。
まただ、毎回見るあの夢。
―この夢を見るのは何回目で見始めたのはいつだったか、もう忘れてしまったけれど。
キミは逃げるんだ。さあ、早く!
「 ?」
私を庇うように背中に隠しながら貴方はそう私に叫んだ。私はその時なんて言ったのかしらね。
…ははっ、大丈夫だって。僕はキミより遥かに頑丈だよ。
「 。 に…?」
私の問い掛けに貴方は長剣を片手にそう言って笑っていた。ねえ、貴方はどなた?
本当に大丈夫、必ずキミを迎えに行くから…待ってて。
ああ、まただ。彼に突き飛ばされた瞬間私の体は柱にぶつかり、その刹那無数の光の槍に貫かれる彼の身体。彼は振り向いて絶望的な状況なのにも関わらず笑って私になにかを呟いたわ。その言葉に私は涙を零しながら叫ぶの。なにを?…そんなの、忘れてしまったわ。
- …ッ!―
そして、私の意識は今日も浮上するの。未だ消化しきれない靄を胸に宿して。
「女王陛下、また低級魔族共に畑が食い散らかされてしまいました!どうぞ、粛清を」
「ロザリィ様、今日はわたくしに魔法呪の稽古をつけて下さいまし」
「いいえ、何を仰っていますの。女王様はわたくしに稽古をつけて下さるのよ」
「魔族に関しては私が直々に調査します、後二人は纏めて稽古をつけてあげるから後で裏庭に来なさい。」
静寂など束の間、我が家に代々伝わる装束を身に纏い玉座に座せば私の平穏は幕を閉じる。いいえ、平穏なのは目覚めてほんの数時間ある身嗜みを整える時間だけ。髪を梳き、結び整える。そして薄く化粧を施した後使用人たちに着付けられそのまま手に書類の束を持ち玉座へと、それが、―紅榴石の薔薇―"ガーネット・ローザリア"という吸血鬼の一族の長である私ローザリィ・ガーネリアの朝。
私の家は代々この吸血鬼の住む世界―粛清の紅―"レッドオブパージ"を総べる王族の血族。先代の王は私の父、パーライト・ガーネリア。今は亡き私のもっとも大好きでもっとも尊敬していた人。先刻、といっても私たちと貴方たち人間との間には時差や時の流れは相違がある筈。そうね、詳しく話すとすれば300年位前。私たちの世界の中ではもっとも大きな戦争が魔族との間で起こり、私の家族は私と弟を除いて全員殺された。その頃の記憶はなぜかすっぽり抜けてしまっていて憶えていない、お医者様の話だと父や母…お城の人々が死んでいく様子を目の前で見てしまった為の心的外傷だろうって仰っていたけどどうも腑に落ちない。生き残った他の使用人は口を閉ざして知らん顔、コックまで私をお菓子で誤魔化す始末…も、勿論彼の作る料理は美味しいから食べるけど。
それから何百年も経った今、紅榴石の薔薇最後の血族である私が今この世界を総べる女王。ちなみにこの世界を総べる王に女が選ばれたのは私が初めて。故になめられる事もしばしばあるけれど、生憎私は少し叩かれただけで泣き寝入りするような軟弱娘では無い。よって私を嘗めてかかった国にはそれなりの制裁を与えてきたわ。そんな私を非道だと非難する輩もいれば崇拝してくれる輩もいる、賛否両論の真っ只中。退屈なのはつまらないからそんな刺激的な立ち位置を与えてくれたお父様には感謝も一入だけど。-嗚呼、あの人をなめたような顔で嘲り笑うように威勢を張っていた輩の悲痛な懇願と涙で歪んだ顔。思い出しただけでぞくぞくするわ。
思い出し笑いを浮かべていたら降ってきたのは帝王学の参考書物の―…簡単に言えば本の角。見事頭に命中したそれに私の顔が痛みに歪む。視界に映ったのは私と同じ紅髪の碧眼、中世的な顔立ちの少年。そう、私の双子の弟ルベライト・ガーネリア。
「ルー!痛いじゃないの、何をするの」
「姉様が突然にやけるので使用人や報告に来た民が訝しんでいます」
「でも、だからって本の角は痛いでしょう?貴方だって経験があるわよね」
「経験はありますし、痛いのはよく分かります。ですが、姉様の意識を此方に引き戻すほうが優先です。…仕事しろよ、クソ姉貴」
ルベライトは分厚い書物を持ったままそう淡々と紡いだ後毒を吐き捨てる。そう、この男―私の弟は顔立ちこそ上品ではあるが私よりも口が悪い。普段はそれを隠しているけどたまに感情が昂ぶるとボロが出る、そういう所と顔だけは私たち本当にそっくりなの。一頻り睨みあった後政務に互いに政務へ戻っては一区切りついた昼下がり私の職務室にてお茶を楽しむのが日課になっている。楽しい話題に話が弾むわけでは無く仕事の延長線、私たちが普通の子供だったのならきっと好きな子の話や学校の話とか沢山話せただろうけどそんな些細な幸せは魔族の手によって一瞬にして奪われてしまった。
「そういえば、隣国の魔族の国はあれから様子はどうかしら」
「そうだね、僕が偵察してきた限りでは未だ目立った行動はとっていないけど時々怪しく感じるときはある」
真紅の紅茶が入ったカップへと唇を寄せながらそう紡ぐと返すように彼はそう呟いた。最近気に掛かる隣国、魔族の中でも特別魔力の強い魔族が住む国で最近王が変わった。前王は私たちにも友好的で私としても好感が持てたのだが今度の王は友好的な素振りを見せてはくるが水面下では何か目論んでいるようで度々ルベライトを派遣して探らせている。一歩踏み違えた為に起きたあの"私の知らない惨劇"をまた繰り返さないように、慎重に。
「姉様、最近無理のしすぎじゃないかな?…クマができてる」
「大丈夫よ、少し疲れてしまっただけ」
「なら、いいけど」
口は悪いけど何より私を気にかけてくる、ルベライトはそういうとても優しい子。常に私の傍に居てくれる私の弟で小さな補佐官。この些細な二人きりの時間も元々は彼が私に提案してきたこと。姉様も肩を抜く時間が必要だと、そう言って半ば強引に作らされた1時間、たった60分だけど私には一日の何よりも大切な時間、だって死んでしまったら二度とこんな幸せを噛み締める事が出来ないのよ?だから、この時間は私にとって安息の時間であるとともに"自分の生を感じる"貴重な1時間。ああ、その1時間が終わってしまう、そう嘆いたその瞬間―…
城壁が抉れ、外が一望出来るほどの穴が出来ていた。
「姉様ッ!お怪我は?」
「大丈夫、ルーが守ってくれたから」
あれだけの衝撃を受けていたら幾ら人間でない私でも無事では済まなかった。ルベライトが察して素早く対応してくれていなければこの安息の時間すら二度と迎えることは出来なかっただろう。だがしかし、今日この安息の時間は奪われた。私は憤る、紅い髪が黒く染まる、染まっていく。
「姉様、駄目だ!…頼むからそれだけは…ッ」
制止する彼の言葉は耳に届かなかった、装束が変化していく。"紅い綺麗なドレス"から"黒い花嫁衣裳"へと。次の瞬間視界に拡がるのは紅い海。私じゃない、そう城壁を抉った相手が流した生命の海。返り血を浴びて頬に紅が伝う。視界が霞む、相手は動かない切り裂いた魔剣にこびり付く紅を見つめたまま私は泣く訳でも嘆く訳でもなくただ天を貫くような高い声を響かせ、笑っていた。一頻り笑った後動かない相手の仲間の魔族だろうか、私に勢いよく襲い掛かってきた。私は次々と切り裂く、響く断末魔と紅い飛沫。黒の装束は紅を吸い黒さを増していく、私は狂ったように刀を振るう。
「お前は、黒衣の花嫁…ロザリィか!」
悲痛な叫びをあげながら朽ちていく仲間達を余所にそう叫んだ魔族を魔剣一振りで地へ沈めていく。黒衣の花嫁?そんなの知らない、私はローザリア。この国の女王だわ。魔族最後の一人を地へと沈めた瞬間背後に感じる温かさ。感じたことがあるこの温もりはたった一人の家族のもの、そう私に抱き付いてきたのはルベライトだった。刹那私の髪が漆黒から紅いソレに変わる。
「姉様、もう大丈夫。大丈夫だから魔剣を仕舞って下さい」
「ねえ、ルー。声が聞こえたの、女の人の声」
「声?」
「そう、笑いながら私の名前を呼んで…こう言っていたわ」
"いい加減目覚めなさい、思い出しなさい。…貴方の記憶を。"
「姉様」
「ねえ、ルー…貴方は何かを知っているの?私の記憶に関わる何かを」
「姉様、姉様がこの事実を知っても…姉様は姉様のままでいてくれる?」
「私は何時でも貴方の姉さんよ、大丈夫」
そう紡いで笑ってみる、けど矢張り怖い。私の欠けた記憶が満ちていくのが怖くなる。満ちていく記憶を私が呑み込んでしまった時に、私は一体どうなってしまうのだろうか。けれど、そんな事より…私はたった一人の家族にこんな悲しい顔をさせている現在が辛い。
「姉様、姉さん…姉さんはあの日」
それが私の運命をノックするなんて、その時は思わなかった。崩れ落ちていく視界の中はっきりと見えたのは憎しみの鐘と嘲笑うもう一人のワタシ。