世界の行きつく場所
フィールドに出てから、俺はラビットの強さを知った。
アイテムコレクターやその傾向があるプレイヤーは基本的にステータスのほとんどを索敵や採取などに振って、戦闘のことは考えない。ラビットもコレクターに近いタイプのようだし、基本的に戦闘行為は俺がしようと思っていたのだが……。
「ハイヴォルト!」
ラビットが唱え、彼女の周囲に青白い電撃が発生する。電撃は空中を迸り、彼女と対峙していた小型の鳥型モンスターに直撃した。その一撃でモンスターはポリゴンとなってはじけ、ラビットはステータスポイントを手に入れる。
「大したもんだな。俺の助けが必要なのか疑わしいくらいだ」
「わたしじゃこの辺りの弱いモンスターしか倒せませんから」
「俺がラビットよりさらに弱い可能性もあるんだぞ?」
「あなたの装備品、わたし程度のステータスじゃ装備できないものばかりじゃないですか」
さすがほぼコレクター。そういうところはちゃっかりチェックしてたか。
「まあ、俺はなんとなくで続けてるだけだ。強いっていうほどのもんじゃない」
「わたしは魔法系のステータスを特に育ててるんですけど……あなたは格闘か剣術あたりですか?」
「話聞けよ。つか、なんでわかるんだよ」
確かに俺は剣術系統のステータスを強化してるけども。
「雰囲気ですよ」
言い切りやがった。
「もったいないですね。結構強そうなのに、なんとなくって」
「そうか? むしろこのゲーム、続ける意味を探す方が難しいだろ」
なんせ、何もないうえにまともにプレイヤーすらいないんだから。
「そういうラビットはなんで続けてるんだよ。アイテムコンプリートでも目指してるのか?」
何気なく俺が尋ねると、ラビットは意外にも考え込むそぶりを見せた。
「わたしは……わたしは、ちゃんとこの世界の終わりを見届けたいんです」
「この世界の終わり?」
「はい。……例えば、小説とか、漫画とか、映画でも、そういうのって必ず終わりがあるじゃないですか」
まあ、終わりがなければいつまでたっても見終わらないしな。
「でも、ああいうのって『物語としての終わり』だと思うんです。わたしたちが見ることができるのはそこまでだけど、でも、個性豊かな登場人物たちの生きる世界っていうのは、まだ続いてるはずだと思うんです」
ラビットの言うことは……めちゃくちゃだが、わからないことじゃないな。
俺たちが見ることができるのは、物語が最終回を迎えるそこまでだ。だけど、俺たちの見ることのできない『最終回以降の世界』だってあるはずだと、きっとラビットはそういっている。
「そう思ったら、物語って何を持って終わりなのかなって。ただ単に私たちが見ることができなくなったから終わりで、それで忘れられてしまうのは寂しいじゃないですか」
ラスボスを倒したRPGの主人公の物語は、そこで終わりだ。俺たちは主人公一行のその後の物語を知ることはできない。まだ生きている彼らと、まだ続いているはずのその世界を、俺たちはそれ以上知れないからという理由でいずれ忘れてしまうのだ。
それは、寂しいことなのだろうか。
正直、俺はそんなことを意識して考えてみたことなんかない。
「この世界は、まさにその『最終回以降の世界』なんです。すごい勢いで忘れられて、もう覚えてる人だってまともにいなくて、それでもまだ続いている世界なんです」
饒舌だな、この兎。気持ちは分からなくもないけどさ。
「どんな物語でも、どんな世界でも、そこには作り出した人の大切な気持ちや意志があるはずなんです。わたしはこの忘れられた世界で、この世界の行き着く場所を見てみたい」
「……そのための手段がコレクトか?」
「あー……手段の一つですかね。なんとなく、この世界のものを集めたいんです」
たはは、と照れたようにラビットは笑う。
俺は……
「……俺は、現実が退屈だ」
意図せず、声が漏れていた。
「非現実も、変わらないけどな」
ラビットは不思議そうな表情をしている。当たり前か。
「正直、俺は自分の現実も非現実も同じで、とっくに終わったものだと思ってる。ここから先は同じ景色を死ぬまで繰り返すだけの意味のないものだと思ってる」
だけど、
「そんな俺の現実にも、おまえはまだ行き着く場所があると思うのか?」
何を言っているんだろう、俺は。こんな仮想現実で初めて出会った少女に、何を聞いているんだ。
ああ、やっちまったなあ……。
「大丈夫ですよ」
だけど、悲観している俺の耳を撫でたのはやさしいラビットの声だった。
「あなたの行き着く場所は、あなたが選ぶこともできるんです」
そんなやさしさは、今まで俺が触れたことのないもので。
「誰も知らない、あなた自身が諦めかけているその物語も、わたしがちゃんと覚えておきますから心配しないでください!」
ああ、どうやら……
俺の物語は、まだ最終回には早かったらしい。
「俺も、いつかおまえみたいになりたいよ」
「なれますよ! そんな大したもんじゃないですから!」
正体不明の、世界の行き着く場所を探し求める少女、ラビット。
なんだかよくわからないうちに、俺まで救われてしまったような気分だ。
世界は退屈だ。
仮想世界も変わらないけど。
その時、俺の索敵スキルが反応を示した。
事前にラビットから聞いていた敵アバターの名前とID。その二つが一致するアバターが近くにいると、警報を鳴らしている。
「ラビット、周囲を警戒してくれ」
ラビットもそれだけですべて察してくれたらしく、緊張の面持ちで身構える。
やがて吹き荒れる砂煙の向こうから、二人組の男が姿を現した。二人とも屈強な体で、いかにも強面のアバターだ。
その片方が、俺たちの姿を認め、口を開いた。
「あんた、その女の仲間か?」
「期間限定だけどな」
「ほう? てぇことは、いいアイテム持ってそうだな」
ラビットから『オールマイティ』を騙し取っている手前、善人らしく取り繕うつもりもないらしい。まあ、こっちとしても余計な手間が省けてよかったと考えるべきか。
「素直に『オールマイティ』を返すなら見逃してやる」
俺は端的にこちらの意思を伝えた……が、返ってきたのは嘲るような笑い声だ。
「おまえ、馬鹿だろ! 幻のアイテムをみすみす返すと思ってんのか!? そっちこそ、おとなしく手持ちのレアアイテムを渡すなら穏便に済ませてやるぜ!」
「……レアアイテムを、何のために集めるんだ?」
「裏ボスを倒すんだよ!」
男の片方が威勢よく答える。
裏ボスというのは……このゲームに設定された唯一の敵キャラクターだ。裏といっても、表ボスがいるわけではない。ただその圧倒的すぎる強さのせいかそう呼ばれているだけだ。
「こんなくそみてぇなゲームで時間だけ奪われたってのも癪だからな! 裏ボス倒してアカウント消して、クズみてぇなこんな世界とはおさらばだ!」
「裏ボスの情報は公開されてる。今ならだれでも挑戦できる状態のはずだぞ?」
「ああ、挑戦したとも! だが勝てねぇのさ! こっちの攻撃はいくら当ててもダメージにならねぇし、向こうの攻撃を一撃でも食らえば即死亡だ! ふざけてやがる!」
ああ、そういえば噂になってたな。
プレイ時間三百時間以上のプレイヤーのみで構成された百五十人の軍隊が裏ボスに挑んで、十三秒で全滅したとか。
まあ、十秒以上もっただけで奇跡とか言われてたけど。
「どうせ裏ボス倒したらすぐ退会するんだ、PKすら許されてるゲームで強奪を遠慮してても仕方ねぇだろう!? 俺たちは最後に伝説作っていくんだよ!」
……。
「ま、ゲーマーとしてはわからなくもない心理だな」
「だろう!? 話の分かる野郎だ、さあ、レアアイテムを渡しな!」
多分その時、俺はぶちぎれたんだと思う。
「はあ?」
すごみ、俺は歩き出す。二人組の方向に向かって、一歩ずつ確実に。
そんな俺の異様な雰囲気を察したのか、二人組の行動は早かった。
「おとなしくしないなら強奪させてもらう! 行くぞ!」
直後、二人組は次々と呪文を唱え始めた。どうやら二人そろって魔法系統を強化しているらしい。
ありとあらゆる属性・威力の魔法たちが、怒涛の勢いで俺に襲いかかる。並みのモンスター群なら瞬く間に消滅するほどの、確かに強力な魔法たちだ。
俺の姿は土煙に飲み込まれ、その向こう側からラビットの悲痛な叫びだけが聞こえていた。
だから、土煙が晴れた時、俺が立っているなんて誰も予想していなかっただろう。
「……言っとくけど、俺からすれば裏ボスは雑魚だ」
驚愕の表情で立ち尽くす二人組に、俺は告げる。
二人組の視線の向きからして、俺のHPゲージを見ているらしい。一ビットたりとも減ってないから、ある種の恐怖かもな。
「裏ボスの最大秘奥義は俺のHPの十分の一も削れなかったし、俺がちょっと攻撃したら一撃で死んだぞ、あいつ」
確か、俺が裏ボスと戦ったのは先週あたりのことだったと思うけど。
「ああ、ちなみに俺は防御と自動回復に相当ステータス振ってるから、裏ボス以外のやつのダメージはまず受けない。ていうかまあ、数百種類のステータスのうち、二百三十二種まではコンプリートしたけどな」
もちろんこれは、決して誇れることではない。言ってしまえばただの廃人告白だ。
それでも、今この場では何よりの力になる。
「まあ、プレイヤーとしてはおまえらの気持ちもわからなくはない。ぶっちゃけ、正論だとも思う。だからおまえらは、俺に出会った時点で運が悪すぎただけなんだ」
述べつつ、歩き、その間にも武器を具現化する。
剣か、銃か、ハンマーか、弓か、棍棒か、鞭か、鉤爪か、拳か、紐か。
なんでもいい。大抵の武器のステータスはコンプリートしてる。
俺は深く考えることなく、一番使い慣れている武器―剣を選んだ。
二人組の目の前に到達したところで、愛用のそれを抜き放つ。
俺がここまで憤怒している理由は―きっと単純だ。
「俺の目の前で―ラビットの求める世界を汚すなよ」
俺は勢いよく、剣を振り下ろした。