忘れられた世界
現実は退屈だ。
非現実も変わらないけど。
Bush!―それは数年前に発表されたとあるMMORPGのタイトルだ。
従来のそれらと比べてゲーム内でのプレイヤーの自由度が非常に高く、一時期は爆発的人気を誇った。
そう、一時期は。
Bush!の最大の売りである異常なまでの自由度は、そのままこのゲームの弱点になった。
このゲームには特に用意されたシナリオも、強要されるクエストもない。
やろうと思えば何でもできる。RPGらしくモンスターを狩りまくるのもいいだろうし、素材を回収して商店を開くのもいいだろう。独自にスキルを高めて鍛冶屋や便利屋としてプレイするのも悪くない。
そう、やろうと思えば何でもできる。
ただし、その気にならなければ何もない。
自由度を売りに爆発的売り上げを記録したこのゲームの現プレイヤーは、俺を含めてせいぜい数百人程度だろう。
退屈なんだ、結局。
心躍るシステムと胸躍るストーリーに期待しながらゲームをインストールし、いざプレイし始めてすべて丸投げされたプレイヤーたちはどんな気持ちだったんだろう。いくら自由度といっても、まさかそこまで放置状態とはだれも予想しない。
それでも最初のころは、誰もがこの何もない世界で楽しむ方法を模索していた。
だけど……やっぱり、駄目だった。
俺は、ネットゲームなんて現実から解放されて自由になるためのものだと思っているけど。
人間、自由すぎてもどうしようもないってことだ。
俺がこのゲームを続けているのは、言ってしまえば惰性だった。
大学生の俺は講義をさぼらない程度にまじめで、だけどサークル活動なんかで青春しているわけでもなく。毎日繰り返す学校と一人暮らしのアパートの日常に飽きてきて。
でも、それらを放棄して生きていく新鮮な道を見つけ出すような気力があるわけでもない。
だから、惰性と暇つぶし。
それだけが、俺がBush!を続ける理由だった。
正直、どうやってサービスを供給し続けているのか心底不思議になるくらいの過疎っぷりだが……俺にとっては、これくらい極端に何もない世界は逆にちょうどいいのかもしれない。何も考えず、ただひたすらにネットの画面に向かう時間は嫌いじゃない。
リアルは退屈だ。
ヴァーチャルも変わらないけど。
もちろん、退屈だ。
目的意識を持ってやっているわけでもないんだから。
それでも俺は、ディスプレイの向こうの、漆黒に身を包んだ孤高の俺自身と今日も仮想世界を冒険している。
周囲を見渡しても、存在するのはNPCばかり。
今日も俺は、たった一人でフィールドに繰り出す。
―はずだった。
「ちょっと! 無視しないでくださいよ!」
「うるさい黙れ」
俺の後ろをちょこちょことついてくるプレイヤーに、俺はぶっきらぼうに言い返す。なんだこいつ、超うざい。
「話くらい聞いてくださいって!」
「ログアウトはメニューの一番下にあるだろ」
「帰れってことですか!?」
驚愕の表情を浮かべる女性型アバターは……たぶん、兎か何かをイメージして作ったものだろう。いや、アバターの頭に直接兎耳が生えているとかいうわけではない。アバターが装着している白いコートに、兎を連想させるタレ耳付きのフードがあって、それを被っているだけだ。
まったく飾り気のない漆黒のコートを着ている俺とは、外見的にとても対照的といえる。
表示されているこの兎アバターの名前はラビット。決定、こいつ兎好き。どうでもいいけどさ。
ちなみにだが、このゲームはアバター作成においてもかつてない自由度を誇った。こだわり派のプレイヤーはアバター作成だけに丸一日を費やしたとか。俺は割と平凡なプロフィールの男性プレイヤーを五分で作ったけどな。
ラビットは、かなりかわいらしい顔立ちをしていた。ゲーム内のアバターをわざと不細工に作るやつもまずいないだろうから、当然ではあるか。
とにかく、兎だろうと可愛かろうと、うざいことに変わりはない。
「俺はソロでやってるんだ。失せろ」
「わざわざ孤高気取らなくたって、過疎りまくってるこのゲームじゃ、そもそもパーティ組む方が難しいじゃないですか」
なんか、言うことまでいちいち神経逆なでしやがる。くそ、珍しくプレイヤーがいるかと思ったら急にボイスチャット飛ばしてきてこのいいようだ。
ここは適当に話を聞くふりだけでもしておいて、さっさと追い払うのが得策かもしれない。
「時間をやろう。三分だけ待ってやる」
「同じプレイヤーのはずがとてつもない悪役の台詞ですね、それ。わたしは滅びの呪文でも唱えればいいんですかね?」
「唱える前に一瞬でPKしてやろうか?」
いら立ちを隠さずに脅した。さすがに相手も少しばかり反省の表情を見せる。うん、それでいい。
「実は、協力していただきたいことがありまして……」
そういうと、ラビットは何やらゲームの操作を始めた。どうやら、俺にアイテムのストレージを見せようとしているようだ。
やがて出現したそれには、俺でも珍しいと感じるようなものまで含め、実に多種多様なアイテムが大量に並んでいた。
「アイテムコレクターなのか?」
「コレクターに専念してるわけじゃありませんけどね」
このアイテム全部売り払ったらすごい額になるな、と俺はなんとも夢のないことを考えてしまった。収入が欲しければモンスターを狩ればいいだけの話だ。
「それで、これが?」
「はい。実はわたし、つい最近まで『オールマイティ』というアイテムを持ってたんですけど……」
おう、と思わず俺の口から感嘆の吐息が漏れた。『オールマイティ』といえば、数万分の一の確率で遭遇するある特定のモンスターを素人にはまず不可能な特定の条件で倒した時に出現する、ドロップ率は何憶分の一とまで言われた幻の逸品だ。
ラビットさん、見かけによらず廃人レベルのゲーマーなのかもしれない。
「すごいじゃないか。俺も長いこと挑戦してるけど、未だに手に入らないんだよな」
「はい、そうなんですけど……」
「……もしかして、間違えて捨てたとかか? そりゃ残念だ。でもそういうことは俺じゃなくてGMにでも伝えた方がいい」
冷たいようだが、実際、俺にできることは何もない。運が良ければGMにデータを復活させてもらえるだろう、としか言えないことだ。
だが、次の瞬間には俺は自らの考えを改めた。
ラビットのアイテムストレージの空の位置―おそらくは『オールマイティ』を納めていた場所だ―は、赤い点滅を繰り返していた。
これは、そこに収納されていたアイテムが強奪されたことを示している。
「……アイテムの効果か何かで奪われたのか?」
「いいえ……騙されたんです。アイテムを分けてやるから決闘を受けてくれって……」
決闘システム。
お互いの同意の上で成り立ち、その勝敗によってアイテムなどの交換、譲渡などを行うためのシステムだ。
サービス開始当初からラビットのような悪徳プレイヤーに騙される者は多かったが、未だに改善の兆しも見られないシステムでもある。
「決闘が始まったら軽く一撃攻撃して、それで終わりって言ってたのに……」
……アバターとはいえ、女の子が泣いているのは気分が悪い。きっと、彼女は藁にもすがる思いで偶然そこにいた俺に必死に頼ってきたんだろう。
それに何より―偽善者のようで口に出すことはしたくないが、俺はそういう悪徳プレイヤーが大嫌いだ。
「条件がある」
俺のそのセリフに、ラビットはきょとんとした表情を浮かべた。
「協力する代わりに、一週間だけ『オールマイティ』を貸してくれ」
Bush!のフィールドは荒廃している。モチーフとしては荒れ果てた近未来、となっているらしい。
いくら近未来で世界が荒れ果てることになろうとも、モンスターが生まれるとは考えにくいのだが……まあ、ゲームの設定にまじめに突っ込むのも無粋というものだ。
「『オールマイティ』を貸し出すのはいいんですけど、借りパクしないでくださいね?」
「協力するんだから信用しろよ。俺はそこまでステータスに困ってないんだ」
ステータスはBush!における唯一にして絶対の値だ。
何度も繰り返すように、このゲームは究極の自由度を売りとしている。そのため、レベルや職業といったものは存在せず、すべてはステータスによって決定される。モンスターを倒すごとにステータスに割り振れるポイントを得られ、それぞれが自分だけのアバターを作っていくわけだ。
もちろんこのステータス、攻撃力、防御力など基本的なものをはじめ、全部で数百種類に及ぶ代物だ。よく作ったものだと逆にほめてやりたくなる。HPやMPは設定されているが、このステータスが最終的な強さに決定されるから、それ自体の変動はない。
そして伝説のアイテム『オールマイティ』の効力とは、「モンスターを倒した際に得られるすべてのステータスポイントを十倍にする」というもの。
つまり、これを装備することによってステータス絶対主義のBush!においては他と圧倒的な差をつけられることになる。
誰もが血眼になって探すのも当然と言えよう。
「行こうぜ。ログアウトされたら探しきれない」
こうして、俺とラビットは半ば成行き的に、共にフィールドへ降り立った。